第十五話「死にゆく者へ」②
……男爵の返事を待たずに、男爵の体内の神樹の種を活性化させ、止まりかけていた心臓に活力を与え、麻酔成分……モルヒネを合成投与、詰まった血管の脇にバイパスラインを形成し、応急処置を施す。
……まったく、開胸だの挿管だのを一切行わずに、体内に植物を張り巡らせて、拒絶反応ひとつ起こさずに、ここまでの事をやってのけるだと?
やっている事が理解できるだけに、この辺りはお母様が、私の記憶から帝国の最新医療技術の知識を引き出して、自己流にアレンジして、それっぽい治療を勝手にやってくれている……そう言う事らしい。
だが、理解出来たからと言って、手持ちのカードで同じ事をやれるようになんて、普通に出来る訳がない。
はっきり言って、お母様が今起こしつつある奇跡は……もはや、帝国の最新技術……ナノマシン医療とかそう言うレベルだぞ?
なんだこれは?
『魔法』は決して科学を超えることはないと私も思っていたのだが。
お母様の力は……帝国の科学すらも軽く凌駕するのではないか?
けれども、それは「マナ・ストーン」……。
神樹の種の恩恵だとも言える。
……ヴィルゼットが無限の可能性と言っていた訳だ。
私の医療知識では、ここまで酷く心筋が壊死してしまっていては、もはや助かる余地など無いと思うのだが……案外、お母様がその気になれば、ここからでも救命も可能かもしれん……。
けれど、それはこの世界の摂理に反する事であるし、この男はここでこのまま死ぬべきだった。
今でこそ、治療を施しているが、本来、お互い和解できるラインはとっくに超えているのだ。
男爵は、私を死刑にすると宣言し、私は男爵の盟友をこの手で殺害している。
これは、言ってみれば介錯のようなもの。
せめてもの情けに過ぎぬのだ……死ぬゆく者への細やかな気遣い程度の事だ。
「……なんと、痛みが……嘘のように楽になった……。こ、これは……奇跡なのか? 貴様は本当に……神の御使いなのか……」
「いや、ご期待に添えず、すまんと言わせてもらう……。これは、痛みを取り除いて、心臓に一時的に活力を与え、応急処置を施した上でほんの少しの時間、延命した程度だ……こんなものは奇跡でも何でも無いな。貴様がもうすぐ死ぬことには……変わりない」
事実を淡々と告げる。
これは、体の良い緩和医療に過ぎない。
「……いや、先程までより、随分楽になった……それに、何故だろう……。あれほどまでに、常に満ちていた怒りが……不思議と綺麗に消えているのだ。こんな安らいだ気分になったのはいつぶりだろうか……」
「怒り……か。そうだな、貴様はずっと猛り狂っていたように見えたのだが……。今はまるで別人のように穏やかな目をしているな……。私も貴様同様、国を統べる統治者だったのでな……。貴様に言いたいことは数多くあるのだが……死にゆく者を見送るのに、ああだこうだと文句なぞ言っても始まるまい。私もこれ以上は何も出来んが、遺言くらいは聞いてやろう」
そう言って、その手を握ってやる。
ああ、これくらいやってやるさ。
猫耳少女も、何も言わずとも、恐る恐ると言った様子で男爵の手を握る。
てっきり嫌がるかと思ったのだが、それを見て、男爵も目を細める。
「そうか……。例え神の御使いでも、死にゆく者を助けられはしない……そう言う事なら、納得もできる。だが、礼を言うべきなのだろうな……ありがとう。そこの半獣人……お前もだ。ああ……死を目前にして、こんな安らぎと温もりを与えてくれた者達へ……感謝以外の何をすればいいのだ」
「……礼など不要だ。忘れるな……貴様は、その猫耳の少女を殺そうとしたのだ。その罪は決して、許したつもりはない」
護衛の騎士達も、馬を降りてこちらに近づこうとしていた。
敵意の無いことを示すように、両手を上げて歩いて来ているので、こちらも警戒を解く。
「提案だ……せめて、男爵殿を屋敷まで移送させてもらえないか? 屋敷に行けば薬もあるから、まだやりようがあるかもしれないのだ」
先頭の騎士がそんな事を言ってくるのだが。
今、動かしたら、死期が早まるだけだった。
どんな薬かは知らんが、内科的療法で救えるような状態ではなかった。
騎士に向かって、無言で首を横にふる。
それだけで、状況を理解したようで、騎士も無言で頷くと、兜も脱いで素顔を見せると、武器も投げ捨て、私に向かって跪くと胸に手を当て静かに瞑目する。
他の者達も馬から降りるとそれに習う。
……何を崇めているのだ?
私に、そのように敬意を払われるいわれなどないのだ。
だが、剣を収めたのは、間違いなく正しい。
もう戦は終わりで良いのだ。
言葉もいらない。
……静かに、安らかに、永久に眠れるように。
死後の安寧を……祈る。
生者が死にいく者に対し出来ることなど、その程度だ。
「私は……何処で間違えてしまったのだろうな。そうだな……貴様は確かにこれを神の奇跡だと言ってた。あの時、何故……素直に奇跡に感謝しなかったのだろうな……。何故、こんな膨大な麦を独り占めにしたいなどと思ったのだろう……何故、御使殿を捕らえようなどと命じたのだろう。今となっては、すべて間違っていたとしか思えないのだ……」
この大馬鹿者めっ!
なぜ、ここにきて、後悔など口にするのだ!
今更になって、そんな憑き物が取れたような清々しい目をして、反省の言葉なぞ口にするのだっ!
私がやったのは、救いでも何でも無い! ただの延命処置なのだっ!
……期待外れだと罵られても一向に構わなかったのだ!
そうすれば……私も……くそっ!
……不意に視界が曇る。
……このような者の死に……涙だとっ!
悪党が今際の際に善に目覚めたからと言って……それで償いになるとでも思っているのかっ!
ああ、そう言う事なら、せいぜい償うが良い!
「……まったく、軽はずみな真似をしたものだな……だがまぁ、そうだな……。そう言えば、貴様、私を死刑にすると言っていたな? ならば、私も貴様に死刑を宣告するとしよう、幸い自らの責任も罪の意識も自覚頂いたようであるし、今ならば、納得も出来るであろう? それでは、我が名……クスノキ・アスカの名において宣言しよう! ユーバッハ・ボルール男爵……貴様はこの場で死刑とするっ! 幾多もの罪なき人々を死に追いやった貴様の罪は極めて重い……であるからには、死を以って償うが良いぞっ! 良いな……貴様は病で逝くのではない! 私の意思で罪人として死を賜るのだ!」
ドンッと指を指しながら、宣言する。
ああ、そうだ……安らかなる死なぞ、許さぬ!
存分に反省し、存分に後悔し……その上で死ね!
最後の瞬間は……痛みも苦しみもなく、私の意思でその心臓の鼓動を止めてやるっ!
その上で……死後の名誉はこの私が守ってやろうではないか!
一方、死刑宣告された男爵は、一瞬ポカーンとして、続いて、安らぎに満ちた朗らかな笑みを浮かべる。
「そうだな……私は神の御使いに死刑を命じたのだったな。それは……確かに許されざる罪だ。私は……自らの意思で死ねない。そう言うことか……。このまま、痛みもなく苦しみも、怒りの欠片もないまま、安らかな気持ちで死ぬのも悪くないと思っていたが……そう言う事なら致し方あるまい……。その言葉を……罪を……受け入れようではないか……」
相変わらず、何を言っているのやら……だ。
なんなのだ! この男っ! 最初の頃と全くの別人ではないか!
「……」
私は何も答えない。
いっそ、お母様にお願いして、この男を救ってやれないかとすら思うのだが。
だが……もう遅いのだ。
この私が……死刑を宣告した以上、それを取り消すなどあり得ない。
……言うまでもなく、帝国は巨大な国であったからな。
当然ながら、死刑になるような重犯罪者も大量に発生していたし、現場判断で射殺したテロリストや犯罪者についても、事後承諾と言う形式ながら、形式上は私が命じた上でと言うことになるので、それら全ての死刑執行承認依頼書が私のもとに回ってきていたものだ。
しかしながら、私には死刑が確定した重犯罪者を無罪として助命する権限すらあり、逆に無実の罪のものどころか、単なる通りすがりの者を問答無用で死刑にする権限すらあった。
だが……私は一度たりとも、それらの権限は使わなかった。
もちろん、ヴィルゼットのやらかしなどで、大目に見てもらうために強権を振るったことは、あったのだがな……。
ヤツのやらかしも、人死だけは出ていなかったし、ヤツには、その程度の価値はあったのだ。
ま、まぁ……無茶な惑星探索行に同行した命知らずの植物学者や生物学者が殉職する事は、何度かあったようなのだが……。
さすがに、そう言うのは自己責任であろう。
いずれにせよ、私のもとへ届けられた死刑執行の執行書に書かれた犯罪者達のプロフィールと罪状を一読し、決済認証を行う。
作業としては単にそれだけだったが、それらにサインをすると言う事は、私がその犯罪者達を殺すようなものであり、なんとも陰鬱な作業だった。
だが、私は、決してそれを誰かに代行させなかったし、通常業務では多用されていたAI代行認証システム……要するに、私ならそうするだろうと言う判断基準の蓄積に基づき、自動決済を行うそんなシステムで、日々天文学的な量発生していた決済業務には、当然のようにそれらを使用していた。
もっとも、それについては、この死刑執行の決済業務にだけは決して使わなかった。
他の皇帝達もそれは同様で、それが皇帝たるものの義務なのだと、皆言っていた。
……独裁権限というのは、そう言うものなのだ。
神にも等しい権限と引き換えに、国民全ての業をも我が手に引き取らねばならんのだ。
そこが民主主義と決定的に違うのだ。
民主主義の場合、自分たちの手で選んだ代表に運命を託す以上は、代表のミスで不利益を被っても、その者を代表に選んだ自分達の自業自得と言えるのだが。
帝国のような専制国家は、皇帝のミスは皇帝の責任であり、国民の過ちは皇帝の責任であり、国民の業もまた、皇帝が背負うべきなのだ。
……戦場で一兵士が敵を殺した業もそうであるし、私の名のもとに、罪人に死刑を執行する執行官の業もまた然り。
帝国の犯した罪もまた、すべて皇帝の責任なのだ。
だからこそ、私は……潔く死を受け入れたのだ。
こんなもの、誰もなり手など居なくなりそうなものなのだが。
であるからこそ、私のような人の手で作られし者が皇帝となるのだよ。
……私がこの皇帝だった頃の信念を捨てるということは、私が私でなくなってしまうようなものなのだ。
だからこそ、私は己の言動に責任を持ち、この男を処断し死を賜るのだ。




