第十六話「ラース・シンドローム」④
それから……。
ユーバッハ男爵は死んだ。
その心臓の鼓動を止めたのは、私自身の意思でだった。
人買いだの、金の亡者だの、善人とはとても言い難い者だったようだが……。
私自身、別に男爵に対し恨みや憎しみがあった訳でもない。
そもそも、私はそんな理由で戦争を選ぶほど、愚かではない。
結局、戦争とは、利害の不一致で否応なしに起こるのだ。
男爵は自らの利権を守るために、私に戦いを挑み、私は私自身を守るために戦った。
その結果、男爵は敢え無く敗れ去り、死んだ。
戦いの理由としては、どちらも正しいし、どちらかと言うと私のほうが体のいい侵略者のようなものだったような気がする。
どうであれ、勝ち残ったのは私で、敗北者たる者の全てを総取りする権利があり、当然ながらそうするつもりだった。
戦争とはそういうものであり、そして、勝者は敗者の無念やその思いを飲み込んでいく必要があった。
いずれにせよ、人間死ねば、それで終わりなのだ。
善人も悪党も……死ねば、その功罪も何もかもが精算されるし、死に方だって同じことだ。
善人が無惨な最後を遂げようとも、悪党が安らかなる最後を遂げようとも、死と言う結果は等しく変わりないのだ。
だからこそ、私は勝利者として、全て許し許容する。
なにせ、誰かが許さなければ戦争なぞいつまで経っても終わらんのでな。
そして、この場では静かに休戦が成立していた。
「……そこの騎士達よ。お前達の主人は、たった今……私の手にかかって、逝ったぞ。何か言うことはないのか?」
私としては、仇討ちなら上等だ……それくらいの気持ちで言ったのだが。
向こうは真面目な顔をしつつ、丁寧に頭を下げた。
「……我らが主人を最後まで看取っていただき、ありがとうございました……御使い様。我が主人は……耐え難き苦痛を取り去られて、まるで眠るように安らかに逝かれた……。こんな死に顔は滅多に見ませんよ。御使い様よ……今は亡き主に代わって、臣下を代表し、深く礼を言わせていただきます……」
そう言って、胸の前に拳を添える……多分、この国流の敬礼を捧げてくれる。
こちらも見よう見まねで答礼すると、解ってるじゃないかと言いたげにニヤリと笑われる。
何を言われても、真正面から受け止める……そう思っていただけに、その笑顔に救われたような思いになる。
「ふ、ふむ……もはや敵意も何もないという事か……。なんとも、調子が狂うな。とりあえず、お主がこの場の最上級者と言うことでよいか? 名は? 口調も……別にかしこまらんでもよいぞ。無理をしているのは何となく解るぞ」
「も、もしかして、無理してんのバレバレなのか? い、いやっ! そんなこたぁないっ! 俺……あー、いや、私はいつもこんなであるぞっ! せっかくだから、ここはマジにやらせてくれよ。なっ? 頼むぜ……せっかく、人がカッコよく決めようとしてんだからよぉ……」
その軽薄そのものな返しに思わず、笑ってしまう。
こちらが沈んでいるのを承知で、軽薄な態度を取って、あまり重く考えるなと……そう言いたいのであろう。
やれやれ、50億を虐殺して、シュミットは平然と射殺しておきながら、眼の前でひとり死んだ程度でこのザマか。
この様子だと、随分と落ち込んでいるように見えたのか、気を使わせてしまったようだった。
だが、一度死にゆく時のあの寂寥感とでも言うべき思いを経験すると、出来るだけ誰も死んで欲しくないし、助けられないなら、少しでも紛らわせてやりたい……そんな甘い考えが湧いてしまうのも事実なのだ……。
多分、この思いは第二の生を受けたものとしては、決して忘れるべきでもないし、捨ててはいけない思い……そんな風に思うのだ。
「……無理をするな。いつもどおり、ざっくばらんにやっても一向に構わないぞ。なにせ、私はただの幼女なのだからな。大の大人が敬意を払うには値しまい?」
「んな、どこぞの魔王みたいな迫力醸し出してて、何がどうただの幼女なんだかなぁ……。では改めて、俺は騎士爵のフレッドマンだ……一応、貴族の端くれだが、騎士爵なんてのは、単なる名誉称号に過ぎんからな。畏まって話すのもあまり得意じゃないから、普通に話していいってのは、実にありがたい。……アンタがあの黒騎士殿を屠るなんて信じらんねぇ事やって、睥睨された瞬間、突然ぶん殴られたみてぇに頭がクリアになってな……」
「なるほど、やはりあの時点で……か」
特別意識した訳ではなかったのだが。
お母様の話だと、あの時、私の意思でこの者がその身に宿していた炎の精霊の欠片を浄化したようだった。
……やった事としては、盛大に殺気を放ったくらいだったのだがな。
恐らく、あの時点で何らかの条件を満たしたのだろう。
お母様も知らなかったとなると、恐らく私の固有の能力……或いは私の知識由来……なのだろうか?
「ああ、実際……その後、俺たち全員、あんたを殺せって男爵の命令も無視して、必死に保身に走ってただろ? 幸いアンタは理解があったようで、お互い殺し合い……いや、違うな。一方的に殺されずに済んだってとこかな。俺達はシュミットの野郎と違って、実に運がよかった……」
「まぁ、確かに、お前達はまるで明後日の方向にボウガンを撃って見せていたからな。あの時点でやる気がないのは見て取れたぞ。なるほど、確かに撃てと言う命令に逆らわず、さりとて当てる訳にいかないともなれば、撃ったが当たらなかったと言う事にすれば、確かに体裁は整うな。お主、意外に頭が切れるのだな」
まぁ、サボタージュとも言うのだがな。
私がそう返すと、フレッドマン殿も我が意を得たりとばかりに破顔する。
「ご理解いただき感謝だ。しかし、どうするね? 男爵殿とシュミットが死んじまった以上は、俺達装甲騎士団もアンタとやり合う理由がなくなったって事だし、男爵の生前の意思としては、アンタに感謝すらしていたからな……戦う理由ももう無いって事だ。少なくとも俺と部下達は、アンタに降るって事で問題ないぞ」
「それで良いのか? 私は、間違いなく男爵を処刑したのだぞ? 私はお前たちにとっては、主君の仇と言うヤツではないのか?」
「ハハッ! あれの何処が処刑だったんだ? 俺には、お優しいお医者様が死の縁にある患者に、苦痛を取り除いて、死の恐怖も払った上で、静かに見送ったようにしか見えなかったぜ。まぁ、男爵殿もかなり心臓がやばくなっててな。すでに何度も死にかけては、ヘンテコな薬で蘇ったりを繰り返してたから、時間の問題ではあったんだよ……。善人とはとても言えない方で色んな奴らから恨まれてたが、その割には、幸せな最期だったとは思うぜ」
「私がそんな慈悲深い者に見えるのか? お主の目はとんだ節穴のようだな……」
私がそう返すとフレッドマン殿は、なんとも優しい目で見つめてくる。
この目には見覚えがある。
あの最後の突撃の際、共に散った老兵達と同じ目だった。
「アンタ、あんまり人殺しにゃ向いてねぇんだろうな。とりあえず、あんま無理すんなよ」
「はっきり言ってくれるな……私は、これまでに数多くの人々を殺めてきたのだぞ? それを……」
気がついたら、拳を力いっぱい握りしめていた。
自分でも意味が解らないほどに、私はその言葉に腹を立てていた。
……私が人殺しに向いていないのだとすれば、私の背負った業はどうなると言うのだっ!
「まぁまぁ、落ち着こうぜ。……悪く言うつもりは無かったんだ。アンタは何ていうか……好き好んで人を殺す……人殺しの目をしてねぇんだよな。そういや、解るかな?」
……その言葉になんとも見透かされたような思いになる。
確かに私は、好き好んで誰かを殺したようなことは一度もなかった。
銀河帝国での虐殺にしても、他に選択の余地など無かったから、そうしただけの事だった。
どうして、この私が……好き好んで人を殺さねばならんのだ!
「……貴様に……貴様に何が解るというのだ!」
「気に障ったら謝る……。まぁ、アンタは自分で思ってるほど、人殺しには向いてねぇんだろうなって、そう思っちまってな……と、す、すまん! 俺は何も見てねぇし、言い過ぎたっ!」
そう言うとフレッドマン殿は慌てたように、後ろを向く。
気がつくと、目尻が濡れていた。
……紳士たるもの女子の涙には弱い。
まさか、泣かせてしまうと思わなかったのだろう。
だが、この男の言う通りだった。
もし、私が好き好んで人殺しを楽しめるような人間だったら、人殺しの業など気にも止めなかっただろう。
それを気にして、気に病む時点で、私は人殺しには向いていない。
それは事実だった。
「……フレッドマン殿。忠言感謝する……。それとお主は何も見ておらん。そう言う事で良いな?」
「ああ、今見たものは他言無用とする! なんにせよ、俺らは白旗をあげさせてもらう……なんだったら、今からアンタの部下って事でもいいぜ。その程度には俺はアンタを買ってるし、女を泣かすとか、そんなもん騎士の風上にも置けんっ! ま、まぁ、そう言う事でよろしく頼むぜっ!」
「やかましい。誰も泣いてなどおらんわ! まったく、調子の良いヤツだ……。お前たちが降ると言うなら、そこは一向に構わんのだが……。他の連中はどう出ると思う? 同輩としての率直な意見が聞きたい」
「そこだよな、問題は……。道義を言えば、この状況で戦いを続ける方がおかしい。なにせ、最高指揮官にして、貴族の男爵殿が死んじまったんだ。装甲騎士団は事実上男爵の私兵だったから、給料払うやつもいなくなっちまったって事だから、全員白旗ってのが道理なんだが。実際は……どうだろうなぁ……? なんとなくだが、男爵とシュミットの仇討ちって事で、勝手に盛り上がってるような気がするんだよなぁ……」
まぁ、ラース・シンドローム罹患者の思考パターンだと、恐らくそうなるだろう。
彼らの行動原理は、全て怒りに基づく……そう言うふうに書き換わってしまうのだからな。
「うむ、話を聞いた限りだと、どうもお前達、装甲騎士団は全員「ラース・シンドローム」に感染していたようだからな……。実際、お前はどうだったのだ? ラースシンドロームに罹患して、生き残った者というのは、実のところ極めて稀なのだ」
「ラース・シンドローム? なんだそれは?」
「火の精霊の欠片が体内に入り、心が怒りに支配される……一言で言えば、そんなところだ。感染中のことは、覚えているのであろう。その時のお前の怒りに満ちた心理こそが「ラース・シンドローム」と呼ばれる感染症の症状なのだ」
「あ、あれは、病気だったってことか? だが確かに……この世全てが憎い、とにかく頭の中が火で包まれたみたいに、無性に暴れたくてしょうがなくなる……そんな感じだったな。今となっては、なんで、そんな訳の解らない理由で怒り狂ってたのか、全く解らない位なんだが……」
「ああ、それは典型的な症状だな。そうなる前に何かきっかけのようなものはなかったか?」
これは、かなり重要な手がかりになるはずだった。
ラースシンドロームの感染源……その謎に迫れる重要な話だった。
「そう言えば、ベルダが皆の前で、炎の精霊を召喚するとかやっていたな……。あれを見てから、なんかずっと頭の中に火が点いたみたいになってたんだ」
「なるほどな……炎の精霊か……。確かに「ラース・シンドローム」の新規発生時に目撃されると言われていた空中発火現象……。そうか、あれはそう言うことだったのか」
ヴィルゼットも確かこう言っていた。
性質の異なる「マナ・ストーン」が感染源だと。
そして「ラース・シンドローム」の発生前には決まって、空に浮かぶ鬼火のようなものを少なからぬ者達が目撃し、消防ドローンの出撃騒ぎなどが起きていた。
そして、その空中発火現象こそが「ラース・シンドローム」の原因だと仮定すると、そのベルダとやらは、望むままに感染源を発生させて、感染者をいくらでも生み出せる……そう言う事になる。
……ああ、倒すべき敵の存在がはっきりと見えてきたな。
要するに、魔女ベルダは、明白な私の敵だと言うことだ。
こうなると、どう考えても、滅ぼす以外はありえんし、恐らく向こうも同じだろう。
「……考えてみれば、炎の精霊っていや、かなりヤバいよな。なんで、そんなのを俺達は奇跡だとか言って喜んでみてたんだ? 俺は……正気じゃなかった?」
「おそらくそう言う事だな……。私は「ラース・シンドローム」がどれほど、恐ろしい物か身にしみて解っているのだ。実際、お主は至って正常なまま、狂気に囚われた……。今になって自分の行動を省みてみろ……正気の沙汰とは思えなくなるだろうな」
「ああ、そうだな……仰るとおりだ。そもそも、なんで俺は、神樹様への祈りすらも忘れてたんだよ……! あの火の玉、世界を焼く炎だって、教会の司祭様が言ってたヤツそのモノじゃねーかっ! ちっくしょうっ! あれは全部、ベルダのババァのせいだったのかよ!」
「恐らくそうだろうな。だからこそ、その元凶たる魔女ベルダは、何が何でもここで始末せねばなるまい。だが、そうなるとその前に、装甲騎士団をなんとかしないといかんか……」
私がそう告げるとフレッドマン殿は、複雑な顔をする。
「……なぁ、俺が軍使になるから、説得のチャンスをくれないか? 仲間を……助けたい」
「そうだな……。それが出来れば理想なのだが、まともな理性的な判断が出来る状態ではないと思うぞ……恐らく死にに行くようなものだろうな」
フレッドマン殿の言より解ったことは、ベルダとか言う奴が黒幕で、それを始末すれば、問題は解決する……そう思って良さそうだったが。
装甲騎士団の者達は、確実に立ちはだかる。
それも予想は付いていた。
「そこを頼むっ! せめてチャンスをくれっ!」
「今の貴様はラース・シンドロームから、正気に返った極めて希少なサンプルなのだ。それに降ったからには捕虜同然ではないのか? 捕虜に無茶な任務を与える程、私は恥知らずではない。まぁ、そうだな……お主の使い道は考えがないでもないからな、要はちょっと待てと言うことだ」
「……解った。どのみち、明らかに間違った道を進んでいて、そこから引き戻してもらえたなら、それは間違いなく借りってヤツだな。男爵殿を看取っていただいた借りもあるのだから、そこはきっちり返済させてもらうぜ」
どうやら、フレッドマン殿にも納得頂けたようだった。
実際問題……ラース・シンドロームの感染者相手に、説得など時間の無駄であろうからな。
それが簡単に出来ていたら、我々も数十億単位での虐殺などしておらんわ。
いずれにせよ、方針はこれで決まりだった。
ベルダとか言う者が何者かについては……。
恐らく、病態がフェイズ2に移行した指揮官タイプの感染者……通称「エインヘリャル」……そう考えていいだろう。
「エインヘリャル」は、感染者をベースにしていながらも、明らかに人類種よりも進化していて、フェイズ1個体と違って、理性もなく暴れ続けるようなこともなくなる。
ベースにした感染者の知識や記憶などもそのまま受け継ぎ、その行動原理だけを大きく変化させ、感染者達を大雑把ながら、コントロールすることすら出来るようになる。
そして、その行動原理はシンプルで、少しでもラースシンドローム感染を拡大すること。
要するに、感染拡大の司令塔のような存在となるのだ。
何よりも、押し並べて狡猾だし、生命力も高く、個人戦闘力も高いので、総じて厄介な存在だった。
この「エインヘリャル」の存在が「ラース・シンドローム」の問題を一層ややこしくしていたのは確実だった。
もっとも、「エインヘリャル」自体への対処は、そこまで難しくはない。
惑星上にその存在を確認された場合、宇宙戦艦からの衛星軌道核融合弾攻撃……基本はこれ一択。
感染者コロニー諸共、吹き飛ばしてしまえば、一撃で終わりだからな。
そんな人間離れした戦闘力を持ち、近づくだけで感染するような化け物を、真面目に相手にする必要などあるまい?
逆を言えば、近づかなければ、なんら脅威ではないのだから、アウトレンジで始末してしまえば、造作もない。
もっとも、相手の認識外からの核融合弾攻撃であれば、「エインヘリャル」も問題なく処分出来たが……。
今の装備では、簡単な相手ではないと言うことは解る。
なにせ「エインヘリャル」化した時点で、知覚力も強化されるようで、km単位どころか、衛星軌道上からのアウトレンジレーザー狙撃を感知して初弾を回避したなどと言う信じがたい真似すらやってのけたのだからな。
それもあり、ヴィルゼットはエネルギー生命体とも呼べる未知の生物形態の可能性すら示唆しており、それらの対策もあって、過剰火力は承知の上で核融合弾攻撃などと言う方法を取らざるを得なかったのだ。
こうなって来るとと、装甲騎士団も対しても、迂闊な戦力をぶつけられないと言うことでもあるし、この世界では有視界戦闘が基本……犠牲無く勝つには、こちらの戦力では心もとない。
装甲騎士団など鎧袖一触と思っていたが「ラース・シンドローム」の感染者が相手ともなると、そうは言っていられない。
思った以上に難しい状況だった。
まさか、こんなところで……我が生涯の宿敵と出くわすとはな……。
まったくもって因果な話だった。




