31話 私とエドワード1
「それは出来ません」
白い制服の騎士が言った。
「貴方は王室を揺るがす事件の重要参考人です。万が一のことがあっては困ります」
「万が一か……。部屋の出入口は一つ。それにここは三階だ。窓から脱出は難しいだろう。心配であれば、窓の下に人を置くのはどうだ?あんたには関係ないだろうが、伯爵にとっても、リリーシア伯爵夫人にとっても、この審議会は人生の大きな岐路だ。二人の今後の未来のために、この問題はここで決着をつけるべきだ」
「……」
公爵様の言葉に、白い制服の騎士が腕を組んで考えだした。そして――
「わかりました。ただし、長くは待てません。手短にお願いします」
「ありがとうございます。リリーシア、どうだろうか?」
ちゃんと私の意思を確認してくれるのね……。
まっすぐこちらを見る姿に、学院時代の彼の姿が重なる。
本当なら、二人で話すことなんかない。
さっさと離婚届にサインをもらって、アリアとの今後の人生を考えて、行動する方が有意義なはずだ。
あの時、彼は私の話を聞かずに強引に、残酷な顔をして、私を切り捨てた。
私が応じる義理はないわ。
だけど……――
「わかりました」
ちゃんと話して、ちゃんと顔を見て、お別れする方が気持ち的に良いように思えた。
◇◇◇
「ドアの前に待機してるから」
「ありがとう」
「リリーシア。頑張って」
「うん」
ソフィアに背中を優しく撫でられた。
彼女から勇気を分けて貰ったように思えた。
全員が退出した。
彼が何を言い出すのか、内心身構えているが、いっこうに話しかけてこない。
「「あの」」
私が話しかけようとすると、エドワードも同時に言葉を発した。
「あっ、すまない」
「いえ……」
「……」
「……」
また沈黙が続く。
「さっ、さっきは、ありがとう……」
ようやく彼が話し始めた。
「母上の暴言は今に始まったことではなかったが、その……かばってもらえて嬉しかった。ありがとう」
「いえ、私も差し出がましかったと思います」
「そんなことはない。その……体が弱いのは俺のせいじゃないと、騎士にならなくても、俺は立派な大人だと言ってもらえて、本当に嬉しかった」
はにかみながら、彼は言った。
自分でも、何であんなに腹が立って、言わずにはいられなかったのか、理解出来ない。
「昔から……俺は母上の期待に添えなかった。俺が不甲斐ないから父上は愛人の子供を愛するんだと……。役立たずで出来損ないで、自分は失敗作だと。何のために産まれてきたんだか……」
「っ!」
思わず、『そんなことはない!』と叫びたくなった。
アリアを産んで、アリアと過ごして、私はとても幸せだった。アリアに何かしてほしいなんて思わない。ただ健やかに、生きてほしい。
何のために産まれたのか?それは『産まれたこと』に意味があると、私は思う。これ以上でもそれ以下でもない。
アリアが将来どうするのか、どうなりたいのかは彼女の選択で、親として出来ることは、彼女の選ぶ選択枠を拡げてあげることだけよ。
決して、子供に自分の望みを押し付けることではないわ。
「貴方は失敗作なんかじゃない」
「リリーシア……」
「そもそも、失敗作なんて言葉がおかしいわ。お義父様は確かに立派な騎士だったそうだけど、騎士の子供は全員騎士にならなければ失敗作なの?騎士の家系でも、文官として働いている立派な人もいるわ。その人は失敗作なの?」
「母上の言葉を借りるなら、そうなんだろう」
「では逆に、宰相様や教会関係の役職の家系の人が騎士になったら失敗作なの?」
「えっ!いや、それは違うと思う」
「イザベラお義母様の理論なら、親と違う仕事につくことは失敗作だと、そういうことになるわ。そんなの間違ってる。その人のことを全く見ていないわ。親と子供は別の人間で、能力も、才能も個人差があって当然よ。それなのに父親と同じになれなんて、考え方がおかしいわ。それに、自分の子供に失敗作と言う神経が理解できない!子供を産んでまだ4ヶ月だけど、そんな言葉が頭に浮かぶことなんかないわ。それはこの先、娘がどんな成長をしたとしても、そんな言葉を思い浮かべることすらないと……ごめんなさい。ちょっと熱くなってしまいました」
「えっ!いや、謝らないでくれ。すごく嬉しかった。ありがとう」
「いえ……」
思わず熱く語ってしまった……。
「……俺たちが初めて出会った日を、覚えているか?」
それは貴族学院で行われた、例年行事の剣術大会の日のことだろう。もちろん覚えている。
「あの日、君は剣術大会をズル休みした俺を咎めなかった。どんなに弱い男子でも参加するのに。本来なら『男らしくない』とか、『参加することに意義がある』『紳士らしく戦うべきだ』なんて言うはずなのに。君は笑って『人には向き不向きがあるのだから、無理をすることはない』『みんなが参加する行事に、参加しないと決めることは勇気がいると思う。周りに流されないで決めることを、私はカッコいいと思う』と言ってくれた」
例年、怪我をする男子生徒が続出するのに、伝統だからと強行する学院の考え方に、少数派だが不満を漏らしている人はいた。
私の友人の何人かも、婚約者が怪我をするのが嫌とか、優勝した生徒の態度が大きくなるから嫌など不満を話していた。
だから、自分の意思と判断でズル休みしている彼を、私はカッコいいと思ったのだ。
「リリーシア。俺もあの時、君をカッコいいと思ったんだ。世間の常識に囚われないで、柔軟に考える君が眩しく思えた。そして、弱くて嫌なことから逃げる卑怯な俺を、それでいいと認めてくれたことに、たまらない気持ちになったんだ」
そうだったんだ……。
「好きだ」
小さな声だが、私には聞こえた。
彼はまっすぐ私をみた。
「誤解とはいえ、君の話も聞かず、責めて、罵って、嫌がらせもした。最低だとわかってる。君が俺に愛想をつかして、恨んでるのもわかってる。今さらだ、取り返しがつかない。わかってる。それでも……君が好きだ」
彼の瞳から涙がこぼれた。
「君を屋敷から追い出してからも、ずっと君のことを考えていた。恨んでいるんだ、憎んでいるんだと自分に言い聞かせるのに、思い浮かぶのは君の笑った顔や、優しく俺を呼ぶ声、君が愛用していた柑橘系の香水の匂いだった。居ないのに、自分で追い出したのに、いつも君の背中を探している自分がいた……。憎くて仕方がないはずなのに、君に会いたかった。俺は……ずっと……君がいなくて寂しかったんだ」
最後は絞り出すような声だった。
ソフィアの言葉を思い出す。
『リリーシアが浮気してないってわかって、彼が謝って、やり直したいって言われて、受け入れられる?』
あのときは、離婚しかないって思った。
だって……許せないわ。
いいえ、許せる自信がないわ……。
「ロー――」
決別を込めて『ローゼンタール伯爵様』と呼ぼうとしたら、突然彼が立ち上がって頭を下げた。貴族男性が、しかも女性にするなんて滅多にない、90°頭を下げる最敬礼をした。
「すまなかった!」
あまりのことに言葉がつまる。
「許してくれとは言わない。いや、言えない。一生恨んでくれてかまわない。毎日恨み事を聞いたっていい。むしろ毎日でも謝らせてほしい。罵る言葉でも、怒鳴る声でも、君の声が、顔が見れるなら、俺は一生君の奴隷でも下僕でもなんにでもなれる。一生をかけて償う。だから、離婚を考え直してくれないか!」
彼はずっと頭を下げたまま、私の返答を待っているようだ。彼の体が震えているのが見える。
必死なのだと、わかる……。
だけど……。
「君を愛しているんだ!」
「なら、どうしてイモージェンと関係を持ったの……」
彼の肩がビクッと跳ねた。




