第十八話「魔女の黄昏」①
――シュバリエ市、中央広場、装甲騎士団仮設陣地にて――
……その時、炎神教団の司祭ベルダは猛り狂っていた。
「おのれ、おのれっ! 男爵はともかく、私のシュミットが殺されるなんて! なんでっ! 黒銀製の兜が撃ち抜かれるとか、ありえないっ!」
ヒステリックに喚き散らしながらも、後頭部に穴の空いた兜を泣きながら、抱きしめている真っ赤な服を着た中年女。
彼女は随分前から、男爵のもとで食客として滞在していて、炎国の商人と称して、シュバリエ市の装甲騎士団に最新のボウガンや希少な黒銀製の鎧などを提供していたのだが。
最近は、男爵を始めとして、装甲騎士団の者達は誰もが彼女のイエスマンとなっていた。
「貴様ら、何をグズグズしている! シュミットの仇を討って来るんじゃなかったのっ! ああ、シュミット……なぜ死んでしまったの! 私を守ってくれるのではなかったの? なんでこんな事に……理不尽よっ! ありえねーよっ! クソがっ!」
実際問題、彼女はこれまで上手くやっていた。
男爵に取り入って、この国の最大戦力と言える装甲騎士団長のシュミットを虜にし、教団の指示通りに軍を完全掌握し、炎の精霊の欠片を街に少しづつばら撒いて、誰も気づかないまま、町の住民全てを傀儡にする……。
想定通りに事は運び、もう少しで完遂する所まで来ていたのだ。
しかしながら、神樹教団とエルフ達が神樹の精霊と称し崇めるエルフの少女が出現したと思ったら、スラムで乱闘騒ぎが起き、何がどうなってそうなったのか解らないが、神樹の種が大量に降ってきて、シュバリエ周辺も緑で埋め尽くされた。
同時にその事は、ベルダの企てが、完全に水泡と帰した事を意味していた。
ベルダが行おうとしていたのは、精霊の領域化とでも言うもので、炎の精霊の欠片を神樹教会に悟られずかつ、狂化しない程度に住民に取り込ませ、不活性状態のまま町中のあちこちに仕込んでいたのだが。
だが、これほどまでに濃密に神樹の種を撒かれてしまったら、どうやっても領域化など不可能だった。
相手がベルダのやろうとしていた事に気づいた上での対処なのかは解らないのだが。
ベルダにしてみれば、一瞬ですべてをひっくり返されるほどには的確に完封されていた。
残された手段は、力づくでの状況変更……武力制圧あるのみ。
ベルダには、装甲騎士団を己の意のままに、動かすことが出来たので、精霊を武力排除することで、力づくで状況を変え、神樹教会にエルフと言った邪魔者達もまとめて始末しようと考えたのだ。
そして、シュミットに装甲騎士団を率いて、その精霊の討伐するよう命じたのだが。
サポートを行う従士隊がまったく集まらず、出撃以前の状態だったのだ。
そんな状況に、怒り狂った男爵が一人で行くというので、シュミットも同行させて、それを見送った……。
もっとも、いかなる矢も剣も弾き返す黒銀の鎧を纏った最強の騎士シュミットを送り込んだ以上、相手が神樹の精霊であろうが、簡単に葬ってくれる……そうベルダも確信していたのだが。
結果は、シュミットはあっさり討ち死にし、相手はご丁寧に血痕が残った穴の空いた兜を送りつけて来て、完全に挑発していた。
これ自体は、シュミットが装甲騎士団の者達の精神的な支柱だったと見抜いた上で、その死を団員に知らしめることで、その士気の崩壊を狙ったアスカの策略だったのだが、ベルダから理性や思慮深さを奪うことにも成功していた。
そして、男爵も完全に彼女のコントロールから外れて、正気に戻った挙げ句、死んでしまったようだった。
同行した四人の騎士も同様にコントロールが外れており、彼女は軍事と政治の二つの大駒を一気に失った状態となってしまっていた。
シュミットが殺された事もだが、そもそも、コントロールが外れる時点でおかしいのだ。
炎の精霊の祝福は、不可逆的で一度精霊の支配下に落ちると、元に戻ることはありえないはずなのだが。
そのあり得ない事が起こったと言うことだった。
神樹の精霊は精霊争奪戦争の元凶であり、世界を滅ぼしかねない脅威と言う事で、教団からはその出現を確認次第、最優先で滅する……そのような指示が出ていたのだが。
滅するどころか、一瞬で追い詰められていたのでは、世話なかった。
この事を知ったら、炎神教団は恐らく狂乱状態になる……これはその程度には、恐るべし事実であり、なんとしても持ち帰るべき情報でもあったのだが。
教団の遠隔通信手段……精霊共鳴波による通信も断絶状態にあった。
原因は、この神樹の放った種……。
確かに、神樹の能力の一つで、その存在も知っていたが、せいぜい雑草や様々な植物の種になるとか、その程度の代物で、脅威でもないと認識していたのだったが。
今回、撒かれたのはとにかく量が尋常ではなかった。
その結果、火の精霊の分体を呼び出そうとしても、具現化する前にかき消されて、消滅してしまうような有様で、本国の分体と共鳴同期させることで、距離も何も関係なく言葉を伝える精霊共鳴通信は、まったく使い物にならなくなっていた。
もはや、ベルダは本国とも連絡も取れず、敵中にて孤立無援の状況だった。
現状、出来ることは逃げ帰ることだけなのだが……それすらも怪しい状況だった。
だからこそ、猛り狂っているのだが。
一方で、精霊の持つ得体のしれなさに恐怖を懐き、屈しそうにもなっていた……。
彼女の心の中は、もはや神樹の精霊への憎悪と怒り、そしてそれらを上回る恐怖で満ちていた。
今すべき事は、神樹の種の干渉範囲外へ脱出し、本国へ報告し指示を仰ぐことなのだが。
神樹の精霊への殺意がその義務感を上回っていた。
何より、彼女を猛らせていたのは、黒騎士シュミットの無惨な最期だった……。
卓越した戦闘センスに、身体能力。
炎の精霊の支配を受けながらも、理性を失わない精神力。
人間をゴミのようにしか思っていない冷酷さ。
どれをとっても、最高の素材だと断じていたからこそ、希少な一品物の黒銀の鎧と剣を与え、最高戦力に仕立て上げていたのだ。
それが、ただの一発の矢であっけなく死んでしまった。
こんな理不尽な話があっていいはずがない。
絶対に仇を討つっ! そもそも神樹の精霊は戦う力など持たぬか弱い存在で、恐れるに足らずっ!
そんな思いがベルダをここに留まらせていた。
「ベルダ様……。ここは一度、冷静になられてください。シュミット隊長が討ち死にし……寝返ったフレッドマンの話だと、男爵様は我々に全面降伏するように指示を出し、精霊の手厚い看護の上で亡くなったそうです。もはや我々に大義はなく、兵もまともに戦ってもいないのに、壊滅してしまいました……現実問題として、降伏を考えるべき状況です」
「はぁ? そんなもん知らねぇよ。このカスがっ! こっちはよせって言ったのに、貴様たちが我先にあの裏切り者を追いかけて、勝手にボロボロになったんだろうがっ! 何あっさり騙されてんだ、このグズがっ! 無能っ!」
ここまで罵倒されていても、彼……副隊長のバルギオは冷静さを保っていた。
先程まで、あれほど猛り狂っていたのに、嘘のように心が凪いでいた。
ベルダもさんざん喚いて、声が枯れたのか、言葉を切ったので、バルギオも最後まで言葉を続けることにした。
「おっしゃる通り、我々が無能で愚かだった……そう言うことです。釈明の余地などありません。我々は負けました。かくなる上は降伏の許可を願います」
「はぁっ? こ、降伏ぅ? 許可なんて出来るわけねぇだろ! そもそも、あの裏切り者も私名指しで殺すって言ってたじゃねぇか……。こ、降伏は駄目だ! お前らゴミカスが生き延びて私だけ殺されるとかそんな理不尽許されない。死ぬ順番は私が一番最後って言ってただろ! てめえの言葉に責任持てっ! クソがっ!」
激昂して、詰め寄ってくるベルダだったが。
バルギオは至って冷静な様子で、唐突にベルダを突き飛ばすと、直後にその頭があった空間を何かが通過していった。
「何を呆けているのですか! 夜闇はエルフ共の天下で、奴らは装甲騎士の鎧を紙のように撃ち抜く弓矢を手に入れた。そして、貴女を名指しで殺すと言っている。ここも安全とは言い難いです……いつまでも喚いていないで、せめてこちらの天幕にお入りください」
バルギオもベルダの言葉を素直に受け止め、冷静にあしらっていた。
ベルダは、青くなったり、赤くなったりと忙しくするのだが、現に死にかけたとようやっと気づいたようで、言葉が続かないようだった。
バルギオもつい先程、軍使と称しやってきたフレッドマンより、シュミットと男爵の最後を告げられた事で、今の状況は理解していた……。
男爵はともかく、シュミットが死ぬとはとても思って居なかったのだが。
シュミットが討たれた証拠として、フレッドマンが置いていったのは、内側にべっとりと血痕が付いて、後頭部にぽっかり穴の空いたシュミットの兜で……。
その上で、降伏するか、夜明けまでに男爵とシュミットの遺体を回収しに来ないと、門前に吊るして晒し者にするなどと告げられたのだった。
当然ながら、バルギオも猛り狂って、言いたいことを言って、悠々と去っていったフレッドマンを追って、中央通りを全装甲騎兵を率いて、進軍したのだが。
結果的にそれは罠だった。
通りの様子を日暮れ前に見たときには、まばらに草や木が生えている程度で、あまり問題がないとの報告で、そもそもフレッドマンが馬に乗ったまま、迷いも躊躇いもなく走り抜けている時点で、そこに道があると思い込んで、追撃していたのだが。
大通りにはいつの間にか、森のように大量の草木が生い茂り、石畳も樹や根によって、派手に掘り返されていた事で、50mも進まないうちに、装甲騎士団の半数が脱落……馬が足を折って転倒したり、割れた石畳を踏んで、バランスを崩して落馬したりで、死傷者が続出した。
松明を掲げたフレッドマンは、夜闇の中で目立つ上に、格好の道案内と思い、ボウガンで狙うこともせず、敢えて距離も詰めずに追撃していたのだが。
彼が通ったはずの所にいつのまにか樹が生えていて、それに突っ込んだり、事前の偵察で何もなかったはずの所に、背の高い草むらがあって、そこに突っ込んで足を止めたところで、後続が突っ込んで、揃って落馬したり……。
そんな風に、混乱して足を止めた所で、今度は何処からともなく強力な矢が打ち込まれて、装甲騎士がバタバタと射倒された事で、ようやっとそれが罠だと気づいたのだが。
気付いたときには、完全に手遅れだった。
敵は騎兵のフレッドマンと言う案内人を用意し、安全なルートがあるように見せ掛けて、こちらを釣り出して、キルゾーンへ誘い込むことに成功していた。
混乱と恐怖が伝染する中、バルギオもかろうじて陣地まで逃げ帰ったものの、当初15騎いた装甲騎士団の本隊は、これで12騎もの兵を失い……結局、広場まで戻ってこれたのは、バルギオを含めて、たった3騎しかいなかった。
そして、誰一人として無事な者はおらず、掠めただけなのに、鎧が壊れ、肉がえぐれたようになった者や、馬に振り落とされかけて、引きずられながら戻ってきたものなどもいて、もはやまともに戦える状態ではなかった。
怪我人の治療にしても、従軍契約を結んでいた神樹教会の神官たちは一人として集まらず、傷口に包帯を巻くだの、骨折に添え木をするなど、応急処置しか出来ていなかった。
従士隊の者達は健在なのだが、人数も10人に満たず、揃いも揃ってやる気もなく、ひとまず周辺警戒として分散配置するにとどめていた。
ちなみに、バルギオも馬が射殺されたことで、落馬していたのだが。
夜の闇の中で馬を走らせることに不安を覚えて、予め鎧も兜も脱いでいたので、落馬後、起き上がれなくなることもなく、自前の足で命からがら逃げ帰っていた。
夜闇の中、明かりもないのに正確に走行中の馬の頭を撃ち抜いてきた人外じみた技量から、エルフの射手だとは思うのだが。
問題はその矢の破壊力だった。
馬の頭には装甲騎士と同様の防御力があるはずの馬鎧が装備されており、本来エルフの使う木の矢など効かないはずだったのだが。
そんなものないも同然に馬鎧も馬の頭も何もかもまとめて貫通して、それは石畳をも砕き、地面を抉り爆発させたようになっていた。
おまけに、即死した馬の頭には向こう側が見えるほどの大穴が開いていて、装甲騎士の鎧と言えど、何の意味もない……それくらいの威力の矢だった。
当然ながら、そんな装甲騎士の鎧どころか、城壁をも撃ち抜きかねない矢の話は、バルギオも聞いたことがなかったし、そもそも、エルフは武器の改良に熱心ではなく、ここ百年ほど似たような武器しか使っていなかったはずだった。
なによりも、剣も矢も効かない鉄壁の防御だからこそ、最強無敵と言われた装甲騎士も、その鎧を容易く撃ち抜くような矢が登場したとなると、もはやただの的でしかない。
フレッドマンから、シュミットの討ち死を告げられ、その証拠を見せられた時点で、敵がシュミットの黒銀製の鎧をも撃ち抜く強力極まりない武器を持っている事は、その時点で解りきっていたはずだったのだが。
怒りに我を忘れて、猛り狂うままに後先考えずに、フレッドマンの追撃の命を出した……その時点で、こうなるのも当然だった……。
もはや、バルギオの脳裏には恐怖と後悔しか無く、あまりに絶望的な状況に何もかも投げ出したくなってすらいた……。
もっとも、持ち前の冷静さが戻ってきていたのが、不幸中の幸いと言えたが。
冷静に考えた上で、降伏して当然と言う結論に達していた。
向こうもベルダ以外は降伏すれば助命するとは言っていたし、この際、ベルダの言うことは無視すべきだろう。
なお、脱落した者達の安否については、うめき声がかすかに聞こえてくる様子から、まだ生きている者もいるようだし、むしろ手加減されているような印象すらあった。
もっとも、救助に行こうにも、あの恐るべき威力の弓を持つ、エルフの射手が狙いを定めている中へ、松明を掲げて救助に行く時点で、軽く自殺行為と言えた。
そもそも、この陣も慌てて、あちこちに目隠しの布を張り巡らせたのだが、この程度では気休めにもなっていない。
もはや、全滅必至の状況にバルギオも心底どうでも良くなった。
実際、フレッドマンも「死にたくないなら、俺を追って来ようなんて考えるな」等と言っていて、挑発だと思っていたのだが、アレは彼なりの同僚への警告だったのだと思い知っていた。
「聞いてんのかよっ! このウスラボケェッ! 調子こいて、裏切り者を総掛かりで追いかけた挙げ句、あっさりだまし討ち喰らって壊滅って、なんだそりゃ! この役立たずの糞虫がっ!」
そう言って、ベルダが手にした錫杖で、バルギオを打ちのめそうとするのだが。
「アヒィッ!」
唐突に奇声をあげ、身体を投げ出すように倒れ込むと、近くの地面が爆発したように弾けた。
「ヒ、ヒィッ! ふ、ふっざけんなーっ! くそっ! くそっ! テメェら、なに呆けてんだ! さっさと壁になれっ! こんなもの、いつまでも避けられるかっ! ちくしょーっ! なんだ、この威力! 意味がわかんねーぞっ!」
喚きながらも、地面をゴロゴロと転がると、直前までベルダのいた場所が次々に弾ける。
次々と音もなく放たれる必殺の一撃を恐るべき勘で察知し、着弾前に動くことで、紙一重で回避しているようだった。
ようやっと、バルギオもベルダが狙い撃ちにされていることに気づくと、その上に覆いかぶさって、我が身を盾とする。
あの威力では、手足に当たったら、あっさりちぎれ飛び、胴や頭に当たったら、確実に即死する……そこはなんとなく理解できていた。
そもそも、身体を張って庇ったところで、あの威力では人体など軽く貫通されて、共倒れが関の山だと気づくのだが……もはや、手遅れだった。
「てめぇ、バカか! これじゃ、こっちが動けねぇじゃねぇか! さっさと立って、肉壁になれっつってんだよ! このクソがっ!」
罵声とヒザ蹴りを浴びながら、バルギオも判断ミスを認める。
覚悟を決めて、目を閉じるのだが、いつまで経っても必殺の矢は飛んでこず、なぜか狙撃が止んでいるようだった。
「……何故? 撃たない……? ベルダ様、失礼っ!」
チャンスと見たバルギオもベルダを脇に抱えると、天幕まで一気に走り抜け、乱暴にその中に放り込むと両手を広げて仁王立ちする。
「……やらせんぞ! 出て来いっ! エルフ共! これは明確な人族への反逆行為であり、不戦の協定にも違反しているっ! 貴様らは、ライオソーネの盟約のもとに滅ぼされることを望むのか!」
……当然ながら、返答もない。
実のところ、その言葉もただのハッタリだった。
自分達がここで全滅してしまえば、協定違反も何もない。
何故なら、死人に口無しなのだから。
「……ふむ、私はエルフではないし、別に反乱を起こしているつもりはないのだがな」
暗闇の中、真正面から返事が返ってきた事で、思わずバルギオも呆然としてしまった。




