盗人少年
俺の親は、俺が十一の時死んだ。
徴兵で両親が連れていかれて二年後に、戦死の報告が来た。
戦争が終わった年のことだ。
何にも無い。
俺には何も。
元から何もなかったのに、角と尻尾が生えているだけで敗戦国民だ。
両親は戦ったかもしれねぇけど、俺は戦ってない。
それが悪かったのかもしれない。
俺の住む王都は旧都になり、魔族の町のはずが、人間共が我が物顔で歩き回り、俺たち魔族を顎で使うようになった。
俺は何もしてないのに、どんどん無くなっていく。
親も。
住む家も。
スラムの隅っこに住み着いてからは、友達と会うことも無くなった。
俺はカイ。
苗字は捨てた。
ただのカイ。
小汚い餓鬼の盗人だ。
スラム街の住人は俺を含めほとんどが魔族だ。
戦争でいろんなものを失って、お天道様の下で生きられなくなった奴の掃き溜めだ。
俺と同じで家族を失った子供もいる。
親無しの子供はほとんど雇ってくれないので、いつの間にか集まっている。
俺が年長者なせいか、俺の寝床の周りに来ては、何をするでもなく座り込んでいたり、小石で遊んだり、地べたに横になっていたり……
旧都北西区のほぼ全域がスラムとは言え、俺たちみたいな餓鬼が自由に歩き回れるわけじゃない。
俺と同じだ。
腹が減ったな。
水も欲しい。
食い物と飲み物と、体を洗う水と布が要る。
それも俺一人分じゃない。
俺だけが食ったり飲んだり洗ったりしていると、周りの餓鬼共が群がって騒ぐ。
カイだけずるい! 俺にも分けてくれ! ってな具合でうるさいったら無い。
俺は工事現場から苦労して盗んだ角材と布で作った我が家に戻ると、ぼろぼろのベレー帽を手と何も入っていない雑嚢袋を手に取って、身に付ける。
ベレー帽は、俺の額から生えている小さい角を隠すため。
雑嚢袋は盗品を隠し持つため。
俺が持っているのはこの二つの道具だけだ。
「お前ら、家に入ってろ」
「カイんち狭いからヤダ」
「黙って入ってろクソガ餓鬼」
スラムに住んでいる奴らは多い。
スラムに住んでいる奴らに、仲間意識なんてない。
どっかで嫌な思いをしたスラムの大人連中に、憂さ晴らしに殴られたことの無い餓鬼は、たぶんここには居ない。
ただでさえ底辺の北西区の中で、さらに俺たち餓鬼は底辺。
最底辺だ。
せめてそう言うクソみてぇな大人に見つからねえように隠れてろっつってんのに、なんで口答えすんだよ。
イライラさせやがる。
そんなだから餓鬼の内からこんなところに住み着くようになるんだ。
「はぁ~最悪。全部俺のことだし……」
後ろでキャッキャ遊んでるクソ餓鬼共をしり目に、俺は中央につながる表通りに向かうことにした。
表通りは人が多い。
通りに面した建物は大抵何かしらの店だ。
店の中に入って盗むのは難しいから、俺が狙うのは道の端の所々にある露店だ。
正確には、露店で何か買っている客の荷物だ。
「はぁ」
ため息とともに、俺は表通りと細道の角に座り込み、恨めし気に表通りを睨みつける。
こういう奴はどこにでもいる。
裏路地を根城にしながら、日の当たる表通りを羨んで妬んで、それを隠しもしない物乞い。
お前らいい生活してんだろ? 俺は住む場所も無いんだ。贅沢する前に可哀そうな俺に何かくれよ。
そんな気持ちで誰かに声をかけてもらうのをただ待つ物乞い。
俺の嫌いな、スラムの大人がよくやる奴だ。
俺は違う。
そう言うクソの真似をしながら、獲物を待ってんだ。
良い感じに警戒心の薄い奴。
足の遅そうな奴。
力の弱そうな奴。
土地勘の無さそうな奴。
荷物を肩や背中じゃなく、手で持ってる奴。
「はぁ」
ため息が出る。
どいつもこいつも俺を見て嫌そうな顔をする。
見てんじゃねぇよ。
クソ。
腹減った。
ん、良さげな奴発見。
中肉中背の……たぶん女だ。
長袖の白いシャツに生地の分厚そうな長ズボンにデカい皮のブーツ。
何かしらの職人の恰好だが、その上から羽織り物を被っている。
仕事中の休憩、というか昼飯を食いに出かけたっつぅ感じだ。
その癖荷物は手にぶら下げてる。
昼めしを食うだけなら財布だけ持って出かけるのが普通だと思うが、ショルダーバッグなんか背負っちまって馬鹿なんだな。
「女が重そうな荷物抱えてたら、代わりに持ってやるのが男の仕事だよな」
財布だけを持たずに荷物を抱えるってことは、財布は荷物の中に入れているってことだ。
荷物の中身も売り払えば良い金になるかもしれねぇ。
行くか。
大き目のカバンなんかを盗むときは、タイミングが大事だ。
地面に置いたところが一番の狙い目だが、手に持っている時でもいい。
歩いている時はダメだ。
座っている時もダメ。
立ち止まっている時が一番いい。
だがその立ち止まっている状況でさらに一番いいのは、買い物中だ。
重いカバンは一旦地面に置いて、商品の目利きをしている最中が一番無防備。
獲物の女はちょうど露店に釘付けだ。
ライダンのおっさんが店主の、ソーセージの露店だな。
匂いがいい。
ソーセージ一本がでかい。
値段が手ごろ。
だから客が集まる。
ぶっといソーセージに夢中な奴から財布や荷物を盗むなんざ、簡単すぎる。
ライダンのおっさんの店で、何度盗ませてもらったことか。
「悪いなおっさん」
ここからじゃ聞こえねぇか。
勝手に謝っとくぜ。
獲物の女が荷物を置いた。
「美味しそうですね。この黒っぽいのは?」
やっぱ女だ。
声でわかった。
「それはブラッドソーセージだよ。ブタの血が入ってる。ああでも血なまぐさくないよ。血って感じ全くしないから。美味いよ?」
ライダンのおっさんの言葉で、興味深そうに黒くてぶっといソーセージを興味深そうに眺めている。
今しかない。
俺は駆けだす。
人混みを縫い、姿勢を低くし、一目散に女が置いた荷物に向かって突っ走る。
「じゃあこれください」
「あいよ」
もう獲物の女もライダンのおっさんも見ちゃいないが、会話から次の行動は予想できる。
荷物の中から財布出すんだろ?
その前にかっさらう。
獲物の女がショルダーバッグに視線を落とした瞬間、俺は女の手より先にバッグを抱えていた。
「え、え!? あっまって!」
「あ? てめぇカイっ! 待てコラぁ!」
盗られたことに驚いた声と、ライダンのおっさんの怒号。
後ろから聞こえてきた時点で俺の勝ちだ。
「やったぜ! 良いもん食えそうだなこりゃあ」
何せバッグが重い。
鉄製品が詰まってんじゃないかってくらい重いが、そのくらいで逃げ足を遅くしたりはしない。
さっさと大通りを曲がって細道に入り、北西区の南の端から入り込む。
この辺は太い通りが無くて見通しも悪い。
ライダンのおっさんや獲物の女が追いかけてきていても、ここでなら撒ける。
他のゴロツキどもからも余裕だ。
安心して盗んだものを検められるってわけだ。
「さて、荷物の中身はっと」
財布があるのが一番いいが、売れそうなものでも構わん。
金目のものは俺の雑嚢に入れて、あとは全部ポイだ。
「あ~、なんだこれ」
工具か何かか?
金槌やでかいペンチなんかが入ってる。
財布はもっと奥か?
なんでこんなもん持ち歩いてんだ?
「わけわからん。重いだけだろ」
俺がカバンの中に手を突っ込んで奥の方を見ようとすると、俺の居る路地に怒声が鳴り響いた。
「居たぞ! カイだ!」
「逃げ足の速い餓鬼とは聞いちゃいたが、まじで速いな。こりゃ面倒だぞ」
「うるせぇ。餓鬼一人捕まえりゃいい儲けになんだろうが。文句言うな」
路地に現れた三人は、たまに見かけるスラムの魔族だ。
ガタイがいい癖に口の利き方や態度がなってないせいで仕事が続かないタイプのクズ。
カバンの口を閉めて背負いなおしながら立ち上がり、チラリと後ろを確認する。
逃げ道はまだある。
他の奴が潜んでなければの話だが。
逃げの一手に変わりはねぇが、一応話しかけてみる。
こいつらからは盗んじゃいない。
だからこいつらが私怨で俺を追う理由はないはずだ。
追われてる理由くらいは聞いて良いだろ。
「よう。俺になんの用だ?」
俺がそう聞くと、嫌そうな顔になった。
子供にタメ口利かれんのが癪に障るんだろう。
同じスラム暮らしの底辺の癖に。
「ボコすんだよ」
「あとその盗んだカバンを寄越しな」
「お前は黙って食い物にされてりゃいいんだ」
よく似たことが前にもあった。
俺が物を盗むのを待って、俺から盗品を奪おうとする奴だ。
盗んだのは俺なのに、そいつは盗人として捕まった馬鹿な奴だった。
こいつらも同じような手合いなのか?
「俺の代わりに盗人として捕まるぞ」
脅し代わりに忠告してやると、そいつらは笑った。
「馬鹿か。盗人はお前。俺らはお前から盗んだ品を取り返すのが仕事なんだよ」
「ライダンのおっさんに頼まれてんだよ。店で盗人が出たら捕まえろってな」
「お前あの店の客からよく盗ってたんだろ? ライダンのおっさんもいい加減困ってたんだろうよ。今日が年貢の収め時ってこった」
あぁ、なるほど。
「よくわかったよ!」
結局逃げの一手だ。
だが構わねぇ。
逃げ切ったら俺の勝ちってことだ。
俺はゴロツキどもに背を向けて、細い迷路みたい路地めがけて走り出した。
ここの地理は俺が一番よく知っている。
隠れられる場所も、時間を稼げる場所も、回り込まれない道も。
ここに逃げ込んだ時点で俺の勝ちだ。
「捕まえてみろ! そうしたら」
最後まで言えなかった。
何かにぶつかったからだ。
なににぶつかったかくらいはわかる。
「捕まえたぞ、カイ」
ライダンのおっさんだ。
ぶつかった拍子に尻餅をつく直前、とっさに伸ばした手を掴まれた。
ゴトリとショルダーバッグが落ちて地面に転がる。
俺の腕を掴んでいるライダンのおっさんは、何とも言えない静かな顔だ。
俺がゴロツキどもと話してる間に、後ろに回っていたのか。
見下しやがって。
「クソ」
「俺たち魔族ってのはな、こんなもんなんだよ。かっこつけたって、必死に生きようとしたって、あっけなく終わっちまう。人間から物を盗んで捕まったらもう終わり。一生鉱奴か農奴としてこき使われる」
ライダンのおっさんの声は、怒っているような声音じゃなかった。
「まだ餓鬼のお前を奴隷にしてテレジッドに送るなんて流石に可哀そうだ。だから人間の警備隊じゃなく、魔族のゴロツキを雇った。反省しろ。俺の客から盗んだ品を返せ。痛い目見て学べ。真っ当な生き方を探せ」
説教臭いことを垂れ流すおっさん。
何を言ってるんだかよくわかんねぇ。
悪いのは俺なのはわかってるが、なんでこんなおっさんに説教垂れられなきゃいけないんだよ。
誰なんだよお前。
俺の何だ?
親か?
兄弟か?
違うだろ。
ゴロツキ使って盗人を痛めつけたいだけのクソだろ。
ジリジリとゴロツキどもが迫ってきている。
逃げられそうにない。
これが年貢の納め時って奴なのか?
ここで素直に謝って、盗んだものを返せば、痛い目を見ずに済むか?
これからは盗みなんてせず真っ当に働くって約束すればいいのか?
ライダンのおっさんが優しいうちに改心するのが賢い選択だってか?
「クソ喰らえだ」
俺の腕を掴んで見下し、仁王立ちで偉そうなことを言うライダンのおっさん。
そのがら空きの股間を、思いっきり蹴り上げてやった。
「ホギュっ!」
「へへ、ざまぁみろ」
股間を押さえて蹲るおっさんを嗤い、そのままバッグに手を伸ばす。
が、その手はゴロツキの一人に掴まれる。
「痛いめを見たいようだなクソ餓鬼」
「素直に謝っておけばそれで済んだのによ」
「大人を舐めるからだ」
口々に言いたい放題言いやがるゴロツキを見る。
よく見ればブサイクだ。
全然怖くねぇ。
三人そろわないと餓鬼一人襲わないような臆病者じゃねぇか。
「舐めるに決まってんだろ。三人で集まらないと何にもできない半人前以下の大人を敬うなんざごめんだ。あとお前ら一人で良いだろ。なんで同じことを三人で分けて言ってんだ馬鹿か」
言い終わった瞬間、拳が飛んできた。
ぶん殴られた。
図星突かれて血が上ったんだろうな。
こいつらに謝って許してもらう?
絶対嫌だ。
大体なんでこいつらに謝らなきゃいけないんだ。
俺が荷物を盗んだのはライダンのおっさんでもゴロツキ共でもない。
なのになんでこいつら、当たり前のように自分に謝らせたがるんだ。
わけがわからない。
頭がおかしいとしか思えないな。
「ぐ、へ、へへ、大人げねぇなぁ?」
「この餓鬼が! 舐めた口利いてんじゃねぇ!」
俺は俺めがけて飛んでくる拳を見て、笑う。
勝ち誇った顔で、ゴロツキどもを下から見下してやる。
絶対に屈しないぞ、俺は。