子ども扱い
夜の匂いが鼻の中をくすぐって、自分がいま寝ていることに気付く。
それと同時にゆっくりと目覚めていく。
私は何をしてたんだっけ……?
「んん……」
目を開ければ私の家の天井。
私を包んでいるのは、眠り慣れた自分のベッドだ。
そして視線を横に反らせば、チャーリーの顔が見えた。
「体の調子はどうだ」
寝起きからそんな言葉を投げかけられても困る。
まだまどろみが抜けきって無くて、体の調子なんてわからない。
でも、どこも痛くはない、と思う。
「問題ない」
「そうか」
チャーリーは一度ベッドから離れると、私の机の上で、マグカップとリンゴと擦り下ろし器を手に取った。
私が体調を崩した時は、決まってチャーリーがリンゴの擦り下ろしを食べさせてくれてたっけ。
私はまた喘息で倒れたのか……
「あっ違う。なんでっ」
「……全く」
呆れたようなチャーリーの声。
私は自分が何をしようとしていたのかを思い出した。
チャーリーは慌てて起き出そうとする私を目線で制して、スリスリとリンゴを擦り下ろしてマグカップに注いでいく。
同時に、語り聞かせるように、話し出した。
今までずっと私には聞かせてくれなかった、大事な話だ。
「ホッキンスはセイブレイの復権を諦めてはいないんだ」
問答無用で、テレジッドに行かないで、と言いたいけれど、チャーリーの話を聞かなければいけない気がして、静かに続きを待つことにした。
「人魔大戦が終わると同時に、ホッキンスはテレジッドに魔族を奴隷として売り始めた。魔族の中でも犯罪者等を中心に選んで、毎月十人ほどだ」
それは知っている。
だから続きを待つ。
……聞きたくないことかもしれないけれど、聞く。
「その十人の中に、時おりホッキンスの部下が混じっている。ホッキンスを裏切ったりした者への制裁だと言われているが、それは違う。ホッキンスはテレジッドに、奴隷に紛れて工作員を送り込んでいたんだ」
……ホッキンスは私が思っているより悪い人じゃなかった、ということなのだろうか。
テレジッドに媚を売ってお金や地位を得ていると思っていたのは、間違いだったと。
「十分な数の工作員を送り次第、テレジッドとセイブレイの両方で反乱を起こし、混乱に乗じてセイブレイを取り戻す……と言うのが、ホッキンスの作戦だった。ものすごく大雑把に言うと、だが」
「じゃあ、チャーリーも、工作員としてテレジッドに行くの?」
「そうだ」
「奴隷になるわけじゃない?」
「誰がなるものか」
ホッキンスはチャーリーを裏切ってなんかいなかった。
チャーリーはそのことをわかっていて、他のホッキンスの部下も知っていた。
知らなかったのは私だけ。
「もっと早く教えてくれたら、私は暴れたりしなかった」
「そうだろうな」
その反応は、なんだか少しムッとする。
私を大事なことから遠ざけようとするのは、どうしてなのかわからない。
ちゃんと話してくれないとわからない。
だからこういうすれ違いが起きる。
……まぁ私にも当然にして非があって、あまり強く責めることは出来ないけど。
「ガラマンダラズの一件で、ホッキンスも俺も、お前の評価を少し上げた。ホッキンスの作戦も伝えて、協力してもらおうかとも考えた。だが同時に、考えなしに行動してしまうと言う部分も強く印象に残った。だから今日まで黙っていた」
それを言われると文句が言えない。
私自身、あの時の私の行動は迂闊だったと思ってる。
少しシュンとした私に、チャーリーは擦りリンゴ入りのマグカップとティースプーンを渡してくれる。
素直に受け取った私が、一口擦りリンゴを口に入れると、チャーリーは私の頭をそっと撫でた。
「お前は良い子だ。教えた技術はちゃんと身に付けているし、機転も効く。それにその魔剣があれば、暗殺者が不得手とする直接戦闘もこなせるだろう」
チャーリーは、今まで私を何度も褒めてくれた。
褒めてくれる時の声音や表情を覚えてしまうくらいだ。
よくあることなのに、今は、すごく嬉しくて、同時に寂しい。
もうすぐチャーリーに会えなくなってしまうと思うと、酷く寂しい。
「暗殺者として十分育ったお前を、一人前として扱おうと思った。だがお前はまだ十四歳で、短慮で感情的な部分を持っている。これは訓練がどうの、暗殺者がどうのと言う話ではなく、単に子供であるからだ。だから俺はお前を子ども扱いする。叱るし甘やかすし、心配する」
「……うん」
チャーリーの言葉が、どこにも引っかかることなく、私の中にストンと落ちる。
大人扱いして欲しいと言う気持ちは、今はどこかに消えてしまっている。
すぅ、と息を吸い、一度頭の中を整理する。
チャーリーはテレジッドへ工作員として潜入することになった。
だけど私は、ホッキンスがチャーリーを奴隷にして売るつもりなんだと思って、ホッキンスに反抗した。
たったそれだけのことだったんだ。
「本当は俺はもっと早くテレジッドに向かうはずだったんだがな」
「……私のせい?」
「まぁ、そうなるか。お前の世話をするのも俺の仕事だったからな。だから今日までここに居た。そして先日、ガラマンダラズの一件で、お前が一人でも仕事を何とかこなせることがわかったから、もういいだろうということでテレジッドに向かうことにしたんだ」
そう、か。
そうだったんだ。
私が、ずっと、心に抱えていたモノ。
それがポロリと口を突いて零れ出た。
「ガラマンダラズの構成員を奴隷にして売るつもりだったのに、私が殺しちゃったから、その代わりにチャーリーが売られるんじゃないかって……もしそうならすごく嫌だって、思った」
「そんなことを思っていたのか?」
チャーリーは苦笑い気味な声でそう言って、私の頭をグシャグシャ撫でまわす。
「そんなわけあるか」
諭すようにそう言って、滅多に見られない笑顔を私に向けてくれた。
心の底から安心してしまって、涙が上がって来る感覚に負け、私は顔を反らしてしまった。
よかった。
少し落ち着いた後、私はまだベッドの上で、空っぽになったマグカップを抱えて、考える。
十分な数の工作員を送り次第、テレジッドとセイブレイの両方で反乱を起こし、混乱に乗じてセイブレイを取り戻す……と言うのが、ホッキンスの作戦だった。とチャーリーは語った。
作戦”だった”と言った。
今は違うのだろうか。
違うのなら、今でも工作員をテレジッドに送り続ける理由はなんだろう。
少し一人で考えて、わからないと気付いて、今も帰らないで横にいてくれるチャーリーに聞いてみる。
「今はどんな作戦なの?」
「ホッキンスの作戦についてか?」
「他に無い」
チャーリーは少し黙って、それから語り出す。
子ども扱いして教えないと、また私が暴走するかもしれない、とか思ったんだろう。
「大部分に変化はない。テレジッドに送った工作員と、セイブレイに居る部下を使って、一斉に反旗を翻す。そうして盤石になりつつあるテレジッド支配の基盤を揺るがせ、セイブレイ復権の機会を作る」
「それで?」
「ミルフォードの魔剣で戦力を整え、テレジッドを支配する」
……?
言っている意味がよくわからない。
「セイブレイに居る魔剣鍛冶師は、ミルフォードだけなんじゃないの?」
「そうだ」
「テレジッドには、元からいた魔剣鍛冶師と、セイブレイから集めた魔剣鍛冶師が居るはず」
「その通りだ」
「ミルフォード一人の造った魔剣で、テレジッドに居る魔剣鍛冶師達が造った魔剣を持つ兵士たちを、倒して支配するって?」
「そう言ったつもりだが」
「まだ子ども扱いしてる?」
「かもしれない」
私はマグカップをチャーリーに手渡して、ベッドに倒れ込んで、そっぽを向く。
「拗ねるな。別に嘘を言っているわけじゃない」
「……」
「タウラスの釘剣を使ってみてわかっただろう? あれの造る魔剣は、数的、実力的不利を覆す力がある」
そうかもしれない。
だけど、それとこれとは話が違う。
テレジッドには一体どれだけの数の魔剣鍛冶師が居て、どれだけ強い魔剣があるのかは知らない。
知らないけれど、たくさんあることぐらいは想像がつく。
ミルフォードが何本魔剣を造ったって、それを覆すだけの戦力になるとは思えない。
「ミルフォードは、変な人」
「変人であることは間違いない。テレジッドで魔剣を造る方が簡単なことは明白なことを知り、セイブレイで魔剣を造ることが違法であることを理解したうえで、そうしている。普通に考えればあれは頭がおかしい」
「そんな人に期待するホッキンスもおかしい」
「全くだ」
ふと笑いがこみあげてきて、チャーリーの方を振り返ると、チャーリーも笑っていた。
今日はチャーリーの笑顔がよく見られる。
フフフ、と静かに笑い合う。
「まぁ、作戦の大部分に変化はない。ミルフォードが居ようが居まいが、ホッキンスの作戦通りに事が進めば、セイブレイの復権までは出来るだろう。テレジッドを支配し返すことが出来るかどうかは、まぁ俺にもわからん。無理だろうとは思っている」
すっぱりと言い切ったチャーリーは、空になったマグカップに水を注いで、お薬と一緒に私に渡す。
「今日はもう寝ろ。起きたばかりだが、体はまだ疲れているはずだ」
「一緒に夜更かしして」
「断る。子供は寝る時間だ」
なんてわかりやすい子供扱い。
でも嫌じゃない。
お薬を口に含んで、ほんのりリンゴの香りがするお水で流し込み、深呼吸。
ゆっくりと気を落ち着けた私を見て、チャーリーは、静かに玄関へ向かう。
「おやすみ、チャーリー」
「おやすみバルメ」
「……あの」
「なんだ?」
玄関扉を開けるチャーリーが名残惜しくて声をかけてしまった。
続きの言葉が出てこない。
でも、言うべき言葉は決まっていた。
「いつもありがと」
「ああ」
チャーリーはまたも静かに返事をして、そっと玄関から外へ出ると、やはり静かに扉を閉めた。
静かになった自分の家で、私は、瞼を閉じる。
今までありがとう、と言う方が良かったかもしれない。
そう思いながら、私はまたまどろんでいった。
次話で二章終わりの予定。