600 スピリチュアルの世界 151 ~目指すとこ~
自由ノートで投稿した題材を
スピリチュアルな観点から読み解きたいと思う
「涅槃」とは「ねはん」と読むらしい
何も知らない私は調べてみた
煩悩が消え 人が持っている本能から解放され
心の安らぎを得た状態 であることらしい
仏教が理想とする「悟り」の境地で
実際には「死」を表す言葉
とも言うらしいが これは違うと思う
おそらく 後半は
ユダヤ人種がそう結論付けた?と想像する
レムリア人種にとって 後半は無縁な言葉でもある
仏教が理想とする「悟り」境地 へ目指してるのがレムリアで
それはごく自然に目指し 自覚することもないまま
向かってる言葉なんだろう
だからこそ
「悟りを開く」 と言う
境界線があるかのような言葉には違和感を覚えるが
「悟りの境地」 と言う言葉の方には
しっくりくる感覚になる
学びを繰り返し ひとつづつ煩悩を消し
いつの間にか 悟りへと向かい
いつの間にか 境地に立っている
と言ったところか?
実際には「死」を表す言葉
としたのは
レムリアで育った究極に長けたユダヤ人種 か
ユダヤで究極に育ったレムリア人種 だろう
結論がはっきりしたい
白黒はっきりしたい
などのハッキリしたい思考癖が
ユダヤ思考には根強くあるからの結果であって
実際には 死でなくても 何かを手放せば
悟りを開くことができるのかな?
と想像する
智慧を磨き学びを積んで
迷いや煩悩や執着を手放し
悟りの境地に到達する
それは全ての苦・束縛・輪廻から解放された最高の境地
と言うことらしいが 私も目指したいところであって
まだまだ 学んでいかなければならないのかな?
と思うところ
でも ここに気が付いたことだけでも
自分の中では素晴らしいことだと
宇宙の凄さを実感する
仏教の教えのようで
調べてみても 難しいことが並んでいたが
だからこそ 一定レベルに到達した
レムリアにとっては 必要ないのも腑に落ちる
その教えがレムリアの奥深くに もともと刻み込まれてるのかな?
と想像する
現代社会では ユダヤ思考によって
曲げられた教えがたくさんあって
曲げられたまま 信じ込んでる宗教団体者も多いんだろうと想像する
仏教なら仏教で良いのに
仏教の教えを元に 独自で訴えてる宗教があるのだとしたら
おそらく 利己的に曲げられた部分があるのだろうと想像する
まぁ 実際は私の知るところではないが
現在の多くの宗教団体の向かってる方向を見てれば
教えが正しいのか?間違ってるのか?の正誤よりも
行動を見て判断することが一番わかりやすいんだろう
正しければ ごく自然に ごく当たり前に
意識することもなく 悟りの境地を目指してるだろうし
正しくなければ 教えを強要し 拘束し
脅したり 献金を誘導したり
権力を振りかざしたり
自分たちの力を誇示したりしてるだろう
そこに違和感を感じないと言うことは
未熟なレムリアか?
レムリアで育ったユダヤ と言えよう
ここは間違いないね
宗教団体と名の付く団体ばかりでもないらしい
私が 団体と訴えてるのも
宗教団体に限らず 全ての団体に言いたいからだ
宇宙は猶予を残しながら
どの団体にも救いの手を差し伸べてるのは間違いないだろう
もちろん 直感として受け取ってる人も多いだろう
その手を掴んだ団体のみが 生き残っていくのかな?
と想像する
だからこそ
今 宇宙から求められてるのは 正すことで
正せた宗教団体だけが 宇宙からも守られるんだろうと想像する
だからこそ
小出しに ジワジワ 猶予を与えながら
正すことを 促されてる
先ずは 小さな個人が正していけば
その小さな力に宇宙はミカタしてくれるだろう
その小さな力が集まり 大きな願望となり
悪しき中央を解体してくれるだろうと想像する
どこの 宗教団体が生き残るのか?は
私の知るところではないが
これからも ここで訴え続け
誰かが拾ってくれたら 嬉しく思う
そして どこか素晴らしい宗教団体が
生き残ってくれたら嬉しいと思う
2023 1010 1414
600 スピリチュアルの世界 151 ~目指すとこ~
お読みいただきありがとうございました




