1話 濡れ衣
「エド……?」
部屋に入ってくるなり、突然投げつけられた言葉を、私は理解が出来なかった。
彼の手には、サンブラノ王国の最先端研究施設『王立サンブラノ研究所』の名前が記載された『親子鑑定書』が、堂々とあった。
親子鑑定についてよく知らないが、親と子の血液で鑑定し、その精度は99%正確だと聞いた事がある。
「俺を裏切りやがって……この淫乱が!」
憎しみのこもった瞳、言葉を投げつけられるが、私には身に覚えがなくて混乱してしまう。
「突然何を言い出すのよ。説明を――」
「黙れ!」
とりつく暇もない。
けれど、ここで言い負けるわけにはいかない。
私は胸に抱く娘を強く抱きしめた。
「神に誓って、この子は貴方の子供です!」
「お前には目が無いようだな。そいつは俺に全然似てないし、黒髪じゃないか。俺は銀髪で、お前は金髪だ。おかしいだろう!そしてここに!俺の子ではないと!鑑定結果があるんだ!!」
彼は鑑定書を私に投げつけた。
愛する彼の暴挙に悲しみが胸に広がる。
私はぐっと腹に力を込めた。
「産まれたばかりの赤ちゃんが似てないのは当然でしょ。それに、私の祖母は黒髪よ。貴方だって知ってるでしょ?その鑑定書は何かの間違いよ!エド、私を信じて」
「あぁ、信じていたさ。それが産まれるまで、周りからお前が浮気していると報告されても、俺は……お前を信じていた!なのに!!」
浮気……?
浮気?
私が?
「まっ、待って!浮気してるって何?!」
「今さらシラを切るつもりか!」
「浮気なんかしてない!」
「嘘をつくな!おかしいと、ずっと思っていたんだ。新婚旅行の時、俺達は初夜しか夜を共にしていないのに、君はすぐに身籠った。そもそも、君は初夜以降、どんなに誘っても応じてくれなかった。それは別の男と寝ていたからだろう!」
「違うわ!あれはっ!……」
初夜があまりに痛かったから怖かった。
そう言いたかったが、そのまま伝えたらエドワードを傷つけてしまうと思い、言葉を詰まらせた。
「あいつを連れてこい」
エドワードがそう言うと、執事のモーリスが手を叩いた。すると、縄で縛られた男性を騎士二人が脇を抱えて現れた。
「お前の男だ」
「えっ?!」
縄で縛られた男性は、長い黒髪が顔を隠しているのでよく見えない。だが、髪の間から見える頬に、痣が確認出来るので、暴行されたのだとわかる。
騎士二人は、男性を乱暴に床に突き飛ばした。
「うっ!」
男性は苦しげな声を出したあと、身動きひとつしないくなった。
おそらく気絶しているのではないだろうか。
髪の毛の間から顔が見えた。
見覚えがある。
「シャンドリー卿?」
護衛騎士のシャンドリー卿だ。
オーウェン・シャンドリー(23)
シャンドリー子爵家の出身で、剣術の腕は伯爵家の騎士団内でも指折りな人物だ。
結婚当初にエドワードから護衛騎士として紹介されたうちの一人だけど、私達は誓ってそんなふしだらな関係ではない。
彼はとても寡黙な人だ。
常に一歩後ろに控え、空気のように存在感を消すことが出来る。でも、庭のガゼボで読書をしているとき日光が眩しかったりすると、さりげなく日差しを体で防いでくれるなど、気遣いも見せてくれた。
『ありがとう』
『いえ……』
話しかけてもぶっきらぼうな返答をされる事が多かった。でも、不快な気持ちにはならなかったわ。彼は己の責務に忠実で、誠実な行動を心がけていたからだ。
護衛騎士の中でも、さまざまな人がいる。
おしゃべりな人。
主人に取り入ろうと画策する人。
他の者の手柄に嫉妬する人。
噂話や陰口を言う人。
下級メイドに横暴な人。
護衛騎士に限らず、使用人達の中でも散見する不愉快な人達。
シャンドリー卿は数少ない信頼に足る人だ。
そんな人をこんな目に……。
「なんて酷い事を……」
「主人の妻に手を出したんだ。殺さなかっただけ寛大な処置だ」
「私とシャンドリー卿は、そのような関係ではありません!」
「白々しい嘘をつくな!」
彼は後ろに控えているモーリスが持っている書類の束を投げて寄越した。
「お前達の行動は全部筒抜けだ!城下町で二人が逢引していた場所、乳くり合っていた宿の亭主の証言書。お揃いのネックレスを購入した店。その代金請求書と領収書。そして、その男が今、首にぶら下げているネックレスと揃いの物を、君が持っていたのは知っているんだ!何が『そのような関係ではありません』だ。俺を裏切りやがって……。尻軽でふしだらな最低女め。俺を弄んで嘲笑っていたんだろう!俺との行為がつまらなくて、その男に股を開いていたんだろう!逞しい腕に抱かれ、力強い腰使いを堪能していたんだ!浅ましい、淫乱女!!」
エドワードは口汚く喚くが、その声は泣いているように思えた。
彼は幼い頃から虚弱体質で、運動や剣術が苦手だ。しかも、体を鍛えても筋肉が着きにくいらしく、ほっそりした体格に劣等感を持っている。
そんな彼が、剣術も強く、体格の良い騎士に妻を寝取られたと知れば、心の傷は大きいだろう。
「エド……」
彼の言葉ではなく、彼の表情や悲しい気持ちが伝わってきて、胸が苦しくなった。
「……死ねよ」
エドワードの淡々とした声が部屋に響いた。
決して大きな声ではないのに、部屋はシーンと沈黙した。
「お前なんか死んじまえ!ボロ雑巾のように、地面を這いつくばって、後悔しながら、俺に詫びながら、惨めに、死んじまえば良いんだ」
彼の瞳はほの暗い井戸の底を思わせた。
憎悪に満ちた瞳に、背中に寒気を感じた。
「楽に死ねると思うなよ。お前も、そいつも、ガキも、ジワジワと追い詰めて、追い詰めて、自分の手で首を絞めたくなるように、ゆっくり、確実に、息の根を止めてやる。こいつらを屋敷から追い出せ」
彼は背を向けると、ドアへ向かって歩き出した。私はとっさに「待って!」と駆け寄り、彼の腕を掴んだ。
だが――。
「あっ!」
彼に振り払われ、無様に床に倒れた。
赤ちゃんを抱いていたので、思いっきり背中から倒れてしまった。
エドワードは冷たい視線を向け、不気味に口元を歪ませ笑った。
「地面に這いつくばっているのがお似合いだな」
その顔はまるで、悪魔のようだった。