デラ
ダグラスとロレンスとの会話が終わり、ロレンスが俺に近づいてくる。
俺のすぐ近くにしゃがみこみ、俺の左手に向かって手を伸ばす。
デラの短刀に手を伸ばしている。
魔剣を奪われる。
それを酷く実感したとき、俺は、盗人の自分が、奪われてばかりな人生を送っていることに気が付いた。
両親は戦争に奪われた。
住む場所も奪われた。
友達も奪われた。
奪われっぱなしだった。
デラの短刀を手に入れて、奪う側に回ったはずだ。
財布を奪った。
俺から金を奪おうとするやつを返り討ちにした。
本を奪った。
絵画を奪った。
奪うのは楽しい。
奪われるのは屈辱だ。
俺はまた、奪われようとしている。
魔剣を。
これから先の人生を。
今になって背筋が凍る。
破滅に向かって突き落とされていることを、嫌というほど実感する。
俺は……
「いやだあああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫した。
暴れようと体に力を込めた。
だがロレンスの手は止まらない。
ゆっくりと。
焦らすように。
俺の握っている魔剣に近づいてく。
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
叫んだ。
叫んだはずなのに、自分の声すら聞こえねぇ。
俺の魔剣に使づくロレンスの手は、さらにゆっくりになっていく。
なんだこれ。
いつまでこの最悪の時間を味合わせるつもりだ。
自分の体すら鉛のように重く、動かせねぇ。
表情が固まっていくようだ。
叫ぼうと開いた口が、嫌になるほどゆっくりと開いていくのがわかる。
……いやだと叫んだつもりだが、俺はまだ、叫べていないのか?
やめろと叫んだはずだが、一つ前の叫びにすらたどり着いていない?
なんだ、これ……
周囲の状況がどんどん遅くなる。
止まってしまいそうなほど減速していく。
自分の体もだ。
なのに自分の心臓の音だけが加速していく。
音量を増していく。
やばい。
止まる……
完全に世界が止まって、俺の心臓が爆発しそうな程早鐘を打つ。
そして、最悪の光景で止まっていた俺の視界が、暗転した。
だんだんと視界がはっきりしてくる。
目に映る光景は、がらりと変わっている。
木造の温かい雰囲気の家だ。
女の子の部屋だ。
なんとなくわかる。
馬や羊のぬいぐるみにピンクのカーテンが、俺にそう思わせたんだろう。
自分の体の感覚はない。
なのに視覚ははっきりしている。
そしてそのはっきりしている視界すら、俺の意思では動かせないようだ。
左手が映った。
女の子の左腕だ。
手首には、小さな宝石がちりばめられた、銀色のブレスレットがある。
右手が現れて、そのブレスレットを愛おしそうに撫でていた。
ブレスレットには”デラ・レンファンス”と彫られている。
これは、誰かの……いや、デラの記憶か?
そう思い至ったとき、視界が暗転した。
次に移った光景は、男と女の顔だ。
デラの両親だ。
なんとなくわかる。
時間は夕方だろう。
多分。
「デラ、いい子にしてたかい?」
「デラは今日もいい子だったわよ。当たり前じゃない」
「それもそうだな! はっはっは」
なんて親馬鹿な会話だ。
顔をしかめたくなる。
だがデラは照れたようだ。
なんとなくわかる。
父親にハグして、母親にチューして、その後自分で照れている。
テレテレだ。
両親もまんざらじゃないというか、普通に嬉しそうだ。
家族仲がすごくよかったんだな。
俺は……どうだったっけ?。
覚えてねぇや。
また視界が暗転した。
次の光景は、昼間のキッチンのようだ。
デラは台の上に立って、小さな包丁を手に、リンゴと格闘している。
その横には、初老のおっさん。
執事のおっさんだな。
なんとなくわかる。
料理、というかフルーツカットを教わっているようだ。
見ればわかる。
苦戦しているデラに、執事のおっさんは丁寧に教えているようだ。
デラも難しい顔をしているようだが、楽しんでいる。
なんとなくわかる。
また視界が暗転した。
次の光景は、花瓶だ。
次は人形。
次々と色々なものが映っては切り替わっていく。
そしてまた、視界が暗転した。
次の光景は、今までとは雰囲気がガラリと変わっていた。
玄関だ。
執事が大きな荷物を持って、デラとデラの両親に向かって、深々と頭を下げている。
「大変お世話になりました」
「すまない、ジョー」
「ごめんなさい」
「いえ、仕方のないことでございます」
……この執事のおっさんは、今日で解雇になったらしい。
それも、デラも、デラの両親も望んでいないようで、いわゆる必要に迫られての解雇だ。
執事の方も事情を知っている。
なんとなくわかる。
だがデラは、どうしても嫌だったようだ。
泣いている。
大きな喪失感を感じていて、それをどう受け止めたらいいのかわからず泣いている。
なんとなくわかる。
また視界が暗転した。
次の光景は、キッチンだ。
デラが一人でリンゴを切って、切ったリンゴを一人で食べている。
両親は出かけている。
朝早くから夜遅くまで、両親は帰ってこない。
寝る間もなく仕事をしないといけなくなったようだ。
なんとなくわかる。
突然広い家の中を一日中一人で過ごすことになったデラは、随分と気持ちが落ち込んでいるようだ。
抱えきれない寂しさに泣いている。
怯えていると言って良い。
なんとなくわかる。
視界が暗転した。
次の光景は、花瓶があった場所だ。
花瓶の代わりに埃が積もっている。
人形も無くなっている。
家にあった調度品が、消えている。
窓ガラスが割れている。
家の中の家具どころか、デラの部屋にあったぬいぐるみや人形も無くなっている。
視界が暗転した。
次に移った光景は、今までのどの光景よりひどかった。
小汚いおっさんが映ったんだ。
おっさんはデラの左手を掴んでいた。
「まだ金になりそうなもんあんじゃねぇか」
「それはその子の誕生日に贈ったものだ! 金になど変えられない!」
「他のものならいくらでも持って行っていい! だから、それだけは!」
「関係ねぇ! おらさっさと寄越せ!」
金に困ったデラ一家は、借金をして、その返済に追われたんだ。
執事を雇う金が無くなったから解雇した。
返済に何とか間に合わせるために、両親そろって朝早くから夜遅くまで働き始めた。
それでも足りないから家の中の金になりそうな調度品を売り払った。
それでも足りないから、今度はデラのブレスレットを……というわけのようだ。
なんとなくわかる。
だが、デラはわかってない。
デラはまだ十歳にもなっていない餓鬼だ。
わかるわけがない。
「いや! はなして!」
小汚いおっさんにブレスレットを奪われまいと、暴れた。
「暴れんじゃねぇ!」
おっさんはデラをぶん殴って黙らせようとした。
殴られたデラはそのまま吹っ飛んだ。
床に散らばっていたガラス片の上に転がった。
ガラス片が首に刺さった。
「デラ!」
父親の声が聞こえた。
グシャグシャになった視界の一部が赤く染まる。
視界がぼやけ始める。
ここでデラの記憶はおしまいのようだ。
また、視界が真っ暗になった。
もう何も見えない。
何も感じない。
追体験したデラの記憶に、俺は……
「同情なんてしてないんでしょ?」
デラの声。
記憶で聞いたのよりもずいぶんとやさぐれた、無感情な声だ。
してない。
俺と大して変わらん。
奪われるだけの人生ってやつだ。
俺は奪われながらも何とか生き延びた。
お前は運が悪かったから死んだ。
そうだろ?
「そう。あたしもカイも、大した違いがない。よく似てる」
違うけどな。
「違う。似てるだけ」
どういうつもりで俺に記憶を見せたんだ?
「カイが、奪われたくないって、強く思ったから」
なるほど。
何が言いたいんだ?
「わかってるでしょ?」
お前も奪われるのが大っ嫌いってことはわかる。
「そう。そう。奪われるのは嫌。嫌い。死んでも嫌。だから奪うの。奪われるより多く奪ってやるの。あんたもそうでしょ?」
まぁそうだな。
奪われるのは屈辱だ。
「じゃあしっかりしなさいよ。あたしを奪われるつもり?」
……そうだった。
ロレンスにデラの短刀を取り上げられようとしてたんだった。
デラ、どうしたらいい?
「あたしはデラの記憶の残滓。ただの残りカス。だから何もしてあげられない」
じゃあやっぱ俺が、無理やりにでもなんとかしないといけないんだな。
「そう。でもヒントはあげられる」
ヒント?
「そう。あたしは、十五メートル以内のモノを引っ張ることが出来るわ」
それは知ってる。
「引っ張る力って、別に引っ張る以外のことにも使えるわよね」
そう言えば、デラの短刀の力でモノを投げたりできるな。
「そう。引っ張るだけじゃない。要は使い方次第ってことよ」
待て。
それでヒント終わりって感じの雰囲気を出すな。
まだ早い。
もう一声。
「え、えぇ……そうね……懸垂は、腕で自分を持ち上げてるんじゃなくて、自分を鉄棒に向けて引っ張っている……とかどう?」
……ああ、十分だ。
あとは任せろ。
もう何も俺から奪わせねぇ!
……だんだんと元の視界が戻って来る。
嫌になるほどゆっくりだったロレンスの手が、迷いなくデラの短刀に近づいていく。
俺の中で、何かが燃える。
デラの意思、残滓、記憶。
そして俺の、奪われることへの怒りが、燃え上がる。
「……触んじゃねぇえええええええええええええええ!」
今まで出したことの無いほどの力が瞬間的に俺の体を動かしていた。
俺を押さえつけていた連中の驚いた声が、どこか遠い。
がむしゃらに暴れ、ロレンスの手を、右手でぶん殴って弾き飛ばす。
そして目に付いた木造二階建ての建物の屋根の角にむかって、俺はデラの短刀を振り抜いた。
グンッと体が上に引かれる。
ロレンスも他の連中も全部押しのけて、俺の体が斜め上に向かって引っ張られる。
デラの短刀は、人を引っ張ることが出来る。
なら自分自身も引っ張ることが出来る。
俺の体は建物の屋根の角めがけて、ものすごい勢いで引っ張り上げられた。
「なんだと!?」
後ろでヴィッツダグラスがキモイ声で驚いている。
だが俺はそれどころじゃねぇ。
迫りくる屋根の角を右手で掴んで体をひるがえし、空中でクルリと体を捻る。
そして、屋根の上に二本足で着地して見せた。
デラの言っていたヒントは、これだ。
自分を引っ張って移動できる。
横にも上にも下にも、十五メートル以内に掴めるモノさえあれば、自由自在だ。
「すげぇなお前」
ポロリとデラの短刀に向かって褒めてみれば、刀身がはらんだ影が、ゆらりと揺れた。
さて。
屋根の上から見下ろしてみれば、今まで俺を押さえつけてた連中も、ロレンスも、ヴィッツダグラスとかいうブタも、なんてことはない。
全部小さい。
あれはなんだとか、何が起きたとか、どこにでもいそうなパッとしない野次馬共がどよめいている。
上から見下ろすと、どこか遠い。
怖がるこたぁねぇな。
「まずはお前らだ!」
俺を押さえつけていたおっさんを狙い、デラの短刀を振りかぶる。
そして俺自身は、屋根を跳んで空中に身を放り出す。
「来い!」
「な、な、わ、アアアアアアアアアアア!」
真上に引っ張られ、俺のすぐ近くまで浮かび上がったおっさんを、思い切り踏みつける。
俺はさらに高く跳び、おっさんは二階建ての屋根の高さから地面に蹴落とされる。
「次はお前だ!」
「ヤメロオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
二人。
「オラよ!」
「なんなんだこれはあああああああああああああああ」
三人。
「最後だ!」
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
四人全員を空中に引っ張り上げては蹴落とし、地面に叩きつける。
最後に俺は地面に向かってデラの短刀を振り抜いて、元居た広場に着地する。
ただ引っ張るだけのはずのデラの短刀は、俺をちゃんと怪我しないような速度で俺を地面に引っ張った。
ただ引っ張るだけ。
それ自体は何も変わってねぇ。
だがデラの左腕もデラの左手も、今まで以上に自由自在に動かせる、気がする。
物を引っ張るも自分を引っ張るも、速度も、今まで以上に細かく操れる。
おっさん四人のうめき声と野次馬共のざわめきをどこか遠くに聞きながら、俺はデラの短刀の、キレイな緑の刀身を見た。
刀身が孕んでいる黒い影が、一瞬揺れたように見えた。