第3部 48話 ゲームマスターと正体
◆ニューズ・オンライン シーツー10合目 GMイベント会場◆
その姿を目にするのは、およそ一か月ぶりのことだった。ヒイロは驚きのあまり言葉を失ってしまった。
ヒイロの目の前には、よく見知った少女が佇んでいた。
その姿は一か月前から全く変わることがない二振りの短剣を腰に下げたアサシンの姿。鮮やかな空色で統一された衣装は、アサシンにしては華やかな印象を受ける。艶のある黒髪のショートカットと腰に巻かれた空色のマントを風になびかせる優雅な姿には、トッププレイヤー特有の風格を感じる。しかし、当時のトレードマークであった、屈託のない笑顔だけが鳴りを潜めていた。
カスミであった。正確にはアバターを凍結される前のカスミ。緋龍の翼に在籍していた当時の姿であった。
「カ、スミ……?」
ヒイロは呟いた。しかしカスミは、ぼんやりと虚空を眺めているだけで、その問いに対する答えは返ってこない。思わず先ほどまでカスミが新しいアバターの成りで立っていた運営側のブースに目を向けると、そこにはカスミの姿は見当たらない。
この状況から推測するに、ターミリアだけではなく、カスミにも裏切られていたということだろうか? アバターが凍結されたというのも嘘で、緋龍の翼を抜けるための言い訳に過ぎなかったということなのか?
様々な疑問や疑念が胸の内から沸き起こってくる。そして、またもやヒイロの頭の中を混沌が埋め尽くす。
観客席は”シキゾフレニア”への賛同と緋龍の翼への非難が冷め止まず、カスミのことについては気づいてはいない様子だった。
「それでは、ギルド戦争3戦目、”決闘”を開始します!」
考えが思うようにまとまらない内に、運営側のアナウンスと共に決闘の開始を告げる鐘が鳴る。
「ちょっと待――」
ヒイロが異議を唱えようとしたその時、カスミがグレーのマントをその場に置き去りにし、音もなくこつ然と姿を消した。そして、次の瞬間、カスミが突如としてヒイロの背後に現れ、短剣による瞬速の一撃を繰り出す。ヒイロは背負っていた大剣を抜き放ちつつ、その一撃を受け止めた。
――重い
重力が倍になったのではと思うほどの負荷がヒイロの体にかかり、思わず両足に力が入る。カスミが握る短剣は刀身が透き通り、まるでガラス細工のような繊細さである。それにもかかわらず、まるで大きなハンマーで押し潰されているかのような感覚だった。
ヒイロはなんとかカスミの刃を跳ね返す。そしてその場で、目にも留まらぬ数十手の攻防を繰り広げ、闘技場に甲高い剣戟音が響き渡った。観客席からは『おおー!』という歓声が上がる。
――このままでは埒が明かない
そう思ったヒイロはカスミの刃との鍔迫り合いを力で押し切り、一度間合いを取った。そして、お互い剣を構えた状態で睨み合う格好となる。
――一瞬でも気を緩めたら、やられる
そんな緊張感にヒイロの額に冷や汗が伝う。そしてその時、カスミの姿を目撃した観客がザワつき始めた。
『おい、あれって”気まぐれな晴天乱気流”じゃないか?』
『”エアポケット”は、もうニューズ・オンラインを引退したと聞いたぞ? 本物なのか?』
『”エアポケット”は”シキゾフレニア”側についたのか……? 四翼のうち二人が”シキゾフレニア”側につくなんて、いよいよ本物だぞ……!』
ヒイロは歯を食いしばった。カスミの凍結前のアバターの二つ名はニューズ・オンライン中に轟いていた。カスミのAGIはヒイロのそれを遥かにしのぎ、もはや肉眼では捉えられない素早い身のこなしを武器とする。そして、敵の死角から繰り出される強力かつ回避不能な攻撃の数々。まるで”気まぐれな晴天乱気流”に巻き込まれたかの如く、敵は訳もわからぬうちに敗北する。その実力はそれこそヒイロにも匹敵した。はっきり言って万全の状態で戦っても勝てる確率は五分五分だろう。
そんな思考を巡らせている間に、カスミは再度姿を消す。そして、それとほぼ同時に左肩に衝撃が走る。
「クッ――」
ヒイロが大剣でカスミの虚像を追うが、捉えることはできない。釈然としないカスミとの対戦が、ヒイロの動きを鈍らせるのだった。
※
シーツーでは、日が徐々に傾きつつある。そんな中、ヤジマは闘技場で繰り広げられるヒイロと”シキゾフレニア”のアバターの一騎打ちに目を奪われていた。
徐々に薄暗くなりつつある闘技場の舞台を立体的に使い、二人の激突によって各所で生み出される閃光。二人の間で幾度となく刃が交わされ、リズミカルな剣戟を奏でる。その華麗な剣舞はまるで、2羽の水鳥が水面で戯れているかのようだった。
ヤジマのような素人目から見ても、美しい戦いだった。「トッププレイヤーのプレイは見る者の心を奪う」そう言った辻村の言葉を思い出し、まさにその通りだと思った。
「すごいな、カスミ――」
その感動を共有しようと隣を見ると、先ほどまでいたカスミの姿は立ち消えていた。このギルド戦争の行方をカスミが気にしていないはずがない。しかし、この3戦目のヒイロが決闘しているタイミングでいなくなるなど、何かあったのか。
その時、視線の先にいたタマキの姿が目に入る。意外にもその表情は曇っていた。
「タマキさん、どうしたんですか?」
「……まずいわねえ」
そう言いながら、タマキは下唇を噛んだ。
「え? まずいってどういうことですか!? ヒイロと”シキゾフレニア”のプレイヤーは互角に戦っているように見えますが!?」
実況席に座っているヘルがヤジマの声を聞きつけてため息をついた。
「ヤジマ、お前どこに目を付けてるんだ? 今、完全にヒイロが押されてる展開だぞ?」
「そうなのか!? 相手はそんなに強いのか!?」
その言葉を聞いた黒騎士姿のハセベが舌打ちする。
「俺と戦ったにニャンダってやつも相当すばしっこい動きをしてたが、今回の相手はそれ以上のAGIだ。さっきから観客席から聞こえる”エアポケット”っていうのは、さぞかし名の通ったプレイヤーなんだろう。ヒイロも今は分が悪いが、ステータスを総合的に見れば互角に勝負できるレベルだ。チッ――どいつもこいつもどんだけこのゲームをやり込んでんだ」
「……ってあれ? ハセベさん、ログアウトしたんじゃなかったんですか?」
「してねえ! シーツーの底に落ちてただけだ!」
「す、すいません。てっきりハセベさんの出番が終わったから、もう帰ったと思ってました……」
「……いや、まあ、今後の開発の参考のためにな」
そう言いながら、ハセベは兜で覆われた顔面をポリポリと掻く。その言葉とは裏腹に、やはりギルド戦争の行方が気になっているようだった。そんな微笑ましいハセベの姿とは対象的に、その横にいるカンナバルは眉間にシワを寄せ、深刻な表情で試合を見入っている。
「カンナバルさん、どうかしたんですか?」
「あの”シキゾフレニア”のアバターがまとう空色の衣装。どこかで見たと思ったのですが、”エアポケット”と聞いてピンと来ました――”エアポケット”はカスミさんのアバターの二つ名なんです」
「「な――!?」」
その場にいた皆が一斉に驚きの声を上げた。




