第十話「エルフと神樹教会」②
「な、何だこの数字は……これが600億? ゼ、ゼロが10個も……これがひとつの国の人口だと言うのか? 何だ……一体なんの冗談なんだ……この数値はっ……! 皆、これは途方も無い話だぞ!」
エイルが6にゼロが10個ならんだ数字を皆に見せる。
間違っても普段から使うような数値ではなかった。
何よりも、この数値の桁違いさに誰も全くピンときていなかった。
そんな人口を抱えた国など、この世界に存在するはずがなく、その途方もなさに軽く想像力の限界を超えていたのだ。
要するに、この場でその数値のスケールの大きさを実感出来ていたのは、エイルだけだったのだ。
「……星の世界をも制する人口600億を統べる超大国の王? そんなのが七人も居てそのうちの一人って……それはもう、精霊なんてもんじゃないぞ……ファリナ!」
「え? あの方はどう見ても精霊でしたよ! 髪の毛と肌が緑って事以外は、私達エルフとだって、そんな違うようには……」
「いや、精霊には違いないんだが、星霊……星の霊と書くんだ。我らエルフ族の古伝……或いは予言とも言われているのだが、それに伝わる伝説の存在だよ。……それはいずれ、我ら地上の民を等しく星の世界へと導く存在だと言われている……。けど、実際に星々の世界を統べる王だったのだとすれば、あの話も本当の話なのかもしれんな……」
「い、いやぁ……エルフの予言とはまた、エラいものが……。えっと、あの話って……? もうっ! お師匠様はいつも、そうやってもったいぶった感じで話すんだからぁ……っ!」
「ほっとけ! とにかくだな……その古伝には『いずれ星霊は我ら地上の民を星の世界へと導き、そして星霊の国の民として、迎え入れるだろう』って一節があるんだ。さすがにそこまで行くと眉唾なおとぎ話だとばかり思ってたが、なんとなく話がつながってきちまったとなると……。こりゃ、眉唾とか笑ってる場合じゃないかもなっ! まったく、神樹の精霊が降りたことだって、一大事なのに、まさかここで星霊の国の王なんて話が出てきたなんて……。こりゃ案外、俺が生きてる間に星の世界への旅立ちが実現されるのかもしれんなっ! はははっ! コイツは傑作だっ!」
エイルがそれだけ呟いて、やけくそのように笑うと、目を閉じると大きくため息を吐いた。
他の者たちは、もはやあまりにスケールの大き過ぎる話で、エイルが何を言ってるかさっぱりわからず、まったく実感も湧かないようだった。
「……スターレット。星霊ですか……。確かに響きも美しく、エルフ氏族の伝説の存在と言う事であれば、まさにあのお方に相応しき呼び名ですね。では、以降は我々もそうお呼びするとしましょう。まぁ、我らが神、神樹様より生み出された存在ですからね。確かに、前回と違ってイレギュラーが多いようですが、それは精霊ではなく、星霊だから……つまり格が違うから。そう言う事だと思って良いのではないでしょうか?」
「……た、確かに、我々の記録でも星霊が顕現した例なんぞ、ただの一度もない。前例が当てにならんのもむしろ、当然か……。うーむ、これは是非直接、お目通りした上で色々話を聞いてみたいものだな。ったく、ファリナが羨ましくていかんなぁ……なんで、こんなアホ娘が……」
「聞こえてますよ! お師匠様っ! 一応、ハイエルフなんだから、ちょっとくらい敬ってくださいよ! そんなんだから、四賢の中で一番の小物とか言われるんですよ!」
「はんっ! お前なんぞアホ娘で十分だ! この不肖の弟子が……ったく!」
罵り合う師弟を見ながら、シスターも思わず苦笑する。
これが最も神樹様に近き一族、エルフ族……かつては、神秘に包まれた幻の種族とも言われていたのだが、故郷の森を失い流浪の民となり、今やすっかり市井に染まり、神秘も何も無くなっていた。
「いずれにせよ、我々人の想像が及ぶ存在ではないのは間違いないでしょうね。であるならば、我々としては、ただ受け入れるだけの話です。イース修道士見習い、少しよろしいでしょうか? 折り入って、お話があります」
シスターはそう告げると、キリッとした表情を作ってから立ち上がると、ニコリと笑う。
「あ、はい……シスター・アリエス。なんでしょうか?」
イースも緊張した面持ちで、立ち上がると姿勢を正す。
「現時点をもちまして、貴女を半葉の修道士見習いから、一枚葉の正式修道士へ格上げと致します。ファリナ殿はハイエルフにして、星の霊……星霊アスカ様の側近を自称されているようなので、我々としても、見習いを付けていてはバランスが取れません。ひとまずイース修道士は星霊アスカ殿とすでに交流があり、信頼関係も構築できているようなので、引き続きその保護と円滑なる交流を続けるようにしてください。カルム神官殿もそれでよろしいですね?」
「ええ、アリエス司祭殿がそう決めたのであれば、私としては一向に構わないよ。そうなると、引き続き精霊……いや星霊アスカ様の保護観察役と言うことで……イザという時は、その身を盾にしてでも、守り抜くように。酷な話かもしれないけど、神樹様の……その星霊様のお供となると、それくらいやってもらわないといけない。なんとも、すまない話だと思うけどね……」
「はいっ! アリエス様、カルム様! ありがとうございます! でも、良いんですか? 見習いの称号が外れるのは、私が18になってからって話だったのでは……?」
「何のことですか? 貴女は18歳……そう言う事ですよね?」
なお、イースの実年齢は12歳。
赤子の頃に3つ上の兄ともども路上に捨て置かれていた所を教会に保護された「神樹の子ら(ヴィルカインズ)」……と称される子供たちの一人だった。
彼らは物心ついた頃から、教徒を家族とし、教義を常識として育ってきているので、もはや筋金入りの神樹教徒と言え、いずれも同じ家名……『ヴィルカイン』を名乗ることで、鉄の結束を誇っていた。
イースは、その中でも極めて高い知性と魔法への高い適正を見出された事で、将来教会の中核人物とすべく、英才教育を施された上で、現場での実践経験を積むべく、シュバリエ冒険者ギルドでも、人物が出来ていて屈指の猛者と言われるソルヴァの元へと冒険者として派遣されていた。
彼女にはこんな経緯があった。
もっとも、冒険者ギルドには冒険者は15歳以上でなければならないと言う規定があったのだが。
将来のエリートを規定年齢に達していないからと言って、無為に遊ばせておくほど、教会にも余裕はなく、少し成長が遅いだけと言い張って、無理やりねじ込んだのだった。
「そ、そうでしたね……。ええ、一枚葉の紋様……謹んでお受けいたします! そして、我らが神、神樹様と人々の為ならば、この身を捧げることをも厭いません! 我が心、我が魂は、常に神樹と共にあらんことを!」
「……その誓いを生涯貫き通すことを願います。イース・ヴィルカイン修道士……貴女の行く末に神樹様の祝福を……。以上にて、略式ですが、神樹の誓いの儀と致します。期待していますよ?」
「はいっ! ありがとうございます! アリエス様! と言うか……あの……。なんか、年ごまかしてるの……アスカ様には思いっきりバレてるっぽいんですけど。それでいいんですか? 私、本当は12歳なのに、18歳とか……流石に無理があるんじゃ……。ほら……背もちっちゃいし、胸とかも全然ないですし……」
「そこは気にする必要はありません……って、胸? それは……胸の……サイズの話ですか?」
一体何を気にしているのか、シスターも訝しんでいたのだが。
しょんぼりとした様子で、自分のものと交互に見比べている様子を見て、なんとなく理解は出来た。
「そうなんですよ! 私、背丈もアスカ様と同じくらいで、おまけに胸のサイズも似たようなものでして……。あ、でも、でもっ! アスカ様から胸を大きく見せる下着が欲しくないかって言われましたね。なんでも、星霊の世界では皆、そんな風に胸を盛ってるとかで、思わず、すごく欲しいって答えちゃいましたっ!」
……その場に居た男性陣の視線が思わずといった具合に、イースの胸に集中する。
確かに、イースの胸はほぼ絶壁だった。
髪を伸ばしていなかったら、男と見違われてしまうような寸胴幼児体型。
これで、18歳は確かに無理があると思うのと同時に、そのイースとほとんど同様と言う時点で、星霊様にもコンプレックスはあるのだなぁと、女心にも相応の理解のあるエイルも益体もないことを考えてみたりもする。
「ん……まぁ、その……なんだ。星霊様の要望は俺達としても、最大限叶えてやりたいんだが……。だが、胸を大きく見せるか……布切れでも丸めて、肩から吊るすとか? でも、それに何の意味があるんだ? 確かに俺ら野郎にとっては……ああ、なんでもない! なんでもないから、俺の言う事なんて気にしなくていいからっ!」
胸がでかい女のほうがいい女に決まってる……そんな事を口走るところだったのだが。
ギンッと睨みつけるようなイースの視線が怖くて、思わず言葉を切ったのだった。
「……エイル様には、この気持ち……絶対わからないと思いますぅ……。ファリナやシスター・アリエス様にもっ! とにかく、この点については、星霊様と私は同じ持たざる者同士の絆というものでですねー!」
エイルも思わず、シスター・アリエスとファリナの胸を見比べてしまう。
確かに、どちらも胸はご立派だった。
……なるほど、星霊殿は……とそこまで思って、考えるのをやめた。
これ以上は不敬と言えた。
と言うか、こんなしょうもない事で無駄な時間を使ってどうすると、思い直してパンパンと手を叩いた。
「了解、了解、諸々了解したって事で! まぁ、いずれにせよ、そのご意見は前向きに検討するとしよう。と言うか、星霊様もそんな事を気にしてたのかい?」
「そんな事とか、簡単に言わないでくださいよ! 星霊様も女の子って事なんですよ。もう、気持ちが解りすぎて辛いっ! エイル様は男の子と間違われたことなんてないでしょうから、わからないと思いますけどね!」
……ある訳無いだろ! 俺は男だ! ……と思いながらも、子供の頃、髪を長く伸ばしていたせいで、女子と間違われて、人間に誘拐されそうになった事があった事を思い出した。
同時に、その時の屈辱を思い出して、星霊様とイースの気持ちが解ったような気にもなっていたのだが……。
むしろ、どうでもいい話だと思い直し、とっととこの話を終わらせることにした。
「解った、解った! 君らの気持ちはよく解ったっ! でも、そのへんは我々よりも神樹教会の方が色々とコネとかありそうだし、すまんが丸投げとさせてもらうよ。うちはそう言うのは専門外だ」
本当は、女性用下着がどうこうとかそんなもん知るか! とわめきたかったのだが。
そこら辺は年の功……エイルも胸のうちに留めるに止めた。
「そうですね。星霊様の要望などがあれば、極力我々にて便宜を図ります。そう言う事なら、ご要望等を承ると言うことで、近いうちに我々も是非とも拝顔の栄に浴したい所ですね。ただ、呼ばれても居ないのに一方的に押しかけたり、こちらが呼び付けるなど、そんな恐れ多いこと出来かねますから、どうしたものですかね……」
本音を言うと、シスター・アリエスもカイム神官も、今すぐにでも当人と会ってみたいとは思っていたのだが。
予告もなしで、勝手に押しかけるのは失礼であり、呼び付ける等もっての他と考えていた。
手順としては、まず会っても良いかどうかをご本人に確認し、その上で自分達がアスカが指定した場所へ足を運ぶ。
自分達は拝顔の栄に浴する立場であり、そこはきっちり弁えているつもりだった。
「そ、そうですね……! ああ、やっぱりソルヴァの言った通りでしたね。……さすが」
「ソルヴァ殿がどうかしたのです?」
「ええ、本当はアスカ様もこの場に同行しようとしていたんですが、まずは根回しが先だって言って、ソルヴァが説得してくれたんですよ。だから、さすがだなぁって」
……もし、直接この場にやってこられていたら……。
そうなっていた場合を想像して、シスターも思わず青ざめる。
間違いなく、シスター達協会関係者は醜態を晒すことになっていたのは確実だった……。
だが、その事態はソルヴァの気遣いで回避できた。
これは、大きな借りと言え、自分達の人を見る目は間違っていなかったと、思いを改めると同時に、ソルヴァ達への活動支援金も大幅にアップせねばなるまい。
シスターもそんな事を考えていた。




