指名手配書。決闘申込書。
半年……なんてかからなかった。
ホッキンスさんのお使いの人にお願いを伝えてから一か月くらいだった。
僕のお願いを耳にしたホッキンスさんは、さっさとダグラス家に接触して、カイの指名手配書を全部回収させてしまった。
そして新しい指名手配書が代わりに貼り出された。
内容はこうだ。
これより一カ月間、ヴィッツダグラスは魔族の少年カイからの決闘の申し込みを受ける。
決闘は正午、旧魔王城前の広場。
日付は魔族の少年カイに委細任せるものとする。
決闘は魔族の少年カイ対ダグラス家の騎士ロレンスの一対一とする。
魔族の少年カイが勝利した場合、ストランの絵画窃盗については一切不問とし、懸賞金を取り下げる。
ロレンスが勝利した場合、ストランの絵画窃盗に対し今後十年の鉱奴を刑を降す。
一カ月間魔族の少年カイから決闘の申し出が無い場合、カイを死罪に問うものとし、懸賞金金貨二枚にて捜索するものとする。
「うわぁ……大人げない。先の見えない指名手配から決闘に変わったのはいいとして、負けた時鉱奴になるのはちょっと酷い」
「んなわけねぇだろ。指名手配のままだったら捕まった時点で鉱奴か農奴だ。むしろ決闘に勝ったら不問にしてくれる辺り滅茶苦茶優しいっつか優しすぎる。問答無用で捕まえられるところを、わざわざ俺が勝つ可能性のある決闘にするあたり、ダグラス家には何のメリットもねぇ。もはや怪しいだろ」
言われてみればそうだ。
ホッキンスさんが接触しなかったら、懸賞金が上がることはあっても、決闘して勝ったら不問にするなんてことにはならなかったんだろうね。
「でもでも、決闘を申し込まなかったら死罪っていうのはやりすぎじゃないかな」
「決闘に俺を出させるための脅し文句だな。このまま隠れ続けて、見つかって捕まって即死刑になるより、わずかでも不問になる可能性のある決闘に挑む方が利口だぞって言いたいんだろ。負けても鉱奴になるが、運よく十年間生き延びられればあとは自由になれるしな」
なるごど。
いささか僕の感覚とは違うようだけれど、ダグラスさんはかなり破格の条件を提示してくれたらしい。
流石はホッキンスさんだ。
「で、どうするの?」
「決闘を受ける」
「まぁそれしかないか」
「ああ。デラの短刀、使っていいよな」
「それはもちろん構わないけれど……」
そうと決まればさっさと行ってくる、とでも言いそうな感じで立ち上がったカイ。
もう左手にデラの短刀を握りしめて、勝つでも負けるでもいいからさっさと決着をつけないといけない、とか思ってそうだ。
……ちょっと想像してみる。
デラの短刀を持ったカイと、普通の剣を持った騎士が、一対一で戦うわけだ。
騎士が攻撃したらどうなる?
避けられなかったら?
防げなかったら?
カイは斬り裂かれることになる。
とっさに攻撃を防ごうとしたら、十中八九デラの短刀で騎士の刃を受けてしまうだろう。
そうなるとどうなる?
鋳造の脆い宝石製の刀身はあっさり砕けてしまうだろう。
それは困る。
とても困る。
玄関一歩手前のカイの右手を掴んで止める。
「よし。一か月も期間があるんだし、微力ながら決闘に手を貸そう」
「なあ、俺が言うのもなんだが、これ以上世話になるのはちょっと」
「気にしなくていいよ。決闘の時に魔剣を壊されないために手を貸すんだ」
僕は我が家を出て行こうとするケモミミ少年を引き留めた。
ここだけ切り抜くと僕が危ない人みたいだ。
……まぁ間違ってないけど。
ミルフォードには随分世話になった。
おかげで今日でお尋ね者の日々も終わる。
見慣れたはずのスラムを表通りに向かって歩くと、懐かしさを感じる。
どれだけミルフォードの家に引きこもっていたのかを実感するな。
「……俺は勝つ。ロレンスだか何だか知らねぇが、必ず勝ってやる」
鉱奴なんてまっぴらごめんだ。
決意を込めてこぶしを握ると、カチャ、と鳴った。
ミルフォードが用意してくれた、ガントレットの音だ。
左手でデラの短刀を振るう以上、引っ張った物を掴むことを考えると右手に武器は持てない。
だからガントレット。
殴ってもいいし剣を受けてもいい。
俺とロレンスの決闘のために、ミルフォードが造ってくれたガントレットだ。
俺はもろもろの覚悟を決め、旧魔王城の前のだだっ広い広場にやって来た。
旧魔王城前の広場は、大体何かがある。
祝い事があれば何やら仰々しい祭壇があったり、祭りがあれば屋台が並んだり、時折兵士らが訓練に使っていたりする。
そんな広場の今日の主役は、俺と騎士ロレンスだ。
広場を囲うように野次馬がたむろしている。
スラムで見知ったゴロツキも、歓楽街で財布を盗んだ金持ちのボンボンも、仕立てのいい服を着たおっさんも。
人間も魔族も。
そして広場で旧魔王城を背に俺を待っていたのは、盗品売り場で出くわしたおっさんだった。
「時間ピッタリであるな、カイ」
「あんたがロレンス?」
「うむ、我が騎士ロレンスであるぞ」
「なんで騎士様が闇市うろついてんだよ」
「良い財布を探していたのだ。ほれ」
ロレンスはそう言って、懐からあの時俺が渡した財布を取り出して見せた。
そして俺に向かって金貨一枚を放る。
足元に落ちたそれを俺は拾い上げ、ポケットにしまった。
「代金だ」
「堂々と盗人から盗品を買い取るって、騎士としてどうなんだ?」
「金を払わないほうがより悪かろう。清濁併せ呑むのも力あるものの務めである」
ただ財布が欲しかっただけの癖に物は言いようだな。
「これだけの人数が見守っている。決着は誰の目にも明らかになるよう、ノックアウトか降参の宣言ということにしようか」
「あぁ、いいぜ」
ロレンスが抜剣して構える。
右手に持った剣をまっすぐ上に向け、そしてゆっくりと俺に向ける。
俺はガントレットを付けた右手を引き、左手でデラの短刀を抜き構えた。
騒めいていた野次馬共が静まり返る。
俺とロレンスの目が合ったまま、動かない。
互いに互いを集中する。
これが決闘ってやつか。
「開始の合図は知っているか?」
「知らねぇよ」
「では」
ロレンスは左手をポケットに突っ込み、何かを掴む。
視線は俺と合ったまま、左手以外は全く動いていない。
ロレンスがポケットから出したのは、またしても金貨だ。
ロレンスはそれを、指でキィンと真上に弾く。
「コインが落ちた瞬間としよう」
俺は無言でうなずいた。
……天高く待ったコインが、一秒経っても落ちてこない。
だが、わかる。
もうすぐだ。
加速度的に感覚が研ぎ澄まされていく。
今だ。
今だ。
今だ今だ今だ。
コインが地面を叩いた瞬間だ。
だが俺が次に耳にしたのは、コインが地面に当たる甲高い音じゃなかった。
野太いおっさんの声だった。
「取り押さえよ!」
野次馬を掻き分けて四人のおっさんが俺に向かって突っ込んでくる。
背後から、あるいは斜め後ろから。
それを認識した瞬間には、もう遅い。
俺が何かをする前に、右手を掴まれる。
腰にタックルを貰い、うつ伏せにぶっ倒れる。
両足首を抑え込まれる。
カキィン、とコインが地面に落ちた。
嘘だったんだ。
決闘など嘘。
俺とロレンスの一対一も嘘。
怪しいとは思ったのに、気にしなかった。
地面に頬を擦り付けながら首を動かして、ロレンスを見上げる。
「騙しやがったなぁああああああああああああああ!」
自分でも驚くほどの怒りが、俺の頭を沸騰させる。
意味の無いうなり声が止まらねぇ。
がむしゃらに暴れるのが止められねぇ。
「何が決闘だクソが!」
クソ、クソ、クソ。
クソクソクソクソクソクソ。
……暴れ疲れた。
暴れるだけ無駄か。
大の男四人がかりで抑え込まれりゃ、なんも出来ねぇよ。
騙された俺が悪いんだ。
なんなんだよ。
うまくいき始めてたのによ。
盗人とは言え、俺は俺なりに、頑張ってたのによ。
必死に生きてるだけなのに。
なんでこうなっちまうんだ。
チラリとロレンスを見上げる。
俺と一対一の決闘とかほざいてた法螺吹きの騎士を、もう一度。
俺を見下して笑ってやがるに違いねぇ。
さぁ決闘を始めよう。
そう思った瞬間、呼んでも居ない観客の奥で、聞き慣れてしまった不細工な声が上がった。
それと同時に観客を掻き分けて、一般人に扮したダグラス家の使用人が飛び出して、我が決闘相手である魔族の少年カイを取り押さえてしまった。
なるほど。
我が雇い主はずいぶんとアホのようだ。
「ブタ貴族様、これは?」
「またブタと呼びおったな貴様! よいか! これは被害者であるダグラス家の正当な権利である!」
「正当な権利とおっしゃいますと?」
「わからぬのか? 盗人を捕縛し奴隷に落とす権利だ!」
「決闘は如何するおつもりですか?」
「そんなものは無しだ! これはこの下賤な盗人をおびき出すための方便よ!」
旧都の至る所にダグラス家の名前で、決闘申込書にしか見えない指名手配書をばらまいておいて、決闘は嘘であったと。
それはそれでガガンの町と揉めるに近いほどの結構な問題になりそうなのだがな。
観客を掻き分けて、とうとう我が雇い主が現れた。
でっぷりした腹にダブダブの頬と、ピンクの耳に尻尾。
観客の方で何やらざわついているが、ブタ貴族、という単語がちょくちょく飛び交っている。
まぁあの見た目では仕方あるまい。
見たことがなくともブタ貴族という名前を知っていれば、一目でわかるというものだ。
見た目も、内面も、浅ましいブタそのものである。
……が、我は金で雇われている身である。
憎々し気に我を睨みつけるカイが酷く哀れではあるのだが、我にはどうすることも出来ない。
騎士として決闘を邪魔されたことを不服に思うには思うが、我も騎士としてはかなり邪道というか、騎士を名乗るべき男ではないことを自覚している。
騎士のプライドやら何やらを盾に決闘をさせるよう申し出ることはすまい。
構えた剣を鞘に納め、しゃがみこみ、少年と出来るだけ近い目線で謝る。
「すまんな少年。決闘は無しらしい」
少年は一瞬驚いた顔をしたが、やはり憎いのだろう。
騙されたことが納得いかないのだろう。
我と我が雇い主を射殺さんと鋭い目で睨みつけるのを辞めないようだ。
「そんなことを言っている場合か! お前もさっさとそいつを取り押さえて縛り上げよ! 武器を持っているではないか! 取り上げるのだ!」
「アレは武器とは言えないでしょうブタ。ただの細工。芸術品か何かの類に見えますが」
「宝石で作られた短刀であるぞ!? 魔剣やもしれぬであろう! あとシレッとブタ呼ばわりするでない! せめて貴族をつけろと言っておろうが!」
「宝石製鋳造魔剣のことをおっしゃっているのでしたらさらにあり得ませんな。あれは人魔戦争初期か中期の頃に出回った骨董品。我が雇い主とは違う立派な貴族様が持っているならともかく、家すらない魔族の少年が持つことは考えられません。あれはどこかから盗んだ短刀の宝石細工でしょう。武器とは言えません。取り上げる必要など無いと思います」
「長々と喋るでないわ! 取り上げろと言っておるのだ! 宝石細工なら売り払えばよかろう! とにかく取り上げるのだ! 持ち物全てだ!」
「失礼いたしました。我が雇い主がブタのように欲深く浅ましいことを失念しておりました故、どうかご容赦を」
「あとで減給なお前」
年下の少年になんと大人げない。
まぁこの少年が盗みを働いたことが全ての発端とは言え、決闘だと言って呼び出して不意打ちで取り押さえ、持ち物を取り上げて奴隷に落とすと。
うむ。
ヴィッツダグラスは我が主と呼ばなくて正解の男のようだ。
「重ね重ねすまんな少年」
しかし大人げなさで言えば我も引けを取らないようだ。
我は押さえつけられた哀れな少年の左手に握られた、美しくも影を孕んだ刀身を持つ短刀に手を伸ばした。
これだけ美しい品なのだから、売ればいくらになるのか想像もつかない。
そんなことを思いながら手を伸ばしたのだが……
この少年のことを、我も我が雇い主も、いささか甘く、見くびっていたようだ。