表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/22

最終章「人生最高の夜」

 12時10分 社食。


「めっちゃ楽しかったなあ……」


「あっそ、そりゃようござんしたね」


 私は目の前でうっとり顔を浮かべている有紀を、冷めた目で見つめた。最近、男が出来たこの親友は、週末開けのたびにおのろけ話を披露する。正直いって、そのての話はシングル女にとっては、不愉快以外のなにものでもないのだ。


 早いもので嘘つき青からの手紙を読んだあの日から、2年が経過していた。本日をもって、私もとうとう悪夢の30代に突入である。因みに料理教室のおかげで、その腕まえはいまやかなりのものになっていた。


 だが相変わらず食べさせる男はいない……はっきりいってこれは忌々(ゆゆ)しき問題である。加えてこないだ実家の両親からは、見合い話を切り出された。やんわりと断っといたが、奴らは諦めていないようだ。四面楚歌――ったくどっかに、いい男でも落っこちてないかなあ……私は心の中で呟くと、溜め息交じりで昼食を続けた。




 17時30分。本日も無事に仕事を終えると、いつものようにロッカーで着替えを始めた。ちょうどその時だった、スマートフォンが着信を告げてきた。液晶画面には見慣れた番号――。


「なんか用?」


「つれないなあ……誕生日おめでとう」


「めでたくなんかないわよっ!」


「はははっ。まあ、そうだろうな。因みに今年も相変わらずシングルか?」


「うっさい、余計なお世話よっ!」


「相手がいないなら、付き合うぜ」


 篤志はおどけるようにいってきた。因みにこの男とぼんくら女の見合いは、見事破談に終わった。原因はぼんくら女が、篤志を捨てて本命に走ったからだ。

 悲劇のお見合い相手――ぼんくら女の父親である専務は、篤志に手厚く謝罪してきたそうだ。ようするにこれは、上司にひとつ貸しを作ったということになる。野郎の出世コースをひた走るという当初の目的は、結果的には成功した。ったく相変わらず悪運の強い男である。


「アホか、男なんて両手に余るほどいるわよ」


「そうか、それは残念だ」


「っていうか、あんたも私なんか誘ってないで、そろそろ他の女でも探したら?」


「こっちはどっかの三十路と違って、そこまで焦る必要はなんいんでね」


「今度、三十路っていったらグーで殴るわよ」


「おお、怖い」


「そんじゃ、もう切るわよ……それと一応、ありがとう」


「ああ。それじゃ、その(・・)()たちによろしくな」


 なにが ”よろしくな” よっ! 心の中でそう叫びながら、私は電話を切った。すると途端に強烈な虚しさが襲ってきた。30女の見栄丸出しの嘘……。

 だがいわずにはいられなかった。それになにが悲しくて、元カレと誕生日を祝わなきゃならないのよ。私は溜め息を漏らしながら、着替えを再開した。


 会社を出ると、相変わらずの寒さが私を襲ってきた。このまま帰るのもなんだなあ……KARUで一杯飲んでくかあ。私はそう思いつつ、行きつけのBARへと足を向けた 。




 ほんの一杯のつもりが……今日が私の誕生日だと知ると、KARUのマスターはシャンパンを1本サービスしてくれた。まあ、残すのも悪いしなあ……というわけで全部一人で飲んだ。

 すきっ腹にシャンパン750mlとカクテル2杯――ベロ酔いとまではいかないが、かなりいい気分である。腕時計に目を向けると、時刻は21時45分を示していた。明日も仕事だし、そろそろ帰るか……。


 会計を済ませて外に出ると、さっきのような寒さは感じなかった。アルコールという名の毛皮が、私を寒さから守ってくれているのだろう。

 作田奈々・30歳。自分でいうのもなんだが、結構な詩人です。そういえばあの子と出会ったのも、たしかこんな日だったあ……私はそう思いつつ、青と出会ったネオン輝く銀座通りに足を向けた。




 銀座通りは相変わらず、待ち合わせやカップルたちで溢れている。このあたりは幸せな人ばかりだ。少しはおすそ分けしてほしいもんだわ……。

 私は溜め息交じりで手近なベンチに腰を下ろした。そして酔いに任せて、幾分重くなった瞼を閉じてゆく。すると隣に誰かが腰を下ろしてくる気配を感じた。


 ベンチは他にも沢山あるのに、なぜにわざわざお隣に? ナンパだろうか……あり得なくもないが、可能性は低い。なぜなら私は生まれてこのかた、ナンパされたことがないからだ。


 因みに電車通勤にも関わらず、痴漢被害も皆無です。これは親友の有紀にも話していない。っていうか誰にもいってない。このことは墓場まで持っていく所存だ。そんなことをあれこれ考えていると、隣の誰かさんが話しかけてきた。


「あんたみたいな良かおなごが、こげんとこで寝とったら危かよ」


 発音がめちゃめちゃな博多弁。だけどその声はあの頃と変わらず、とても綺麗に澄んでいた。


「誰が寝とるって? あいにく、うちはいまナンパ待ちたい」


「おおっ! そいは都合ばよか。こっちもあんたを、ナンパしようち思っとったところなんや」


「悪かばってん、うちはガキには興味はなかとよ」


「……もうガキじゃないよ。18歳は立派な大人っ! 結婚(・・)だって出来るんだから」


「結婚って……そういう発想がガキだっていってんのよ」


 私は小さく微笑むと、ゆっくりと瞼を開いた。すると隣にはあの頃よりも、男らしくなった青の姿があった。


「久しぶり。ちょっと縮んだんじゃない?」


「バカ、あんたがデカくなったのよ」


「元気だった?」


「まあ、それなりにね。そっちは?」


「まあ、僕もそれなりに」


 青はそういうと、静かに私を見据えてきた。色素の薄い栗色の瞳が、宝石のように輝いている。そう、あの頃となにも変わらずに……。


「それで本日のご用件は?」


「分ってるでしょ」


「さあ? 全然分りません」


「手紙に書いたあの賭け覚えてる?」


「ええ、覚えてるわよ」


「あれねえ……どうやら僕の勝ちみたいだよ」


 青は得意げな表情で見つめてきた。


「ったく、あんたもしつこい子ねえ……」


「一途っていってよ」


「あのねえ、いっとくけど私は今日で30歳になったの」


「知ってるよ」


「女30。色々な意見はあるけれど、一般的には結構、崖っぷちの待ったなしなのよ」


「知ってるよ」


「未来のない恋愛で、時間を無駄にしてる暇は私にはないの」


「知ってるよ」


「知ってるよ、知ってるよってねえ……あんた本当に分ってんの?」


「分ってる。だからこれが僕の覚悟の証――」


 青はそういうと、ポケットからA3サイズほどの用紙を取り出した。そしてなにくわぬ顔で、それを私に差し出してくる。ええと、これは俗にいう婚姻届というやつですなあ……ええっ、婚姻届っ!

 夫の欄にはすでに小鳥遊葵と書かれている。私はハッとして顔を上げると、目の前の元性奴隷に目を向けた……めっ、めっちゃニコニコしてるし。


「あ、あのさあ……こ、これってマジ?」


「超マジ」


「超マジって……あんたまだ18でしょ?」


「だから?」


「だからって……あ、あの厄介なお父さんのことはどうすんのよ」


「♪ ケーセラ~セラ~、なるようになるさあ~ ♪」


「いやいや、ならないでしょ」


「大丈夫。絶対、僕がなんとかするっ!」


「なんとかするって……」


「だからあの手紙の約束通り、今日は奈々の本音を聞かせて」


 私の本音って……いきなりの急展開で頭がぼーっとする。っていうかこれは単純にお酒のせいか……今頃になってボディーブローのように効いてきたわ。

 やっぱりシャンパンって、なんっていうか魅惑的なお酒なのね……いやいや、いまはそんなことどうでもいいのよっ! プロポーズ、これはもろにプロポーズよっ!


 どうする? ねえ、どうすんの? 奈々っ! 私の次の言葉を、青は固唾を飲んで待っている。ど、どうしよう……。取りあえず、この重苦しい沈黙は耐えられない。なんでもいいから、しゃべんなきゃ……。


「あ、あのさあ、まえから思ってたんだけど……」


「うん、なに?」


 青は緊張した様子で、生唾を飲み込んだ。そして期待を膨らませた大きなおめめが、何度も瞬きをしている。そんな彼を見つめながら、私はおもむろに口を開いた。


「そのカーボーイハット……全然似合ってないよ」


 私のこの発言に、青は当然のごとく無表情のまま固まった。すると暫しの沈黙が二人の間に流れだす。そして見つめ合う30女と元性奴隷。程なくして自分の失言に気付いた私は、この真冬にも関わらず、薄っすらとかいた額の汗を拭いながら口を開いた。


「す、すまん……いきなりの急展開に、ちょっとテンパった」


「気持ちは分るけどさあ……それじゃ、仕切り直しね」


 青は溜め息交じりでいうと、もう一度真剣な眼差しを向けてきた。どうやら私も腹を括らねばならないようだ。

 瞼を閉じて深呼吸を一つ。余計なことは考えるな、大事なのは自分自身の素直な気持ちだ……数十秒後、私は静かに瞼を開いた。そしてゆっくりと、青に視線を合せてゆく。


「どしても私じゃなきゃダメなの?」


「うん」


「……マザコン」


「マザコンっていうほど、年は離れてないじゃん」


「諦める気は?」


「さらさらない」


「早やっ」


「奈々こそ、もう諦めたほうがいいんじゃない? じゃなきゃ最悪の場合、僕はあなたのストーカーになっちゃうよ」


 呆れた脅し文句。ったく相変わらず無茶苦茶なんだから……でもまあ、この子のいう通りね。よしっ! 宴もたけなわ、それでは清水の舞台から飛び降りるとしますか――。


「ストカーは流石に困るわねえ……それじゃ、しょうがないから謹んで申し出をお受けしますわ」


 私の答えに青は瞳に涙を溜めながら微笑んだ。これじゃ、男女の立場がまるっきり逆でしょうが……でもしょうがないか、だって相手は年下の男の子だもんね。私は心の中で呟く――。


 ちょうどその時だった、青がスローモーションで私に近づいてきた。まあ、当然こうなるでしょうね……私はゆっくりと瞼を閉じてゆく。

 重なる柔らかい唇の感触――行き交う人々のからかう声が鼓膜に届く。気にしない、気にしない。一休さんの精神でいこう。それにしても三十路にして人生初の路チュー……流石にテレます。


 暫くすると、重なっていた青の唇が静かに離れた。私はゆっくりと瞼を開く。色素の薄い綺麗な瞳。きめの細かい色白な肌。私よりも長くてくりんとカールしたまつ毛。私だけの天使は、照れくさそうに微笑んでいた。ったく腹立つくらい可愛いわ……あっ、や、やばい――。


「ひっく、ひっく――」


 作田奈々・30歳。ずぼらで飯食いな私はまたもやこの天使に、ときめいてしまったようだ。全くもって本当に懲りない女です。

 ほんの数年前までは、自分には平凡な人生がお似合いだと思っていた。だがあの日、3年物の男にフラれ、私は一人の天使を拾った。


 自由奔放で天真爛漫。私の生活は、もうひっちゃかめっちゃか。でもその一方で、彼には身も心も本当に癒された。あの日の出会いがなければ、正直いまの私はなかっただろう。


 そう考えると人との出会い、そして人生とはかくも不思議なものだ……などど偉そうに人生訓を述べる三十路女。それはそうと、青は私が料理の腕を上げたのを知らない。はっきりいって、いまではやつを凌ぐ腕前になっているはずだ。


 という訳でようやく ”ビストロ奈々” の開店である。初めてのお客はこの頼りない未来の旦那様に決定だ。30歳になった途端に肉欲系女子になった私は、心の中でそう呟きながら、目の前で微笑む性奴隷(・・・)の唇を、雌ライオンのごとくおもいっきり塞いでやった。

      

                                

                                「愛しの青」完

                                                     

                                 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 完結の表示が出ていたので、数行読んで、これはアタリかなと思い、読み始めました。 面白かったです。 元彼さんとはきっぱり別れたところは、らしいですし、元彼さんも、変なストーカーまがいなことは…
[良い点] 完結おめでとうございます!! そして完結ありがとうございます! 奈々ちゃん、最後はデレデレにデレて覚悟を決めハッピーエンド。青君は男らしく大人になって約束を果たしラブでしたね。 もう幸せ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ