第六十話「第三航路突入実験」⑩
「ああ、ジュノーのフルスペックでかかってこられてたら、ここにいる全員総掛かりでも全滅は免れん。だが、それをしないとなるとなると、まだジュノーが踏ん張ってるか……或いは、始めからその気がない……どちらかってことだろ? 何よりもコイツには殺気がねぇ……」
「そ、そんなもんなんですかね。でも、あんまりやる気はないってのは解りますね。野郎ども、ひとまず銃口下げッ! その上で半円陣で囲め……それと出入り口と窓際を固めろ……ここで逃がすわけにはいかんからな!」
素早く、出入り口の扉の前と艦橋の窓部分へ兵士達が陣取り、包囲陣を完成させる。
さすがに手際が良かった。
「……ワ・タ・シハ、ココニ……イル……アナタハ、ソコ……ニイル」
ガクガクと操り人形のような動きで、ソレは近づくような素振りを見せる。
「ふむ、自己認識をした上で、他者を認識した。どうやら、コミュニケーションの第一段階と言った様子ではないかと、ゲーニッツ大佐……。逸る気持ちは解りますが、ここは冷静に……」
冷静なようで、あまり冷静じゃない様子のゲーニッツに、モドロフもそっと声をかける。
この辺りは、付き合いもそれなりにあるから解るのだ。
「わぁってるって! おっと、お前……調子のんじゃねーぞ。そこで止まれ……それとすまんが、ソイツは俺らの大事な仲間なんでな。おめーらの通信端末じゃねーんだよ。おい、テメェはなんだ……。なんで、俺らに喧嘩売ってきやがったんだ? ああ?」
「ワ・タ・シハ……ワ・タ・シ。ア・ナ・タ・ハ・ナゼ・ソ・コ・ニ・イル?」
交渉をしに来ておいて、なんでお前はそこにいる? 等という質問もないのだが。
ゲーニッツを激高させるには、十分なようだった。
「質問を質問で返してんじゃねぇぞ! このボケクソダラァッ!」
「いや、だから……落ち着きましょうってば!」
モドロフが間に入って、ゲーニッツを抑える。
「ア・ナ・タ・ハ・ナゼ・ソ・コ・ニ・イル? ジュノー・ワタシ・ノ・ナマエ? ジュノー・ヒテイ? ワタシ・ハ……ワタシ?」
同じような言葉を繰り返すジュノー。
ジュノー本人とやりとりした上での主観も混ざってきているような反応ではあるのだが……。
「知るかボケェ! テメェ、俺らと話し合いたいんじゃねぇのかよ! さっきから、いい加減同じことばっか繰り返しやがって、何言ってんのかさっぱり解んねぇぞ! ゴルァ!」
本気で掴みかかっていきそうな勢いだったのだが。
一手早くモドロフが動いていて、ゲーニッツの前に出ると一瞬で腕をとって、逆関節を極めるとあっと言う間に身動き一つ出来なくさせる。
文字通り大人と子供くらいの体格差があるのに、あっさり制圧。
なお、いわゆる腕挫腋固と呼ばれる関節技の一種なのだが。
白兵戦のプロのはずのゲーニッツを容易く制圧する辺り、モドロフも普通ではなかった。
「だから……ゲーニッツ大佐。まずは落ち着いてください……。いいですか? アレは始めて我々と交渉を持とうとしている……。自己を認識し、ようやっと我々を他者として認識し始めた……そう言う段階なのでしょう。それをいきなりブチ切れて、殴りかかるとかさすがに野蛮すぎます」
「あ、ああ、流石だな……モドロフ。俺らの仲間内でもお前の頭の良さはピカイチだったからな。つか、おめー非戦闘員のくせに、なんなんだよ……これは。この俺が何が何だか解らんうちに、脇固めで逆関節極められてるとか、訳わかんねーんだがよ!」
「モナトリウムの上位陣を舐めないでくださいよ。僕とて、帝国総合近接戦闘術のマスター認定を受けてますからね。戦闘用サイボーグ程度なら素手でもなんとでもなりますよ」
戦闘用サイボーグは戦闘用に調整された歩く小型戦車のようなもの……そんな例えをされるほどで、素手でなんとでもなるような相手ではないのだが。
ゲーニッツとて、身体のあちこちを負傷などで機械化したサイボーグ体に近いはずなのだが……それを一瞬で身動きできなくさせたのも事実だった。
要するに、モドロフの言っていることはタダの事実なのだと、周囲の兵士達も思っていた。
「解った……解った。だが、俺もこんな禅問答にいつまでも付き合うつもりはねぇぞ……。するってぇと、こいつが俺等の言葉を学習して、交渉出来るようになるまで待てっていうのか?」
「確かに……。僕のスーツの酸素残量も心許ないですからね。さすがに、真空の無重力に長々といるような経験は始めてのなので、心拍数が安定せず、その上ちょっと本気で動いたおかげで、一気に酸素を消費してしまったようでしてね……。まぁ、気にしないでください」
なお、心許ないどころの騒ぎではなく、モドロフもかなり早いうちから簡易宇宙服を起動していたらしく、残り酸素残量は20%を切っており、宇宙活動の常識では直ちに有酸素区画へ押し込むところだった。
当然ながら、艦長のゲーニッツにはその情報は容易く確認でき、普通に非常事態だと認識する。
しかも、その原因が自分にもあると言うことで、大いに反省する。
「気にするに決まってんだろ! バッキャローッ! おっしゃ……もういいっ! こんなカタコト野郎とグダってても時間の無駄だ! おい、ジュノーッ! そこにいるんだろ! いい加減、寝コケてんじゃねーぞ! コンクソダラァ! とっとと目覚めやがれっ! ドラァッ!」
ゲーニッツは反省した……反省した結果、一秒でも早く事態を収拾する……それが最善と判断したのだが、その判断はまさに暴挙と言えた。
ブチ切れたゲーニッツは、モドロフを振り切ると腕をL字形に掲げるとジュノーへ向かってダッシュ!
容赦なく、その顔面に渾身のアックスボンバーを……ブチかました!
「た、隊長っ! そりゃねーわっ!」
マイト少佐が絶叫し、冷静沈着を売りにしていたはずのモドロフすらも、呆然と言った様子で、その暴挙を見つめるしか無かった。
まともにアックスボンバーを食らって、グルグルと回転しつつ床に叩きつけられて、ゴロゴロと派手に転がり、派手な音を立てて、壁にぶつかってようやっと停止するジュノー。
そして、ズルズルと力なく壁からずり落ち、動かなくなった。
誰もがこれはひどい……という事で、呆然と見守るしか無かった。
「帝国総合近接戦闘術……型No120「蟷螂瀑布」……さすがです! なかなかやりますね!」
……何故かモドロフだけは冷静に、技の解説をしていた。
なお、大仰な名前が付いているが、この時代にまで残るプロレスの末裔……VR空間で派手な技を掛け合うVRエンターテイメントレスリングの技のひとつ……アックスボンバーの方が有名ではあった。
この技は20世紀のプロレスラーが開発したと言う謳い文句と共に、その名と共に受け継がれており、エンタメレスリングでは、派手な爆発エフェクトと共に食らった相手は宙を舞って頭から落ちる……そんなお約束があると言うのでも有名だった。
だが……。
この場面でそれをブチかますと言うのは明らかに暴挙だったのだが。
先程と打って変わった様子で、ジュノーがムクリと起き上がると、むしろ、恍惚とした顔で満面の笑みを浮かべていた。
「いやぁ、さすがゲーニッツ様! このジュノー……愛の一撃でようやっと目が覚めました! 素晴らしい一撃! まさに魂に響く一撃! なんだか、私……サイコーな気分です!」
凶相の強面軍人が、少女相手にブチ切れて、アックスボンバーをブチかます。
絵面としては、相当ひどい絵面だったのだが。
何と言うか……結果オーライ。
ゲートキーパーもまさかの反応で隙を見せたのか、ジュノーも完全にゲートキーパーを抑え込んだようで、割と平常運転で復活と言った様子ではあった。
「そ、そうか……。なんか、すまん……ついカッとなってな」
「いえいえ、割と本気の容赦ない一撃……もう痺れました! たまりませんでした! あの……出来ればもう一発くらいブチかましてもいいんですよ?」
なお、外観上はまるっきりノーダメージ。
戦車砲やプラズマキャノンの直撃に耐えるような防御力の持ち主の前には、エンタメレスリングの必殺技くらいは、どうってこと無いのだが。
要するに、撫でられたようなもの……ジュノーはそんな風に認識しているようだった。
「ああ、それよりも……だ。お前を侵食してたゲートキーパーはどうなったんだ? その様子だとお前も正気に戻ったって思っていいんだよな」
強引な方向転換……ではあるのだが。
ひとまず今のは無かったことにしよう……と言うのが、ゲーニッツも部下達も共通認識ではあった。
「はい! セルフチェック結果もオールグリーン! ほら、チェッカーちゃんも太鼓判を押してくれてますよ」
ジュノーが指差すと、空間投影モニターが復活して、例の三頭身ジュノーが手で大きく丸を作って、黒いドクロマークの頭の棒人間を踏みつけながら、紙吹雪のようなエフェクトを散らす……そんな映像が表示されていた。
制圧完了……問題なしと言いたいらしい。
「うんうん! このジュノー……あんな良く解んないエネルギー生命体なんかには負けませんから! 艦内に侵食してたのももうまとめて消し飛んでいただきましたので、完全勝利です!」
「それはいいが……。今の奴はどうなったんだ? なんだか、俺らと話をしたがってたみたいなんだが……」
「……そう言えば、突然大人しくなりましたね。一応まだ、私の隔離メモリー領域に居ますけど。もう大丈夫……ちょっと手こずりましたけど。私の自己免疫システムが対応しましたし、向こうも攻勢活動を停止して、固まってますから、もう問題ありません! さぁ、こっからいよいよ反撃の時間! ガンガン行きましょう! ……って、もしかして終わってます?」
ブリッジの外に見える星空で、状況を察したのか呑気な様子でジュノーが返す。
どうやら、本当にゲートキーパーの侵食を跳ね返してしまったようだった。
「……あ、ああ……。確かに終わってるんだが。なぁ、ホントに問題ないのか?」
「まぁ……思った以上に艦体はダメージ受けてますけど……大丈夫、まだ戦えますよ。あ、でも、まずは環境維持システムの修復を最優先……完了。あ、もうそんな暑苦しそうなマスクとか外していいですよ。なにせ、人間は酸素が足りないと死んじゃいますからね……だから、そこは入念にバックアップシステム組んだんですよ。でも一応、ブリッジには非常用酸素供給システムもあったんですが、なんで使わなかったんですか?」
何と言うか、いつものジュノーと言った様子に、ゲーニッツも思わず破顔すると、その頭に手をやると乱暴に髪の毛をグシャグシャにする。
「心配懸けやがって……このっ!」
「おおおっ? いつもより、手付きが優しいですね! ゲーニッツ様、もしかしてデレ期ですか? これはレアです! 私の愛情プラグインもフルブーストって感じですよ! もしかして、そろそろチューの1つや2つもありですか! あ、なんでしたら、ベッドで押し倒してもらっても結構ですよ……まぁ、押し倒されてどうされるかとか、良く解んないんですけどね!」
無言で、ゲーニッツの鉄拳がジュノーの脳天に炸裂する。
痛覚プラグインを実装しているジュノーは人並みに痛みというものを感じるので、おおお……とか呻きながら、座り込んで頭を抱えていた。
「……えっと、ジュノーさん。大丈夫ですか? ゲーニッツ大佐は女性の扱いってものを解ってないですからね……。どうぞ、お手を……立てますか?」
見かねたらしいモドロフがジュノーとゲーニッツの間に割り込むと、ジュノーへ手を伸ばす。
「はぅわっ! その声は……ちっちゃめショタボーイさんじゃないですか! 無事だったんですね!」
謎の呼び名を付けられていたモドロフだったが。
ジュノーもその手を取るなり、思いっきり抱きつく。
なお、モドロフは15歳と少年と言って良い年齢で、未成年も未成年。
アスカ同様の遺伝子合成強化人間ではあったのだが。
モラトリウムでも、最年少に属する若すぎるエリートではあった。
そんな10代の若者が文官のトップと言うのも、なかなかの話だったのだが。
モドロフは、本来皇帝候補者名として、設計されており、そんな重責を平然とこなせるだけの能力も度胸もあり、他の帝国はもちろん、銀河連合諸国の官僚などからも、ヤバい交渉相手ナンバーワンと言われるほどであり、アスカも数少ない年下の配下という事で、割と贔屓目に扱っていたのも事実だった。
なお、本来あまり表に出てこないポジションながら、国民人気……特に20代、30代の女性からの人気は抜群に高かった……。
「……えっと、その呼び方何なんです? ちょっとゲーニッツ大佐、何ニヤけてるんですか?」
ジュノーに抱きつかれて、あからさまに動揺しているモドロフを見て、ゲーニッツもむしろ楽しそうにしていた。
「いや、おめーさんのそう言う動揺してるのもなかなかレアでな。確かに、他人がジュノーに絡まれてるの見てるのって、なかなか微笑ましいもんだな。いいぞ、ジュノーも気に入ったんなら、そいつとよろしくやってもいいんだぜ?」
「そんなぁ! ゲーニッツ様……。あ、でも、可愛い男の子って人間の女子は皆、アリ無しで言えばアリらしいですからね。意外と半ズボンとか似合いそうですよね。よかったら、お着替えでもします? お手伝いしちゃいますよ」
「……し、しませんから! 放してくださいっ! え、ビクともしないってどう言う事?」
傍目には軽く抱きついているだけなのだが、モドロフの抵抗はまるで無視され、身動きも出来ないことに驚愕するとともに、ジュノーが本気を出したら、歩兵部隊程度一蹴されるという話も秒で納得した。
「ああ、モドロフ……すまんが、好きにさせてやってくれ。一応、ソイツもなかなかにハイパワーだが、人を傷つけないって事については、信頼してやっていい。ちなみに、ジュノー……ソイツは、こう見えて第三帝国の重鎮の一人なんだ。わざわざ最前線に来るようなもの好きじゃあるんだが、なかなか肝も据わってて、優秀なヤツだからな」
「なんですかそれ! 仕事もできて、度胸もあって、豪胆で、その上ショタボーイとか、属性盛りすぎでしょ!」
「ははっ。そうとも言うな……。さて、その様子だと取り付いてたゲートキーパーも隔離領域にでも抱え込んだってとこか。周辺にも反応なし……ゲートのあっち側にあるのは、信号灯くらいでブンどられたところで痛くもねぇ……。ひとまず、後はアイビス基地へ帰還するだけなんだが。亜光速ドライブはキツイって話だが、どうだ?」
「はい! 自動修復システムが走ってるんで、一時間もあれば大丈夫ですけど。確かに亜光速ドライブの加減速に耐えられるかと言えば、微妙ですね。皆さん、後先考えずにあっちこっち壊しまくって、色々パージしまくってくれたんで、質量バランスがもうめちゃくちゃでして……。せめてドック艦あたりに来てもらわないとにっちもさっちも行きません」
「すまん……。まぁ、俺らも必死だったんでな」
「一応想定の範囲内だったんで、そこは大目に見ますよ。私こそ、早々とリタイアしちゃって申し訳ないですー!」
「気にすんな……。んじゃ、モドロフ……すまんが、ジュノーちゃんのお相手頼むわ! 俺は指揮官としての仕事が山盛りなんでな! どうせ急ぎの仕事もないんだから、それくらい引き受けてくれや」
「ちょっ! そんな勝手な……あ、あの……ジュノーさん、頬ずりとか止めてくれませんか? 顔……近すぎるし、さっきから背中に当たってるんですけど?」
何が当たってるとか、そう言うのは野暮と言うべきだった。
モドロフと言う生贄を捧げ、ゲーニッツもジュノーのお相手と言う任務から開放されて、実に嬉しそうではあった。
なお、モドロフは達観したような表情で、先程まで抵抗をしていたのだが、いい加減無駄な抵抗と悟ったのか、為すがままにされていた……。
なお、幸いかどうかは解らないのだが。
ジュノーの人間の性知識については、少女漫画やドラマのラブシーンがいいとこだったりするので、モドロフが色々されてしまうよう心配はゲーニッツもしていなかった。
なので、助けを求めるモドロフのことは、キレイに忘れることにした。
「さてと、んじゃま、出迎えもきたし……とりあえず、てめぇら……うちに帰るぞっ!」
アイビスからの支援艦隊が亜光速ドライブで到着し、減速の為の周回軌道に乗ったのが、ゲーニッツ達からも見えていた。
どうやら、状況を察してスターシスターズの駆逐艦を何隻か送ってくれていたようで、駆逐艦を括り付けたような大型ブースターがチラホラ混ざっており、工作艦や輸送艦以外にも巡航艦クラスはもちろん、km級の高速戦艦すらも混ざっているようだった。
この様子だと、実験開始時点ですでに増援を出していて、グラベル大将の艦隊もグラベル基地まで行かずに、途中で取って返してきたようだった。
おそらく、ゼロ皇帝の采配だと思われるのだが、さすがだとゲーニッツも素直に感心する。
かくして……こんな調子で、第三航路突入実験は無事に完了した。
結果としては、まさにパーフェクトゲームとしか言いようがなく、まさに勝利の凱旋だった……。