第六話「そして、奇跡は舞い降りる」③
……おそらく、彼女はこの世界に顕現したばかりなのだ。
その状態で、森の異変を察知して、訳も分からず介入してきた。
そう言うことなのだとソルヴァは理解していたし、それは当たらずも遠からずだった。
確かに、殺るならあっちと言ったのはソルヴァであり、彼女はソルヴァの言葉を忠実に実行しただけと言えた。
要するに、訳も分からず介入してきた彼女に明確な指針を与え、この状況を作り出したのは、ソルヴァ自身なのだ。
事実、諸共に皆殺しにされてもおかしくもなかったのに、彼女はソルヴァの正義の味方と言う言葉を信じて、きっちり区別してくれていた。
なるほど、彼女は伝承に伝えられる意思疎通もままならない荒ぶる精霊と違って、ちゃんと人と話し合いが出来、他者の事情も理解でき、自らの言葉を違えない程度には良識を持つ、そう言う存在なのだと理解する。
この対人戦闘の手際からすると、人間についても良く理解しているのではないかと推測された。
精霊というものがなんなのか、ソルヴァもよく解っていないのだが。
むしろ、想像以上に人間的な解りやすい存在なのかもしれないと言うのは率直な感想だった。
ならば、きっちり礼をして、スジを通し、もしあるようなら彼女の要求も聞くべきだと、ソルヴァも結論付けた。
そして、たった今から、自分は何者にも揺るがない正義の味方を演じなければならないと実感していた。
この良く解らない謎の精霊……彼女は、自分を正義の味方だと認識したからこそ、力を貸してくれたのだ。
彼女を味方とするならば、この前提条件は決して覆してはならなかった。
それに何より、パーティメンバー。
特に女性陣二人は、ファリナはエルフの時点で心酔確実で、この分だと神樹教会の神官でもあるイースも似たような事になりそうだった。
なぜなら、神樹教会の神官が神樹由来の精霊を崇めないはずがないからだ。
どうやら、問答無用でこの訳の解らない精霊と深い縁が出来てしまったと言う現実にソルヴァは軽いめまいを覚えた。
「い、いずれにせよだな……アンタの助太刀に感謝する。実際、俺達だけじゃ割とどうしょうもなかったからな。それと……ファリナは俺達の大切な仲間なんだ。そいつも自分からアンタを受け入れたようだが、精霊憑依なんて長々とやられたら、ヤバいって事は俺でも知ってる。もし可能なら、アンタの本体のところに案内してくれるか、直接こっちに来てもらえねぇかな? なんと言うかお仲間に向かって、敬語やらかしこまったりするってのはやりにくいし、礼も出来れば直接言いたいからな、駄目か?」
要するに、本人が直接来い。
向こうも相応に警戒しているからこそ、ファリナを遠隔操作する形で、意思表示をしているのだ。
この要求は相応のリスクがあり、正直言って賭けだった。
「そうだな。確かにそのようなものらしい。これは私が失礼したようだ。すまぬな、ファリナとやら。お主のお陰で、この世界の言語についても大凡理解できた……。確かに言葉による意思疎通が可能となったのならば、お互い直接顔を見ながら話し合った方が良いし、確かに長々と続けられるものでもなさそうだ。すまぬが、この惑星の住民であるお主らには興味があるし、色々と聞きたいことや頼みたい事があってな。そう言う事なら、肩慣らしも兼ねて、そちらに邪魔させてもらうとしよう。なぁに、どのみち人質を介抱したり、賊の首見聞などやることは色々あるのだろう? 諸君らの身の安全はこの私が保証するゆえ、しばしその場で待っていて欲しい……それでは後ほどな」
そう告げるなり、ファリナが糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。
けれど、ソルヴァは、賭けに勝った事を実感していた。
何故なら、ソルヴァはこの超存在から、相応の信頼を勝ち取る事に成功したのだ。
なにせ、こちらから出向いて当然と思っていたのに、向こうから出向いてくれるというのだ。
それは、まさに信頼の証であり、向こうがソルヴァ達に深い興味を持ってくれた証左だった。
近衛兵として長年勤めながらも、上役の不祥事をなすりつけられる形での不名誉除隊。
失意の上での酒に溺れる日々。
そして、冒険者として再起を決意し、地道に功績を重ねながら長年耐え忍んできたのだが。
この謎の超存在の信頼を得たことで確実に何かが変わる……ソルヴァもそのことを予感しつつあった。
と言うか、半ばやけっぱちのような気分だった。
ファリナとイースの方にちらっと視線を送る……この二人との付き合いはそれなりに長い。
それ故に、この調子では、どう転んでも、自分がこの精霊の面倒を見ることになるのは確実だった。
それならば、とことん付き合ってやろう。
そんな風に思い始めていた。
「ファリナ! 大丈夫ですか?!」
イースが慌てて、駆け寄って、地面に突っ伏したままのファリナを介抱する。
すでに精霊は去ったようで、むしろファリナはやり遂げたような満足そうな顔で前後不覚に陥っているようだった。
「……ふふふっ……。私、このまま死んでも悔いないですよ……あ、ありがたき幸せぇ……」
「何を言ってるのですかーっ! しっかりしてーっ!」
「ああ、イース。すまんが、そっちはいいから、人質の女達の事、頼んでいいか? あまり言いたかないが、盗賊共はお楽しみの真っ最中だったようでな。俺らが出張るとかえって申し訳がない事になるだろう。出来れば、ファリナにも手伝いをお願いしたいところだが。その様子じゃ、しばらくは立てそうもないか……」
「あ、はい……そうですね。ごめんね、ファリナ。あなたはここでしばらく横になってて……と言うか、本当に大丈夫なの? それ……」
「あはは……さすがに思ったより消耗が酷くて……しばらく動けそうもないの……。話は聞いてたけど、きっつーっ! けど、あの精霊に身を委ねることでの全能感と満ち足りた気分……堪らなかったわ。もうねっ! さいこーっ! こうなったら、私……あの御方に一生付き従う所存です。それこそ、エルフ冥利に付きますからね……ふへへ……。あ、そうか、私名実ともに今日からハイエルフじゃないの……精霊様、ばんじゃーい!」
ハイテンションな様子でそんなことを口走りながら、恍惚に満ちた笑みを浮かべるファリナ。
いつもは理知的で、お高く止まって、人間なぞ誰も寄せ付けないような雰囲気だったのに、何もかもが台無し……とソルヴァも思わなくもなかったが。
エルフという種族は精霊と呼ばれる存在の下位種族のようなものらしいので、精霊にその身を委ねたと言う時点で、ハイエルフと呼ばれるようになり、その格が一気に上がること請け合いの上に、その能力も爆発的に向上すると言う話だった。
だからこそ、多少の命の危険があろうとも、精霊より憑依の意思を示されて迷うエルフはいない。
以前、酒に酔った時に、ファリナはそんなことを言って、いつか精霊を見つけて、契約すると息巻いていたのだが、この満足しきった顔を見る限り、このまま死んでも悔いがないと言う彼女の言葉は心からの本音なのだろう。
もっとも、純正の人族たるソルヴァには、その価値観は全く理解できないのだが。
「言ってろよ、このバカエルフ。まぁ、おめでとうとくらいは言ってやるさ。ああ、モヒート……お前は周辺警戒を頼む、賊の生き残りが潜んでる可能性だってゼロじゃない」
「ああ、任せろ……と言いたいが。この森はアレの支配下にあるんだろ? そんな生き残りを見逃すとは思えんぜ。まぁ……どおりでこのところ、やけにモンスター共が大人しかったわけだ。あんな化け物が出てきたんじゃ、連中もとっとと森から逃げちまったんだろうよ。こうなると、俺達は観念して、二人並んで正座して、精一杯の笑顔でも作って、両手を上げて大歓迎つって出迎えた方がいいだろ?」
このところ、モンスター共がやけにおとなしい。
それはソルヴァも感じていたことだった。
夜の神樹の森の奥地といえば、夜行性のモンスターに次から次へと遭遇するような危険地帯で、本来は街道から離れることはもちろん、野営も可能な限り避けるべき……そう言う場所なのだが。
実のところ、ここに来るまでのモンスターとの遭遇は、皆無だった。
ここ数ヶ月やけに森のモンスター共が大人しくなって、ハンターたちが揃って開店休業状態になったり、モンスターがおとなしいのを良いことに、流れの盗賊がアジトを築いて居着いてしまうような……そんな有様だったのだが。
その理由がソルヴァにもやっと理解出来た。
つまり、アレが降臨する前兆……。
やはり、とてもつもない存在なのだと、痛感する。
「確かにそうだな。だが、正直言うと、今すぐにここから逃げ出したいくらいなんだ。もっとも、あれの目の前で堂々と正義の味方を自称しちまった手前、逃げるわけにはいかん。この分だとファリナはすっかり心酔しちまったみたいだし、神樹ゆかりの精霊様が相手じゃ、イースだって怪しいもんだ。すまんが、お前にも最後まで付き合ってもらうからな。俺一人でこんな面倒事とても抱えきれんっ!」
「……へへっ、エルフ共が崇める神樹教会の神様たる精霊様のご来臨ってか。しかも、誰かさんが正義の味方とかデカいこと言っちまったせいで、思いっきり目を付けられちまったとはなぁ……。こりゃ、お互い観念するしかねぇよな、ははっ! なぁに、なるようにしかならねぇって!!」
そう言って肩を組むと、楽しそうに笑うモヒートに苦笑で答えるソルヴァだった。
「正義の味方か……確かに我ながら、陳腐な返しだったな」
けれど、そんな存在がいたっていいじゃないかと常々思ってもいたのだ。
強大な戦力を持つ盗賊団相手に人質を救うために、無謀を承知で挑みかかる。
それは紛う方なき正義だった。
あの時、ソルヴァは人質を見捨てて、さっさと逃げ帰ることを主張していたのだが。
内心では、イースに言われるまでもなく、単身盗賊団の只中に飛び込んでいき、正義を貫きたいとも思っていたのだ。
だからこそ、正義は何処にある? との問いに迷わず、正義の味方だと答えたのだ。
今にして思えば、なんとも気恥ずかしい言葉だったが、ソルヴァの思いは精霊に届いたのだ。
そして、結果的に強力な助太刀を得ることにつながった。
それは紛れもなく幸運と言えた。
おそらく、誰にとっても。
彼らにとって、とても長い夜が更けていった。




