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第三章 「俗物な私 」

 悩みごとがあっても腹は減る。モヤモヤした気持ちのまま会議の資料を作成し終えると、私はおもむろにデスクから腰を上げた。そしてなに食わぬ顔でお財布片手に、社食へと向かうのです。

 人間とはかくも浅ましい生物だ……いやいや、浅ましいのは人間じゃなくて私だっ! 一人、心の中でツッコミを入れながら、私は同僚の有紀と共に社食のテーブルに腰を下ろした。


 因みに本日のチョイスは、1番人気のサバの味噌煮定食。おっさん臭いと思うかもしれないけど、これがまた少し濃いめの味付けで、怖いぐらいに白いご飯が進んでしまうのだ。炭水化物が怖いお年頃にとっては、禁断の果実。というわけで私にとっては、月に一度のお楽しみメニューなのです。


 とはいえ今日は思いのほか箸が進まない。理由は自明です。あの子、もう帰ってきたかなあ……私は大好物のサバ味噌を見つめながら、彼の華奢な背中を思い起こした。

 昨日、突然に決まった謎の美少年との同棲生活。青は一昨日の深夜に起こった出来事を私に説明すると、なにやら用事があるようで慌ただしくマンションから出て行った。

 

 これには正直いって、ホッとした。同棲経験などない私にとって、他人との共同生活は未知の領域だ。しかもベッドは一つ。ソファーはあるが寝るには小さ過ぎる。

 そうなると必然的に仲良く二人で、ということになってしまう。しかもシングルベッドで……。


 どうせ一回ヤッちゃってるんだし、別にいいじゃん、という開き直りの考え方も出来る。だけど如何せんその行為自体の記憶がないため、私的にはヤッてないのも同然なのだ。

 まいったなあ……私は髪の毛をかき上げながら、ミネラルウォーターを取りにキッチンへと向かった。すると電子レンジの上には、胃薬とお粥のレトルトパックが置かれていた。二日酔いで病んだ胃には最適な食事。しかも卵と鮭の2種類がある。全く気の利く子だこと……。


「ちょっと奈々?」

 

 よしっ、奮発して布団一式を買ってあげようっ! あの子も私と寝るよりそっちの方が――。


「ちょっと奈々、あんた聞いてんの?」

 

 テーブルを小突く音で、私は我に返った。向かいの席では、有紀が呆れた表情を浮かべている。どうやら昨日の回想に夢中で彼女の声が聞こえなかったらしい。


「ご、ごめん、なんだっけ?」


「だから昨日の件よ。どうだったの?」


 有紀は親指を立てながら、ニヤニヤと小首を傾げて見せた。そういえば色々なことがあり過ぎて、まだこの親友にはなんの報告もしてなかった。 

 っていうか、かなりいいづらいんですけど……そう思いつつ私が口ごもってると、有紀はなにかを察したように眉間にしわを寄せ始めた。


「……もしかして、プロポーズじゃなかったとか?」


「いや、それどころか……」

 

 私は覚悟を決めると、ことの真相を有紀に伝え始めた。するとその悲惨な話に、彼女の顔色は見る見るうちに曇り出してゆく。そして全てを聞き終えると、鼻息を荒くしながらこういってきた。


「最低、信じらんないっ!」


「でしょ? 私も耳を疑ったわ……」


「よしっ、いまから私が会社に乗り込んで文句いってやるわっ!」


「ちょ、ちょっとやめてよ」


「だって酷過ぎるじゃんっ! あんたこのまま泣き寝入りでいいの?」


「そんなこといったって……もうあんな惨めな思いするの嫌なんだもん」


「奈々……」


「だから、もういいの」


「本当にこんな終わりかたでいいの? 後悔しない?」


「……うん」


 私が小さく頷くと、有紀は大げさに溜め息を漏らした。そして暫く口を噤んだあと、自分のカキフライを一つ差し出してきた。


「まあ、これでも食って元気出せっ!」

 

 カキフライ1個じゃ、元気出ねえよ……でも、ありがとう。私は心の中でお礼をいいながら、親友からのおすそ分けを頬張った。うまっ! 失恋しようが、厄介事を背負い込もうが腹は減る。

 

 作田奈々・28歳。相変わらず未だ俗物のままだ。そんなことをボンヤリと考えながら、私がサバ味噌に箸を伸ばそうとした時だった、有紀がテーブルを拳でドンと叩いた。


「よしっ、明日は休みだし、今日はあんたのとこで朝までとことん飲もうっ!」


「無理無理無理、それだけは絶対に無理っ!」


「……なんなのよ、そのびっくりするくらいの拒絶っぷりは」


「いや、別に拒絶っていうんじゃ……」


 家に美少年を飼っているなんて、口が裂けてもいえない。ましてや無理やりヤッちゃったなんて……イケイケの有紀だって流石に引くはずだ。っていうか自分自身でもドン引き中です。


「ああっ! あんたもしかして、失恋で自暴自棄にでもなって、若い子でも引きずり込んでんじゃないでしょうね?」

 

 はい、有紀ちゃんビンゴっ! っていうか、めっちゃ恐っ! 一体なんなの? その驚くべき勘の鋭さはっ!


「なにバカなこといってんのよ。んな訳ないでしょ」


「そりゃそうよねえ。流石にそれはないか」


 冷静を装いながら答えると、有紀は苦笑いを浮かべながら納得してくれた。ごめん、親友。嘘つきな私をどうか許してっ! 心の中で懺悔しながら、私はお茶碗片手にサバ味噌に箸を伸ばした。




 時刻は一七時三〇分。

 さてと、帰りますか……終業時間になると同時に、私はすっとデスクから腰を上げた。昨日、無断欠勤したにも関わらずこの態度……自分でいうのもなんだが、かなりイタい。

 結局、有紀からのお誘いは適当な理由をつけて、やんわりと断っといた。彼女が気遣ってくれていることが嬉しくもあり、同時に騙しているような罪悪感が心の中に広がっていった。


「お先に失礼しまーす」


「はーい、お疲れさん」

 

 嘘くさい笑みを向けると、課長はぶっきら棒に返してきた。腹の中では ”残業くらい申し出ろっ!” などと毒づいているに違いない。おお、怖っ。くわばら、くわばら……。


 エレベータに乗り込むと、1階のボタンを押した。今日の夕飯は……面倒だからコンビニ弁当でいいや。因みに私は料理が全く出来ない。いいや、厳密にいえばやれば出来るはずなのだが、いままでやってこなかったのだ。無論これは世間的にいうところの、いい訳というやつである。

 

 そういえば、あの子って好き嫌いとかあるのかなあ?……それはそうと、昨日あれだけお世話になったんだからコンビニ弁当ってのもなんだなあ。そう思いつつ、腕時計に目を向けてみた。17時半かあ……よしっ、いまの時間ならまだ間に合うわね。


 私は本日の夕食をコンビニ弁当から、デパ地下弁当へと格上げすることにした。アラサー女がなにお子ちゃまに気を使ってんだか……苦笑いを浮べながら、一人きりのエレベータの壁にゆっくりと頭を預けてゆく。するとヒンヤリとした心地よさが伝わってきた。


「ああ、気持ちいい……」

 

 私はそう呟きながら薄っすら微笑むと、柄にもなく昔の名曲を口ずさんだ。


「♪ 真赤なリンゴをほおばる、ネイビーブルーのTシャツ、あいつは、あいつはかわいい―― ♪」

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