第五十二話「ハルカ提督最後の戦い」③
この一撃は、銀河守護艦隊の生命線を絶っただけでなく、その屋台骨とも言えたN提督の心をヘシ折った上で、後のハルカ提督への造反の遠因にもなっていた……。
もっとも、それについては、N提督の現実を踏まえた上での助言を片っ端から蹴って、本拠地壊滅の責任をなすりつけた挙げ句、臆病者の無能者などと罵ったのが、直接的な原因だろうと天霧も思っていた。
なにせ、普段は温厚で知られるN提督が本気で怒って、ハルカ提督を殴りつけるまでしたのだから、およそ尋常ではなかった。
天霧としては、ハルカ提督を宥め押さえつけるのがやっとで、失望を露わに去っていくN提督を見送るしか無かったのだ……。
なお、天霧がN提督ではなく、ハルカ提督を取り押さえた理由は簡単で、個人戦闘力ではスターシスターズ最強と謳われたN提督の腹心……初霜が、N提督に手出しをしようとした瞬間に、即座に切り捨てる……そのつもりでいるのが、解ったからだった。
実際の所、初霜はハルカ提督を諸悪の根源だと、かなり早い時期から断定しており、ラースシンドロームの重度罹患者であることも見抜いており、非殺要項が実装されていない事を良いことに、てっとり早くハルカ提督を消せば良いと言う実に物騒な結論に達しており、事あるごとにハルカ提督を暗殺すべく暗躍し、連日のようにそのカウンターパートとなった天霧と人知れぬ暗闘を繰り広げていたのだ。
その時も、N提督を守るという大義名分の元に、ハルカ提督を切り捨てる満々で、天霧もそうはさせじとばかりにハルカ提督を半ば拘束同然にした上で対峙し……かろうじて、その場では初霜に名分を与えること無く、乗り切ったのだった……。
もちろん、初霜の戦闘力なら、正面からでもお構い無しで天霧を撃破し、ハルカ提督を抹殺する事も可能だったのだが。
自らを盾としても、守り抜こうとする天霧の覚悟と、N提督の手前……拘束された相手を一方的に斬るのは、彼女の信義に反したようで、その場は見逃されたようで、彼女なりに思うところがあったようで、それを最後に初霜の暗殺攻勢はピタッと止んだ。
もっとも、それは単に人知れず暗殺するのを止めて、真正面から戦い勝利すれば良いと、考え方を切り替えただけの話で、天霧としては、単身で殴り込んできていた方がまだ対抗しようがあっただけに、彼女と直接戦場で相対するとか、勘弁してくれというのが本音だった。
その後のハルカ提督も、時を同じくして、ゼロ皇帝の座乗する帝国の中枢艦「サルバトーレⅢ」が本格的に動き出すと、ゼロ皇帝の動向にばかり着目して、その撃破に拘泥しているうちに、G提督には半ば見限られ……更にN提督の本格的な造反を受け、その対応に苦慮し、手をこまねいているうちに帝国の本格的な逆襲を許してしまっていた。
そして、完全に後手後手に回ってしまった事についても、帝国軍の逆襲はもはや鮮やかに過ぎるもので、その兵力も当初はどこにも見当たらず、戦いの序盤戦についても、帝国軍が継続的に実施していた強行偵察の様に思えたのだが……。
それらは、帝国領内に残留していた全銀河守護艦隊に対して同時に実施されており、強行偵察機が粗方撃墜された所で、エーテル空間全域に及ぶ新型ジャミングプロトコルによる一斉大規模ECMバラージが実施された。
その新型ジャミングの効果は凄まじく、銀河守護艦隊は全艦一瞬で五里霧中の電子的孤立状態へ追い込まれたのだ。
そうやって、耳目を奪った上で、新型ステルス大型輸送機による新型ナイトボーダーによる奇襲降下攻撃と、各中継港への奇襲上陸が実施され、ダメ押しとばかりに各地に隠蔽されていた大艦隊による蹂躙戦が始まり……。
要するに、アルフレッド提督のみならず、全ての艦隊を同時多発で電子的孤立状況に追い込んだ上で、大人気ないほどの大戦力をぶつける。
そんなシンプルな戦略での殲滅作戦が実施されたのだ。
結果的に、ハルカ提督が全艦隊の半数以上を投入し、帝国の主要中継港の封鎖のために配備していた艦隊や銀河連合軍は、呆気なく各個撃破され吹き飛んでしまった。
そして、ハルカ達主力艦隊もその主力とも言えたN艦隊とG艦隊を欠いた状況で、最強の味方だったはずのN艦隊と対峙したまま、その後背と「サルバトーレⅢ」の周囲にも、続々と大艦隊が集結し、もはや身動きも取れなくなっており、天霧の予想では大和達の造反も時間の問題であり、恐らく帝国艦隊の総攻撃に呼応して、後ろから天霧を撃ってくる。
そして、その後は文字通り四方八方からの砲弾の嵐で、間違いなく瞬殺される……。
天霧もそこまで予想できてしまっていた。
戦いが始まってから、わずか半日程度……鮮やかすぎる逆襲劇だった。
ここまで徹底的にやられてしまっては、もう何をやっても勝ち目などなかった。
「ならば、この私にG提督のように、降伏し生き恥を晒せというのか? 奴らが私を許すはずがない……大方、凍結監獄にでも幽閉されて、未来永劫閉じ込められる……死よりも過酷な命運が待っているだろう。奴らなら、それくらいするだろうさ……あの悪夢のような第三次世界大戦を引き起こした悪の象徴にして、混沌の源泉……人類統合体の遺志を受け継いだ銀河帝国ならなっ! 実際、奴らはラースシンドローム罹患者を片っ端から拘束し、冷凍監獄に閉じ込めて、その自由も未来も奪い、人としての尊厳すら奪っているではないか! あんな極悪非道……許されるものか!」
「それは……不治の病の罹患者を未来に託す……やってる事はあれと一緒じゃないですか? ほっといて死なせたり、片っ端から殺して回るよりも全然マシじゃないですか……。何より、ゼロ皇帝は敵にも味方にも寛容な方です! 今、降伏すれば、悪いようにはされないかと思います。ハルカ提督……現状、我々は戦略的に完全に追い詰められています……。これ以上戦っても何の意味もありません! 現時点での我々の勝率の試算結果を見せましょうか? 限りなくゼロですよ!」
反発を承知で天霧も敢えて、現実を突き付ける。
ハルカ提督は冷静な判断力などとっくに失っていて、かつての冴えはどこにもなく、天霧から見てもまるで別人のようだった。
けれども、ここで自分が見捨てたら、ハルカにはもう誰一人味方も居ない。
だからこそ、一縷の望みを懐き、敢えて現実を突きつけてみたのだ。
「ははっ……天霧、皆まで言うな……。自分でもわかっているよ。この戦い……もはや、勝ち目などある訳がない。そして、私は皆が言う通り、ラースシンドロームに感染している……おそらく、それは間違いない。何より、この身を焦がすような怒り……。烈火のような憎しみ……私が私でなくなっていく……この感触……。くそっ! なんだこれは!」
一瞬正気に返ったような素振りを見せながらも、狂ったようにガリガリと頭を掻きむしるハルカ提督。
天霧もその様子を黙って見つめるしか出来なかったのだが。
唐突に、動きを止めると地の底から響くような狂気に満ちた笑い声をあげた。
「あははははっ! そうだ……そうなのだ! 私はこの怒りが導くままに、銀河帝国を滅ぼさねばならんのだ! これは……復讐なのだ! 50億の無辜なる人々の怨嗟の声が聞こえるぞ! ああ、人々の無念……復讐は……必ず成し遂げなければならない……! アレをやったアスカは始末したが、それで許されるなど大間違いだ……」
狂ったように笑い続けるハルカ提督の様子に、天霧も絶望を覚えるのだが。
敢えて、真っ向から反論を仕掛ける。
「ハルカ提督……。アスカ皇帝は自らの罪の責任を取って、正面から正々堂々我々と戦い立派に散りました。死人を捌くことは誰にもできないんです……。そして、すでに銀河連合が解放された事で、もはや我々が戦う意義なんて何処にもありません! お願いですから正気に戻ってください!」
「バカを言うな……アスカ……奴はまだ生きている……。私には解るのだ! そして、ヤツは火の神々に対し、許されざる罪を犯した! これは……ラース神族の怒りの天誅なのだ……神の怒りを奴に思い知らさねばならんのだ! だからこそ、私は決してこの正義の戦いを止めるわけにはいかんのだ……そうだ! 正義を貫かねばならぬのだっ! たとえ我が身が滅び、天が落ちようとも……だっ!」
その狂気に満ちて、訳の解らない事を呟くハルカ提督の有様に、天霧も小さく悲鳴をあげると、力なく座り込んだ。
もはや取り返しの付かない所に行ってしまった主人に、彼女も絶望を覚えながらも、それでも最期まで付き合うのが己の義務と割り切ることにした……。
「……畏まりました。ハルカ提督……この天霧、提督の死出の戦……最後までお付き合い致します……。ご命令をどうぞ……」
かくして、天霧もまた最後の戦いに臨む決意をした。
だが、彼女の決意と裏腹にハルカ提督は司令室のあらぬ方向をじっと見つめると、不意に表情を和らげた。
それはあたかも古い友人に会ったかのような、酷く安らいだ顔で、まるで眩しいものでも見たかのように目を細め、笑みすら浮かべていた。
「やっぱり、君が来たのか……くっくっく! 良いだろう、良いだろうっ! どうやら、クスノキ・ユリコ……奴が来たようだ。天霧……「デスサイズ・ドライ」を出すぞ! 奴も私との一騎打ちで全ての決着を付けるつもりのようだ……確かに幕引きとはそうでなくてはな……。必然、こちらも応えなければ、非礼というものであろうっ!」
「……この状況で、たった一人で自ら打って出ていくと? 彼女はかつて、生身で提督はおろかこの私をも打ち倒したほどで、帰還者との戦いでも一騎当千の化け物っぷりを見せたような怪物じゃないですか……。アレを相手に一騎打ちなんて死ににいくようなものです! せめて、私と供に……!」
「構うな……もうお前達は、手を出さずともいい……。天霧……頼むっ! せめて、自分の始末くらい自分でつけさせてくれ……お願いだ。多分、これは……私が私自身の意思で終われる最後の機会なのだ……」
ハルカ提督の言葉に天霧は、嫌だと言わんばかりに首を横にふる。
「ダメです! 今、ここで提督を行かせてしまったら……もう、絶対に……!」
「すまんな……天霧。これまで色々ありがとう……お前は最後の最後まで私のたったひとりの味方であり友だった……心より感謝を! プライマリーコード発令! 「デスサイズ・ドライ」の出撃準備を開始せよ……私の出撃後は、全艦隊別命あるまで待機。もしも、私が死んだら、その時点で全艦降伏するように先に指示を出しておく……。敵も味方もこれ以上、無意味な犠牲を出してはならない。これは今回の私の下す最後の命令……ラストオーダーだ! ……頼んだぞ?」
明らかに正気に返っている様子のハルカ提督に、天霧も一瞬希望をいだいたのだが。
直後に発令されたプライマリーコード命令の前に、その自我は抑え込まれ、半ば無意識のまま、その命令を復唱していた。
「ラストオーダー了解。直ちに「デスサイズ・ドライ」の出撃準備を開始します。ハルカ提督の出撃後、別命あるまで全艦待機……。なお、ハルカ提督のバイタル消失を確認次第、傘下全艦隊に降伏命令を発令します。それでは、パイロットシートを「デスサイズ・ドライ」に移送開始します……」
無表情ながら、大粒の涙を流しながら、天霧はその命令を忠実に実行する。
その言葉を最後に、ハルカ提督の座っていたシートがそのまま動き出し、艦内格納庫の20m級大型人型機動兵器「デスサイズ・ドライ」へと移送される。
その外観は一言で言って「死神」
人体の骨格標本を思わせる細身の銀色のフレームに、ALコートの施された黒いローブのようなフレキシブル装甲をまとった機体で、両肩に二つの球体を乗せて、死神の鎌を思わせる大鎌を装備した奇妙な外観の機体だった。
全長10m弱のナイトボーダーと比較すると、かなりの大型機なのだが。
可能な限り軽量化を施し、精密重力制御による高機動性能を追求した近接戦用の機体だった。
そして、ハルカ提督が「デスサイズ・ドライ」に乗り込む。
「パイロットシート所定位置へ移送完了。デスサイズ・ドライとの神経接続コネクトオープン……起動シーケンス開始! フルコンタクトリクエストオープン!」
ハルカ提督の起動認証リクエストに、天霧も淡々と応える。
「……「デスサイズ・ドライ」フルコンタクトモードでの、起動リクエスト受領……起動シーケンス完了。ハルカ提督の神経接続深度ダイブ5到達を確認……出撃スタンバイ……。ハルカ提督、ご武運を祈ります」
……返答は無かった。
天霧もすでにもはや、ハルカ提督が返答出来る状態ではないとすでに理解していた。
「……さようなら。よい旅を……せめて、存分に……」
……かくして、ハルカ・アマカゼ提督の最後の戦いが始まった。