第十六話「ラース・シンドローム」①
我々が時に惑星規模の破壊までをも実施し、50億人もの人々を犠牲にして、その蔓延を食い止めた……銀河人類を滅亡させかねない史上空前の脅威。
「敵」の感染症状がまさにそれなのだ!
……それは、端的に言うと、感染者に極端な暴力衝動を与えると言う形で、表面化する。
もちろん、感染者は自分の名前やそれまでの生い立ちといった記憶は維持しているのだが。
「敵」に感染した段階で、その精神自体が汚染され、ある種の集団意識に飲み込まれてしまうのだ。
感染者は一様に、もはや、まともな社会生活を送れないほどには、粗暴かつ暴力的になり、手当たり次第に他者への危害を加える……そんな存在となってしまう。
これを放置していくと、感染者同士で相争い、果てしなく暴力の連鎖が広がっていき、止めようとしたものや、仲裁しようとした者はもちろん、治安維持機関や軍隊にすらも感染し、暴力と破壊活動の輪に加わっていき、死者が何人出ようがもはやお構いなしで、それはやがて都市を飲み込み、果てや惑星規模の暴動にまで発展し、完全に手がつけられなくなる。
……我々が「ラース・シンドローム」とも呼んでいた一種の感染症で、その初期症状は高熱が出て、やたらと怒りっぽくなると言うもので……。
その初期症状が落ち着くと、今度は「バーサーカー」とも呼ばれ、常人ならざる力で暴れ続けると言う手に負えない状態となるのだ。
それに伴いアドレナリンの急上昇と、心拍数の際限ない向上で、一時的に超人的な力や運動神経や知覚能力なども手に入るのだが。
それもほんの一時の間しか持たず、大抵心臓や脳の血管が損傷するなどで、いずれ力尽き死を迎える。
要するに、感染性の死に至る病なのだ。
……考えてみれば、男爵の症状もその末期症状の一つだった。
そして、何よりもその感染は不可逆的なものであり、決して回復せず、ほんの数分感染者の近くにいただけで感染すると言う恐るべきものだった。
……空気感染と当初は思われていたのだが。
医療従事者などが、気密防護服を着ていても「ラース・シンドローム」に感染する事例が頻発し、感染を防ぐ手立てとしては、物理的な隔離……要するに距離を離す。
それしか無いとされていた。
「ラース・シンドローム」とは、そこまでに、厄介な感染症だったのだ。
そして……確実な治療法は……未だに見つかっておらず、現在進行系の危機と言えた。
その感染源や病原体についても、ほとんど何も解らないままで、我々はやむを得ず、感染者の隔離殺処分と言う最悪の方法で対応せざるを得なくなった……。
帝国領内で発生した「ラース・シンドローム」への対処は苛烈を極め、結果的に大勢の国民を無為に死なせることとなってしまった……。
しかしながら、我々はそれが帝国のみならず、銀河規模で同時発生している危機だと認識し、直ちに行動を開始したのだが。
「ラース・シンドローム」については、帝国領内の問題にとどまらず、銀河連合の領域にまで拡大し、我々が手が出せないまま、感染範囲が次々拡大していくと言う悪夢のような状況に直面することになった。
当然ながら、我々は各国に「ラース・シンドローム」についての情報公開を行った上で警告を発し、その対処法についても喧伝したのだが。
そんな感染したらアウト、気密服でも防げないような感染症、対処方法と言っても隔離殺処分等という非人道的な方法……。
その上で、感染源も病原体も不明では、たちの悪い冗談だと思われてしまって、銀河連合の国々も同じような問題に直面していたはずだったのに、一切の情報を封鎖し、我々の支援の申し出についても、事もあろうに侵略の口実のプロパガンダだとまで言い切られてしまったのだ。
だが、これも相応の原因があった。
「ラース・シンドローム」のフェイズ2。
フェイズ1……無差別に感染し、無為に広がっていく暴力の連鎖程度で済んでいたのは、まだマシな方だったのだ。
「ラース・シンドローム」感染者の集合意識ネットワーク。
それは感染者を増やすと言う明白な目的意識を持ち、あらゆる手段で感染者を未感染地域に送り込んで来たのだ。
要するに、すでに銀河連合のいくつかの国は、その指導者達までも「ラース・シンドローム」に感染しており、完全に「敵」に回っていたのだ。
もちろん、このような事態に際し、感染症の専門家とも言える銀河公衆衛生局とも「ラース・シンドローム」について、情報提供の上で協議を重ね、先方もその銀河規模の脅威を認識するに至ったのであるが。
治療方法がなく、密閉型の環境防御服装備の上でも、感染者に近づいただけで感染し、感染者達が積極的に感染を広げようとすると言うその悪質さに、向こうもその対応に苦慮し、我々と同じ結論……感染者の隔離殺処分と言う結論に達したのだが……。
銀河公衆衛生局はあくまで人を救う組織であり、人を殺す組織では決してなく、最悪のケースでは、惑星を丸ごと焼却するなどと言う暴挙とも言える行いには、とても手をだすことなど出来ず、防疫への協力に留めるとの通達を伝えてきた。
これは、如何に強権でなる超国家組織、銀河公衆衛生局と言えども、もはや対応できる範囲を超えていて、逃げ腰になるのも、むしろ当たり前で、我々もとても非難も出来なかった。
だが、だからと言って手をこまねいていれば、もっと状況が悪化する。
だからこそ、我々は銀河の守護者として……銀河人類の未来を守るため。
非情に徹して、史上空前の大虐殺を行ったのだ。
……他に方法など無かった。
「ラース・シンドローム」によって、銀河人類が滅ぶか、「ラース・シンドローム」を根絶するかの戦争と言えたのだ。
そして、もはや手段を選んでいる状況ではないとばかりに、我々辺境銀河七帝国は、銀河連合全加盟国家に対し宣戦を布告。
銀河全域を一度帝国の傘下においた上で「ラース・シンドローム」絶滅プログラムを実行に移すこととした。
各地で銀河連合のエーテル空間防衛艦隊を殲滅し、「ラース・シンドローム」の感染者達はエーテル空間にすら拠点を作り、銀河各地へ進出する準備段階まで行っていたので、それをも完全に殲滅した上で、銀河連合攻略戦の事前想定に従い、エーテル空間経由で、宇宙空間戦力を各地に送り込み、まずは防衛艦隊を殲滅した。
その上で、各惑星に対し上陸戦を行い、帝国臣民の感染者と同じ処置……感染者判別プログラムに従い、容赦なく隔離殺処分を実施し、惑星規模での感染が進んでいた惑星へ対しては、核融合弾攻撃で全てを焼き払い、一国を完全に殲滅する事すら実行した。
この苛烈な処置の結果、やがて犠牲者総数は50億をも超え、いくつもの銀河連合領域内の大規模「ラース・シンドローム」コロニーを殲滅し、感染拡大もかろうじて防ぎきったかのように見えたのだが。
エーテル空間の一角を封鎖し、休眠中だったはずの銀河守護艦隊が、我々を銀河の敵と認定した上で、満を持して戦いを挑んできたのだ……。
連中は、休眠解除の条件をいくつか設定しており、銀河人類の短期間の著しい人口減少もその条件の一つで、50億の犠牲者を出した時点で、我々は意図せず、その敵対条件を満たしてしまったのだ。
……まぁ、その結果どうなったかは、もはや語るまでもあるまい?
そして、あの後どうなったかは、私は知らない。
いや、知るすべなどある訳がなかった。
あのあと、銀河守護艦隊も嫌でも真実を知り、我々の代わりに事態の収拾に駆り出されることとなったと思うのだがな。
あれで勝ち逃げなどされたら、もはや収拾が付かなくなったであろうから、それくらい当然だと思いたい。
なにせ、あの時点でも「ラース・シンドローム」を根絶するには程遠かったのだからなぁ……。
一度はエーテル空間を完全に専有し、流通網を完全無人運用化し、帝国、銀河連合問わず、人々の移動を厳格に制限し、その感染経路は遮断したものの……。
銀河連合の各国家についても、帝国軍の全軍を動員しても、とても全て制圧する事など叶わず、「ラース・シンドローム」の取りこぼしも確実に発生していると思われた。
もちろん、そこに至るまでに銀河公衆衛生局の研究員や、我が国の医療研究者、精神科学者、宇宙生物の研究者と言った帝国の頭脳が集い「ラース・シンドローム」への対策と研究を重ねていたのだが。
解ったことと言えば、「ラース・シンドローム」の正体がある種の精神寄生生物ともいうべき、不可視にして非実存の存在か……或いは現在の技術で観測できないほどに微細な存在ではないかと言われていた。
実際、既存の生物科学防御服なども全く効果がなく、状況次第では、AIにすら感染するという冗談のような事実が判明した程度だった。
だが、希望がなかった訳ではなかった。
我々には「ヴィルゼット・ノルン」と言う人外にして、心強きブレインがいた。




