第五十話「ジュノーの反乱」③
誰にも咎められず、心ゆくまで天然葉巻の紫煙を蒸す。
宇宙船や宇宙ステーションはもちろん、エーテル空間でも、昔ながらの紙タバコによる喫煙は原則禁止とされ、地上世界でも、無人区域にでも行くか、電話ボックスのような喫煙ボックスでのみ喫煙が許されている……要するに、超厳しい。
そもそもそんな紙タバコなど……街中でも普通に売っていない。
天然物の葉巻ともなると一本一万クレジットは軽くする……言ってみれば、至高の贅沢の一つだったのだが。
ここでは、ジュノー公認で喫煙が許されており、ジュノーがそこらに転がっていた鉄板を無造作に折り曲げて作った手作り灰皿まで用意され、まさに至れり尽くせりだった。
「おう……ジュノー卿、あんがとな。まったく、今日日の銀河宇宙じゃこんな天然葉巻なんて、何処行っても火を付けただけで消火剤ぶっかけられるんだぜ? だがまぁ……勝利の美酒ならぬ勝利の一服ってのはやっぱ最高だなぁ! おいっ!」
本当は、この葉巻は今際の際の一服用で、ゲーニッツにとっては、いつ死んでも受け入れる覚悟があると言う戦争屋としての矜持と言うべき代物だったのだが……そこはひとまず棚に上げる。
今回の大勝利に加え、代用品とは別格の天然葉巻の味わい……。
まさに最高の気分を堪能していた。
「そうですね! 今回の戦いは私も大勝利でしたからね! なんだか、ゲーニッツ中佐と喜びを分かち合えたような気がして、私も最高の気分です! あ、ジュノー卿なんて他人行儀な呼び方ではなく、ジュノーと呼び捨てにしていただいて結構ですよ」
……ジュノーは本来、降伏した敗者のはずなのだが。
彼女にとっては、この戦いは敗北ではなく、紛れもない勝利だった。
ゲーニッツも、冷静に考えるとジュノーがおかしなことを言っている思ったのだが。
まぁ、本人にとっての大勝利なら、大勝利なのだろうと片付けた。
ゲーニッツは、あまり深くは考えない主義なのだ。
「ははっ! そうかい、じゃあ好きに呼ばせてもらうぜ……ジュノーちゃん。と言うか、最後に一暴れくらいされる覚悟だったんだが。あれだけ派手に撃ちまくってたワリには、なんとも、大人しいもんじゃねぇか……どういうことだ? まぁ、そこのガラクタは俺らにとっては、何の価値もねぇんだが、アンタは別だからな。せっかくだ……なんか要望でもあるなら聞くぜ?」
……帝国はテロリストには一切の容赦も妥協もしない。
アルフレッドは、重力爆弾によるゲート破壊未遂をやらかした時点で、公式にテロリスト認定されており、再現体だろうがなんだろうが、すでに人間扱いすらされていなかった。
そして、この時点で完全機能停止状態となっており、ジュノーが言うように修理すれば、復活する可能性もあったのだが……その可能性は、限りなく低かった。
もっとも、現実世界での復活の可能性がないだけで、VR環境で再生した上での保護観察。
恐らく、そんな所になるだろうとゲーニッツも予想はしていた。
いかんせん、再現体と言う者達は、もれなく事実上の不死の存在なのだ。
殺しても、あまり意味がない上に、その時点で自由を与えるようなものなのだ。
そして、彼のような存在を欲する者達はこの宇宙にいくらでもいる……過激派平和主義団体「ブルーアース」に、地球崇拝主義者の「地球教団」、反帝国地下組織「神々の黄昏」……などなど。
ゲーニッツは特殊部隊の隊長と言う職責上、この手合とも幾度となく交戦経験があり、その辺りの事情には詳しかった……。
どいつもこいつも何度も組織自体を壊滅させつつも、いつの間にか復活することで数百年もの間、帝国相手に幾度ともなくテロを仕掛けてきた連中だった。
だからこそ、彼が生きていた21世紀の時代の再現VR環境でも構築して、ぼんやりとした日々の繰り返しでも送ってもらう事で事実上、拘束する。
この辺りは、不死者の集団とも言える銀河守護艦隊と戦う上で必要となるであろう、不死者の拘束方法として、予め定義されており、そこまでする必要があるだろうと想定されていた。
今となっては、知ることも困難な21世紀の空白の時代の記録や、当時の地球環境の情報など、彼の持つであろう情報には、それなりの価値はあるはずなのだ。
彼のしでかした事を考えると甘い対応だと、ゲーニッツも思うのだが、殺して終わりのテロリスト共とは、訳が違うのだ。
どのみち、アルフレッドの処遇など、ゲーニッツの考えることではなく、気にしないことに決めた。
……なお、ジュノーも帝国軍に尋常ならざる損害を与えていたのだが。
ジュノーは、指揮命令者の命令に従い戦っただけの話で、テロ行為には一切関わっておらず、そもそも彼女達には、AI達同様責任能力は無いと定義されているのだ。
まさに天国と地獄なのだが、再現体とは本来彼女達の管理責任者であり、責任を取ることがその存在意義と言っても過言ではないのだ。
故に、アルフレッドもそのお役目を全うした……と言えなくもなかった。
もっとも、ジュノーの艦体損傷は、凄まじいことになっていて、ここに来るまでの通路はどこも無事なところはなく、燃料も電力もなにもかもを使い尽くしており、普通に沈没寸前だった。
さすがに、このまま沈めては元も子もないと言う事で、工作艦と補給艦を横付けして、工作班によるジュノーの応急修理が急ピッチで行われていた。
ゲーニッツ達第3中隊も、空中機動歩兵装備を身に付けて、艦外補修作業や、周辺警戒に回っていて大忙しだったのだが。
隊長のゲーニッツは、特に仕事があるわけではなく、ジュノーの監視役と言う事で、適当に話し相手になっていた。
「いえいえ、補給と応急修理までしていただいて、これ以上求めるものなどありませんよ。強いて言えば、今後の私の身の安全の保証を頂いた上で、身の振り方のご相談させていただきたいのですが……。もちろん、私は一切抵抗もいたしませんし、皆様の安全についてもこの私が保証いたします」
逆を言えば、彼女がその気になれば、如何に精鋭陸戦隊であるゲーニッツ達でも間違いなくまとめて瞬殺される。
その程度のことは、ゲーニッツもよく理解している。
だが、彼女がそれをしないと言うのは、これまでの経緯でも明らかで、少なくともゲーニッツとジュノーの間には、信頼関係と言うべきものが生まれており、そこは安心材料と言えた。
「お前さん、割りと抜け目ねぇよな……。シーゼット卿、そこらへんどうなんだ? ワリぃが細かい説明やらはそっちに任せるぜ」
『ゲーニッツ中佐、了解。ジュノー卿……貴女はこれより、正式に我が指揮統制下に置かれる事となります。名目上は帝国軍所属となりますが、あくまで我々の指揮統制上の都合による一時的な措置ではありますので、その点はご安心ください』
……スターシスターズ鹵獲時の想定マニュアル通りの対応ではあった。
プライマリーコードを差し出した時点で、それは彼女たちにとっては命令には逆らわないと言う意思表示であり、その場合は、自らの指揮下に置くというのもAIの論理規定では、正しい行いだった。
AIと言うものは、人間以上に命令系統の明確化と、その定義にこだわる傾向が強い。
そして、AI達は人間と違って、恨み恨まれだの、憎しみが云々と言う感情は、全く理解しがたいものと考えている。
故に、つい先程まで派手に砲火を交えていた敵であっても、降伏し指揮下に下った時点で、味方であり、配下として遇するのは当然の話なのだ。
要するに、今ジュノーが受けている待遇もシーゼットとしては、友軍艦艇の救援と言う事で、なんら不自然な行動ではなかったし、恩を着せるつもりもまったくなかった。
「……とのことだ。まぁ、俺らは味方は撃たねぇから安心しろ。そこら辺、そっちも同じって事でいいよな?」
「了解しました! えっと、そうなると……私の戦後の処遇はどうなるんでしょうね? そこがむしろ、大事なんですが」
「まぁ、そうだな……。すまんが、この戦争が終わるまでは、監視と拘束くらいはさせてもらうことになるが。その後だったら、別に好きにすりゃいいさ。もっとも、銀河守護艦隊は多分、縮小……或いは消滅ってなるだろうがな……その上で、どうするかはお前らの問題だろ?」
「えええっ! 何言ってんですか! そんな無責任なこと……あり得ないと思います! そこは断固抗議しますよっ!」
何が逆鱗に触れたのかよく解らないが、彼女は明らかに怒っていた。
と言っても、腕組みをして頬を膨らませてと、むしろ可愛らしいものだったのだが、その人間じみた感情表現の豊かさについては、ゲーニッツも困惑を隠せなかった。
「はぁ? 何言ってんだ……てめぇ。要するに、俺達はこの戦争の間は拘束するが、その後は晴れて自由の身だから、好きにしろって言ってるんだぜ。それでなにか……問題あるのか?」
「あります! 大アリです! 大問題ですっ! いいですか? それって要するに、この私に野良巡洋艦になれって言ってるんですよ? 捨てる神あれば拾う神あり……拾ったからには最後まで面倒見てください! ええ、それが私のたった一つの要求です!」
……思わず、ゲーニッツ中佐も目が点になり、この会話をモニタリングしていたフェーベル中将も首を傾げ、シーゼットも無言になっていた。
「ん……ああ。その……なんだ。お前らは、銀河連合や再現体提督に忠誠を誓ってるとか、そう言う事なんじゃないのか? 何より、お前たちはお前たちの魂の故郷……地球の海へ帰るのが目的……そんな話も聞くんだが、そこら辺どうなんだ?」
自前でエーテル空間戦闘艦を建造し、独自の軍事力を保持するようになった帝国軍は、かつてのエーテル空間の主戦力だったスターシスターズ達からは、仮想敵や競合相手として認識されており、半ば必然的に距離が出来てしまっていて、彼女達についての理解は、すっかり乏しいものとなっていた。
なお、彼女達に、どこか行きたいところがあるかと聞けば、海洋惑星で船を流したいとかそんな答えが帰ってくるのだが。
実際にやらせると大抵三日で飽きるのが常と言われており、それ以外の欲求としては、とにかく人間と共に敵と戦いたいと言う戦争狂のような答えが帰ってくるのが常だった。
300年前の黒船との戦いで動員されたスターシスターズは、銀河守護艦隊発足後、当然のように、その多くが再現体提督達共々、その管理下に置かれたのだが。
管理下に置かれなかった駆逐艦クラスの個体もいくつか出ていて、それらについては野良駆逐艦などと呼ばれ、ハルカ提督達の目から逃れるように、艦艇を隠蔽した上で、頭脳体だけで人間社会に潜伏していたり、しれっと艦体をエーテル空間輸送艦に偽装するなどで、割りと堂々と帝国にも入り込んでいたのだ。
なお、帝国もその所在のすべてはマーク出来ていないし、国内にも数体ほど紛れ込んでいるのが確認されているのだが、それら野良駆逐艦と言っても、人に危害を加えないと言う制約は共通で、別に悪さをする訳でもなく、中には民間人をマスター認定して、よろしくやっているようなケースも散見されていた。
帝国としても、とりあえず、下手に刺激しないでそっとしておこうと言う方針で、遠目から定期的に観察する程度に留めており、その辺りは銀河守護艦隊との戦いが勃発してからも何ら変わりはなかった。
「うーん、地球の海……ですか? そんなのは割りとどうでもいいんですよ。良いですか? 我々は常に戦場と、そして何よりも勝利を求めてるんですよ! そこはお分かりですよね?」
「ま、まぁ……今のお前さんは、俺らの指揮管制下にあって、俺らの仲間みたいなもんではあるんだが……。戦場も勝利も欲しけりゃやれるとか、そんなもんじゃねえだろ?」
「そりゃそうですよ! でも、だからこそ落ち目の銀河連合やら、フリーランスとかじゃなくて、寄らば大樹の陰、乗るしかない勝ち馬に! ここまで言えば、私が何を求めてるのか解りますよね?」
要するに、帝国軍で面倒見てくれと。
ジュノーは、そう要求していた。
確かに、戦争と勝利……それを手に入れるとしたら、帝国側に立つ……今の情勢では、それ一択だろう。
帝国軍人たるゲーニッツもそこは、大いに納得出来るのだが、さすがにこれはゲーニッツ一人で独断専行出来るような話ではなかった。
「フェーベルの大将! それにシーゼット卿! 聞いてるんだろ? どうすんだ……これっ! こんなん一中佐の俺に投げていい話じゃねぇだろ! こちとら判断に余るぜ!」
『ゲーニッツ中佐、了解した……本件はこの私が預かります。現時点で当方の判断としては、当事者の要望を最大限尊重するべきと考えます。……これはフェーベル中将からも同意いただいています。つまり、ジュノー卿……貴女のご要望通りにさせていただくということですね』
なお、AI達の軍内部での階級は、その指揮命令者と同格として扱われるのが常だった。
シーゼットの場合、その指揮命令者はフェーベル中将であり、フェーベル中将の同意委任があるならば、シーゼットの指示や判断は中将のものとして扱われる。
それ故に、その言葉はこの場では絶対と言ってよかった
「まぁ、それが妥当だな……。良かったな! ジュノーの嬢ちゃん。アンタのご要望通りにするってことだ……まぁ、我らが帝国は来るもの拒まずだからな! 俺らと一緒に戦うってことなら、大歓迎だぜっ!」
そう言って、ゲーニッツが手を差し出すと、嬉しそうにジュノーが両手で握り返す。
「ふふっ……いやぁ、満額回答とはさすが太っ腹ですね!」
『はい、そう言うことですね。ただジュノー卿……貴女の希望は、我が帝国軍の所属艦艇となり、我々と共に戦いたいという事だと理解しましたが。その場合は、帝国軍の人間の将校を艦長……指揮管理者として受け入れると言うのが最低条件となります。その点につきましては、ご了承いただけないでしょうか?』
「……艦長ですか? いいですよ! 私、巡洋艦なのでそうなると中佐辺りが妥当ってとこですかね? それは私が選んで良いんですか? それともそちらの都合に合わせるということですか?」
『ええ、貴女の要望を尊重いたしますので、ひとまず、こちらから候補者リストを送付いたします。その上で、お好きなように人選いただき、当事者同士で面談……その上で決めると良いでしょう』
「なるほど、なるほどぉ……。そうなると、中佐だったら誰でも良かったりします?」
『まぁ、そうですね……。我が宇宙軍でも巡洋艦の指揮官は中佐、ないし少佐が着任するというのが通例ですからね。貴女が気に入った者を好きなように選ぶといいでしょう……時間も候補者もいくらでもありますから、この場で決める必要もありませんし、指名された当人は正式な軍命令により着任となるので拒否権は事実上無いので、そこは遠慮しないでよろしいかと』
「では……このゲーニッツ中佐を私にくださいっ!」
ゲーニッツ中佐も交渉役でも当事者でもなくなった事で、余裕ぶっこいて、呑気に葉巻を蒸しながら、手の空いた部下達と談笑していたのだが。
唐突に自分の名前が出たことで、思い切り煙を吸い込んでしまいゲホゲホとむせ返りながら、とりあえず抗議の叫びを上げた。