裏切り者
私はクッキーを放り捨てて、裏町の自宅に戻った。
こういう時走れないことがもどかしくて仕方ない。
速足ですら長く続ければ息が上がる。
家に帰ってすぐにお薬を飲み、つけ耳とつけ尻尾を外して、吸引機とタウラスの釘剣を持って、家を出る。
行先は、ホッキンスの家だ。
裏町はさほど広くない。
廃村のように荒れて人の気配がしない。
でもホッキンスの手下がたくさん隠れ潜んでいる。
私程度の暗殺者がどれだけ気配を消して歩いても、あっさりと気付かれる。
「バルメ、どこに行く。何かあったのか」
気が立っている私を見れば声をかけて来る。
私が見てわかるほど怒ることなど、そうそうない。
まして暗殺者がそうしていれば、何かあったのかと思うのは当然だ。
「……」
「どうした?」
チャーリーの事を言うべきか少し考えた。
でも、言わないことにする。
「ホッキンスに用があるだけ」
私は会話をするつもりがない。
とっとと横を通り過ぎ、ホッキンスの家に向かう。
裏町の支配者であるホッキンスは、大きな家に住んでいると思われているらしい。
実際大きいのだけど、見た目は大きくない。
大きな地下室と長い地下通路があって、通路の先がホッキンスの住居だ。
ホッキンスは通路の先の地下室に、モグラのように住んでいる。
地下室への入口があるのは普通の一階建ての一軒家。
私はその一軒家に入って、地下室への階段を降りて、地下室に行かず地下通路を進む。
空気が良くない。
でも速足で進む。
イライラしすぎて落ち着けない。
ホッキンスの住居の扉を、乱暴に開いた。
「……バルメか。招かれざる客かと思ったわい」
柔和な笑みを忘れたかのようなホッキンスは、本気で警戒したらしい。
右の袖に暗器を忍ばせて待っていたようだ。
怒気を漏らしながら近づいてドアを乱暴に開ければ当然か。
……知ったこっちゃない。
「チャーリーをどこにやるつもり?」
「……ほう、早いのぅ」
ホッキンスは私の要件がわかって納得し、そのまま愛用しているソファーに腰を下ろす。
それからいつもの柔和な、好々爺みたいな顔をして、私に向かって話し始める。
「テレジッドじゃ。わかった上で聞きに来たんじゃろう? 納得いかんか?」
納得するわけない。
言葉が出てこないほど、私はこのお年寄りに憤りを感じている。
「……どうして」
「ん? 何がじゃ?」
搾り出した言葉は続きが無い。
ホッキンスを見る直前まで、言ってやりたいことが山ほど頭の中を渦巻いていたのに、上手く言葉にならない。
それでも、なんとか一言搾り出す。
根本的な質問。
「なんで魔族を売る?」
セイブレイは魔族を毎月十人単位でテレジッドに売っている。
鉱奴や農奴として。
終戦したときから今日まで、それはホッキンスの主導で行われている。
ホッキンスが異様に恐れられている理由はこれだ。
機嫌を損ねれば売られる。
もしくはもっと酷いことになる。
そんなふうに恐れられ、嫌われている。
ホッキンスの部下の大半は、奴隷に関わる仕事をしている。
魔族の犯罪者が居れば会いに行って、奴隷にするかどうか決めたりする。
子供の私から見てもホッキンスは酷い。
時として部下も奴隷としてテレジッドに送るのだから救えない。
そんな最悪最低の同族売りが、私の育ての親の、ホッキンスだ。
私の質問に、ホッキンスは答えない。
お前にはまだ早い、なんて言いそうな顔だ。
そんなホッキンスに対して私が出来ることと言えば、精々子供のように悪口を言うくらい。
「気持ち悪い」
自分は魔族を売る癖に、同じことをしようとした野盗は襲う。
子供は宝で若者は可能性とか言いながら利用する。
そう言うところが気持ち悪い。
このお年よりはテレジッドに対して、魔族を売ることでお金と立場を得ている。
人間より魔族の方が弱いからと支配を受け入れて、媚を売って生きている。
敗北主義者。
「チャーリーは、ずっと、尽くしてきた。なのに、奴隷にして売るって、どういうこと!」
ホッキンスは今までも部下をテレジッドに送って来た。
ホッキンスを裏切っていたり、大事な仕事をしなかったり、そう言う部下を送っていた。
でも突然、何も失敗してないし何も裏切っていないチャーリーをテレジッドに売る。
それが本当に意味がわからない。
なにより腹が立つ。
「チャーリーは納得して、安心して行くのじゃよ」
「答えに! なって! ない!」
私は自分の体が震えていることに気付いた。
頭に血が上っている。
意味も無く全身の筋肉が収縮しているのがわかる。
こんなに怒ったことは、今までにない。
チャーリーが納得しているか、安心しているかなんて、ホッキンスにわかるはずがない。
ホッキンスが何をどう考えて行動しているのかさっぱりわからない。
今まではそれでよかった。
育ててくれて、仕事をくれていれば、何の文句も無かった。
複雑だったけど、感謝だってしてた。
ホッキンスが拾ってくれなければ、私は塔の昔に死んでいたんだから。
だけど……
「チャーリーを裏切るなら」
それも今日で終わりにしよう……
「何も説明できないなら」
このお年寄りは、もう、私の、何でもない。
「殺すよ」
ただの裏切り者だ。
素早く吸引機を使い、タウラスの釘剣を抜く。
ここまでしてもホッキンスが何も言わないなら、本当に殺す。
チャーリーを奴隷になんてさせない。
そう決めた。
そんな私に、ホッキンスは立ち上がる。
「反抗期と言うヤツじゃな」
ふざけたことを言う。
「ちょうど良い。バルメ。実力を見せてみなさい。魔剣の力も、チャーリーがお前に伝えた技術もな」
一度袖にしまった暗器を取り出す様子はない。
杖を突いて立った姿勢から動かない。
私は頭に上った血を下ろすべく、呼吸する。
「……すぅ、ふぅ」
殺す覚悟を決める。
感情に任せて動いて殺せる相手じゃ無さそうだ。
……殺る。
そう決めて飛び出した瞬間、タウラスの釘剣と、私の腕と足と胴体に、細い紐が絡みついた。
「ぁ」
ギリギリザリザリと聞き慣れたフィンガーループがこすれる音と共に、私の体は後方へ引っ張られ、壁に強かに叩きつけられ、磔になる。
背中と後頭部を打ちつけ、肺の中身が一瞬で空になる。
嗚咽にもならないような音が喉から絞り出された。
ホッキンスに何かされた。
そう思って、眩む視界でホッキンスを睨みつける。
すると、視界の両端から、ホッキンスの部下がぞろぞろと四人現れた。
チャーリーと同じように真っ黒な作業着を身に付けている。
全く、気付かなかった。
「ここにはわししか居らんと決めつけて居ったようじゃな。わしを年寄りと見くびらなかったことは評価するが、わし以外の脅威を想定しておらんかったのは残念じゃ」
なんでここに四人も。
みんな裏町で、旧都で、それぞれの仕事があったはずなのに。
私の疑問はそのままホッキンスが口にした。
手直な一人に声をかけたんだ。
私がここに来る途中、声をかけてきた人だ。
「して、何用かの? バルメの後に四人もそろって気配を消して近寄るものじゃから、無用な警戒をするところじゃったわ」
「バルメが怒った様子でここに向かって来ていた。要件を聞いても答えなかった」
「なるほどの」
ホッキンスは納得したようだった。
……だからって、なんでわざわざ来るのか。
なぜこのジジイを守ろうとするのか。
いずれ、みんな奴隷としてテレジッドに売られるのに。
「バルメはの、チャーリーがここを去ることが嫌なようじゃ」
「なるほど、納得した。考えてみれば当然か」
「暴れたい年ごろだ」
「チャーリーは良い子を育てた。懐かれ方が俺たちとは違う」
「親離れはまだ早い年だ」
……ものすごく腹が立つ。
なんで微笑ましい顔になる。
真剣に怒っているのに、児戯としか思われていない。
五人そろって私を子ども扱いする。
私は本気でホッキンスを……
「いつか、そのじじいに、みんな、売られるのに、なんで平気なの」
チャーリーもそうだ。
ミルフォードと話してるときのチャーリーは、どこか気楽だった。
奴隷として売られることがそんなに嬉しいのか。
なんでホッキンスに尽くすのか。
全くわからない。
「それも仕事の内」
「ここで暗殺してるより安全」
「魔族の中から奴隷にする奴を選ぶより気が楽」
「ここでの仕事を終えた証だ」
おかしい。
意味がわからない。
答えになっていない。
いつ死ぬかわからない鉱奴や、一生こき使われる農奴になることを、まるで勲章か何かのように思っている。
「バルメ」
「……何」
「お主はテレジッドに売らん。確実に。じゃから心配要らん」
……ああ。
わかった。
ホッキンスは。
このお年寄りは。
本当に。
人の心がわからないんだ。
私は、タウラスの釘剣を持つ手に、力を込めた。
幻覚を見た。
ホッキンスの部屋は見えている。
ホッキンスも、部下の四人も、その四人の手から伸びる、私を拘束するフィンガーループも、全部見えている。
でも、その光景に重なるようにして、全く別の景色が見えた。
燃え盛る家屋の内側だ。
木箱がいくつも積み重なっていて、そこには剣や盾、鎧が詰まっている。
石造りの空間。
その空間全てが燃えていた。
そこには何人か人が居た。
私と同じ、人間。
石で出来ている床、壁、天井、すべてが燃えている。
赤くとろけるような瑞々しい炎が全てを覆っている。
そして真っ黒だ。
煙が部屋の中を延々と波打っている。
剣と盾を持った人間たちは、炎に濡れて倒れた。
煙に巻かれて蹲った。
赤熱した石の上で転がった。
私の中に、感情が流れ込んでくる。
私のとは違う、誰かの憤怒が溢れていく。
屈辱で満たされる。
戦って死にたかった。
罠で死ぬなんて思ってもみなかった。
苦しい。
熱い。
炎がこんなに重い物だとは知らなかった。
そんな誰かの思いが、私の胸を満たしていく。
とうとう誰も動かなくなった時、チリン、と軽い金属音が、炎の音に紛れて聞こえた。
目を凝らすと、銀色のネックレス……のようなものが、首から石床に落ちた音のようだった。
Taurus・Burned、と書かれたそれは、炎に包まれても、融解する様子はない。
その人の。
いや、タウラスの味わった苦しさまで私に流れ込む。
幻覚が終わっても、その感覚は消えない。
……嫌になるほど共感してしまう。
視界が酩酊するほどの苦しさも、立っていられないほどの辛さも、痛いほどわかる。
呼吸が出来ない。
息が出来ないと言うのは。
生きられないようにされている。
死ねと一方的に告げられている。
泣きたくなるほど辛いのに、泣くための体力すら奪われている。
私が十四年間味わい続けた苦しさは、きっと、タウラスが死ぬ瞬間に全て味わった。
タウラスが死ぬ直前に味わった辛さは、私が生まれてから今日まで味わい続けてきた。
だから、この魔剣を、信じてみる。
育ての親を裏切る。
きっと、ホッキンスを殺す。
チャーリーを守る。