54 ツインレイの学び ③ ~価値観の違い~
最後に今日の気になる事もありますので
読んで頂けたら嬉しいです
育った環境の違いで
こんなにも違うのか?
と思うほどの価値観の違い
ツインあるあるなのだろうか?
心の豊かさを求めてきた私
私は常に心穏やかでいたい
自分の心を穏やかな位置に置きたいと思ってしまう
今までもそんな穏やかな位置に置き続けてきたから
それが当たり前なんだな~と
でも心を過酷なところに置き続けてきた龗
そこに心があるのが当たり前だから更に過酷な状況でも
言いきかせてそこに置くことに違和感がない
もちろん過酷すぎる場所から脱出しようと
少しだけ過酷の場所へ逃れることはあっても
やっぱり過酷の場所には変わらない
それが普通だからねきっと
もちろん本人は普通だからそんな過酷でもないよ
と言うかもしれないが私からしたら過酷だ
こんな二人が何も知らない状態で接したら
常に穏やかな場所にいる私
今は自分の中では過酷な環境
そこから早く脱出したいと思うのは自然
常に過酷な場所に心を置いてる人にとって
現状は普通だからきっと私の事をみて
先を急いでるように見えてしまうかもしれない
ただ私はこの過酷な状態を脱出したいだけ
常に穏やかな場所に心を置いてる私
いつももっと心を豊かになる事を考えてしまう
夢を見てしまう
小さな夢をたくさん見てしまう
正確に言えば小さな夢から叶えようとする
目の前の小さな夢をできることから少しずつ
それが合わさって大きな夢になる事もある
そんな思考回路
過酷な場所に心を置いてる場合
夢も最初っから大きい夢だったりする
だからその大きな夢を叶えるために
また過酷な世界へ飛び込んで行く
きっと
飛び込むか?飛び込まないか?
飛び込んだら過酷へ入り
大きな夢を叶えようと極める
または飛び込まない
夢を諦める
あっ諦めるといったら違うと言われそう
夢は見ないとか
夢は叶わないもの
なんて最終的には思ってしまってるかもしれない
そんな思考回路
この先未来で言われてる
心穏やかな心地良い世界
常に過酷な場所に心を置いてる龗
少しずつ穏やかになってくると
違和感を感じまた過酷な場所にに心を置こうとする
過酷なところに心があっても慣れてくると
またもっと過酷に心を置こうとする
少し過酷になったら更に過酷な状況を想像し
自分を慰めその過酷な状況を受け入れる
そう要するに過酷な場所に心がある事が普通
それ以上穏やかなとこに心を置く事の方が違和感があり
ましてや心穏やかになる事なんて目指してないとすら思える
これも幼少期の環境に大きな影響がある現象か?
もちろん幼少期だけでなく
現在までの環境にも大きく左右されると思う
私の場合は幼少期が良い環境だったというより
ソウルメイトによって学んだ結果こうなったんだ
と思っている
この学びもツインレイに出会うための
必要な学びだったんだって
つくづく納得してしまう
今日の気になる事
このご時世
ソウルメイトの本職もしづらくなってきている
そんな中今年から新しい事を始めている
仕事化するつもりなのか?
一つは日本人相手
手始めにできる事を始めたよう
練習がてらと言って真剣にやってた
落ち着いたころ今度は外国人相手
英語が好きだが英語が話せるわけでもなく
でも前から勉強したいと言いながら
できてなかった状態で始めてた
それでもなんとか収入もあるよう
始めた時に私は当然ながら
アドバイスとも言えない小言を言った
あまり否定しないがその小言も今思えば
正解だったのかもと思える
これも何か
知らせのような?
学びのような?
ソウルメイト
私とソウルメイトの関係
龗と私の関係
要するに
私がソウルメイトに感じる事
龗が私に感じる事
そんな関係になってる気がする
プラス
ソウルメイトから私へ
私から龗へ
要するに
私がソウルメイトから学んだことは
龗と出会うために学んでる
そんな絶妙な人物のように思え
いつも納得させられる
具体的な事は
また話せる時がきたら話せれば
と思う
54 ツインレイの学び ③ ~価値観の違い~
お読みいただきありがとうございました




