瓦解
東門から出ようとしている荷車や馬車の積み荷を確認し、売れそうなものをデラの短刀で引っ張って盗み、盗品売りに卸す。
それが最近の俺のルーティンだった。
本を盗んで売った。
陶器を盗んで売った。
絵画を盗んで売った。
順調だった。
金はみるみる集まって、その金で新しい服を買った。
スラムの住人でござい、とでも言いそうなボロイ服を着なくなると、表通りを堂々と歩けるようになった。
からかってやるつもりでライダンのおっさんの店に行ったりもした。
ちゃんと金を払ってソーセージを買えば、ライダンのおっさんは俺を捕まえようとはしなかった。
「へぇ、見違えたね。一瞬いいとこの坊ちゃんかと思っちまった」
「いいとこの坊ちゃんはこんな場末の屋台でソーセージなんか買わねぇよ」
バジル入りのソーセージ、めっちゃうまかった。
堂々と店のド真ん前でガブガブ食っても、ライダンのおっさんは邪険にすることなく頬杖を突きながら俺を見ていた。
遠くを見るような目で。
「その服はどうした?」
「あん? 買ったんだよ」
「そうか」
ため息でも吐きそうな顔になり、俺に興味を失ったかのように表通りに目線をやるおっさん。
なんだってんだよ。
「コソコソ盗みをやるよりいいのかも知れんな」
「何がだ?」
「最近話題になってる。財布の盗難どころじゃねぇ。東門でいろんなものが無くなってるって話だ」
ギクリとした。
お前が犯人なんだろ?
そうライダンのおっさんに聞かれたと思った。
だが違った。
「ああアレな。積み荷が独りでにどっか飛んでっちまって、もう見つからねぇっていう」
そこまで言ったところで、ライダンのおっさんは俺の両肩を突然掴んだ。
ガッシリと。
「コソコソやるより派手な方がいいかも知れん。だがな、何に手ぇだしたか知らんが、早めに足を洗え。近いうちに後悔するぞ」
「……俺が犯人だって言いてぇのかよ」
「お前が盗人で、今まで服も食い物も盗んでいたお前が今金を払って服や飯を買った。そして最近の多すぎる盗難被害。これだけそろえば誰でもわかる」
おっさんは俺が犯人だとわかっていた。
証拠は無いんだろうが、状況的に見て、俺しかいないと思ったんだ。
俺は焦ったのか、イラついたのか、どちらにせよ動揺して怒鳴っていた。
「証拠あんのかよ!」
「……いい」
「何がいいんだよ!?」
「認めなくたっていい。別にお前をどうにかしてやろうなんて思っちゃいない」
「だから、何が言いたいんだよおっさん!」
おっさんは俺の目を見て言った。
「良い年こいたおっさんはな、何もわかってない餓鬼が、自分から破滅していくのを見たくないんだ」
……はぁ?
「何もわかってない餓鬼ってのは俺のことかよ」
「他に誰がいる」
「なんでそんなこと言われなきゃいけないんだ」
「お前のために言ってんじゃない」
「……そうかよ」
クソだクソだと思ってたライダンのおっさん。
結局何が言いたいのかわからなかった。
機嫌が悪くなった。
だが、今日は東門で盗るのは止めることにした。
おっさんに言われたからじゃねぇ。
気分が乗らないってだけだ。
表通りを歩いている金持ってそうな金髪イケメンのケツポケットから財布を盗り、中身は貰い、そのまま闇市の盗品売り場に持って行った。
そこで、俺はアレと出会った。
茶色のシャツに茶色のズボンに革靴を履いた、身長の高いおっさんだった。
髭を剃った後さえなければ若く見えそうなおっさんだ。
……おっさんは苦手だ。
そのおっさんは財布を持つ俺の右手を掴み、持って行った財布を金貨一枚で買い取ると言い出した。
そして俺の右手を掴んだまま
「ところで、ここにストランの絵画を卸したのは君かね?」
「え?」
油断していた。
それは認める。
よく見れば体つきが普通の魔族ではない。
地味な色の服を着ているが、話し方が堅苦しい。
いきなり金貨が出てくる。
本来このおっさんは、闇市に顔を出すような人種じゃねぇ。
そう気づくのが遅かった。
「君のようであるな。悪いが今日は帰れないと思うがいい」
背筋にゾワッとしたモノが走る。
俺はとっさにデラの短刀を抜いていた。
狙いは盗品売りのジジイ。
そして俺自身は、掴まれた右手を思い切り引く。
するとどうなるか。
「な、なんじゃあ!?」
「何をする!?」
俺に向かって引っ張られたジジイとおっさんがぶつかり合う。
ジジイが俺を庇うかのように。
俺はその隙に右手を振りほどいて駆けだした。
「悪いなジジイ!」
捨て台詞を残してジジイとおっさんのもみ合いになんぞ目もくれず走る。
おっさんが俺を追いかけ始めるまでの数秒あれば十分だった。
俺はスラムの路地をいくつも曲がり、逃げきっていた。
そもそもおっさんは俺を追いかけて来なかったようだ……
俺はまだ油断していた。
自分のしでかしたことが、どれだけの大事に発展するか知らなかったんだ。
次の日の朝、俺は、盗んだ角材と布で作った、自分の根城がぶっ壊される音で目が覚めた。
「カイィッ!」
「ぎょわあああっなんだってんだ!」
俺の根城をぶっ壊し、寝ている俺を叩き起こしたのは、下種な笑みを浮かべた魔族の男だ。
スラムで何度も見かけた、ゴロツキの一人。
とっさに雑嚢袋とデラの短刀を掴みつつ、目線でゴロツキを牽制しながらゆっくりと立ち上がる。
「何の用だよお前。こんな朝っぱらから人んちぶっ壊しやがって」
「へへへ。やっぱここか。餓鬼共が居る場所はここしかねぇもんなぁ?」
「だからなんの用だって聞いてんだボケ。耳腐ってんのか?」
「てめぇに話す必要はねぇんだよ」
ゴロツキは容赦なく拳を振りかぶり、殴りかかって来る。
寝起きの頭はもう完全に覚醒しきっていた。
ゴロリと転がるように避け、地面に広がる屋根代わりだった布を思い切り引っ張ってやった。
布の上に立っていたゴロツキは、足元をすくわれてずっこける。
すかさず引っ張り上げた布を被せ、グルグル巻きにしてやった。
朝っぱらから何なんだ全く。
「おい。年下の餓鬼にボコられたくなかったら目的を言え。マジで殺すぞ」
結構本気で脅しにかかったんだが、こいつはひるんだ様子がねぇ。
グルグル巻きの布から逃れようと藻掻きながら怒鳴り返してきやがる。
「金に決まってんだろ馬鹿か!」
「俺から金を奪おうってか?」
「お前みたいな餓鬼の持ってる小銭なんか要らねぇよバーカ。お前を捕まえたら金がもらえんだよ」
「はあ!?」
俺を捕まえたら金が貰える?
懸賞金ってことか?
なんで俺なんだ?
心当たりはすげえたくさんある。
「ッチ」
思い切り舌打ちした俺は、布に包まれているゴロツキの頭を思い切り蹴り飛ばした。
あっさりと動かなくなるゴロツキ。
気絶したな。
寝床が無くなったのは痛い。
「どうにかして新しい寝床探さねぇと……」
まぁなんとかなるだろ。
宿屋に泊まれるだけの金は一応ある。
それより、ふと違和感を覚えた。
俺の寝床の周りに居るはずの、餓鬼共が居ない。
どこに行った?
「……まぁずっとここに居るよりはいいのか?」
昼間からこの辺で遊んだり寝たり喋ったりして、俺が帰って来ると同時に飯をねだったり、俺の寝床で勝手に寝たり。
健全じゃねぇとは思ってたが、俺がどうにかすることじゃないと思って放置していた。
勝手にどっかに行ったのなら、俺の知ったことじゃない。
とりあえず寝床どうすっかなぁなんて考えていたら、路地の方からまた別のゴロツキが現れた。
どいつもこいつも似たような下卑た面した魔族のゴロツキ共だ。
スラムには一体どれだけのこういうクズが居るんだか。
「居たぞカイだ。まだこんなところでボーっとしてやがる」
「間抜けな野郎だ」
「おいカイ。痛い目にあいたくねぇなら大人しくこっち来な」
おまけに台詞も似たようなことしか言いやがらねぇ。
というか、こいつらも俺を捕まえることが狙いか。
俺に懸賞金がかかってるのってマジなのか?
「おい。俺を捕まえたらいくらになるんだ?」
「金貨一枚だよ。大金だ」
マジかよ。
昨日売ろうとした財布と同じじゃねぇか。
そう言えば金を受け取る前に逃げたから売れてねぇわ盗られただけだ。
溜息が出そうだ。
「で? その話本気にしてんのかよ」
「本気も何も、張り紙出てんぜ? ダグラス家の指名手配書」
「……嘘だろ?」
「ヒャハハハハッこいつ、自分がダグラス家に狙われてるって知らなかったのかよ!」
「あのブタ貴族が御冠らしいぜ? なにしたんだお前」
ダグラス家っつったら、旧都で、というかセイブレイで貴族を続けていられる数少ない魔族の一家だ。
そんなところに狙われた。
心当たりはある。
というか昨日のあのおっさんだ。
「ストランの絵画……アレ本物だったのか。あの荷車ダグラス家のモンかよ。知らねぇよクソ」
「何ぶつぶつ言ってんだよカイ! さっさとこっち来な。そのうち他の連中もお前を探しに来るぜ? 素直に従えば痛い目にあわせねぇっつってんだ! 早く来い!」
……ヤバくないか?
寝床が無くなったどころの騒ぎじゃねぇぞ。
ダグラス家っつったら、旧都から他の町にも手ぇ出してる貿易業の家だ。
旧都を出ても逃げ切れるかどうかわからねぇ。
こう言う事態は想像してたが、最悪旧都から出ちまえばどうとでもなるかと思ってた。
「……どうする、俺」
俺はまだ寝起きの腑抜けた感じが抜けきっていなかったらしい。
自分の置かれた状況のヤバさを自覚した瞬間、スーッと頭が冴えていく。
冷えていくと言った方がいいか。
「もういい捕まえるぞ」
「めんどくせぇが金のためだ」
「どうせお前はもう終わりだ。俺らの金のために諦めろ」
ひとまず、俺を捕まえに現れたこの三人から逃げ切らないと不味いか。
落ち着いて考えるのはその後だ。
「うるせぇ黙れオラッ」
俺はデラの短刀で寝床の残骸をゴロツキ共に投げつけながら駆けだした。
走り出してすぐにわかった。
俺を狙ってる奴ら、俺の想像以上に多い。
路地を走っているだけなのにそこかしこの曲がり角から声がする。
足音がする。
やべぇ。
スラムに安全地帯は無さそうだ。
雑嚢からベレー帽を取り出して目深に被り、スラムを抜けて大通りを目指す。
薄暗さと薄汚さを抜けた瞬間、どでかい表通りと人の喧騒にぶち当たった。
ここの光景は昨日と変わりがない。
俺が指名手配されているなんて嘘みたいなほどいつも通りだ。
だが、すぐ横の壁の張り紙が、俺を現実を突きつける。
「指名手配書……魔族の盗人カイ。ダグラス家の交易車からストランの絵画を盗み、売った罪。捕まえた者には金貨一枚を進呈する。生死は問わない。ヴィッツ・ダグラス……」
金貨一枚あればどれだけ暮らせるか、どれだけ遊べるか、どのくらいの夢なら叶えられるか、俺は大まかにしか知らない。
だが金に困っている奴や余裕のない奴はこぞって俺を探すだろう。
そして俺の知り合いに、金貨一枚をはした金としか思わないような奴は居ない。
知り合いは頼れねぇ。
そもそも金貨一枚という大金を捨てて、俺を匿うというリスクを負うような、頭のおかしい奴は居ない。
……あ、いや、わからねぇ。
頭のおかしい奴がいる。
だが、あいつはスラムに住んでる。
今から引き返すのは……
「クソが」
背後から俺を追う足音だ。
ゆっくり考えてる時間はねぇな。
どうにかしてぐるりと回って、あいつのところに行ってみるしかねぇ。
あいつが匿ってくれるかどうかすら、一か八かだけどな。