第二十六話「戦場のアスカ様」③
「……お初にお目にかかります。ドゥーク・ヴィルカインと申します。神樹の精霊アスカ様……御拝顔の栄を賜り、誠にありがたく存じ上げます」
「わ、私はアルジャンヌ・ヴィルカイン。ドゥーク様の従者であり、義兄妹でもあります。同じく、御拝顔の栄を……た、賜りまして……ありがとうございます! お、思ったよりちっちゃいお方なんですね……」
「アルジャンヌ、あまり失礼な事を言うな……。まさか、ご当人がこんな最前線に来られているとは……」
「はわわーっ! ドゥ兄様のみならず、アルお姉様までっ! あ、会いたかったですーっ!」
止める間もなくイース嬢が二人めがけて走り寄って、当然のように二人が彼女を受け止めると、二人がかりで撫で回されていた。
なるほど。
ヴィルカイン……神樹教会の孤児院出身の者達は、自らの家名をそう名乗り、お互いを家族として育ち、鉄の結束を誇るそうだが。
この者達も例外ではないようだった。
「感動の再会と言ったところか。イース嬢……良かったのう」
……思わず、釣られてもらい泣き。
だが、ソルヴァ殿がお前がそんなんで、どうすんだよと言いたげな様子で見つめてくるのだが、代わりに矢面に立ってくれるようだった。
「なんだ、テメェ……。要するに、イースの身内だったってのかよ……。危うく殺すとこだったぞ? しかも、ヴィルカイン……神樹教会の秘蔵っ子がなんで、装甲騎士団の団長なんてやってたんだよ。つか、ドゥーク・モナールってのは本名じゃなかったのか?」
「それは……まぁ、長くなりますから、そのうちにと言う事で……。モナールの名は、子爵様より、騎士団長に任命された時に授かった名でした。ですが、その名も返上するつもりです……。なにせ、この俺はすでに騎士団長をクビになりましたからね……」
そう言って、自嘲の笑みを浮かべるドゥーク殿。
むぅ? どう言うことだ?
「ソルヴァ殿、先程聞こうと思っていたのだが、騎士団長というのは、そんな現場で簡単にクビに出来るようなものなのか? 貴族だからと言ってそこまでやるのは、さすがに無法ではないか?」
戦時中に現場指揮官の更迭。
そんな事をやったら、待っているのは現場の大混乱と士気崩壊のダブルパンチ。
もちろん、艦隊戦などでも戦闘中に指揮官座乗の旗艦が前に出すぎて、乗艦諸共吹き飛んで、敢え無く戦死し、指揮官交代という事は戦場の常と言うべき事態ではあるのだが。
上からの命令での更迭と戦闘中の戦死では、事情がだいぶ異なる。
そもそも、現場の状況は得てして、上の者は見えていないし、それが政治家ならば尚更で、政治家は軍事の事は門外漢なのだから、余計な口出しをしないというのは、どこの世界でも共通の不文律のはずだった。
そして、それはたとえ、軍の最高指揮官であっても同じこと。
戦場の兵士達と言うのは、雲の上の最高指揮官よりも、現場の指揮官を信頼するものであるからな……。
実際、帝国の神に等しい権限を持っていた私ですら、そこまでの無茶はしなかったぞ。
「いや、シュバリエでもそうだったみたいなんだが。騎士団長ってのは、結構な権限があって、貴族と言えど、その任命や解任については、一度国王陛下へお伺いを立てて、認可を得ないと駄目って王国法にも明記されてるんだわ。まぁ、基本的に建前上だから、却下はされないもんだが、指揮官をお貴族様のワガママで、現場で即クビとか、そんな事出来ちまったら、色々問題あるって事で出来た決まりではあるんだ」
確かに、この平原諸国の貴族というのは、基本的に政治家で、軍事の素人ばかりと言う印象が強い……まぁ、文武両道等と言うのは滅多に居ないし、才能が遺伝するとは限らない以上、仕方あるまい。
そんな貴族が、軍人を……それも指揮官クラスをも簡単にクビにしたり出来る権限まであるようでは、必ずどこかで問題が起きる。
それを防止するために、王国法で規定を設けているわけか。
なるほど、だからこそ、あの時ユーバッハ男爵も確実に止められないと言っていたのか。
「は、はい! そうなんです! ドゥーク様は、総撤退を決断し、総員にその旨、命じたのですが……。ホドロイ子爵は撤退命令を取り消せと命じて……」
「なるほど、そう言うことか……。だが、貴族など所詮は軍事の素人であろう? そんな者が指揮を取るなど、兵達が拒否するのではないか?」
「まぁ、頑張ってみたんですがね……。配下の騎士団員が全員結託して、子爵殿を指揮官として担ぎ上げてしまって……。要するに、その場の流れって奴で、空気の読めない俺はクビ……単なる一兵卒と言う事になり、このアルジャンヌとどうやって、まともな連中を逃がすか算段を立てていたのですがね。このアークが敵……要はアスカ様の配下に取り次いでくれると言いましてね……。もっとも、まさか、ご本人様に会えるとは思っても居ませんでした」
まぁ、置物の最高指揮官の使い所としては、悪くはない。
さすがに、こう言う難しい状況で現場判断でと言うのは、無理があるからのう。
「アスカ様、ホドロイ子爵はイースが言っていた、エインヘイリャルで間違いないかと思います。あの男は、あっという間に近くに居た装甲騎士達を自らの怒りに取り込んでいっていました」
「感染……か。だが取り込まれなかった者もいた……という事なのか?」
「はい、私達従兵隊は事情も解らず、遠くで整列していたし、それが常でしたので……。少なくとも表面上は子爵様の命に従うと言う事にはなりましたが、実際は不平不満だらけで、ドゥーク様の指揮に従うと言ってました」
ラースシンドロームに関して、ヴィルゼットが分析した限りだと、安全な隔離距離は10mとのことだった。
狭いとも言えるが、広いとも言える。
なお、遮蔽物はあまり効果がなく、距離による減衰が見て取れた。
それ故、感染源は物質ではなく、γ線のようなエネルギーの一種だと言う説が浮上していたのだ。
あくまで仮説だが、感染者の怒りの感情の発起に乗せて、周囲の人間をまとめて感染させる……それがラースシンドロームの感染形態なのだろう。
「なるほど。そうなると、その時、ホドロイの10m以内にいた者達は全員感染したと思っていいだろうな……。ドゥーク殿は大丈夫だったのか? 話を聞く限りでは、ホドロイ子爵のすぐ近くに居たのであろう?」
「そうでしたが、自分はむしろ、呆れ返っておりました。確かにあれは、子爵の怒りが皆に伝染していったかのようでしたね……。実際、そこに強い違和感を感じました」
確かに、銀河帝国ではラースシンドロームから回復した事例はほどんどなく、回復したものが再感染するかどうかについても未知数ではあった。
この様子では、回復した場合、その者はある種の免疫を獲得するのかも知れんな。
「アスカ様、この僕にお命じいただければ、確実にあの男を仕留めてみせます。何より、すでにエルフによる夜襲の準備も出来ているようでしたし、支援隊は撤退中で、従兵隊もすぐに撤退できるとの事でした。今がチャンスかと思います」
「もう、そこまで話を進めていたのか。だが、実のところ、侵略者を迎え討つという体裁が重要でな。問答無用で夜襲で全滅させると言うのは、その後に響くであろうし、何よりそこまで感染力が高い個体となると、エインヘイリャルの可能性も高い……。となると、少々厄介だな……。エインヘイリャルは単純に殺せば済むというものではないのだ」
前回は、お母様の領域化が出来ていたからこそ、封殺出来たようなもので、今回はアウェー戦……すでに、火の精霊の領域化しているとなると……。
……どうしたものかな?
(むすめー。そこでエインヘイリャルを倒すのはお勧めしないぞー。そこは火の精霊の力が強すぎるのだー。こないだみたいにドッカンと弾けられると、あっちこっちに欠片を撒かれるし、その森も大火事になってしまうのだぁ……)
どうも、思考が伝わっていたようで、お母様からの助言あり。
とにかく、ここで戦うのは不味いようだった。
「確かに、そうなると伯爵の本軍がオーカスに進駐する口実を与えることになってしまいますね……。まったく、まさかバフォッドのヤツが団長から降格された事を未だに根に持っていたとは……」
「ふむ、それが今の指揮官の名か? 有能なのか?」
「……あの男はかつて、1000のゴブリンの群れを見て、何も考えずに騎士団を突撃させて、徒に壊滅させて、自分だけ生き延びた……そう言う男です。一言で言って無能……蛮勇と勇気を履き違えている典型ですよ。副団長に降格されて、大人しくしていると思っていたのですが、機会を窺っていたのでしょうね」
「あの戦いでは、従士隊の小隊長だったドゥーク様がなし崩しに最上位指揮官になって、籠城戦の指揮を執ってゴブリンの群れの撃退に成功し、その功績で騎士団長に抜擢されたんです! バフォッド卿は……従士隊の間でも評判は悪く、影でドゥーク様の悪口を言っていたりで、はっきり言ってムカついてました!」
なんと言うか……。
騎士団が全滅し、従士隊の小隊長が最上位指揮官になってしまうとか、どれだけの激戦だったのか容易く想像できる。
と言うか、むしろそんな状況で勝てる方がおかしい。
この者やはり、只者ではないな。
「なるほどな。事情は解った。だが……やはり、今回のお主らの侵攻は、バーソロミュー伯爵が糸を引いている……そう言う事なのか……」
バーソロミュー伯爵。
港湾都市のルペハマについては、市長が熱心な神樹教徒で、実は水面下で傘下入りすると言うことで話は付いているのだ。
なお、その間にはオズワルド子爵領、バーソロミュー伯爵領、ホドロイ子爵領と三つもの貴族の領地がある。
いずれも神樹の森と隣接しているのだが、バーソロミュー伯爵は色々と利権を削り取った事で、敵対心も顕のようで、ガス抜きの為にルペハマ市長への表敬訪問ついでに、立ち寄るつもりだったのだが。
すでに、軍を動かしていたと言うのは正直、予想外だった。
まぁ、動かしたと言っても、本格的に準備が整うまでしばらくかかるだろうが。
その時間稼ぎとして、ドゥーク殿達を動かした……そう言う事のようだった。
「実際、後詰めとして伯爵の城に伯爵傘下の貴族軍が集結中です。我々も本来は森を抜け、陣を構築し、来援を待つ……そう言う方針だったのですよ。もっとも、その戦略はすでに破綻していますがね」
「なるほど、そう言う戦略だったのか。傘下の貴族ってのはどいつらだ? 兵力規模はどんなもんになりそうなんだ? まぁ、答えたくないなら、無理強いはしないぜ……。それとひとまず、休戦って事でいいんだよな?」
ソルヴァ殿が前のめりで聞いてくる。
ソルヴァ殿は、我軍の総大将のような立場でもあるからな。
気になるのは当然であろうな。
「そう言えば、そうでしたね……なんだか、すっかりアスカ様の配下になったような気分になっていました。ご安心を……俺もアスカ様に敵対なんぞ、論外と思ってますので、情報が必要なら、この場でかいつまんでご説明しますよ」
そう言って、朗らかに笑うドゥーク殿。
なるほど、要するに普通に良いヤツなのであるな。




