第十五話「死にゆく者へ」①
……男爵の顔には紛れもなく死相が浮かんでいた。
もう長くないとひと目で解るほどだった……何が、起きたのだろう?
だが、それを理解すると同時に。
あれほどまでに煮えたぎっていた男爵に対する怒りが急速に冷めていく。
「そうだな……黒騎士は、私に貴様を罵倒され、内心では腸が煮えくり返って、殺意を隠そうともしていなかったが……。貴様の命が無くば、奴は決して動かなかっただろう……。そこは私も評価している……真に良き忠臣だったと言えるな。それに貴様は致命的な勘違いをしているようだな」
まぁ、散々罵倒しておきながら、こう言うのも何だが、死人に罪なしであるからな。
奴については、まだまだ叩けばいくらでも罪状がありそうだったが。
もう死んでしまったのだから、もはや全て水に流すしかあるまい?
実際のところ、当人の内心の思いはともかく、男爵が命じなければ、奴はせいぜい威嚇止まりで、吠える程度だったのだろう。
そこは断言しても良い。
迷わず、幼子を狙い撃つようなその人間性はともかくとして、軍人として、自分の感情と命令を切り離す事が出来ていたのだから、そこは評価するべきだった。
「良き……忠臣……。そうか……シュミットは、我が良き忠臣として、我が命を全うして……逝ったと……そう言うことか。それはきっと名誉ある死……なのだろうな」
……まぁ、そう言う見方もある程度……なのだがな。
ヤツの死に様には、どう飾ろうが、これっぽっちの名誉など無いと思うし、その事を告げてやろうかとも思うのだが。
男爵のこの満ち足りた顔を見ていると、さすがに何も言えなくなる。
まぁ、死にゆくものの気持ちも解らんでもないからな。
甘いと自分でも思うのだが、甘くて結構。
甘くなくてどうして、争いを止められるというのか。
「……聞いてもよいか? 私の致命的な勘違いと言うのは、どう言うことだ? 私が間違っていたのは、解ってはいる。そこは認めよう……」
「随分と殊勝な態度なのだな。いいか? 貴様は……領主とは、この街の所有者だとでも思っているようだが。そんな時代はとっくに過去のものとなっているのだ。人々は領主なぞ居なくとも、誰も困らぬ……。私も町の人々と語らい、そこは良く理解出来た。よそ者の私ですら解ったのに、なぜ統治者たる貴様が解らんのだ……。誰に聞いても、貴様にはいいところ、軍権を除けば、名誉町長程度の権限しかないようではないか。それで、何故そこまで増長できるのだ? そんなに貴族とやらは特別だとでも言うのか? 何より、お前は私利私欲に塗れるだけで、人々の為に何一つしない……それだけのくだらぬ存在だったではないか」
それがこの男の現実だった。
この男が何もしなくとも、すべて回る。
そうなったのは、ここ数年どころではなく、この男の代になるよりも前から、そう言う流れが続いていたようなのだ。
税についても、税率などは度々、この男が非現実的な数字を挙げていたようだが……。
実際は役人達が骨抜きにして、現実的な数値にした上で、気持ち程度の賄賂を進呈し、余計なことをさせないようにと、対応していたようだった。
なにせ、酒に酔った税務官がこの私に、そんな風に告げていたのだからな。
連中、早くも私をこのシュバリエの統治者として認めていて、ご機嫌伺いなのか、そんな話をきかせてくれたのだ。
「手厳しいな……だが、そんなものは、言われるまでもなく解っている。今の時代……もはや、我々のような貴族など、もはや必要とされていないとな……。だが、貴様にどう言われようが、私は貴族なのだ! 平民とは違う……平民などと馴れ合ってたまるか! いいか? この平原諸国にはかつてのような秩序が必要なのだ……。平民は貴族を敬い、決して逆らわず、貴族はお互いの権益を守り、資金を蓄え、力を得る……そして、偉大なる王家の復活の日に備える……そう信じて……頼みにして……いたの……だが……な……」
その一言を話すと男爵は、大きくため息を吐くと押し黙る……。
ん? これは……ちょっと不味いぞっ!
護衛の騎士達に視線を送るのだが、どうしていいか解らないように、オロオロしているだけ。
ええいっ! まどろっこしいっ!
猫耳少女を抱きかかえたまま、20mの高さから、無造作に飛び降りる!
落下の衝撃も着地点にみっしりと草が集まり、二人分の体重にもヴィルデフラウの強靭な足腰は余裕で耐えきったようだった。
「……お、お姉ちゃん! 今、凄い高さから落ちなかった?」
お姫様抱っこで抱えられた猫耳少女が青い顔をして、今更のようにそんな事を言う。
とりあえず、地面に降ろしてやりながら、頭を撫でて、その猫耳をモミモミする。
ちなみに、獣人の耳は神経が集まっているため敏感だとかで、触ってはいけない所ナンバーワンらしいのだが。
本人からは、猫耳はいつでも何処でも、触り放題で構わないと言質は貰っている。
実際、気持ちいいらしく、うっとりと言った感じで目を細めている。
「ああ、落ちたなっ! まぁ、衝撃はなかったと思うが、すまん! 急ぎだったのでな!」
「だ、大丈夫です! それより、この方……領主様……なんですよね?」
猫耳も、心配そうに男爵を見つめている。
だが、忘れていないか?
……お前は何もしていないのに、この男にゴミ扱いされて、殺されかけたのだぞ?
あの様子では、日頃からそんな扱いをされていて、今日まで生き延びれていたのは単に運が良かっただけなのだろう……。
なぜ、ここで、この男の心配なんぞできるのだ?
だが、ぐうの音も出ない程にこの猫耳娘は正しい。
これで、私も許さないなど言えるはずがない。
そう言えば、この娘……名前も聞いていなかったな……。
「お前は優しい子なのだな。……おい、男爵! しっかりしろ! まだ生きているか?」
そう言って、その肩を揺さぶるのだが。
もはやその目は焦点もあっておらず、限りなく死人の目だった。
取り急ぎ、地面に残る神樹の種を集め、男爵の体内に取り込まれている神樹の種を同期させて、その身体コンディションをチェックする。
まぁ、年中病人みたいなものだったからな、これでも相応の医療知識はあるのだ。
それくらい嗜んでおかんと、いつ死ぬか解らなかったのでな。
黙っていても、お母様のサポートが入ったようで、男爵の病理診断が行われ、その結果がイメージとして理解できる。
と言うか、なんだこれ?
お母様……なにげに、帝立医大病院の高度医療AI並のことをシレッとやっているんだが……。
……私の知る病名はこれだ。
『虚血性心不全発作』
要するに、心臓の血管が閉塞し、その結果の心筋が弱り、場合によっては壊死を起こし、何の処置もしないでいると、そのまま心停止となり確実に死に至る。
前世の私は、コレで自前の心臓を失い機械化するハメになったので、よく覚えていたし、その苦しみや痛みも容易に想像出来る。
すでに心筋の一部も壊死しており、あちこちで内出血の痕跡もあるようで、前々から自覚症状の一つもあったのではないかと思えるのだが……。
先程からエキサイトしすぎて、血圧の急上昇やらアドレナリンの過剰分泌などが重なり、心臓や血管が限界を迎えてしまったようだった。
……断言しても良かった。
この男の命は風前の灯だった。
このまま、放置しているだけでこの男は死ぬ。
いや、すでにその心臓は停止し、もう死んでいると定義していい状態だったが。
このまま、死なせるつもりはなかった。
ひとまず、左腕に生えた電磁草を男爵に接触させて、心臓に電気ショックを与えてみる。
……どうだ?
一瞬、男爵の身体が帯電し……ビクンとその身体を震わせると、大きく息を吸った。
なんとか持ち直したようだった。
「あ、ああ……。ここはあの世か? お、お前は……? 女神か何かだったのか……?」
薄っすらと目を開けるなり、訳の判らん一言。
「……寝ぼけている場合か? いいから、もう喋るな! 勝手に死なれても困るのでな……すまんが、このまま治療をさせてもらう。いいか? ……お前の心臓は止まっていたが、ギリギリ蘇生が間に合ったようだ……。まったく、散々頭に血を上らせて怒鳴り散らすから、こう言う事になるのだ……自業自得と思うが良いぞ……」
「……ふはは……そうか自業自得……か。私はもう長くない……のか。ああ、自分の体のことだから、解るさ。これも……貴様の言う……報いなのだろうか……。そうか、私は……死ぬ……のか……。結局、何も残せず、何も成せず……か」
……はぁ、この男。
最後の最後まで、悪役らしくすれば良いものを。
迫りくる死の気配を前に、何もかも全てを許容し、受け入れる……まるで善人のようではないか!
ああ、もう止めだ! 止めっ! こうなったら、もうノーサイドで構わん!
正義が弱者を痛めつけるなど、あってはならぬのだからな。
病に倒れ、死にゆく者など弱者以外の何であると言うのか!
そのようなものなど……慈悲の心で見送る以外の何が出来ようぞっ!
「ああ……お前の身体の状態を少し調べさせてもらったが、心臓の血管が詰まってしまって、心臓が弱りきって、止まりかけておる。以前から、心臓が痛むとか、脈が飛ぶといった前兆もあったのではないか?」
「……お前はまるで、医者のようなことを言うのだな。炎国製の万能薬はちゃんと飲んでいたのだがな……。値段相応に効くかと思ったが、そんな事はなかったのだな……」
万能薬? 何だそれは? お母様知っていたりしないかな?
(わかんなーい。でも、このおじさん……どうやっても長持ちはしないと思うのだ……)
なるほど、わからんと言うことだなっ!
まぁ、最善は尽くしてくれているのは確かなようだが、この様子ではお母様でも延命がやっと……そう言う状態らしい。
その万能薬とやらは、治療目的ではなく、痛みを麻痺させるとかその程度の物だったのではないか?
まったく、未開文明はそう言う物が平気で横行しているからな……くだらぬ話だ!
「貴様……どうやら、身体中ボロボロのようだぞ……。酷なことを告げるようで、すまんのだが、これはもうどうやっても助からん……。ひとまず、僅かばかりの延命と、痛みを止める程度であれば、この場で治療を施すが……どうだ? それとも、貴族は施しを受けぬなどと言って、このまま苦しみ抜いて死ぬか? 今も相当痛むのであろう……正直、見ていられんのだよ」
私の言葉に男爵も自嘲するような笑みを浮かべる。
どうやら思い当たるフシもあったようだ。
「人の痛みを我が事のように感じ……見ていられぬ……か。お前は……まるで悪魔のように見えたのだが、その実、心優しき娘だったのだな。私は……お前をただの物としか見ていなかったのに……お前は私を許し、最期まで側に居てくれる……とでも言うのか?」
私が優しい? そんな訳あるまい。
実際、先程まで殺す気満々であったのだぞ?
もっとも、もはや時間の問題であるならば、わざわざ殺すまでもないし、同情だってする。
何よりも……人は死の淵になってこそ、その本性を垣間見せるのだ。
この男も、心底の悪党ではないと言うのは、なんとなく気付いては居た。
ただ私利私欲に忠実な……利己主義者に過ぎん。
悪というのは……そこで死んでいるシュミットとやらのような輩を指すのだ。
男爵も自らの頼みだった部下を失い、残った部下にも半ば見限られ、自らの命が風前の灯だと告げられて……。
そこで何を思うのか。
何よりも死に行く、その時とは……とても、とても寂しいのだ。
だからこそ、私は、この男の最期を見送ると決めていた。
そもそも、最初から、こう言う殊勝な態度であったなら、まだ別の結果があったであろうに……。
怒りと驕り……そして、最強の配下。
それらがこの男から、まっとうな判断力さえ、失わせていたのかもしれない。
そして、それが全て失われて、命の終りが見えてから、ようやっとこの男の本性が垣間見えた。
なんとも、やりきれない……結末だった。




