18話 伯爵家では1(エドワード視点)
真夜中。
静かな部屋に、ペンを走らせる音だけが響く。
頭の中は書類に記載される工事の費用やら、領地で生産しているワインに使用する葡萄の収穫量など、数字でいっぱいにする。
仕事に忙殺される。
いや、仕事で忙殺しようとしている。
余計な事は考えたくない。
誰かの笑顔を思い浮かべてはいけない。
誰かの声を探してはいけない。
誰かの匂いを追いかけてはいけない。
もう、俺には関係ない。
関係ない。
関係ない。
関係ない。
数字で頭をいっぱいにする。
もう寝ないと明日の仕事に差し支えるな。
そう思うのに、寝室に足を向けることが億劫で仕方ない。
コンコン。
ドアをノックする音がした。
「入れ」
「失礼いたします」
イモージェンが飲み物を持ってきたようだ。
ただ、使用人の制服の胸元を、大きくはだけさせている。彼女の目的が見え透いて不快になる。
「眠れないのでしょ?」
ドアを閉めると、くだけた物言いで話し掛けてきた。幼馴染みの気安さを感じる。
「根をつめると、また体を壊すわよ」
「休んでいた分の仕事が滞っているんだ。それに、体は大丈夫だ。問題ない」
「そう言って倒れたんじゃない」
あいつを追い出してから、不甲斐なくも体調を崩して倒れてしまった。精神的なものからくる心労だと医師に言われた。
なんとも腹立たしい……。
くそっ!
思い出したくもない。
「構うな」
手にもっている書類に集中し、雑念を追い払う。
あいつとは別れる。
結婚した事実も残したくなくて、婚姻無効申請を宮内国政機関に出している。
すでに申請告知も済んでいる。
あと一週間で3ヶ月が経ち、婚姻無効申請が受理される。
あいつと他人になれる……。
不義理な行いの報いとして、あいつの親に圧力をかけて貴族籍を抜かせたし、援助しないと誓約書も書かせた。
あいつは孤立無援の存在になった。
女一人で生きていけるはずはない。
死にたくなければ、俺に頭を下げて、泣いて、すがって、許しを乞うはずだ。
頼みの男の家にも圧力をかけた。
あっさりと切り捨てられていたな。
あの男は、主人の妻に手を出したと貴族界隈では有名になった。
男の騎士人生は終わりだ。
ざまぁみろ。
この国でまともな仕事につけると思うなよ。
ジワジワと追い詰めて、追い詰めて、めちゃくちゃにしてやる。楽に殺してなどやるものか。
その男はもう終わりだ。
一緒にいれば、沈んで行くだけだ。
早く切り離して、自分の過ちを呪えばいい。
許して欲しいと頭を下げろ。
愛しているのは俺だけだと――。
バキッ!!
手に持っていたペンを折ってしまった。
くそっ!
これで何本目だ。
「エドっ!大丈夫?!怪我してない?」
イモージェンが慌てて駆け寄ってきた。
俺の手からペンを離し、傷がないか確認している。いや、確認しているようで、別の含みをもつ触り方だ。
不快だ。
「大丈夫だ」
乱暴に手を引き抜く。
「疲れているんでしょ?早く休んだ方がいいわ」
一瞬驚いた顔をしたが、女の顔で迫ってくる。
「眠れないのなら慰めるわよ。あの時みたいに」
「やめろ!」
イモージェンがねっとりと手に触れてきたので、俺はその手を跳ね退けた。
あの時……。
子供が生まれる3か月前に、俺はイモージェンと間違いをおこした。
俺は……見たんだ。
彼女があの男とキスしているところを。
この執務室の窓から、息抜きしようと窓を見ていた。彼女が侍女を連れて庭でピクニックをすると聞いていたからだ。
玄関ホールで会ったとき、俺が贈ったワンピースを着ていた。小さな花の刺繍が散りばめられた物で、彼女に似合うと俺が選んだ特注の服だ。
『エド。素敵な服をありがとう!似合ってるかしら?』
照れて少し頬を赤らめる姿が愛しかった。
『とても綺麗だ』
『ありがとう!』
満面の笑みを見るだけで、俺の胸はドキドキと高鳴った。それほど彼女に似合っていた。
だから……遠くに居ても彼女だとわかった。
黒髪の男と抱き合っていた。
そして、自ら男の首に腕をまわし、口づけを――。
俺は仕事を放り出して彼女が居た場所に向かったが、そこに二人は居なかった。代わりにネックレスを拾った。
銀の棒に、小さなグリーンダイヤモンドがふんだんに使われていた。
あとから知ったが、それはペアアクセサリーという、町で流行りのネックレスだった。二つを並べるとグリーンのハートマークになる代物だ。
色のついたダイヤモンドは貴重で、一介の騎士が買える物ではない。
彼女が買い与えたものだ。
執事のモーリスに彼女の為に割いている予算の帳簿を持ってこさせると、ネックレスの購入履歴が記載されていた。
そして、彼女の専属侍女イモージェンに彼女の今までの行動を聞くと……渋ったが、彼女が護衛騎士の一人、オーウェン・シャンドリーとただならぬ仲だと話した。
しかも、護衛騎士に任命してから、彼女が男に度々迫っていたなんて。
ショックだった……。
すぐに彼女と話し合おうとしたが、悪事がバレてお腹の子を流産したら一大事だと、モーリスとイモージェンに止められた。
彼女が嫁いですぐオーウェン・シャンドリーと関係を持っていたのなら、腹の子が俺の子供じゃない場合だってある。
問い詰めたい。
感情任せに彼女を責めたい気持ちが大きかった。
だが、遠目で見た俺の目撃証言やイモージェンの証言だけでは、見間違い。イモージェンの勘違い。もしくはイモージェンが嘘を言っているとシラを切られる場合もある。
話すなら、ちゃんとした証拠。揺るぎない証拠を押さえてから話さないといけないと、二人に説得された。
話し合うにはまず証拠集めからと、その場は感情を抑えたが、抑えきれるものではなかった
俺は荒れた。
普段はしない深酒をしたのだった。
朝、目が覚めると、執務室の隣にある簡易ベッドにイモージェンと裸で寝ていた。
俺は酔った勢いと傷心で、イモージェンを手荒く抱いてしまったらしい。
『エド、気にしないで。私、ずっと貴方が好きだったの。はじめてを貴方に捧げられて、とても嬉しかったわ』
『……』
『あの女を気にしてるの?エドは優しすぎるわ。あの女も他の男と楽しんでるのよ。エドだけ我慢するなんて不公平でしょ?それに、ずっと我慢していたんでしょ?昨日言ってたじゃない。初夜からずっと拒否されてるって。可哀想なエド。私なら喜んで貴方に抱かれるのに、御高くとまって嫌な女ね。貴方は悪くない。あの女が悪いの。貴方を傷付けるあの女が全部悪いのよ』
それは甘い免罪符として、俺の中に染み込んだ。『俺は悪くない』『俺を裏切ったリリーシアが悪い』そう自分に言い聞かせた。
全てリリーシアが招いたことなんだと……。
その後イモージェンに再度関係を迫られたが、罪悪感が勝ってベッドから逃げ出した。イモージェンとはそれっきり関係は持っていない。
それなのに、イモージェンは俺の子を身籠ったと告げてきた。
記憶がないため、避妊したかどうかがわからない。覚えていない。だから俺の子じゃないと突き放すことが出来ない。
まぁ、また検査員を呼んで親子鑑定を依頼すればハッキリする。その結果を踏まえて、今後の事を考えればいいだろう。
「エド」
「……いい加減にしてくれ」
イライラした口調で言うと、イモージェンは軽く唇を噛んだ。その表情を見ると、さらに気分が萎えた。俺は本当に彼女を抱いたのか疑問に思うほどだ。
「……ごめんなさい、しつこかったわね。エドの体が心配で、ついしつこくしてしまったわ」
「すまないが、あと少しで仕事が片付くんだ。集中したいから出ていってくれ」
「……わかったわ。ホットミルク、冷めないうちに飲んでね」
執務机の端に置かれたホットミルクを妙に気にして、イモージェンは部屋を出た。
「はぁ……」
バレバレの小細工に辟易する。
胸ポケットから特殊な試験紙を取り出す。
どういう仕組みかは知らないが、薬物を感知すると色が変わるものだ。
毒性があるものは黒色に。
睡眠効果のあるものは水色に。
媚薬などの興奮材は赤色になる。
案の定、赤色になった。
「はぁ……」
重いため息がでる。
面倒だ。
一時の感情で手を出してしまったのは申し訳なかったが、イモージェンのことはなんとも思っていない。
腹の子が俺の子供と証明されたなら、子供は養子に迎え彼女を乳母として雇うが、妻にするつもりはない。
子爵家は現在経済難で没落一歩手前だ。
イモージェンを妻にするメリットはない。
おそらく、イモージェンも気がついている。
だから媚薬を仕込んで、体で篭絡しようと考えたのだろう。
浅はかだ。
あぁ……。
何もかも色褪せて、無意味に、無価値になっていく。
目を閉じると暗闇に浮かぶ君。
リリーシア……――。
鳥の鳴く声がする。
気がつくと、執務机に突っ伏して寝ていた。
「旦那様!大変です!王宮から連絡が来ました!」