第三十話「謀略戦」①
……世界救済の日と称する炎の日。
その予言の言葉をそのまま受け取ると、地上が炎で焼き尽くされると言う……どう聞いても厄災の予言としか思えない予言なのだが。
炎神の炎は、炎神教徒以外のすべてを焼き払い、炎神教徒にのみ救済を与えると言われていた。
もはや、どう解釈してもただの邪神信仰以外の何物でもないのだが、そんな邪教が正式に宗教として認められて、貴族の多くにその信者がいる時点で、この王国はもはや末期状態と言えた。
……だが、このタイミングでの炎国の出兵。
それが伯爵とつながっているとなると、もとより神樹帝国に対しての二正面作戦を画策していたと言うことでもあった……。
そして、それはつまり炎神教団による王国殲滅作戦が始まったと言えた。
オーカスの反乱は伯爵にとっても、計算違いだったようだが、全ては意図され仕組まれ、オズワルドも巨大な流れの奔流の中にいる……そう言うことだった。
そもそも、今回の神樹帝国の討伐戦も、軍事の素人の伯爵が考えたにしては、穴だらけながらも、巨視的な視点で見ると、多くの者達が有機的に連動しており、それなりに考えられたものであり、何よりも時間とともに戦力が増大する長期戦を想定した作戦であり、素人が考えたとは思えない作戦ではあったのだ。
貴族の中でも目端が利き、軍事にも相応に通じているオズワルド子爵もそんな風に思っていたのだが。
伯爵の背後に炎国がいるとなると、全て納得がいった。
完全な売国行為であり、恥知らずの誹りは免れないだろうが。
おそらくこの戦いに、バーソロミュー伯爵が勝利した暁には、アルギス王子一派による現王の放逐、神樹教会の弾圧が始まり、炎神教団の本格的な王国侵攻が始まる。
これらが同時多発で行われ、大規模な戦乱となるのは確実だった。
何よりも、ここアイゼンブルグの城前にも、続々と旗印を隠した身元不明の騎士や兵が集まって来ている辺り、南部貴族や大貴族達がバーソロミュー伯爵を支援しているのは確実だった。
ここまで情勢が悪化しているとは、オズワルドも予想外で、自らの計画に修正を加える必要を感じていた……。
そして、カザリエ男爵ともども、呆然と中庭を見下ろしていたオズワルド子爵だったが、上機嫌そのものと言った様子でバーソロミュー伯爵が歩み寄り、気楽そうに二人の間に押し入ってくると二人の肩に手をおいた。
「くくく……オズワルド子爵殿、それにカザリエ男爵殿……すでに貴殿らにも状況は理解できたと思うがどうかね? 貴殿らがこの戦にあまり乗り気ではないのは解っているのだぞ」
「……いえ、私はこの戦は正当なるものだと……」
「建前など良いのだ……どのみち、吾輩は貴殿らをどうこうするつもりはないのだ。実際、貴殿らは自らの軍勢を我が助勢として出していただいているし、多くの補給物資なども都合いただいているのでな。吾輩、貴殿のメッセージを読み違えたりはしておらんぞ? まぁ、日和見な態度や何かというと毒を吐くのは感心せんが……。まぁ、よくある話であるからな……吾輩は寛容だからな……全て許そうではないか!」
「……はっ、ありがたきお言葉……然と肝に銘じるとします」
「それで良いのだ……。だが、一つだけ忠告させてもらうぞ……くれぐれも風向きを読み違えてはいかんぞ? ……ここまで言えば、吾輩が何を言いたいか解るであろう? クックック!」
要するに、くれぐれも裏切るなと。
そう言うことであった。
「……ありがとうございます。まったく、この圧倒的な力が、我らに向かわずに済んで、胸を撫で下ろしておりますよ」
「ふむ、そうか。一応言っておくが、吾輩を後押しするものは多いのだ……今はその名を出す訳にはいかんのだが、王国の名だたる大貴族達が吾輩の支援者として名乗りをあげているのだ。我が軍勢は最終的には5000を超える事になるだろう。つまり、その気になれば、いつでも貴殿の領土を席巻できるのだ。あまり、迂闊なことは考えぬほうが身の為だ……まぁ、老婆心ながら警告しておいてやろう。さて……吾輩になにか言うことはないかね?」
「そうですな……。数々のご無礼、ご容赦いただけているようで、感謝の言葉以外の何もありませぬ……私も伯爵殿を支持者として、その名を連ねることをお許しください」
「……良い心がけではないか! うむ……吾輩は寛容なのでな……ああ、これまでの無礼の数々……当然、全て許すぞ。そして、貴殿の謝罪も受け入れようではないか。よいな? くれぐれも……何もしない方がいいぞ……。なにぶん、兵を出しただけで、貴殿の誠意はすでに伝わっているし、貴殿も古き血筋の貴族であるのだからな……。無意味に貴族の血が流れるような事はあってはいけない……解るであろう?」
要するに脅迫なのだが、そこはオズワルド子爵も承知の上であり、それ故に面従腹背に徹しているのだ。
そもそも、バーソロミュー伯爵がこんな風に圧力を掛けてきたり、無茶な要求をしてくるのは今に始まったことではないのだ。
それに、対応自体は簡単だった。
要するに、大義名分さえ与えなければ良いのだ。
事実、オズワルド子爵は今回も伯爵の要請に応える形で軍勢を出した上で、少なからぬ量の兵糧や様々な物資を供出していたのだ。
この事実は極めて大きく、他の貴族達からもむしろ驚愕をもって受け止められていたほどだったのだが、それ故にバーソロミューもオズワルドに対し、強く出ることが出来なかったのだ。
もっとも、その軍勢は歩兵中心故に装甲騎兵中心の他の貴族とは、別行動になることは始めから決まっていたようなものなのだ。
案の定、オズワルド軍は後詰めとして、アイゼンブルグ近郊へ配備されることなった。
……状況は、むしろオズワルド子爵の意図したとおりに動いていた。
後は……バーソロミュー伯爵が神樹帝国相手に決定的な敗北でもしてくれれば、こっちのものだった。
そして、地竜とロックゴーレムを見た今でも、オズワルド子爵はそうなることに変わりはないと確信のようなものを抱いていた。
神樹帝国皇帝アスカ……彼女とは直接、面識もないのだが。
彼女からのメッセージはすでに受け取っており、彼女はこの程度の障害……物ともしないであろうと、ある種の確信を得ていたのだ。
だからこそ、今更安い挑発に乗るような事も無かった。
「……はて、何のことでしょうな。どのみち、我が軍程度では、装甲騎士相手では一蹴されるだけ。私は長いものには巻かれる主義なのですよ。仰るとおり、我が軍勢は後詰ゆえに、万が一味方が敗走でもしない限り、何もしないつもりですよ……それが後詰と言うものですからな。その万が一が無い限り、出番が無いのは致し方ありません……。与えられた役目は、立派に務めるとこの場で誓いましょう」
……本当は、神樹様に誓ってと続けたかったのだが。
それを言って、わざわざ不興を買うまでもなかったし、オズワルド子爵のその返答の時点で、伯爵の期待通りの返答だったようで、バーソロミュー伯爵は勝ち誇ったように大笑いを始める。
バーソロミュー伯爵としても、オーカスの鎮圧戦の只中にオズワルド子爵の軍勢が決起し、後背を脅かす事を、最悪の可能性として考えており、それだけは避けたかったのだ。
故に最悪、適当な理由をつけた上での先制攻撃も辞さないとまで考えていたのだが。
そうならずに、向こうから取り入ってきて、手勢として取り込めたのは、むしろ好都合……僥倖だと思っていた。
そして、その当事者から何があっても何もしないとの言質を引き出せた上で、自軍の只中に放り込むことでその自由を奪い取る。
オズワルド子爵はもはや、なんら脅威ではない……そんな風に勝手に決めつけていた。
なんともおめでたい話であったが、この国の貴族とは所詮、その程度ではあった。
「はははっ! いいだろうっ! オズワルド子爵も実にいい心がけであるな! 日和見主義……大いに結構であるぞ! そう言う事なら、誰も貴公を臆病者などと罵らんであろうな。ふはははははっ! はーはっは!」
まさに、勝利の高笑いだった。
少なくともバーソロミュー伯爵は、この時点で自分達の勝利を確信していたのだ。




