第六十話「第三航路突入実験」⑦
そして、ジュノーの異変に伴い艦内も自動でエマージェンシーモードに入ったようで、赤色灯の照明へと変わる。
ゲーニッツもすかさず、ジュノーのセルフモリタリングシステムをコール。
このシステムは、ジュノーの外部独立監視システムのようなもので、正常時とのベリファイチェックを行うことで、異常箇所を検出する……そんなシステムだった。
なお、そのUIはディフォルメされた三頭身ジュノーが、虫眼鏡を持ってぐるぐる駆け回るというほのぼのとしたものだったのだが、三頭身ジュノーが涙目で大きく手でバッテンを描くと、ジュノーの艦体のあちこちが赤く染まった様子を映し出す。
判定レッド……艦艇側のあちこちに一斉に電子侵食発生中。
ソフトウェアの書き換えという生易しいレベルではなく、ハードウェアレベルでの作り替え。
これ自体は、既存の技術であり、その昔……化け物の集まりと言われた帝国近衛騎士団のユリコに代表される第3世代強化人間にとっては、これは標準装備のようなものだったのだが、それと酷似したものと判断されていた。
このナノマシン浸透でハードウェアそのものを作り変えるハードウェアハッキングは、当時……ユリコ達第3世代強化人間が浸透破壊工作用途に独自に開発したオーパーツのような代物だったのだが、当時も今もこれをまともに防ぐ手立ては存在しない。
どんな強固な電子障壁も、がん細胞のように増殖する侵食ハードウェアの前には、外科的療法……ハードウェアの破壊処分でもしなければ、対処がしようがない。
今のジュノーも第8ブロックの片隅から一気に侵食領域が広がり、極めて危険な状態になりつつあった。
なお、ジュノーの頭脳体は、本体侵食の余波で酔っ払ったような状態になっていたのだが、ゲーニッツの愛情込めたチョップで緊急シャットダウン中。
乱暴な扱いだったが、要するに安全措置でのメインフレームを切り離した上での緊急退避。
スターシスターズの自己防御機構なら、このハードウェア侵食も少しは耐えられる可能性もあったのだが。
彼女にとって、これは初見であり、初見殺しのこのハードウェア侵食に対しては、抗しきれなかったようだった。
だが、ゲーニッツも部下達もここでうろたえたりはしない。
……これも想定の範囲内だからだ。
アストラルネット側のジュノーのバックアップからは、接続を切り離すとの予告通知が届いており、現時点でオフライン。
さすが、手際が良かった。
ジュノーの良いところは、基本的に無理をしない事と、めちゃくちゃ聞き分けが良いところなのだ。
実は、良くも悪くも超臆病……それがジュノーの本質であり、元々蛮勇とは程遠いのだ。
今回のケースも事前にこうなる事は想定されていて、ゲートキーパーに侵食された場合は物理的に切り離すことでさっさと逃げて、後のことはゲーニッツたちに任せる……そう言い聞かせており、命令通りジュノーは3つの相互バックアップをそれぞれ切り離すことで、自らの健全性を維持することに成功していた。
こうなると、想定通り……。
アストラルネットからもジュノーダウンで切り離されている以上、一切の支援が届かない状況ではあるのだが、人力フルマニュアル操艦で、この場を乗り切るのみだった。
状況をモニターしていた待機要員も、出番到来とばかりにゲーニッツの命令を待つことなく、直ちに行動を開始し、艦内もにわかに活気づき、あちこちで怒声が飛び交っていた。
「……総員に告ぐ! 想定3-8……状況赤! 案の定、ジュノーがやられちまった……ジュノーには全機能をマニュアルモードに設定させた上で、頭脳体も緊急停止させた! これより本艦は手動操作のフルマニュアルでなんとかする! だがまぁ、その為の俺達だからな! ……なぁに、訓練どおりにやりゃなんとかなるだろ」
「ははっ、地獄の訓練が無駄になるんじゃないかとヒヤヒヤしてましたが、ようやっと出番ですな。まぁ、ジュノーちゃんはよく頑張った……フォローは任せとけってとこですかね! ここはいっちょ男を見せるぜ! 野郎ども!」
それまで、静かに休めの姿勢で壁際に待機していた副長のマイト少佐が不敵な笑みを浮かべながら、檄を飛ばすと、ブリッジ要員からも一斉に勇ましい掛け声が返ってくる。
「マイト、おめーも言うようになったなぁ。つか、俺のセリフ取んなよ。機関室! メイン反応炉の出力下げ! その上で波動粒子エンジンをフルで回せ……まずは、餌を断った上で、このカビみてぇなのをまとめて消毒しねぇとな! あっちこっちパワーダウンするだろうが、そこは構うな! 総員、お出かけ服は着込んでるな? ちゃんとマスクも被って、まずは深呼吸! そして、全員、駆けあーしっ! コイツは訓練じゃねぇ……待望の本番ってこった!」
言いながら、ゲーニッツも軍服の非常用気密モードをスタンバイ状態にした上で、マイト少佐が差し出した緊急事態用にブリッジに備え付けられているガスマスクのような酸素マスクを装着する。
現状、艦内環境維持システムも怪しくなっており、酸素濃度警報があちこちに出ていた……エーテル空間では、この辺りはあまり気にしなくとも問題なかったのだが。
宇宙環境とは、そう言うものなのだ……。
そして、人間はほんの数%酸素濃度が下がっただけで死に至る……。
もっとも、ゲーニッツ達は宇宙戦闘も手慣れたもので、大半の要員が始めから、戦闘用宇宙服を着込んでおり、無重力だろうが真空中だろうが、それどころか身体一つでの大気圏降下すらもやってのける化け物揃いだった。
なお、ゲーニッツ達ブリッジクルーやエンジニア系の乗員などは、簡易気密装備なのだが。
これでも、真空中での2時間生存は保証されているので、慌てず騒がず……それが宇宙の鉄則だった。
……もっとも、波動粒子エンジンは、周囲のエネルギー場を低活性化する。
ゲートキーパーへのエネルギー供給を止めるためとは言え、必然的に負極側にエネルギー場も一気にバランスが傾き、メインエンジン……核パルスエンジンが停止し、ジュノーもたちまち漂流状態となってしまう。
だが、これも想定内。
直ちに手動操作で操艦すべく、波動粒子エンジンの影響による電力低下で、照明すらも落ち始めた中、ゲーニッツの部下達は、懐中電灯片手に一斉に事前訓練通り、配置部署に走り出していた。
当然ながら、艦内無線もダウンしているのだが、こういう事態も想定内で、ジュノーにはなんと伝声管が装備されているのだ。
さすがにこれなら、電子機器がダウンしても指揮系統がダウンすることもない。
こんな大時代なものまで用意する辺り、用意周到もいいところだったが。
ジュノーがシャットダウンすると、艦内通信機能も麻痺することは事前の想定訓練で解っており、伝声管や各部署に配属された旧式アナログ通信機を背負った通信兵達の相互連携で指揮系統を保つ……そんな計画だったが、そこは問題なく機能していた。
「てめぇら、俺の声が聞こてえるか? ……聞こえてたら、誰でもいいから、第八ブロックへ人を回せ! すでに周囲は充填剤でカッチコチにかたまってるらしいが、ジュノーの様子からすると、そっから侵食を受けた可能性が高い。充填剤は規定パターンの電磁パルスの通電により爆発するようになってるから、直ちに汚染ブロックを切り離し、周辺ブロックも手動にて隔壁閉鎖の上で送電ラインも爆破してカット! なぁに、まもなくゲートが開く……各スラスターに配置した人員は、ジンガー航海長の口頭指示に従いマニュアルで吹かして、艦体姿勢の維持に勤めろ! いいか? 絶対に足を止めるんじゃねーぞ!」
「こちら、フェアリィ隊! ステラ大尉です……ゲーニッツ艦長! 報告……ゲートキーパーの第二波接近中! 第一波より更に一回り大きいです! やはり、ただで帰す気は無さそうですね……」
「さすがに、お前らの目は生きているようだな。やはり、生体系システムにしたのは正解だったろ? いいぞ、大いにやれ……だが、同士討ちだけは避けろよ? 現状、すべての電子機器は信用できん。今の状況は1000年前くらい昔の戦場に戻った……そう考えろ」
「確かに、妖精の目は完全な独立系で我々の視覚システムと一体化されてますからね。ここまでする必要があるのかと思ってましたが、確かに正解でしたね。ですが、ゲートキーパーはどうします……あの様子だと、むしろここからが本番のようですよ。更に第三波が下方から……左舷からも第四波……第七波まで観測。どうやら、我々を明確な脅威と認識した上で、四方八方からの物量で押しつぶすつもりのようですね」
「しゃらくせぇっ! とにかく、ゲートへ飛び込んじまえば、コッチの勝ちだ! まぁ、いつも通り、逃げるが勝ちって奴だな……お前らもちゃんと逃げろよ! まさか、逃げるのが恥とか寝ぼけた事は言わねぇよな?」
「ご心配なく、我々が殿を務めます。牽引ケーブルをパージしてください……なんでしたっけ、確か捨てがまりでしたっけ? この場はゲーニッツ隊長達は先行の上で脱出を……! 我々はこの場に残り、囮となります。いざとなれば自爆装置もあるので、時間稼ぎくらいはやってのけて見せますよ。では、ご武運を!」
……ステラ大尉。
第三帝国の近衛連隊の隊員の一人で強化人間でありながら、アスカの特攻戦に参戦し、乗機被弾で大和への特攻を試みたのだが……。
その試みは失敗し、当の大和に拾われ、修復治療を受けた事でその一命をとりとめた。
彼女にはそんな経緯があり、つい先日大和の帝国軍正式参入に伴い、その身柄も帝国へ返還され、ようやっと昏睡状態から目覚め、帝国軍に復帰したばかりだったのだが……。
慰労として与えられた半年の長期休暇を蹴り、医療関係者が止める中、半ば強引にこの計画に志願して参加していたのだ。
だが、彼女もまた死に場所を探していた……そう言う手合のようだった。
「ばっか野郎! おめーらは甲板上で、砲台代わりでもやってろ! いかんせん、砲塔にいる奴らは、砲は撃てても敵は見えてねぇんだ……。どのみち、妖精の目持ちでも付いてなきゃ話にもならん! 捨てがまりとか禁止っ! 命令ーっ! 復唱ーォッ!」
「で、ですが……中佐殿っ! この場は誰かが囮となるのが最善かと思います……ですので……」
「ああ? 命令だって言ってんだろ? ……いいか? 俺らの使命は生きてあの御方の元へ馳せ参じて、再びあのお方……アスカ様の力となる……そう言うことだ。その様子だと、お前、アスカ様が生きてるのを知らなかったのか?」
「なんですって! ア、アスカ様が……いえ、私はてっきり、皆がアスカ様の思いを受け継いでとか、そう言うことなのだと思っていたのですが……。そもそも、あの状況で生きているはずが……」
彼女は、アスカの乗った旗艦「アルファグランデⅢ」が轟沈する所を目撃していたのだ。
だからこそ、噂レベルでは生存しているという話は聞いていたのだが、そんな訳がないと頭から否定し、生き延びてしまった事を悔やみ、せめて仲間のために命を使う……そんな悲壮な決意のもとに、この突入実験に参加していたのだ。
「受け継ぐもなにも、あの御方は健在なんだよ……。まぁ、あっちは俺達の助太刀なんて、期待しちゃいねぇかもしれねぇがな。だが、アスカ様と再び相まみえる前に、こんなケチな戦場であの方の大事な配下を死なせちまったら、俺も合わせる顔がねぇんだよっ! ……いいか? ここはお前らの死に場所じゃねぇ……つまんねぇカッコつけとかすんじゃねー! このダァホッ!」
「そ、そうですね! ならば……はいっ! ゲーニッツ中佐の命令に従うとします! 各機……第二陣のゲートキーパーへ向けて、全力射撃ッ! 然るべき後に牽引ワイヤーを一気に巻き取って後退し、ジュノー甲板に着艦! 以降は砲塔要員と連携して、撤退までの時間を稼ぐ! それと今からもう誰一人として勝手に死ぬ事は許さない! 全員誰一人として欠けることなく、再び、アスカ様の為にっ! ……死ぬのはその後にしよう……いいなっ!」
ステラ大尉だけではない。
アスカ親衛隊の誰もが、アスカが死ねと命じれば死ぬ……アスカの為ならば命をも惜しまない。
そんな筋金入りの忠誠心の持ち主ばかりだった。
……特にモラトリウム組と呼ばれるアスカ本人と寝食を共にし、選抜に残りながらも、アスカの絶大なる支持者となった者達は、はっきり言って気概が違った。
三年間に渡る巨大航宙艦と言う閉鎖環境で共に生活し、学び、切磋琢磨を続けながら、時として相争いながら……自らの総意で次代の皇帝を決める。
そんな日々の中で、彼らは誰もがアスカこそ皇帝にふさわしいと彼ら一人一人が確信しており、アスカの即位後は誰もが迷わず、その忠実なる配下として任官し、第三帝国の原動力となっていたのだ。
他の帝国でも似たような皇帝選抜システムが採用されていたのだが。
最終的に、選抜に残るのは1000人中100人にも満たない程度で、要は大半が選に漏れたことで、失意とともに下船したり、自らが支持した候補者が脱落したことで共に去っていったりで、限りなく勝ち抜き戦の様相を呈するのが定番だったのだが。
アスカの在籍していた学園艦「モラトリウム・サード」では、誰一人として脱落者が出ず、おまけに1000人の候補者達どころか、運営側のはずの講師達や、支援AI群までも誰もが卒業式……皇帝選抜投票で、満場一致で次期皇帝としてアスカを選び、全員揃ってその場で臣下の礼を取ると言う、これまでの事例でもあり得ないような出来事が起きていたのだ。
そして、そんなアスカの元へ赴くための第三航路の遠征の第一歩。
この計画には、彼ら第三帝国の幹部達は総力を挙げて、全員参加しており、現在基幹艦隊はジュノーやコットン、フラムの三隻だけだったが。
宇宙戦艦へ改装されつつある大和を旗艦として、数多くのスターシスターズたちを引き連れて、アスカ星系へ殴り込み、マゼラン方面の絶対防衛圏を確立し、アスカと共に銀河に帰還する……或いはアスカと共にマゼラン制覇の助勢となる……それが彼らの最終目的だった。
なお、すでに現地に派遣されている大和の分体からは、一日も早く自分の本体と、宇宙工廠艦の派遣を要求されており、惑星アスカ自体がいくつもの異種知的生命体が存在し、宇宙も海も敵だらけと言う状況だと、ゲーニッツ達も大和から知らされていた。
だからこそ、こんなところで躓いている訳にいかなかったし、誰一人欠けることも許されなかった……。