第二十四話「国境戦線」④
星を統べる王。
そんな王に仕えて、その覇道の助勢となる。
今のような貴族に仕える将どころの騒ぎではないのは確実で……。
偉大なる覇王の傍らで軍勢を率いて采配を振るう自分を想像して、思わず問答無用で頷きそうになるのだが。
ドゥークも頭を振って、その誘惑に耐えきった。
「……それは、きっとさぞ魅力的な話なのだろうな……。だが、すまぬが……私は子爵殿の忠実な家臣なのでな。謹んでお断りさせて頂くっ!」
未練がないと言えば嘘だったが、ドゥークもなんとか誘惑を振り切って、それだけを口にする。
「そうか? まぁ、気が変わったらいつでも来てくれ……その分だとちっとはグラッと来たんじゃねぇかな。それに、子爵殿も武器なんて捨てて、丸腰で話し合いに来るなら、歓迎するそうだから、んな青筋立ててブチ切れてねぇで、ちっとは冷静になって考えてみてくれや。怒りは邪悪な火の精霊を呼ぶらしいからな……。魂を焼き尽くされたくはあるまい?」
「火の……精霊? そんな話は聞いたことも無い……」
ドゥークの認識では火の精霊とは、命の根源であり、怒りは肯定されるべきもので、怒りを忘れた人間は、生きる気力を無くしてしまう。
それこそが正しいはずなのだ。
「ハハッ、そりゃねえだろ。神樹教会じゃ、毎日のお説法の定番みてえだし、実際、そうなっちまったヤツを俺らも知ってるんだが、結局……そいつは神樹様の青き炎に焼き尽くされて、魂すらも消滅して、死んだ後の救いすらなかったって話だ……ああは成りたくねぇよな……」
怒りは炎の精霊を呼ぶ……その話はドゥークも知ってはいた。
だからこそ、怒りに身を任せるべきだと。
いや違う。
怒りに飲まれるから、怒りに身を任せてはいけないのだ。
どちらが正しいのか。
ドゥークにも解らなくなり、混乱する。
けれど、一ヶ月ほど前、シュバリエ市の方角で青白い光の柱が立ち上り、雲を穿ち抜くのを大勢の者達が目撃していた。
実際、ドゥークもそれを目撃し、ただならぬ事が起きたと思っていたのだが。
このソルヴァはこの様子だと、あの騒ぎの当事者のようだった。
自分たちが関与しない所で、得体の知れない何かが起きている……それだけは理解できたのだが、ソルヴァのその言葉をきっかけに自分の中で大いなる矛盾が沸き起こるのも感じていた。
「……ふっざけるなぁっ! この平民風情がっ! いいか? この場は退いてやるが、夜が明け次第、我が装甲騎士の全軍を率いて、貴様らを踏み潰す! 踏み潰される覚悟があるなら、立ちはだかってみるが良いぞ!」
「ほほぅ、まだやる気だってのか! まぁ、そうでなくちゃな! じゃあ、さっきの話、一応考えてみてくれ、オーカス装甲騎士団長ドゥーク・モナール卿! 1000のゴブリンの群れをたった100の軍勢で打ち破ったアンタの勇名は俺らでも知ってる……。実は可能なら、スカウトを持ちかけてくれってアスカ様からも言われてたんだが、アンタの気持ちも解らないでもないからな」
「……知っていたのか、貴殿もなかなかに人が悪いな。さっきも言ったが、謹んでお断りさせていただく! 出来れば、貴様なんぞとは戦場で会いたくはないが、そうなった暁には、我が全力を尽くさせて頂くとしよう!」
「おお、大きく出たな! さすがだな! アスカ様もアンタのことはえらく高く買ってたようだが、納得だな」
「高く評価いただき光栄だが、私は無様に逃げ帰るつもりなのだがな……。貴様らの相手なんぞ、命がいくつあっても足りんよ。悪いが、私は逃げる時は潔く逃げる……勇将などとは程遠いのだよ」
それは紛れもない本音だった。
ドゥークも歴戦の騎士であり、敵の力量など戦うまでもなく解るし、この状況を見れば実力差など一目瞭然だった。
このソルヴァの時点で十分に化け物だが、森に潜み、闇を昼間同然に見通すエルフの夜戦能力に強力無比な矢が加わるとなると、もはやその戦力は途方もない程だった。
こんな状況では、全力で挑んでも負ける。
これが昼間だったとしても、さして足しにならない。
その程度の判断が出来ないほど、ドゥークも馬鹿ではなかった。
ドゥークの常勝無敗とは、要するに不利なときには迷わず退く。
この姿勢が徹底されている事と勝機の見切りが抜群に上手いことにより、端を発していた。
負けない戦いの名手。
地味なようだが、そうやって彼は常に勝利してきたのだ。
そして、現状はどう考えても退くべき状況であり、勝機なぞ微塵すらも感じなかった。
「へへっ、やっぱ、アンタ……嫌いにゃなれそうもねぇし、引き際ってもんを弁えてる訳か。だが、そっちのお貴族様はやる気満々のようだが、どうすんだ?」
「当然であろうっ! 我々は貴様ら反乱軍を鎮圧すべく、不退転の決意で全軍を動員しているのだ! ドゥーク、貴様もまさか、このまま逃げ帰るなど、言わぬよな?」
言外に撤退なぞ、絶対に許さないと言いたげなホドロイ子爵だったが、ドゥークの返答は既に決まっていた。
「……このまま、逃げ帰るつもりですが、なにか?」
その一言を口にすると、ホドロイ子爵は啞然とする。
なにせ自らの意思の全否定なのだから。
ソルヴァが思わず、失笑するのを見て、ホドロイは見る間に真っ赤になると、ドゥークを怒鳴りつけようとするのだが。
その前にドゥークは冷静に言葉を挟み込む。
「ホドロイ子爵殿、勘違いされているようですが、現状装甲騎士団の指揮権はこの私にあります。王国法では、領主と言えど騎士団への指揮権は持たぬと規定されております。お叱りならば、あとで存分に受けますゆえ、この場は抑えていただきたい! そもそも勝ち目があるとでも思っているのですかっ!」
「な、な、な……なんだと……貴様……我が装甲騎士団は無敵では……」
「ひとまず、この者達相手に戦で勝つとなると装甲騎士ではとても勝てません。何よりもこの戦いは平原地帯に展開出来るかどうかの勝負でした。我々は十分に早かった。しかしながら、相手はそれに対応してみせた。その時点ですでに勝機は失われたのです」
ドゥークもそう結論付けていた。
何よりも敵はドゥークの意図も戦略も読み切っていた。
このソルヴァは敵の指揮官のようだが、あくまで前線指揮官であり、戦略的な采配を振るうものは別にいて、その者の知略こそが最大の脅威だとドゥークも断じていた。
「に、逃げ帰ってどうするのだ。この戦いは負けられぬのだ……貴様もそう言っていたではないか」
「すでにこの戦い、我々は負けたのですよ」
「馬鹿なっ! まだ先遣隊が全滅しただけではないか! 装甲騎士ですべて蹴散らし突き進むのだ! さすればこんな奴らなぞ、鎧袖一触……貴様もそう言っていたではないか!」
「10倍の兵力差を覆す相手、何よりこんな手狭な街道では、装甲騎士なぞ、戦いようがありませんよ。ここを突破するとなると、最低でも歩兵1000人……いや、それでも怪しいかもしれない。要するに今の我々が勝てる相手ではないと言うことです。であればせめて負けない為に退く。退く事とは戦に於いて負けではないと私もいつも言っていますよね?」
理路整然とホドロイへの全否定で応えたドゥークにホドロイ子爵も言葉も出ないようだった。
なお、騎士団への指揮権云々は王国法にも明記されており、そもそも貴族は軍事の専門家でも何でも無く、かつて貴族が戦時中に強引に指揮権を行使して、大敗すると言った問題が多発し、貴族の権限を抑えるためにもそう言う但し書きの規定が出来たのだった。
このあたりも暴走した装甲騎士団をユーバッハ男爵が正気に戻っていたにも関わらず、抑えられないと言っていた理由でもあったのだが。
いずれにせよ、ドゥークの主張は正論であり、ドゥークが退くと決めたなら、それを覆すことはホドロイ子爵がいくら騒いでも不可能だった。
「やれやれ、アスカ様が買うわけだな。敵が迷わず退くってのは正直、こっちも想定外なんだがな……。てっきり、団体で押し寄せてきて、安い挑発に乗って踏み込んでくると思ったのだがなぁ……当てが外れちまったか」
「当たり前だ……こんな状況で、そんな見え見えの挑発に乗る方が愚かであろう? 道理が見えぬと思われていたなら心外であるな」
……その言葉は暗に子爵が愚かであると告げているようなもので、ホドロイ子爵もドゥークを呪い殺さんばかりの目で見ていたのだが、ドゥークもそれを敢えて気づかないふりをした。
そもそも線を越えたら殺し、越えない限りは殺さないと言うのも向こうが勝手に決めたルールであり、その気になれば、今の時点で一瞬で自分たちを死体に変えることも容易なのだ。
つまり、これは敵にとっては自分たちなど余裕で殲滅出来るという自信の表れでもあった。
はっきり言って、現状、野営地に留まるのも危険だった。
国境を越えて、エルフの殺し屋達が無防備な野営地に夜襲をかける可能性はドゥークも常に念頭に置いていた。
エルフにとって、夜の森は独壇場と言え、そのやり口もまっさきに火を消して、視界を奪った上で一人一人容赦なく射殺していく。
ドゥーク達は支援隊込みで200人はいるのだが、その程度では一時間も持たず、ロクな反撃もできず、皆殺しになるだろう。
ドゥークの判断は、戦略的敗北による即時撤退。
今すぐ全力で逃げ帰り、神樹帝国の軍勢に対して、如何に領土を守るか、軍の編成も抜本的に変えなければ、勝利なぞ覚束ないと断じていた。
「そうかい……。まぁ、悪い判断とは言えねぇし、挑んで来るにしても、あっさりくたばってくれるなよ? まったく、無能で馬鹿な貴族のお守りってのも大変そうだな。なんなら、いい機会だから、ここでドンッと背中を押してやれば良いんじゃないか? なぁに、後始末は俺達に任せとけっ!」
「貴様っ! 言わせておけば……ドゥーク! 離せっ! 私はヤツに一矢報いなければならんのだっ! 我が部下達の仇を……取るのだっ! 取らねばならんのだぁあああっ!」
そう言って、ドゥークの手を振り払い、馬を進めその足が線に触れた瞬間、ホドロイの足元が爆発……厳密には馬の前足がまとめて吹き飛んでいた。
「な、何事だっ! ウォオオオオオッ!」
落馬し、騒ぎ立てるホドロイへ追撃の矢が襲い、その頭部をかすめる!
「クソッ! 案の定か! やらせんっ!」
ホドロイ子爵も運が良かったのか、とっさに躱したのか、耳元を矢が掠めた程度で済んだようで、まだ生きていた。
更に追撃の矢がホドロイの馬に直撃し、馬の体が爆発したようになって、盛大に血肉を撒き散らして一瞬で絶命するのだが、それでもホドロイ子爵には直撃せず、生き延びたようだった。
今ので死んでしまったのなら、ドゥークも死地へ飛び込む理由も無かったのだが、ホドロイが生きているからには見捨てると言う選択肢は無かった。
馬から飛び降りると、線を超えてホドロイをかばいつつ、強引に線の内側へと引き込むべく駆け出す。
だが、相手は有言実行だったようで、ドゥークも容赦なく標的とした。
殺気を感じて、とっさに避けた結果、直撃は免れたものの掠めただけで、肩を蹴飛ばされたような衝撃と共に重鎧の肩当てがバラバラになって吹き飛んで、ドゥーク自身も訳も分からず地面に倒れ込んでいた。
どう見ても、木の矢の攻撃力ではなかった。
こんなものが直撃したら、確実に死ぬ!
ドゥークは心の底から恐怖を覚えた。
「ううっ! み、耳がぁ……なくなって、聞こえなくなっているぅっ! ひ、左目も見えないぞ……あああっ! 血が、血がぁっ! し、死ぬぅっ! このままでは死んでしまう……。た、助けてくれぇえええ! ドゥーク! ドークゥウウウウッ!」
片耳を失い悲鳴をあげながら、地べたを転げ回るホドロイを乱暴に蹴り飛ばして、線の向こう側へ追いやると、自らも這うようにしながら境界線を越えて、かろうじて逃げ延びる。
肩が脱臼でもしたのか、左腕も動かなかったが、致命傷でないなら気にするようなものでは無かった。
何よりも、今にも直撃の矢を貰って、一瞬で即死するのではないかと気が気でなかったのだが。
境界線を越えた瞬間、殺気も消えて追撃の気配すら消えてしまった。
地面に転がり、大の字になって、荒い呼吸を続け、もう一歩も動けないほどに消耗していたが。
やはり追撃の気配はなかった。
……その瞬間、ドゥークの頭の中にあったモヤののようなものが消え失せ、死の恐怖からも解放された事に心の底から安堵を覚えた。




