第三十九話「イフリートの脅威」②
もっとも、バーソロミュー伯爵についてはエインヘリヤル化している可能性も高く、話し合いがこじれて、殺し合いなどに発展してしまったら、不味いことになる……そうも思ったのだ。
だが、エインヘリヤルの火の精霊化を防ぐには、神樹の種で中和することが可能で、それ自体は単純に物量勝負となる事はホドロイ子爵の一件で判明しているので、抵抗されて死なせてしまったり、降伏勧告中に発作的に精霊化が始まったら、神樹の種をバッサと振りかけるように助言していたようなので、恐らく問題ないと判断している。
なお、私はオズワルド子爵とはまだ直接言葉は交わしていない。
向こうとの連絡は、カザリエ男爵と言う貴族が対応し、こちらもエイル殿が窓口として対応していた。
もちろん、私は最前線の現場にいるので、私が直接オズワルド子爵へ声掛けしようとしたのだが。
エイル殿もカザリエ男爵も揃って、まずは衆人環視の上で、オズワルド子爵が自ら膝を付き臣下に下る宣誓を行うのが先で、その上でなければ、直接言葉を交わしてはならない……とかなんとか言う、謎の理由を並べられて却下された。
まぁ、要するに形式と演出が大事と言う事で、私が貴族達よりも上の立場だと言うことを内外に知らしめる為にも、まず貴族が先に膝を付き、この私が臣下として公に認める……そう言う形式を取る必要があるようなのだ。
いや、実のところ……私もよく判らんのだっ!
エイル殿もカザリエ殿も全くもって意味が判らん事を言っているのだが、なにぶん、当事者たるオズワルド子爵自身が貴族に対して、来るもの拒まずなどとやるのは駄目だと言っているのだから、私がどうこう言っても無駄なようだった。
もっとも、エインヘイリアル対策もエイル殿がちゃんと先方に伝えて、神樹の種も手渡していたようなので、問題はなさそうだった。
もっとも、万が一中和に失敗した場合は、全力で撤退するようにも伝えている。
炎の精霊自体は、本来ならば対処法もなかったようなのだが。
実のところ、ボーボーと火を吹くくらいで、さしたる攻撃力もない事は解っている。
あれが面倒なのは、その未来予測能力とラースシンドロームの感染源となる事なのだ。
どのみち、精霊化したところで、リンカを使えば仕留めることは容易い。
……そうなったら、我々が対応するまでだった。
実際、そうなることを想定して、飛行船にはリンカも同乗しており、先程も伯爵をレティクルに捉えた上で、その最後の抵抗を排していたようだった。
……まぁ、私には望遠鏡で見ても、部屋の中は真っ暗で何も見えないのだが。
リンカが言うには、剣を抜いたので狙撃して剣だけへし折ったとのことだった。
そもそも、当てられるものなのか……それは?
……と私も思ったのだが。
殺っていいなら、眉間スナイプで一撃で仕留められるとも言っていた。
まぁ、未来予測能力者はその程度の理不尽、平然とこなすそうなので、別に驚きには値しない。
……私自身は、臨時の空中司令部となった飛行船にて回収された上で、上空から戦況観戦に徹するようにエイル殿からもお説教混じりに進言されており、その言に大人しく従っていた。
なお、最初は悪いと思ったので、正座でエイル殿のお説教を聞いていたのだが。
それじゃ、問題あると言う事でリクライニングの利いた籐の椅子みたいなのが用意されて、今はそれに座っている。
自然と偉そうな姿勢になってしまうのだが、むしろ偉そうにしててくれということなので、そうさせてもらっている。
私にしては、なんとも平身低頭と言った調子なのだが。
エイル殿は500歳超えの年長者も年長者なのだ。
皇帝だったとは言え、わずか20年も生きていない若輩者の私としては、年長者には敬意を払うのは当然なので、それは至って自然な対応だった。
なにぶん、エイル殿も私が自ら、巨神兵に乗って最前線で地竜と戦っていたなど夢にも思っていなかったようで、シュバリエでは私の姿が見えないことで、プチパニックが起こっていたらしかった。
そう言えば、私の所在は誰にも伝えずに、無造作に指示を出していたな……。
まぁ、相当なご迷惑と心配をかけてしまったようなので、そこは別に異論はないし、それ故にエイル殿のお説教に対しても、私は真摯に受け止めている。
心配おかけして、ごめんなさい。
これは、私も心からそう思っており、エイル殿にもその旨、伝えてもいる。
巨神兵の嚮導役についても、どうやらソルヴァ殿達ももはや私など必要としないようだし、問題も起きようがないと判断していた。
事実、ソルヴァ達は巨神兵の圧倒的な威容を見せつけることで、道中にいた伯爵の主力部隊を蹴散らした上で、城下町に陣取っていたバーソロミュー伯爵の手下共の戦意を根こそぎへし折ることで、こちらの戦いもとっくに終わっていた。
どのみち、巨神兵は今の時点で十分戦力になるし、空の上の玉座というのも、居場所としては悪くなかった。
そんな訳で、私自身もこの戦の完全勝利を確信していたのだが……。
どうも、ここに来て、なにやら想定外の問題が発生したようだった。
「……くっ! 一体どうなってるんだ! いきなり爆発しただと! オズワルド子爵は無事なのか!」
エイル殿が絶叫するように騒ぎ立てていた。
いつも冷静なこの御仁にしては、珍しい。
ドンという遠雷のような音に続いて、衝撃波で飛行船が盛大に揺さぶられており、私でもただならぬ事が起きたのだと理解していた。
「わ、解りません! ですが、オズワルド軍も総員全力で撤退中のようです! い、一体何が起こったのよー!」
操縦士でもあるファリナ殿も状況は解らないようで、縁から乗り出すようにして、様子を見ているようだが、詳細は未だ解らないようだった。
「まぁ、皆の者……まずは落ち着け。こう言う時は、冷静に状況を把握するのが先決であるぞ! リンカ……お前は何が起きたか解るか? 念のために、伯爵の様子を監視していたはずであろう?」
「い、いえ……ちょうど死角に入ったところで、何かが起きたようなのですが……。けど、これは良くないですっ! 凄く嫌な予感がします!」
リンカの凄く嫌な予感とは……もう、この時点でヤバイことが起きると告げられたようなものだ。
私も未来予測能力者の「嫌な予感」を軽んじるほど愚かではない。
そうなると、オズワルド子爵が何かしくじった可能性が高かった。
アイゼンブルク城の方角を見ると、どうも爆発でも起きたようで、屋根やらなんやらがまとめて吹き飛び、地上では、オズワルド軍の兵士達が次々と城門へ殺到し、オズワルド子爵殿らしき者が、懸命に残っているものへ呼びかけながら、避難誘導しているのが見えた。
……どうやら、今の爆発は序の口で、この後に本命の大爆発が起きるようだった。
事実、爆心地と思わしき辺りで、急速に火の魔力濃度が急上昇しており、建物自体もたちまち火の手に包まれていくのが見えた。
……これは不味いな。
「リンカ……これから何が起きる? 端的に告げよ」
「……おそらく、大変なことになります……もう一度爆発が……。しかも……かなり、大きいです! アスカ様、ここですら、安全地帯でないかも……今のうちに急ぎ退避を……けど、間に合うかどうか……」
ここからアイゼンブルグ城までは、軽く2kmくらいは離れている。
それで安全地帯ではないとなると、ただ事ではない。
「ファリナ殿……リンカの言葉は聞こえたな? 直ちに全速力で後退だ! その上で高度を一気に下げろ! 恐らく、とんでもない規模の爆発が……来るぞ! エイル殿……緊急脱出の準備を! 皆の者、急げっ!」
……猫耳を畳んで怯えきったリンカの様子と、魔力集中の勢いから察するに、恐らくもう手遅れなのだろうが、一応指示は出しておく。
……一言で言えば、火の魔力の塊だった。
火の魔力があんな密度で集まってしまうと、いずれ大爆発が起きるだろう。
そして、それは徐々に人の形を取りつつあった。
……まさか、これは魔力の物質化現象か!
いや、確かにヴィルゼットも理論上ありうると言っていたし、神樹の種……神樹結晶もあれも魔力が凝縮されたようなものだ。
魔力を司る架空元素たる魔素を空間の一箇所に凝縮すると核融合ならぬ、魔素融合が発生し、質量を持たぬエネルギー体たる魔力が物質化する……そんな話だった。
なるほど……お母様が無尽蔵に神樹結晶を生み出すのは、そう言う事なのだ。
もっとも、魔力とは何もない無から、有を生み出す……。
それが高濃度で凝縮することで、分子合成のような現象が起きる……そう言うものだと考えられていた。
なるほど、マナストーンが単純な分子合成や複製で作れないのも当然の話だ。
あれは純然たる魔素の凝縮体であり、我々の科学とは別の理の産物なのだ……。
だが、なんなのだ……あれは?
魔力凝縮による物質化が起きているのは解るが、いったいどういう現象なのだ?
確かに精霊化に際し、盛大な爆発が起きたのは記憶に新しい。
だが、炎の精霊は、あんな巨大な人型ではなかったし、物質化などはしなかったはずだ。
何とも言えないが、どうやらあれは爆発直前なのは間違いなかった。
どの程度の爆発が起きるかは解らないが、あの位置での爆発ともなると、遮蔽物や城の建物自体に阻まれることで、地上への被害はさしたるものではないと思うのだが。
空中にいるとなると、話は別だ。
爆発の衝撃波や周囲に飛び散った火の粉の雨に巻き込まれたら、こんな軟構造飛行船などひとたまりもない。
現状、直ちに地上へ飛び降りて、地面に伏せたほうがまだマシであろう。
だが、安全にゆっくり降下していたら、間違いなく間に合わない。
「……ファリナ殿! もう構わぬから、気嚢からガスを全て抜け! このままだと爆発の余波を受けて気嚢に燃え移って炎上……最悪、飛行船諸共まとめて爆発するぞっ! この際、墜落させても構わんからやれっ!」
なにせ、この飛行船は水素ガスを浮力に使っているのだからな。
通常の運用では火種がない以上、引火する可能性は低いのだが、火の粉が降り注いだり、爆風に巻き込まれるとなると話は別だ。
幸い高度はあまり上げておらずに、せいぜい300m程度の高さだった。
この程度の高さなら、まだなんとでもなる。
オタオタしているファリナ殿を後目に、エイル殿が無言で剣を抜くと、飛行船の気嚢部めがけてざっくりと斬りつける。
さすが、決断が早い。
地上への緊急着地など、今からでは到底間に合わないからな。
空中で爆発の衝撃波をまともに浴びるくらいなら、迷わず機体を墜落させるべき。
そんな、私のムチャな指示に迷わず従うという決断をしてくれたようだった。
……どうやら、飛ぶ斬撃のようなものだったようで、剣自体は触れていないのに、気嚢に大きく切れ込みが出来て、急速に水素ガスが抜けて、やがて飛行船も真っ逆さまに墜落を始める。
むしろ、今の気になるし、やたらとスマートでかっこよかった!
やはり、この世界の魔法は私など想像もつかない様々なものがあるようだ。
と、呑気に構えている暇はなかったな。




