第十話「エルフと神樹教会」③
「さすが、ソルヴァ殿……貴女を預けて正解だったようですね。では、イース修道士には、ご都合のよろしい時に、是非お会いしたいと我々が言っていたとその旨、星霊様にお伝えいただければと思います。それに……こうなると神樹様の礼拝も早いうちに取り計らい、神樹様のご意思もご確認せねば……。それに神託が無かったとなると、総本山もこの状況を把握していないでしょうから、一度報告をせねばなりませんね……。全く、一気に仕事が増えましたねぇ……」
そう言って、シスター・アリエスもため息を吐いた。
「うむ、そうだね……なんとも大変な事になった。でも、これは我々にとってとても喜ばしい事だからね。まぁ、礼拝団の人選は私の方で進めておくよ。そうなると、総本山への報告はシスター・アリエス……司祭の君が行くべきだと思うのだが、どうだね? この状況で、ここの支部のトップが抜けるのは、いささか問題かもしれないから、私が行っても良いんだが、二枚葉の私では発言の信憑性を疑われそうだからねぇ」
「正直なところ、私もこのような状況は想定外でして……総本山の指示が必要だとは思っていました。このような状況でしばらく、ここを離れるのも正直、心苦しいのではありますが……。何よりもアスカ様の件も出来るだけ内密にする必要がありますので、知る者は最低限とすべきでしょう。当然ながら、男爵にも一切情報は伝えないように致します。あの守銭奴が知ったら、何を仕出かすか解ったものではありませんからね」
「ですな……前回の聖霊降臨で何が起きたか、皆は忘れつつありますが。我々はもちろんの事、大司教猊下もよくご存知でしょうからね。おそらくは、王国聖堂騎士団の派遣によるこの街の接収……その上での教会租借地化の可能性もあるでしょう。いずれにせよ、当面は事を慎重に運ぶべきかと」
カマル神官のその言葉を聞いたエイルが口笛を吹く。
「接収とは……こりゃまた、穏やかじゃないね。けど、実際400年前は精霊を巡って、近隣各国の争奪戦……精霊大戦が起きたからね。さすがにあれだけ痛い目を見て、400年も経てば、人間もちょっとは進歩してると思いたいけど……そこはどうなんだろうね?」
軽口のようなエイルの言葉に、人間たちはいずれも苦笑する。
この地にはかつて、平原地帯一帯を収めていたそれなりの大国があったのだが、その400年前の精霊争奪戦で、あっちこっちから攻められたり、内乱なども起こった結果、国土が荒れ果てて国としても瓦解し、大小28もの国に分裂してしまったのだ。
争奪戦になった理由は簡単で、神樹の精霊は荒れ地や砂漠であろうが、たちまち緑豊かな草原へと変え、それどころか穀物や野菜と言った食料を無尽蔵に生み出す力があり、そして、その気になれば、逆に穀倉地帯を一夜にして、荒れ地や砂漠に変えてしまうことすら出来たのだ。
……言ってみれば、戦略兵器のようなもの。
殺すも生かすも精霊のさじ加減一つで決まる。
当然ながら、そんな尋常ならざる存在、誰もが放置しておくはずもなく、ある者は自らの力として独占すべく、また、ある者は危険な存在と判断して抹殺すべく、そして、神樹教会やエルフ氏族のように精霊を守るべく立ち上がった者達もいて、近隣のあらゆる国や様々な組織の思惑が交錯し、まさに地獄のバトルロイヤルが繰り広げられたのだ。
そして挙げ句、精霊は失われ、神樹の森も神樹が力を使い果たした事で、魔物の巣窟と化し、戦乱のメインステージとなった大国も瓦解し、あとに残ったのは戦乱の深い傷跡だけだった。
……この平原諸国には、そんな壮絶な歴史があった。
この一連の戦をエルフ達や神樹教会は精霊大戦と呼称し、二度と繰り返してはならない歴史として、後々へ語り継いでいたのだが。
人間達にとっては、四百年も昔の出来事など、とっくにおとぎ話と大差なくなっており、精霊大戦と言う言葉すらも忘れ去られつつあったのだ。
そして、現状。
現在、分裂しバレンツ平原諸国と呼ばれる国々の中で、最大規模の領土を誇るライオソーネ王国の国王が、正当なる王家の血を引く後継者とされていて、その国名も受け継いでいたのだが。
実際は王族と言っても、外戚も外戚で、その権威については、もはや地に落ちており、都市単位で領主が国王同様の権限を持つ都市国家群状態となっていて、まとまりもなくてんでバラバラの状況だった。
一応、外敵に対しては一致団結する……ライオソーネ条約に基づき、連合軍を組織して撃退するということになっているので、相応の抑止力になっているようだったが。
利害の不一致による都市国家同士の対立や、領主同士の不仲などもあり一枚岩には程遠く、国王の求心力の無さも相まって、むしろ順調に弱体化が進んでいる……そんな有様だった。
人族の国については、概ねそんな有様で、400年の間に年月相応に進歩したかと言われると、まったくそんな事はなく、むしろ後退していると。
各地に支部を持ち、各国の内情についても良く解っている神樹教会関係者は、そんな風に苦笑せざるを得なかったし、これから起こりうるであろう戦乱の予感に、早くも背筋が寒くなるような思いもしていた。
「……この辺りの小国だらけになっていて、精霊大戦が無かった事になりつつあると言う実情を見れば、人間があんまり進歩してないとエイル卿もお解りでしょうに……」
それだけ呟くと、シスターアリエスも拳をギュッと握りしめると俯く。
彼女が言うように、人々は精霊大戦が生んだ数々の悲劇も、教訓も、今や無かったことのように、いや、そうすることで過酷な現実を見ないようしているかのようだった。
そして、権力者達は自分達の都合ばかり考えていて、少し骨のある者が権力を握ると寄ってたかって、叩き潰す。
……そんな繰り返しだった。
因果な話だったが。
コレと似たような話が、遥かに進んだ世界のはずの遠く銀河でも起こっていた。
もし、この場にアスカが居たならば、下らぬ話だと吐き捨て激昂していただろう。
けれど、シスターも懸命に怒りを抑え込むと顔をあげるとエイルに向き直ると笑顔を作る。
「ふふっ、そうですね……現状としましては、今年も蛮族が北上して来る様子がないようなので、ますます各国の緊張が緩んで、またぞろつまらない内輪もめが始まりそうな情勢です……。10年前の名君と謳われたアースター公の粛清……あれだけやって、まだ内輪もめを続けるなんて信じられませんね」
アースター公爵領。
箸にも棒にもかからない愚鈍な大貴族そのものだった先代の急死に伴い、僅か19の若さで公爵位を継いだアースター・ジュリアス公爵を領主とする、平原諸国でも近年類を見ないほどに栄えた地だった。
アースター公は、恐ろしく有能な若者で、硬直した人事を一掃し、数々の画期的な制度を導入し、税率も改め、先代の悪習を綺麗さっぱり捨て去り、先代の悪政で傾きかけていた領土をたちまちのうち立て直した。
そして、その先代と結託し様々な悪事を働いていた隣接する領地の領主に言いがかりを付けられ、攻め入られる事となったのだが、兵力的には劣っていたのにも関わらず、その領軍を返り討ちにすると、逆にその領主の元へと攻め入って討ち取り、その領土を完全制圧した。
そして、次はその敵討ちと称して挑んできた貴族達を次々と返り討ちにし、その勢力範囲を一気に広げることに成功していった。
若き公爵の勢いは留まる所を知らず、民衆にも支持され、いずれ平原諸国を統一するかもしれないと期待されるようになった。
けれど、アースター公爵は確かに名君であり、戦場においても無敗。
そして、その行動は常に世の為、人の為であり、紛れもなく正義の人と言えたのだが、些か性急に事を運び過ぎた。
『アースター公、王家に叛意あり』
ライオソーネ国王のもとに届けられたたった一言の文。
元々、飛ぶ鳥を落とす勢いでその勢力を増していくアースター公爵に、いずれ足元をすくわれるのではないかと疑心暗鬼になっていた老王を動かすにはそれで十分だった。
かくして、アースター公領は、王命の元に結託した貴族連合軍に一斉に攻め入られ、さしものアースター公爵も多勢に無勢の末、敗北を喫し、自身も失意の末、自らの命を断った。
『王家と愚かな貴族共に、大いなる災いあれ! いずれ来るであろう異界の王が貴様らを確実に滅ぼすだろうっ!』
アースター公の最後の言葉として有名だった。
まるで未来を見て来たように、先々へ先手を打って行動していたアースター公には予知の力があるのではないか……そんな風にも噂されていただけに、この言葉は貴族達にはもちろん、老王自身にも重くのしかかることになったのだが。
それから10年の歳月が経ち、結局、何も起こらないではないかと、そのタガも早くも緩み始めていたようだった。
「アースター・ジュリアスか……。俺は彼とも親交があったから良く知ってるさ。いいヤツだったよ。そう言えば、装甲騎士もジュリアスの発案だったんだよな。ジュリアス率いる装甲騎士団にコテンパンにやられておきながら、当人が居なくなったら恥も外聞もなく丸パクリとか……人族ってのは恥知らずばっかりだな」
「そうですね。各国の軍の主力となった装甲騎士は確かに強力で、蛮族相手にも十分な抑止力になっているようですが、些かうぬぼれが過ぎるような気はしますね。実際、それですっかり満足してしまって、総合的な軍事力はどこもむしろ、弱体化の傾向にありますからね」
「アスカ様もこの街の一方にしか無い城壁と気持ち程度の軍備に呆れ返っていたようですよ……。なにせ、アスカ様の精霊の国の軍勢は例の億と言う単位の膨大な軍勢だそうで……確か、軍関係者だけで60億……?」
その言葉を聞いて、この場で唯一人、その数字がイメージできたエイルは思わず、ブゥッと吹き出す。
さすがにそれを見て、誰もが非難がましい目で見る。
「い、いや……すまない。イース君っ! 今……君、しれっと言ってたけど、それがどれだけの数の軍勢なのか、絶対解ってないだろっ!」
「あ、はい……。どの位の数なのかは正直、まったくイメージ出来てません。あの……60億の軍勢ってどんなものなのでしょう? とにかく、いっぱいだって事は解るんですが……」
申し訳無さそうに答えるイースに、エイルもちょっと大人気なかったかなと反省する。
解らないものは、しょうがない。
だが、解らないことを素直に認め、人に聞けると言うのは、立派な素質だとエイルも評価する。
『君には、花丸をあげよう』そう言いながら、そのプニプニしたほっぺに炭で花丸を書いてやりたいと思ったのだが、さすがに空気くらいは読めるので、それは止めてイースに微笑みかける。
ちなみにこれは、教会が主催している日曜学校で教鞭を取ることもあるエイルの有名な奇行のひとつなのだが、褒められながら、顔に花丸を書かれる子供たちには割りと好評だった。
「そうだね。そう聞かれると、確かにこっちも説明しにくいな……。とにかく、60億とか言ってる時点で、もはや、この世界の人間の数よりも遥かに多い。それだけは言える。もちろん、その60億が全部兵隊って意味じゃないとは思うが、万が一、その精霊の国の軍勢がこの世界に攻め入ってきたら、もう瞬殺だろうさ。なんせ、世界中の人間を集めても、向こうの兵隊の方が数が多いんだ。抵抗も何もない……まさに一瞬で終わりだろう」
「……でも、アスカ様は星霊の世界との繋がりは、すでに途切れているともおっしゃっていましたし、その軍勢が私達の敵に回ると決まった訳じゃないですよね?」
「当たり前だ……そんなのを敵に回すなんて、正気の沙汰じゃない! ただ、そうなるとだ……アスカ様からして見れば、この街どころか、バレンツ平原諸国の全軍勢をかき集めて見せても、おもちゃ程度にしか思われないのだろうな」
要するに、感覚的な問題なのだと言いたいようだった。
実際、アスカはシュバリエ市の常駐戦力については、戦力とも見ていなかった。
「そ、そうですね。実際、シュバリエ市の兵力を聞いて、その程度の兵では、攻めるも守るも何も出来ない……とまで仰っていましたね」
要するに、脅威とすら感じていない。
実際、アスカはシュバリエ市を陥落させる必要戦力として、一隻の降下揚陸艇と一個中隊50名で事足りるどころかオーバーキルと評価しており、吹けば飛ぶ程度の戦力としか認識していなかった。
当然ながら、それを実力とする貴族もゴミ同然と考えており、丸っきり意識すらされていなかった。
「……むしろ、頼もしいお言葉かと思いますよ。我々も常々、いっそ偉大な統治者が現れて、この辺りをスパッと統一でもしてくれないかって話はしていましたからね。アースター公も我々としては後押ししていただけに、惜しい方を亡くした……そう思っていました。そう言うことであれば、案外、アスカ様にご相談すれば、この混沌とした現状を綺麗にご解決いただけるかもしれないですね」
シスター・アリエスのその含みのある言い方に、エイルが真っ先に反応した。
「……ははっ! そりゃたしかにっ! もっとも、まずはこの貴族と称する阿呆共を一掃しろ! とか言われるかしれんがな! まぁ、そうなったら、うちは迷わず奴らに文字通り、弓を引くことになるかな? シスター・アリエス……君たちはどうするね? 愚問かもしれないけどね」
エイルの軽口に、シスターはすっとメガネを直しながら、淡々と口にする。
「それこそ、愚問ですよ……エイル卿。アスカ様の御意思は神樹様の御意思も同然と考えます。我らにとっては、それはまさしく神の思し召し……何一つ疑問を挟む余地すらありません。そして、神の意志に逆らうような者達はまさに神の逆賊。ですよね? カルム神官殿、それにイースも」
「そうだね。それが神樹様のご意思であるならば、我々は従うのが当然だ。国を一つ滅ぼせというのなら滅ぼすだけの話だよ」
俯きながら、淡々と口にするカルム。
普段温厚なだけに、なんとも言えない迫力すらあった。
「そうですね。アスカ様が殺れって言えば、この私だって、ひっさつの鉄拳パンチが唸っちゃいます! とぉーうっ!」
なんでそうなった?
その絶妙に空気を読まない言動に、思わず、エイルはその場に突っ伏しそうになった。




