ご褒美をかけた鬼ごっこ
大体、半年くらいが経った頃だろうか。
いよいよもって、彼女たちから不満の声が少しばかり出始めた。
「ジョーカー、そろそろ私たちにもっと強くなるための剣技を教えて欲しいのだけれど、ずっと、ここ半年で基礎練習しかこなしてないわ」
「その、ジョーカー様に文句を言うつもりはないのですが……。私も、本当にこれで強くなっているのかが分からなくて」
まあ、そういう風に言って来るだろう頃合いだとは思っていた。
いや、むしろ今までよく何一つ文句を言わずについてきたものだと思う。
普通、始めて一ヶ月とかそこらで駄々をこね始めるくらいに俺は思っていたのにさ。
「案ずるな、ちゃんと基礎は身についている。お前たち、まずは『黒剣』を作ってみろ。次に服だ。黒衣を身に纏え」
「え、そんな急に言われても……」
「私たち、そんな練習一度もさせてもらってないですよ?」
「基礎が大事というのは本当のことだ。お前たちが実直に積み上げてきた物は、確実に力になっている。つべこべ言わず、取り敢えずやってみるといい。目を閉じ、思い浮かべるのだ。そこに、お前たちの振るう剣があることを」
AとQは、俺に言われた通りに目を閉じて、いつも通りに自然と瞑想を始めた。
彼女たちの内から青紫色の光が湧き上がり、それらは集められて収束し、そして一振りの黒剣の形を成した。
「え……。嘘でしょ?」
「そんな……。どうして?」
「そんなに驚くことでもない。お前たちはただ、基礎を積み上げてきたのだから」
彼女たちが自分の作り出した剣の感触を確かめる中、俺は話を続けた。
「例えば、そこに生えている木があるな? それの土台となっているのは、葉でも枝でも幹でもなく、地中深くに張り巡らされた根だ。だが、その根も最初から大きかったわけではない。種が地面へと落ち、地中から水や栄養を吸い上げ、長い年月をかけて大きくなり、やがて大きな根を張ることで巨大な木を支えられるようになる」
「つまり、大技を身に着けるためにも基盤が大事だと言いたいの?」
「その通りだ。そして、お前たちは更に強くなれば自分だけの剣技を身に着けることだろう。この黒剣は俺が理想とする剣の姿だが、人の抱く理想は個人により異なるものだ。お前たちは、更に強くなる過程で自らの色を見つけ、そして更に強くなるのだ」
「っ! 凄いです……。そこまで見通して、私たちに基礎を徹底して教えてくださったのですね!? 流石、ジョーカー様です!」
「驚くのはまだ早いぞ。次は服だ、身に纏え」
再び、二人は自分の目を閉じて想像するがままに青紫色の魔力を操作していることだろう。その証拠に、二人はダークスーツを身に纏い、主人公の仲間っぽい感じになってきた。
「できた……」
「できました! できましたよ、ジョーカー様!」
「上出来だ。これでようやく、お前たちはスタートラインへと立った」
しかし、これはまだまだ序の口でしかない。
正直、俺にとってはここまでが最低ラインであって、合格ラインではない。
真に合格かどうかを見定める方法は、これから俺が課す試験を突破できるかどうかだ。
「では、これより二人に試練を言い渡す」
「試練」
「ですか?」
「ああ」
きょとんと首を傾げる二人に、俺は手短にルールを説明する。
「今から、俺対A、Qで鬼ごっこをする。ルールは、日没までに俺の体に触れること。クリアしたら、ご褒美に二人の言う事を何でも一つずつ聞こう」
「本当ですか!?」
「え?」
Qは突然、俺の方へと身を乗り出して接近してきた。
紫紺の瞳に俺自身が映っているのが見えるくらい近く、互いの息がかかりそうである。
ち、近い、近いぞQ。流石に、この距離はマズい。
女の子にこんなに近づかれる経験もないわけで、心臓が少しずつ鼓動を早めようとしている気がした。
だが、それでもなお冷静であることを装い、話を続けた。
「本当だ。俺に出来得ることなら何でもしよう」
「絶対ですか? 絶対に、何でもして頂けるんですか!?」
「いや、俺にできることに……」
「絶対! ですか!?」
「……だから、俺にで……」
「絶対!? ですか!?」
「……うむ」
「分かりました! Q、頑張っちゃいます!」
徐々にサムズアップされていく顔と勢いに押されて、つい了承してしまった。
どうせ取らせる気がないから出した条件なんだが、一体、彼女は俺に勝ったら何を要求するつもりなのだろうか?
「Qはやる気ね。でも、私だってしてもらいたいことの一つくらいはあるもの。男の言うことに二言はないのよね?」
「ああ、当然だ」
えー、QだけじゃなくてAもなの?
思った以上にやる気になってくれたのは嬉しいけど、あまり無茶な要求はしないでよ?
「では、始めるぞ。捕まえられるものなら、捕まえてみろ」
俺は魔力を足裏に集めて大きく飛び上がり、そして空中に魔力の足場を作りながら空を泳ぐように地上へと落下していき、やがて広大な大森林の中へと隠れた。
広大な森林地帯を使った鬼ごっこ、これの最大のポイントは森が広すぎて一度見失ったら見つけることが困難になること。
つまり、彼女らが勝利する条件は……。
「あなたを見失わないこと、でしょう?」
「ジョーカー様! 私は貴方様をどこまでも追いかけます!」
「やれるものなら、やってみろ!」
木の枝を隠れ蓑にしたり、木の葉を散らして視界を塞ぎながらとにかく逃げ続ける。
しかし、彼女たちは俺のたどった道を律義に辿って追いかけて来る。
中々引き離せない、これでもかなりのスピードを出しているはずなんだが、まさか振り切れないとは思わなかった。
一対の紫紺の瞳が二組、俺の姿を捉えて離さない。
仕方ないか、少しばかり本気を出して相手をしてやろう!
俺は一度急ブレーキをかけて止まり、迫って来る彼女たちと向かい合う。
「もう諦めたの? 初めてまだ五分も経ってないわよ?」
「ジョーカー様! 今参ります!」
「……ふん。愚かな」
二人は俺に向って手を伸ばして来るが、俺は伸びてきた腕を掴んで、魔力で強化した体で彼女らを自分の後ろへと放り投げ、時間を稼いでいる間に前方へと駆け出し大きく距離を離すことに成功した。
彼女たちは後方で転がっており、起き上がるのには少しばかり時間が掛かりそうだ。
「ふふふ、はーっはっはっはっはっ!」
俺はもうノリノリで高笑いを上げながら森の中へと姿を消した。
まさか、鬼役の俺が攻撃に打って出るなどと予想もしていなかったはずだ。
もう暫くは森の枝を使い、途中からは木々の天井から出ないスレスレを駆け続け、やがて休むのによさげな大きな樹木の根元にやってきた。
どうせもう見つけることはできない。
一度見失った時点で方向感覚は分からなくなるだろうし、例え道を覚えていたとしても俺は途中から宙を踏んで駆けているおかげでどの方向に進んだかを追うことも不可能。
せっかくやる気になっていたところ申し訳ないが、今回は俺の完勝と言ったところかな。
今日も絶好の森林浴日和。少しばかり雲が多いから恐らくもう少しで雨が降る。
これで霧でもできたら、いよいよ俺を見つけることなど絶望的なはずだ。
悪いけど、俺はここらで雨宿りしながらのんびり夜を待つ……。
「見つけました!」
「え?」
声がした木々の向こう側から、太陽に乱反射してキラキラと光る銀糸の揺らぎが見えた。
そこにはAとQがおり、今まさに俺を捕まえるために木々を飛び渡っているところだ。
「まさか、俺の場所がバレたのか!?」
「もう逃がさないわよ。大人しく捕まって!」
「……調子に乗るな」
俺は再び木々を足場に変えて森の中を逃走する鬼役を再開した。
だが、何故バレた? 確実に気配を消してここまでやってきたし、周囲への警戒も怠らなかったはずなのに。
「待ちなさい!」
「ジョーカー様! そんなにお照れにならずとも、優しく捕まえて差し上げますよ!」
「何なんだ、こいつらは……」
特にQ、お前の言動は最近どこかおかしい気がするのは俺だけか!?
姉は何故、彼女の異変を指摘しないんだ!
「また振り出しか……。だが、今度はどうかな?」
彼女ら二人の追尾から逃げつつ、自分の中で魔力を練り始める。
俺だって、別に基礎をこなしてきたのは何も技の確認だけじゃない。
より精度の高く、より強力な技を編み出し、ここぞという時に使うために努力してきた!
「食らえ! 『魔力鋼糸』!」
自分の魔力を細く、だが濃密に練り上げることで直径一ミリにも満たない細い糸を創り出し、自分の手先から飛び出させる。
蜘蛛の能力を手に入れたアメコミヒーローの如く、糸を周囲の木々や地面と繋いで蜘蛛の巣のように張り巡らせる。
しかも、自分は指の先と木々を繋いで糸を伸縮させることでより速く逃げることが可能となる。
「なんて乱暴なことを……」
「大丈夫です、今の私たちなら避けられます!」
彼女たちは自分の黒剣を振るって糸を絶ち、あるいは体操選手のような軽い身のこなしで罠を躱して追って来る。
よもや、ここまで彼女たちが強いとは……。
いよいよもって、更なる力を発揮しなければならないかもしれないな。
俺は空中を舞いながら後ろを向き、格好良く腕をクロスさせて半分ほど拳を握る。
「大サービスだ! 受け取るがいい! 『魔力覇気』!」
技名を叫ぶと同時に腕と指先を大きく広げて、自分の中の魔力を放射状に解き放つ。
「っ!? 何、この圧……!?」
「頭が、クラクラします……」
俺が出したのは『魔力覇気』と呼ばれる、言わば覇気だ。
どこかの人気漫画で使われている覇気による格下の昏倒を魔力で再現できないかと思って開発した必殺技だ。
強い魔力のエネルギーが体を撃ち、まるで鈍器を使って頭を強打されたかのような錯覚に陥る。
強い精神力か高い魔力保有量があれば昏倒まではしないだろうが、強烈な眩暈と吐き気に襲われて常人は暫く動けなくなる。
ソースは俺、だって俺以外に試せる人間がいないから。
しかし、強くなるためなら自身ですらも実験台にして見せる、それが俺の目指す強さの果てというものだ!
二人の追撃速度は極端に落ち込み、やがて地面に落ちて膝をつく姉妹。
その姿を、彼女らのすぐ目の前にあった木の上に立って見下ろす。
「残念だったな! もはや、お前たちは碌に動けまい!」
「くっ……。こんな技まで隠し持っていたなんて……」
「流石はジョーカー様、常に奥の手を隠すのもまた一流の証……!」
「俺の魔力に酔いしれていろ。次期に雨が降る。そうなれば、お前たちに勝ち目はない。さらばだ!」
俺はわざとらしく黒衣を翻してその場を去る。
そして予想通り、彼女たちから離れて二時間後くらいには雨が降り始め、周囲には視界を白く覆い尽くす程の濃霧が立ち込め始めた。
冷たい雨粒が頬や髪を打ち濡らし、体温が徐々に下がっていくのを感じる。
雨が地面に浸み渡ると同時に何処からか漂って来る湿っぽい匂い。鼻をツンとつくような匂いであまり好きじゃない人も多いが、俺、というより彼がとても安心しているらしい。
碌に洗濯も水浴びもできない環境だったから、まさしくこれは恵の雨。例え表情がもう死んでいたとしても、彼は心の中では猛り狂いたくなるほどに歓喜したことだろう。
まあ、俺はあんまり好きじゃないんだけどね。彼とはどうやら趣味は合わないようだ。
さて、そんなことより鬼ごっこだ。
辺りを見渡しても不気味なくらい生物の気配はなく、彼女たちの追尾もない。
流石にもう諦めたのだろう、こんな濃い霧に囲まれた世界では視界などないに等しい上、匂いや足跡も雨によってかき消されることで追尾は更に困難さを増す。
さっきはどうやって俺を見つけたのか知らないが、あと三時間もすれば逃げ切りは確定。
どこかで寒さで蹲っているかもしれない彼女たちを探して、せめて焚火で温めてやるか。
そう思っていたときだ。
背後の霧から微かに気配を感じて、反射的に身を引いた。
すると、そこには闇より黒い手が幽霊みたいに伸びて来て俺を捕えようとする。
直後、濃霧の先から光輝く紫紺の宝玉が一対。
「お前は……、A!」
「ようやく見つけたわよ。今度こそは捕まえるわ」
「馬鹿な! こんな霧の中で俺を見つけられるわけがない!」
下がった時に右腕を引いたが、そこに僅かながら違和感を感じて視線を腕に落とす。
そこには、確かな魔力で練られた糸が巻き付いていた。
「ようやく捕まえましたよ、ジョーカー様! さあ、後は触れるだけです!」
「クソ! 何だコレは……!」
「初めて動揺したわね、澄まし顔のジョーカー。いつものクールフェイスが崩れてるわよ?」
「おのれ……!」
霧のせいで糸がどこに繋がっているか分からない。
すぐにでも断ち切りたいが……!
「やあ!」
「っ!」
Aがさっきから俺の体に触れようと手を伸ばしてきて、彼女の腕を打ち払うので精一杯だ。こちらに隙を与えず、ここで捕まえるつもりか……!
「まだ諦めていなかったとは驚きだ。まさか、こんな技を見せてくれるとはな」
「あなたがさっき、自分で見せびらかしたんじゃない。あなたにできて、私たちにできない道理はないわ」
Aはゆらりと指先から魔力の糸を紡いで繰り出す。
まるでピアノを弾くようにしなやかに美しく指先を宙に這わせ、俺の方に糸を伸ばす。
しかし、まだ完全に使いこなせていないらしく狙い目はバラバラ、俺を捕らえることはギリギリで適っていない。
それなら、まだチャンスはあるはずだ。
この局面を乗り切れば、俺は勝てる!
「さあ、そろそろ終わりにしようか。『黒剣』!」
自分の左手に黒剣を召喚し、右腕の糸を斬ろうとして……。
左腕の動きが止まった。というより、何かに引っ張られている?
「……まさか!」
「はい、その通りです!」
後ろに気配を感じた時は既に遅く、彼女は俺の首から腕を大きく回して抱き着いた。
「捕まえました。はあ、ジョーカー様の匂い……。とても安心します……」
「ちょ、おい! 首筋に息を吹きかけるな!」
俺を見事に捕らえたQは自分の吐息で俺のことをくすぐってくる。
その表情は恍惚としており、何やら危ない気配が……。
「いいじゃない、捕まえたんだから。じゃあ、私も遠慮なく」
Aもクスクスと笑いながら近づいてきて、俺の胸の中心にとんと触れた。
「これで私たちの勝ち。ギリギリだけど、ちゃんと日没までには捕まえたわよ」
得意げに言うAに、俺は一つの疑問を投げた。
「……どうやって、俺を見つけた? 俺は確かに、お前たちを引き離したはずだが?」
「それは、私がジョーカー様の魔力を覚えていたからです」
首に巻き付いたまま、Qが嬉々として答えた。
「どういうことだ?」
「私、どうしてか分からないんですけど、ジョーカー様をずっと視線で追っていたらジョーカー様の魔力だけは追えるようになってたんです。ですから、これからはどこへ行かれようとも、必ずジョーカー様を見つけることができます」
「……ということらしいわ。普段からあなたに対して抱く憧れの強さが生んだ力のようね。残念ながら、私にはそんなストーカーみたいな芸当はできないわ」
「ストーカーじゃないです。運命の、赤い糸なんですよ!」
「はいはい」
説明を聞いてもさっぱり訳が分からなかったが、そういうことができるのなら仕方ない。
所謂、ヒロインとかだけが持つ特殊能力的なアレだからな。それもまた、物語の登場人物には付き物だ。
「……見事」
それは悔しさから出た言葉ではなく、清々しく負けることができた満足感によるもので、自分の育てた彼女たちが本当に誇らしいと思える瞬間でもあった。