決闘
野次馬共が俺が蹴落としたおっさん四人を捌けさせると、広場の中心には俺と、ロレンスと、ヴィッツダグラスの三人だけになった。
ロレンスは静かに俺を見つめ、一度収めた剣の柄に手をかけている。
そして俺と若干睨み合った後、ため息をついて肩を落とし、ヴィッツダグラスを見た。
ヴィッツダグラスはというと、憤慨したように顔を真っ赤にしてプルプル震えたかと思うと、何かを思いついたかのような顔になって、俺の前に躍り出る。
俺もため息をつきそうだ。
「カイ! それは魔剣であろう!」
「見てわかんなかったか?」
「無礼な! このヴィッツダグラスになんだその口の利き方は!?」
グギギと歯を食いしばりつつ怖い顔をして、威圧してくるこのおっさんに、俺はどうしたらいいんだ。
決闘は無しらしいし、もう逃げちまっていいのか?
逃げるつもりは消し飛んでいたんだが、このおっさんを見ていると相手するのがバカらしくなってくる。
なんというか、滑稽なんだよな。
今この場でそんなふうに威張り散らかしている奴、お前しかいねぇんだよ。
見ていて冷めるんだよ。
しばらく顔を真っ赤にして俺を睨んでいたおっさんは、ふと表情を緩め、腰に両手を当ててふんぞり返る。
「その魔剣をダグラス家に譲れば、此度の絵画強奪の件は不問としてやろう! 感謝せよ!」
だそうだ。
よし、逃げるか。
と、踵を返そうと思ったところで、ロレンスが口を挟んだ。
「我が雇い主よ。それでは交渉になっておりません」
「何を言うロレンス! 魔剣などという浮浪者の身に余るものを手放せば、無罪放免にしてやろうというのだぞ! これはこのヴィッツダグラスからのこれ以上ない譲歩である!」
「ブタ畜生様。もともとこのロレンスとそちらのカイが決闘し、カイが我に勝てば絵画強奪の件を不問にすると言うお話でしたな?」
「おい! 呼び方を一気に悪化させるでない! そしてその話は無しだ!」
「はい。つまりブタは最初から絵画強奪の件を不問にするつもりなど無かったということになります。それを踏まえたうえで、魔剣を渡せば不問にする、というのは説得力がゼロです。むしろマイナスです。畜生の脳みそでは理解できませんか?」
「貴族であるダグラス家の言葉を疑うというのか!?」
「……はぁ」
ロレンスのため息に、俺も釣られちまいそうだ。
野次馬共の中にもため息をついている奴がいる。
もういいか。
逃げちまおう。
そもそも俺は決闘のために……
「これは決闘です。我が雇い主」
……もう一回だけ、逃げ出すのを待つことにする。
「なんだと!? 決闘は無しと言ったであろうが!」
「決闘のためにこの場に集まり、決着の条件を決め、開始の合図をコインが落ちた時と決め、そしてそのコインは我が弾き、もうすでに地面を叩いた。決闘は始まっています。そこに居ると巻き込まれますよ」
するりと剣を抜き放ちながらそう言ったロレンスを見たヴィッツダグラスは、なおも何かを言おうと、ダブダブの頬をブルブルさせていたが、ロレンスがヴィッツダグラスを無視して俺を静かに見定めると、慌てて野次馬の奥に逃げていった。
決闘だな。
そんな気分だった。
正直若干冷めちまったが、問題ない。
「おっさんも大変そうだな」
「そう見えたかもしれぬが、実はそうではないぞ。あまり良いものではないがな」
ロレンスが構える。
俺も構える。
いつでもデラの短刀を振り抜けるように。
いつでもガントレットで殴れるように。
「お前を倒して正々堂々無罪放免を勝ち取る」
「一応騎士なのでな。一般人との決闘での敗北や許されんのだ。好きなだけ大人げないと叫ぶがよい」
俺から仕掛ける。
小手調べにデラの短刀でロレンスをこっちに引き寄せる。
「やはり来たか」
見えない手にものすごい勢いで俺に向かって引っ張られながら、ロレンスは冷静だった。
俺に近づくにしたがって無理やり体を捻り、剣を振りかぶる。
わざわざ近づきざまに一合打ち合う義理もねぇ。
俺はロレンスを引っ張った後にすぐ横に避けている。
誰もいないところに突っ込んで行って、野次馬にぶつからないように慌てて止まろうとするロレンスの背後を狙う。
「オラよ!」
「卑怯だな。いいことだ」
だがあっさり振り返られ、俺の振り抜いたガントレットは剣の鍔で止められた。
そのまま腹に蹴りを貰って、無様に吹っ飛んだのは俺の方だ。
「グッソ、イッテェ」
だがまだだ。
ひるんでる暇なんかねぇぞ。
転がりながら後ろの方の地面を睨みつけ、デラの短刀を振り抜く。
デラの左手が掴んだ後ろの地面まで、俺の体はギュンと引っ張られる。
体勢を立て直すに十分な距離と時間だ。
「その魔剣、実にユニークであるな。普通の魔剣とは別物と考えるべきだ」
「そんなこと言われてもよぉ、普通の魔剣がどんなか知らねぇんだわ」
「炎魔剣一型や二型と言った名前に聞き覚えは無いかね?」
「ねぇな」
「ふむ。であれば、説明はまた今度にしようか」
「ああ?」
今度なんてねぇよ。
そう言い返す前に、ロレンスは俺に向かって駆けだしていた。
低い位置に握られた剣が俺に迫る前に、とっさにまたデラの短刀を振るう。
ロレンスから離れた位置の地面に向かって俺が引っ張られ、間一髪でロレンスの剣を躱す。
「くそっ早いなおっさん!」
鎧を着ているとは思えねぇ速度だった。
だが終わっちゃいない。
ロレンスは速度を落とすことなく俺を追い続けていた。
滅茶苦茶低い姿勢で、ものすごい速度だ。
俺はまたしても別の位置に向かってデラの短刀を振り、躱す。
だが野次馬共に囲まれたこの狭い空間じゃ、いつまでも躱し続けるのは無理だ。
ふと一つ悪あがきを思いつく。
「クソったれ!」
俺が見つけたのは、小石だ。
どこにでも転がっていそうなただの小石。
俺を追い続けるロレンスを小石より遠い位置まで誘導し、俺はロレンスと小石のちょうど間あたりに陣取る。
そして小石に向かってデラの短刀を振り抜きながら地面に伏せ、ロレンスを振り返る。
「喰らいやがれ!」
「む!?」
俺に向かって超速で引っ張られた小石は、俺の頭上を通過してロレンスへ向かう。
ロレンスはその小石を顔面ギリギリで、剣で弾いて見せた。
だがそれで終わりじゃねぇ。
この魔剣の攻撃が、ただ小石を投げつけるだけで終わるわけがねぇ。
俺は小石を投げつけた直後から、二回、デラの短刀を振り抜いていた。
一度目はロレンスを。
二度目はロレンスの背後の地面を。
それぞれ引っ張っている。
するとどうなるか。
「っく!」
ロレンスは俺に向かって引っ張られ、俺はロレンスの背後の地面に向かって引っ張られる。
ダラダラ逃げ回っても勝ち目は無さそうだ。
ロレンスの剣を奪うことも最初に考えたが、それはやらないと決めた。
ならもうこの、小石一つで手に入れたチャンスに賭けるしかねぇだろ。
「オオオオオオオオオッ!」
らしくも無い雄たけびを上げながら、一瞬で迫るロレンスに、タイミングを合わせる。
小石を防いだ姿勢からいきなり引っ張られ、体制の整っていないロレンスの、腹。
鎧に守られたそこへ、ガントレットを付けた右こぶしを振りかぶる。
ロレンスが剣で防ごうとしているのが見えた。
「ッラアアアアアアアアア!」
そして、思い切りぶっ叩いてやった。
剣の一本くらい叩き折ってやるつもりだった。
目が焼けるかと思うほど火花が散った。
肩がぶっ壊れそうな衝撃を受けた。
それでも振り抜いた。
……その一瞬、ロレンスがニヤリと笑ったような気がした。
野次馬共が静まり返る広場には、俺とロレンスの二人だけだ。
俺はロレンスをぶん殴った後、力が抜けて、両膝を突いていた。
ロレンスは大の字になって仰向けにぶっ倒れている。
鎧の正面を大きくへこませていて、近くには真っ二つに折れた剣が転がっている。
戦った時間なんて、たぶん三十秒も無かったと思う。
だがぐったりするほど疲れた。
正直もう動きたくねぇ。
今になって自分がとんでもない量の汗をかいていたとわかる。
これで終わってくんねぇかな。
そう思いながらロレンスを見ていると、ロレンスは大の字に倒れた状態から、右手をスッと上に上げた。
その右手はフラッと拳を緩めて、ヒラヒラと軽薄に揺れた。
「見事だカイ。降参する」
「待て! ならん! 決闘は無しと最初に言ったであろうが! ならんならん! こんなのは無効だ!」
いつの間にか野次馬の輪を抜けて出てきていたヴィッツダグラスが、ロレンスの言葉を遮った。
不快だ。
ロレンスは降参すると言った。
俺は勝った。
ロレンスは負けを認めた。
戦って勝ったという実感と、終わったという余韻と、心地のいい疲労と達成感が、このブタ貴族のせいで台無しだ。
だがどうでもいい。
「ロレンス! 何を倒れ込んでおる!? 早くカイを捕まえよ! 決闘などと遊んでいる場合ではない!」
「ああお腹痛い! お腹が痛くて動けません我が雇い主! 鎧がへこむほど殴られては動けませんなぁ!」
「使えぬ騎士め! ぐぬぬ……おい貴様ら! そこのカイを捕らえよ! 報酬として金を払うぞ!」
「あ、いくら支払ってくれるんです?」
「ぎ、銀貨一枚」
「カイの懸賞金は最低でも金貨一枚では? いくら何でもがめつ過ぎると思います我が雇い主」
ロレンスとヴィッツダグラスが何やら言っているが、とにかく俺が今すべきことは、多分これだ。
ロレンスがやったように、右手を上に掲げる。
俺のはぎゅっと握った拳だ。
そして宣言する。
「決闘は俺の勝ちだ」
すると、野次馬共が、おおおお、だの、わあああ、だのと騒ぎ始める。
よし。
これで俺がロレンスと決闘して勝ったことは、ヴィッツダグラス以外のこの場の全員が認めたはずだ。
もういいだろう。
ヴィッツダグラスが一人でどれだけ何を言っても、耳を貸す奴がいないに違いない。
俺は力の入らない足腰に鞭打って、立ち上がる。
黙って行っても良かったんだが、なんとなくロレンスの方を見ると、目が合った。
「じゃあな。ロレンス」
「うむ、あとは任せておくがよい」
なぜかロレンスのその言葉は、俺の中にストンと落ちてきた。
任せておけば良いんだなと、自然に思えた。
野次馬共を掻き分けてここを去るのは大変そうだ。
俺はまたデラの短刀で、近くの建物の屋根の上に跳んで、それから北西区のスラムへ。
ひとまずはミルフォードに、事の顛末でも伝えておこうか。