153 スピリチュアルの世界 ⑪ ~サインと誘導と自我~
サインを受け取る
そこにはたくさんの障害がある
私がサインとして受け取るまでの
経緯を伝えてみたいと思う
動画に関しては安定な導きで
最近は確立しつつある
じゃあここ「なろう」では?
となると
ここではたくさんのサインと同時に
敵陣をはじめたくさんの誘導も混在している
まぁこれは私の場合だが・・・・
一時期、全部に目を通していたが
最近はそうでもなくなって
インスピレーション重視で見ている
じゃあ何がサインか?
ここでは読むとまず先に心が反応する
落ち込んだり
喜んだり
先に心が反応してしまう
それも今ではインスピレーションで
振り分けができるようになってきた
インスピレーションは自我と混ざると
なかなか受け取りにくい
それは自分の心の状態によって
守ろうとか欲望とかが顔を出すからだ
それを回避するのに私がした事は
全部読むだった
前から言ってるようにそこには癖が出てくる
短期だとわかりづらいものでも
長期になれば必ずその人の本来の癖が出てくる
10回のうち1回かもしれないが
そんな1回があればゲームオーバー
そこに悪意がある人か?そうでない人か?
誘導する人か?そうでない人か?
だけがわかれば後はインスピレーションにお任せする
要するに
この詩は
悪意ある言動が多いとか
誘導する事が多いとかの
特徴を理解するだけで
心は安定しインスピレーションだけを
受け取れるようになってくる
すると悪意だけを取り除くことができ
受け取ることができるようになってくるのだ
後は心動かされないように保つことが出来る
まぁ時に確信でき逆に作用する事もあるけどね
心が安定してれば
それがサインならフワッと頭に下りてきたり
動画で導かれサインとして受け取る
誘導の場合はフワッと頭に下りてこない
逆に別の意味でフワッと頭に下りてくる
動画の念押しもない
さらに
逆に
あ~こういう事ね~
なんて全貌がわかったりする
誘導?か
導きやサイン?か
この違いを説明するにはまだ言葉が足りないな~
と思うけど私の中には明確な違いがあり
それがわかるようになってきた
153 スピリチュアルの世界 ⑪ ~サインと誘導と自我~
お読みいただきありがとうございました