第十六話「ラース・シンドローム」②
彼女はその魔法科学技術や持ち前の知識、そして、その卓越した頭脳をフル活用した上で「ラース・シンドローム」の研究を続け、その治療方法を発見するに至った。
そのきっかけは、割りと単純な話で、ヴィルゼットは感染者の病理解剖だの、治療方法の研究などで、文字通り最前線で、保身すら考えていないような果敢かつ献身的な対応を繰り返し、私もいつヴィルゼットが「ラース・シンドローム」に感染するのではないかと戦々恐々としていたのだが。
私を含めて、関係者各位の心配を他所に、ヴィルゼットは「ラース・シンドローム」にさっぱり感染しなかった。
本人によると、そもそも身体構造が違う上に、「ラース・シンドローム」はあくまで銀河人類を標的としている以上、ヴィルデフラウが感染する訳がないと、ごもっとな講釈を述べていたのだが。
人間に似せてはいるが、あくまで別物な有機バイオロイドですら感染したケースもあったのに、そんな理屈が通るわけがないとの指摘で、本人もその理由について、真面目に考察することにしたらしかった。
例によっての、自らを被験者とした人体実験を幾度となく繰り返し、ヴィルゼットは自分達の体液中にほんの僅かに存在するマナ・ストーンの微細粒子が「ラース・シンドローム」への免疫機構のような役割を果たしている事を突き止めたのだ。
そして、自身の「ラース・シンドローム」への感染については、マナ・ストーンの相殺と言える現象により、完全に封殺されていると科学的に証明してみせた。
そして、その研究の過程でヴィルゼットはもう一つの発見をしていた。
「ラース・シンドローム」の感染源……それはヴィルゼット達の持つ「マナ・ストーン」とは、性質の異なる別種の「マナ・ストーン」の粒子だと、ヴィルゼットは結論付けていた。
……ヴィルゼットは「ラース・シンドローム」について、誰よりも深く理解して、その本質を暴き出し、根絶の可能性すら見せてくれたのだ。
もっとも、残念ながら、その時点でそれは、決定的な対策にはなり得なかった。
まず、ヴィルデフラウの体液を血清として使う案は、そもそもヴィルデフラウの体液組成は人間とかけ離れており、輸血など論外で、何よりも仮に一人のヴィルデフラウの全ての体液を絞り出し、血清を精製しても、それでやっと一人を救えるかどうか程度と言うことで、全くもって現実的ではないという結論となり……。
別案として浮上した、マナ・ストーンを微粒子化して対抗ワクチンとして使う案については、マナ・ストーン自体が言うまでもなく極めて希少で、やはり現実的ではなかった……。
EADの生産については、マナストーンはあくまで触媒用途で、ごく少量だったからこそ、問題にならなかったのだが。
「ラース・シンドローム」の対策としては、どうしても「マナ・ストーン」の希少性がネックとなってしまっていたのだ。
……それでも、あの時点でヴィルゼットの研究は決して的外れではなく、かなり良い線までは行っていたのだ。
必要とされたのは時間。
とにかく、我々は時間を稼ぐ必要があった。
可能性のひとつは、人造マナ・ストーンの大量生成技術の確立。
この人造マナ・ストーンについては、やはりヴィルゼットとその門下生たる魔法科学者達が熱心に研究を進めており、短時間で劣化してしまう劣化マナ・ストーンのようなものは、合成に成功していたのだが。
人造マナ・ストーンを合成する為には、やはりマナ・ストーンが必須と言う問題点があった。
仮に帝国とヴィルデフラウ族が保持しているマナストーンを全て使い潰し、可能な限り人造マナストーンを合成したとしても、想定必要量には全く足りないとの事で、マナストーンが有限の希少資源である以上、それは、現実的ではないとされた。
そして、もう一つの可能性。
銀河の何処かに存在するであろう、生命の樹の捜索……。
こちらの方がよほど、現実的だとされた。
ヴィルゼットは、独自の研究で自分達が古代ヴィルデフラウ族とでも言うべき存在によって、銀河のあちこちにバラ撒かれた星間文明種族であり、生命の樹は一種の星間播種船である可能性が高いと結論付けていた。
惑星ヴィルアースで、日々植物ライフを送っているヴィルデフラウ族を見ている限りでは、とてもそんな星間文明種族には見えないのだが……。
ヴィルゼット当人に関して言えば、むしろその方が納得できると言ってよかった。
……その程度にはヴィルゼットと言う存在は異常性の塊だった。
人類の高度科学技術をあっさりモノにした高度な知性……。
飽くなき探究心に、先端科学技術者ですら、理解が及ばないと言わしめた数々の独自技術。
実際「ラース・シンドローム」対策と研究についても、人類の学者や研究者達では束になっても、ほとんど何も解らなかったのに、ヴィルゼットが本格的に対策プロジェクトチームに参入してからは劇的にと言っていいほど、その解明が進んだのだからな。
そして、何よりも事実上の不老者であることも……。
人間の研究者は、長く生きても200年程度で、記憶や知識の劣化でその能力は年を得るごとに劣化していって、その知識はその者の死と共に散逸してしまう。
知識の伝達、維持記録。
高い科学技術を維持するのが楽ではないのは、この人はいつか死ぬという単純な事実故になのだ。
その点ヴィルゼットは、際限なく知識を蓄え、新たな発見や研究で無限にアップグレードを続ける……そう言う存在なのだ。
「我々帝国は、とんでもない化け物を銀河に解き放ってしまったのかもしれない」
七皇帝の一人が真剣にそのような忠言を私によこしたこともあった程だった。
「銀河連合には不死の守護者がいるのだろう? ならば、我々にも同じような存在がいてもよかろう? アレが帝国の保護者になってくれるなら、我々も安心して死ねる」
そう答えた私に、その皇帝も楽しそうに笑い、その話はそれで終わった。
いずれにせよ、生命の樹については、ヴィルデフラウ族の古代より伝わる伝承や、記録されていたその性質から少なくとも重力制御技術くらいは可能だったようなのだ。
そもそも、お母様にしても、1kmもの高さの樹木など、本来ならば構造上、自重に負けて崩壊するはずで、そもそも物理的に存在し得ない存在だと思うのだが……。
本来、無重力空間でも育つ植物で、惑星環境下では重力制御を行って自壊を防いでいると考えると、辻褄があってしまうのだ。
実際、先程お母様がブッ放されたマナストーンの粉にしても、上空でピタッと止まってから、ばっさと降って来ていた。
……そんな弾道、物理的にありえぬであろう?
そもそも、あんな大量の粉をひと塊にして撃ち出した上で、ピンポイントで精密誘導してきた時点で、ありえん。
むしろ、局地的重力場を制御していたと考えると、納得も行く。
そして、無重力空間環境に最適化されていて、重力制御技術をも持つ……それは、つまるところ「生命の樹」は独自の恒星間航行能力すら持っている可能性が高いという事だ。
そして、生命の樹は、魔法文明が躓くであろう、宇宙空間にマナが存在しないと言う問題についても、それ自身がマナの源の結晶体「マナ・ストーン」を無尽蔵に生産する性質から、その問題すら軽くクリア出来るのだ。
お母様、ヤバい。
マジでヤバイ。
私も相当ヤバいが、お母様はスケールが違う。
結論として、生命の樹は間違いなく星間文明の播種船の一種だと断定する。
実物を目の前にし、その奇跡の数々をまのあたりにしたのだから、それはもう断言できる。
そして、お母様が生命の樹と同一の存在だとする仮定も間違っていないだろう。
先の精密医療技術や、未知の惑星の特異植物の再現など、テクノロジーレベルがどう考えてもいちいち異常だ。
そもそも、私のような死者に肉体を与えて、再生する……こんなものは神の所業というのだ。
だが、星間文明の産物という事なら、それも納得出来る。
実際、銀河人類はそんな神の所業すらもやってのける。
あのハルカ・アマカゼのよう再現体。
あれは、まさに死者の再現というものだ。
もっとも、人類の機械文明とは明らかに異質な植物をセンターに位置付けた植物文明とでも言う文明ではあるのだがな。
だが、地球人類の文明進化と全く異なる系統の進化ツリーで、星間文明に至る可能性など、いくらでもあるのだ。
そう考えると……銀河の何処かに、生命の樹が植え付けられ、ヴィルデフラウ族が惑星の主になっている惑星が他にも存在する可能性は極めて高いのだ。
と言うか、事実この惑星がそうなのだからな。
お母様がこの世界の文明にどの程度の影響を与えたのかは解らないが。
この世界に文明が発生した原因である可能性すらあった。
とにかく、生命の樹さえ見つかれば……全ての問題は解決する。
ヴィルゼットはそう言っていて、100光年単位にまで範囲を広げた上での大規模恒星間惑星探査計画を立案し、それは七皇帝全員一致の支持の上で、人造マナ・ストーンの量産効率向上計画と共に、帝国最優先プロジェクトとして実行に移された。
いずれにせよ、気の長い計画であり、1年2年で成果が出るようなものではなかった。
もっとも、その時点で帝国領内で発見されていた命の樹が根付く可能性がありそうな惑星については、全て調査済みで、いずれも未発見となっており、帝国傘下星系の周辺星系の光学観測データからも、プロジェクトの成功確率はあまり高いものではなかった……。
しかしながら、銀河連合の制圧に伴い、これまで我々が手が出せなかった銀河連合の接続星系経由で未知の領域の探査が行える絶好の機会が生まれたのだ。
だからこそ、我々はその可能性に賭けた。




