第二十四話「国境戦線」①
「子爵殿……先遣隊より、前方の国境ラインにて、敵の先鋒らしき兵を発見との報告です」
オーカス装甲騎士団団長ドゥーク・モナールは、伝令からの報告をまとめると、すでに天幕にて休息していたホドロイ子爵へと告げた。
報告を受けたホドロイ子爵は、面倒くさそうに、椅子から立ち上がる。
実のところ、これはドゥークにとっても予想外ではあったのだ。
相手は、正確な実態は知れていないのだが、貴族を排除し独立を宣言した無法国家で、神樹帝国を名乗り、神樹教会やエルフなど多くの人々の支持を受け、僅か一ヶ月で急速に勢力を拡大しつつあった。
当然ながら、各地の貴族達は危機感を募らせ、ライオソーネ条約の発動の上で神樹帝国に制裁をと息巻いていたのだが。
国王からは神樹帝国を独立自治領として認める旨、王国宣言という形で公表があり、各地の貴族に対しても、神樹帝国に対しては、一切の武力行使を禁ずるとまで言い切ったのだ。
当然のように討伐が認められると期待していた貴族達もこの結果には愕然とし、それと同時に各地の教会より、神樹帝国に敵対することは神樹様へ敵対するも同然で、死後の安寧は約束出来ないと公式に宣言があったのだ。
この辺りは、大主教が毎日のように国王にそう言っていたように、各地の教会でも似たような話をしていて、神樹教徒の領主達は、真っ先に国王に同調し、そしてそんな貴族達はもちろん、軍人たちの間にも、神樹帝国とは戦いたくないと言う厭戦気分を巻き起こした。
もっとも、近隣諸国の貴族達を取り仕切るバーソロミュー伯爵は、むしろ、最大の被害者と言え、領地そのものは隣接していないのだが、いくつもの農村が住民だけがキレイに行方不明になるとか、傘下の商人がシュバリエの商人との価格競争に敗北して経営破綻したり、続々と商店が買収され神樹帝国の傘下になったりと、順調にその利権を削り取られていた。
何よりも、近年の凶作続きで、小麦の価格相場が跳ね上がるのを見越して、伯爵も小麦の買い占めを行っていたのだが。
神樹帝国産の小麦が格安で、市場に流れた結果、相場は大暴落を起こし、伯爵の被った損失は凄まじい額となっていた。
アスカにしてみれば、別に伯爵の利権を削っているつもりは全く無かったのだが。
アスカの言っていた様に、金と人と物が神樹帝国に集まっていくとなると、伯爵は当然吸い上げられる側となり、アスカもそこに隙間があるなら、容赦なくねじ込めと言う銀河帝国流の経済侵略のやり口を実行すべく傘下の商人達に命じていたので、当然の結果と言えた。
それでも、伯爵は国王の顔を立てて、放置しておくつもりだったが。
せめて、こちらの顔を立てろと言う意味で招聘の連絡をしたところ「近いうちにルペハマ市長へ表敬訪問に行くので、そのついでに立ち寄るとしよう」との返答を返してきた。
アスカにしてみれば、ルペハマへの通り道にある伯爵の城へ帰りがけにでも立ち寄れば、手間も省けるという判断だったのだが。
ルペハマの市長といえば、先代はバーソロミューとも昵懇の仲で、共に利権を分け合うようなズブズブの関係だったのだが。
その先代市長は、ある人突然死しその跡目を継いだのは実の娘だったのだが。
その娘が曲者で、先代とまるで真逆の方針を取り、バーソロミューの影響力を徹底して排除し、事実上の独立国家のような体制を築いてしまったのだ。
当然ながら、バーソロミュー達旧主貴族達からは、蛇蝎のように疎まれているのだが……その間にいる伯爵家と敵対的な貴族のおかげで、制裁も出来ず、まさに目の上のたんこぶのような存在となっていたのだ。
そんな者に対し、わざわざ出向いた上で表敬訪問をするのに、大貴族たる自分はついで扱い。
さすがに、これは伯爵を激怒させるに十分だった。
なによりも、傘下貴族の一人だったユーバッハ男爵の病死と言う王国の公式発表も伯爵はまったく信じておらず、平民達に弑逆されたと断定していたのだ。
そして、神樹帝国についても、精霊もなにもかもが神樹教会のでっち上げで、平民達の反乱のカバーストーリーとして、流布させているに違いないと決めつけて、傘下貴族達を集めた上で、独自に連合軍を編成し、討伐プランを提示した上で、その討伐をすでに下命していたのだ。
伯爵の提示した神樹帝国討伐プランについては、宣戦布告もしないまま、もっとも近隣のホロドイ子爵の全軍を使い問答無用で国境ラインを超え、相手が迎撃体制を整える前に市街の包囲態勢を確立。
その上で伯爵と近隣諸国の連合軍による援軍を送り込むことで、更なる重包囲を完成させ、降伏勧告なり、交渉を行い出来るだけ有利な条件で秩序を回復する。
もちろん、教会が問答無用で支持を表明した時点で、本物の神樹の精霊が降臨したのではないかとの配下からの進言もあったのだが、大昔の伝説を信じるなら、それを手にした者は覇権を握れると言っても良いほどの価値があると伯爵も認めていた。
それもあって、伯爵は保護という名目で精霊を捕える事とし、神樹帝国についても、精霊を捕縛した悪しき者達であり、それ故討伐したとの名分を喧伝するつもりで、完全に自分を正当化するつもりでいた。
いずれにせよ、バーソロミュー伯爵の戦略構想に基づき、ホドロイ子爵はその第一陣として、全軍を率いての進軍で、敵に奇襲をかけ敵軍を粉砕することが期待されていたのだ。
事実、ここまでは非常に上手く行っていた。
国境ラインまでの進軍自体は、本来3日はかかるところをわずか一日半で踏破に成功した時点で、想定以上の進軍速度だった。
これは装甲騎兵に鎧を付けさせず、後続の支援隊に装備を運ばせ、身軽にした上で夜間行軍をも行うことで、自国領域内の移動速度を最大限にするドゥークの考案した戦略移動方式のおかげでもあった。
もっとも、従兵隊や支援隊を置いてけぼりにしてしまった上に、夜通しの進軍で消耗しないはずがなく、国境を超えて野営などしていたら、敵の夜襲を受けても文句も言えない。
そこで、国境ラインの直前にて進軍を停止し野営を行い、後続部隊の合流を待ち、装備を整え、十分に休息を取らせる事とし、夜が明けてから、悠々と隊列を組んで街道沿いをシュバリエまで進撃する予定だったのだ。
ここまでは、至って問題なく、失敗らしき失敗もなくドゥークの想定の範囲内に収まっていたのだ。
しかしながら、国境ラインから先、敵の勢力範囲内へ侵入し威力偵察を行うべく、先行させようとしていた先遣隊は、国境地帯にて居るはずもなかった敵の先鋒との接触を知らせてきた。
これは要するに、向こうはすでにこちらの動向を把握しており、一戦交える覚悟もあると言う意思表明でもあった。
つまり、無防備な状態のシュバリエ市へ奇襲をかけると言う当初の予定は、すでに敵に察知されていた時点で失敗しており、国境を超えた時点で敵軍との戦いが始まると言う事でもあった。
どの段階で捕捉されたのかはドゥークも全く見当も付かなかったのだが。
ここから先は、そう言う前提で慎重に進軍せざるを得ず、予定も大幅に変更せねばならなくなり、犠牲者も相応に想定される事となり、ドゥークも正直、面白くなかった。
当然ながら、子爵も不機嫌を隠そうともしていなかったが。
そこは、敢えて余裕を見せることにしたようだった。
「ほほぅ、てっきり油断して、寝蔵に引きこもっているかと思っていたのに、わざわざ出迎えの兵をよこすとは、なんとも殊勝な心がけであるな。で、どの程度の兵力なのだ? 100ということなどあるまい? せいぜい、10か20の小勢であろうな」
そう問われて、ドゥークもどう返答すべきか思案する。
伝令が伝えてきた敵の兵力はたったの二人。
先遣隊は20人編成、装甲騎士が5人もいて、従兵にも馬を与えることで機動力を重視した精鋭部隊と言っていい部隊だった。
それに対して、たった二人とは、もはや脅威とも言えない。
正直なところ、ドゥークも敵の意図を訝しんではいたのだが、ひとまず、解っていることをありのままを伝えることにした。
「……それが僅か二人の歩兵のようで、国境線近くで待ち伏せしていたようなのですが……。先遣隊の前に現れて、直ちに引き返すように通告してきたそうです。あまりに人数が少ないので、おそらく軍使か何かではないかと思われますが。ひとまず捕縛し連行の上で、話くらい聞いてみますか?」
「例の神樹の精霊とやらは、来ていないのか? この私がユーバッハ男爵の不審死について、釈明に出向くように命じたのに、我が使者を粗末に扱った挙げ句「また今度にしろ」などと小馬鹿にした返答を寄越しよって……。伯爵に対しても随分な返答だったらしいし、貴族を舐めるのも大概にして欲しいものだな」
ドゥークもその話も聞いてはいたが、伴もなく単身で出向く等と条件を付けた時点で、これは事実上の宣戦布告のような物だと理解しており、使者が生きて帰ってきて、話し合いの余地を匂わせる返答をして来た分だけ、向こうも随分と理性的な判断をしたものだと、評価したほどではあった。
「だからこそ、こちらから出向いた。これはそういう事だったのではありませんか?」
今更何を言っているのかと思いつつ、ドゥークも返事をする。
なお、一応これは侵略戦争では無く、表敬訪問という建前ではあった。
些か不躾で全軍を供にしている時点で侵略行為以外の何物でもなく、要するに建前上の話ではあるのだが……。
そもそもユーバッハ男爵の軍よりもホドロイ子爵の軍勢は倍以上の規模を誇り、仮に弑逆が行われていたとしても、その軍勢はさしたる規模では無く、正面から戦っても容易く粉砕出来るとホドロイ子爵は断じていたし、ドゥークもそう予想していた。
であるからこそ、宣戦布告等はせずに、先方への通達もシュバリエ市の眼前に軍勢を展開した上で行う。
そういう手筈であり、一戦も交えず、無血での勝利の可能性もあったのだが。
この時点で、その可能性は皆無となってしまったのだが、それでも損害は微々たるもので許容範囲に収まるとドゥークも見ていた。




