第二十五話「四面楚歌」②
「馬鹿なっ! 先遣隊にはドナー卿とモルク卿の二人がいたはずだ! 我が装甲騎士団指折りの騎士であるあの者達がそんな安々と平民如きに討ち取られるはずが……いくら団長と言えど、いい加減なことをおっしゃるな!」
その二人は確かにオーカス装甲騎士団のエースと言える猛者だった。
だが、それはもう過去形で語らないといけなかった。
「バフォッド卿、私は事実を述べているだけだ。このまま進めば間違いなく皆殺しにされる……何度も言わせるな。奴らは装甲騎士の鎧を紙同然に貫く強力な弓を持っているようで、ドナー卿は全身穴だらけになって死んでいたし、モルク卿は原型すらも留めていなかった。嘘だと思うなら、自分で見に行けば良いし、この鎧を見ろ……矢が掠っただけだったのに、この有様だ。一応言っておくが、奴らが地面に描いた線を絶対に越えるな……越えたら確実に死ぬ。何よりも、ここももはや、安全地帯でも何でも無い。これはそう言う話だ」
ドゥークの言葉と、その大破した肩当てを見て、バフォッドも何があったのか、理解したようなのだが。
粗暴かつ、愚鈍なこの男は、そんなことでは収まりがつかないようで、反抗的な目つきでドゥークを睨みつけていた。
だが、この男を納得させているような時間はなかった。
「バフォッド卿、思うところもあるだろうが。今はとにかく、撤退命令に従って欲しい。すまんが、これは命令だ……ここは敵地も同然なのだ。敵が来てから撤退するのでは手遅れとなる。悪いが、貴殿らに選択の余地など与えるつもりはない。繰り返すがこれは命令である!」
上位階級者の命令は軍人にとっては、絶対と言えた。
だからこそ、バフォッドも逆らう余地もないはずだったのだが。
治療を受けて、眼帯を付け、頭の左半分を包帯で巻かれた痛々しい姿のホドロイ子爵が医療兵に肩を借りながら、その場に現れると、誰よりも早く子爵へ向き直ると敬礼を捧げた。
そして、それにその場に居た全員が続くと、間髪入れずバフォッドが子爵へ大声で問いかけた。
「ホドロイ子爵殿ッ! ドゥーク団長は臆病風に吹かれて、愚劣なる決断を下そうとしておりますぞ! ですが、我らはこのような臆病者とは訳が違います! 同胞を無惨に殺されて、おめおめと逃げ帰るなど……そんな下劣な真似をするくらいなら、この場で自決して果てる所存! お前達もそうだろうっ! ここは誇りある騎士として、覚悟を見せる時であるぞ!」
バフォッドの勇ましい言葉に多くの騎士達が同調し、同じように掛け声をあげる。
そして、バフォッドは本当に短剣を抜くと自分の喉元に突きつける。
そして、同様に短剣を喉元に突きつける者達が続出していった。
……やっている事は体の良い人質交渉のようなもので、実際は本気て自決なとするつもりもないと言うのも見え見えで、この時点で立派な抗命であった。
さすがのドゥークもこれは看過出来ず、無言で剣を抜こうとするのだが。
子爵が鷹揚にドゥークに手を向ける……抑えろと言う意味だった。
だが、先程死にかけた事で、奴らの恐ろしさを存分に味わった子爵ならば、ヴァフォッド達を諌めてくれる。
そう言う事ならば、この場は発言を譲るべき……そう思って、ドゥークも剣を収めると子爵に向き直るのだが……。
そこには、感動の涙を浮かべて打ち震える子爵が居て、ドゥークは一瞬で絶望的な気分に陥った。
「お前達の覚悟……見事だっ! ああ、ここまで侮辱され、忠実なる兵達を無惨に殺された挙げ句、片耳を奪われる屈辱に塗れ、黙って引き上げるなどありえん! 何より、お前達の自らの命を懸けるその覚悟……この私も感服した! ドゥーク団長……我が命を下そう……明朝、国境を超える! 撤退命令を取り消し、速やかに進撃準備の号令をかけろ……これは命令であるぞ!」
「馬鹿なっ! 子爵殿、その結果どうなると思っているのですか! たとえ50騎の装甲騎士でも森の中では奴らには勝てない! 全滅しますぞ! ここは退くべきだと私は何度も言いましたし、ご納得もいただけたものだと……。そもそも、伯爵のプラン自体があまりに敵を侮り過ぎだったのです! 我々は敵の戦力を測る噛ませ犬に過ぎません! 兵を徒に無駄死にさせるだけですぞ!」
「黙れ! 私は納得などしていないっ! 何を勝手に撤退などと決めているのだ、この大馬鹿者が! なにより、この耳を見ろ……もはや、こちらの耳は何も聞こえん……医療兵の話だと、鼓膜が破れたらしくてな。回復の可能性も低いし、私は一生この惨めな傷を負ったまま生きるのだぞ……そんな事が許されるか!」
「……あれを生き延びただけでも幸運だったと思うべきです。意地だの誇りだのくだらないものはすべて捨てて、冷静に判断すべきです。貴方は無駄死にを……お望みなのですか?」
「黙れっ! くだらないとはなんだっ! 高貴なる貴族をこんな目に遭わせた者を生かしたままにして置けるはずがない! 奴らは殺す……絶対にだっ! それに貴様……私の命令を聞かぬどころか、伯爵殿の崇高なる計画すら小馬鹿にしたな? 我々が噛ませ犬だと? 何を根拠に言っているのだ、むしろ我々が勝たねば、伯爵殿の計画が狂ってしまうではないか! そうなったら、貴様どう責任をとるのだ!」
責任も何も、計画を立てたものが責任を取るべきであり、現場の自分は関係ないだろと、ドゥークも内心毒づく。
もっともこれが貴族の常だった。
現場に無茶振りをして、責任だけは現場に負わす。
アスカが一番駄目と断じていた構図がこれであり、責任や業を一手に受けて、それを当然の物と受け止めているアスカとは、致命的までに違っていた。
ドゥークも半ば呆れながら、狂ったように喚き続けるホドロイを無感動に見つめていた。
不思議なもので、この愚鈍なる貴族に対しての忠義も消え失せていて、あの時、ソルヴァが言うように、背中を押して見捨てておけばよかったとすら思っていた。
いっそ、この男をこの場で切り捨てる。
それも手だと思うのだが、それだけはやってはいけないことだと、驚異的な自制心で平静を保っていた。
「申し訳ありません。私はオーカス装甲騎士団を預かるものとして、皆を生きて帰す義務があると考えます。今、奴らに挑んだところで、勝つどころか、確実に全滅します。どう言われようが、何度でも言います! ここは迷わず退くべき局面です……。そもそも、王都が沈黙を決め込んでいる以上、これは伯爵殿の単なる個人的な私戦ではありませんか! 今、奴らに挑む理由など、どこにもなかったではありませんか……! 何よりも神樹の精霊に戦いを挑むなど、こんな戦のどこに大義があると言うのですかっ!」
「黙れ! 伯爵殿に大見得を切って、ここで逃げ帰ったら、他の貴族に示しが付かん! そうなったら、もう私は貴族ではいられなくなるのだ! 故にここは絶対に退けぬのだ! 絶対にだ! 大義だと? 部下を無惨に殺され、貴族たるこの私が取り返しのつかぬ傷を負わされたのだぞ……その復讐と言うだけで十分ではないかっ! 神樹の精霊なぞ、教会の奴らが勝手にそう言っているだけではないか! 私は認めぬぞ! お前達はどうなのだ!」
そう言って、騎士団の者達に問いかけるホドロイ子爵。
当然のように、同意の言葉しか返ってこなかった。
誰もがホドロイの怒りが伝染したかのように、猛り狂っているのを見て、違和感を覚えつつも、もはやどうにもならないとドゥークも悟りつつあった。
従士隊や支援隊の者達は、離れたところで整列し、誰もが無言のままぼんやりと話を聞いていて、ドゥークの方を見つめながら、暗にドゥークの判断に従うと言いたげなようだったが。
彼らの立場では、ホドロイ子爵への意見など叶わず、黙っているしか無いようだった。
「子爵殿……冷静になられてください。先程、無事に戻れただけでも幸運だったのですよ! 本来ならば、子爵殿は耳どころか身体にいくつもの風穴を開けられ、あの死体の山に加わっていたはずです……。そんなに死に急ぎたいならば、一人で行けば良いではないですか! 無為に兵を道連れにしてはなりませんぞ!」
「黙れ……もうよい……ドゥーク団長……たった今より、貴様の指揮権を剥奪し、団長職からも解任とする! そんなに逃げたいなら、貴様一人で逃げ帰れば良いのだ。なんなら、あのソルヴァとやらが言っていた様に奴らに降るというのなら止めはせんがな。まったく、臆病風に吹かれるとは何事だ……本来ならば、貴様への反逆罪の適用も考える所だが、貴様の長年の務めと武功に報いて、ひとまず一兵卒への降格と言うことにしてやろう」
「ホ、ホドロイ子爵殿っ! それではまさか! 本気で奴らに挑むつもりなのですか! あの化け物共に……死ぬ気ですか? 私は絶対に反対です! 降格でも何でも好きにすれば良い……ですが、アレに挑むのだけは駄目です!」
「貴様は、何を言っているのだ? 国境防衛にたった二人の兵しか回せない……要するに、向こうに戦力などないのだ。夜が明ければ、装甲騎士も本領を発揮できる……奴らも夜闇に紛れて、卑劣な手を使って先遣隊をだまし討ちにし、見せしめに死体を冒涜しただけなのだろう……。あんな虚仮威しに騙されて臆するとは情けない……。いずれせよ、50騎もの装甲騎兵で一斉突撃をかければ、止められるものなど、どこにおるまい? ああ、バフォッド卿……貴殿の勇気を称え、これより貴殿を団長に命じる……これより我が装甲騎士団を率いて欲しい。そうだな……ひとまず今夜は英気を養い払暁と共に全軍で国境を越える。よいな? 復唱せよ!」
「なんと……ありがたき幸せ! 畏まりました! 払暁と共に装甲騎士団全軍、全戦力を以って、国境線へ突撃し、全てを粉砕してご覧に入れましょう! 我らオークス装甲騎士団総員……この生命を賭けて、必ずや子爵殿のご期待に添えてみせます!」
「うむ! どこぞの臆病者と比べて、実に頼もしい返事だな! さぁ、お前達……今日はとっておきの酒を振る舞ってやろう! 景気付けだ! はぁーはっはっは!」
……もはや、何を言っても無駄。
そう悟ったドゥークは、手に持っていた兜を地面に叩きつけるとその場から背中を向け、野営地の片隅に座り込むと、酷く無感動な心持ちで、無邪気に騒ぎ立てている仲間だと思っていた者達を見つめていた。
もはや、ドゥークの中では彼らは死にゆく者であり、見納め……そんな風にも思っていた。
そして、領主と騎士団という守り手を失ったオーカスについても、また同様。
軍を失った都市国家などいくら規模があっても、脆いもの。
周り中から、死肉を食い漁るかのように次々と利権を奪われ、領土を切り取られ……。
そんな風にして、ゆっくりと滅びていくか……もしくは、あの神樹帝国とやらに合併されるか。
なにせ、この様子では神樹教会も完全に敵に回っているはずだった。
神樹教会にないのは、武力だけで武力さえあれば、平原諸国を制することも容易だと言われており、神樹教会子飼の幹部候補……ヴィルカインでもあったドゥークはその事をよく理解できていた。
そして、あの二人はどう見ても人外の化け物だった。
あの異形の鎧もだったが、装甲騎士を造作もなく、肉塊に変える時点で普通ではなかった。
ソルヴァがあんな化け物だったとは聞いていないし、どう見ても異形の力を与えられたようにしか見えなかった。
人間を化け物に作り変えて平然とする……その時点で明らかに価値観を異にしているし、実際、すでに何人かの密偵が連絡を断っており、これまでの反乱などとは、もはや次元からして異なっていて、その得体のしれなさは際立っていた。
シュバリエはもはや、人の住む街ではなくなっているのかも知れない。
そんな風に想像して、思わず身震いを覚えるのだが。
神樹教徒による神樹教徒の為の国。
これまで幾度となく勃興しては、貴族達によって潰されてきて、アースター公の乱もその一つだった。
案外、人にとっての理想郷かもしれぬ……そんな風にも思えてきていた。
どちらにせよ、このまま都市国家としてのオーカスの命運は潰えることが確定している……ドゥークもそう考えていた。
今更ながら、出撃に際し全軍を出すと言うホドロイ子爵の判断に乗ってしまった事を後悔をする。
もちろん、勝てば問題ないと思っていたのも事実で、負ける可能性なぞこれっぽっちも考えていなかったのだが。
敵はあまりに強大だった……。
特に、あの強力無比の矢は恐ろしく脅威だった。
あれを避けれたのは、本気で奇跡だった。
装甲騎士の鎧を容易く貫く時点で、もはや装甲騎士の存在意義を消し去り、そもそも防具の存在意義すら失わせ、すべて過去のものとする……そう言う武器だった。
アレに勝つには、要するに、装備の見直しとかそういう次元ではなく、軍という組織そのものを作り変えないととても対抗などできない。
今の平原諸国の貴族軍ではいくら束になろうが、絶対に勝てる相手では無い……そうドゥークは断じていた。
そして、ドゥークはいち早くそれに気付いたのだが、ホドロイ子爵はその現実から目を背けて、装甲騎士の無敵神話に縋り付いて、負ける可能性から必死に目をそらそうとしていた。
仮にも指導者たるものがやることではないのだが。
貴族とはそう言う者たちでもあるので、もはや必敗の状況と言えた。
そして、他の装甲騎士達も……ここで退いたら、何も得られないから。
そんな単純な損得勘定と自分たちが無敵の騎士だという錯覚に囚われているようだったが。
まるで、ホドロイ子爵の怒りが伝染したような有様になっていて、明らかに正気を失っているようにも見えた。
いずれにせよ、もはやどうにもならなかった。
怒りや意地で戦争に勝てるなら、誰も苦労はしないのだ。
「……ドゥーク団長、申し訳ありません。これは……どう言うことなのでしょう?」
ドゥークに遠慮がちに声をかけてきたのは、騎士見習いのアルジェンヌだった。
彼女は、ドゥークの従者でもあり、今回の戦にも従兵として参戦していたのだが。
異常な盛り上がり方をしている騎士達を他所に、取り残されたようになっていた従兵達の代表としてドゥークに話を聞きに来たようだった。
そんな彼女の姿を見た瞬間……ドゥークはすべてを思い出した。




