第3部 30話 ゲームマスターと奇策
◆ニューズ・オンライン シーツー十合目 GMイベント会場 闘技場◆
タマキは、ヤスコがシベリアをアイテムとして使い果たしてしまったという報告を聞き、青ざめる思いだった。
観客席の運営ブースにはシベリアのストックがある。しかし、この闘技場を訪れているプレイヤーの半数分程度しか賄えないだろう。今の状態でシベリア配布を行うと、途中で行き渡らなくなるため、不公平になるのは必至である。そう結論づけると、アイテム配りは最早中止にせざるおえない。
タマキは闘技場に詰めかけているプレイヤーたちを見渡す。先程のヤスコの一言を聞き、既に状況を理解したのか、プレイヤーたちが騒ぎ出している。
『ふざけるな! 楽しみにしてたんだぞ!?』
『運営は今回の件、どうやって責任取るつもりだあ!?』
その言葉を耳にしたヤスコは叱られた子供のようにしゅんと小さくなっている。カスミも悔しそうに唇を噛みながら顔をしかめていた。タマキは突如訪れた危機的状況を前にして、焦りを感じつつも頭をフル回転させて打開策を模索する。その時、低い声が唐突にタマキの思考を遮った。
「タマキGM、どうかしたのか?」
椅子に座っていたノワードが立ち上がり、タマキに近づいてきた。焦りの募る中、タマキはノワードに配布予定のシベリアが足りなくなった事情を説明した。
「シベリアが不足した状態で配布を開始すれば、新たな問題が発生することは必至です。今の状況では、シベリアの配布は中止にせざるおえないです……」
「なるほど、そういうことか」
ノワードは腕を組み、顎に拳を当てて考え込む。そして、すぐに口を開いた。
「――では、シベリアを今から調達するのはどうだ?」
「そんなことができるものなら、もう既に手を打っています。必要なシベリアは1000個近く。それらを準備するのには人も材料も調理アイテムも何もかもが足りません……」
タマキは力なく肩を落とした。調理アイテムとは、”鍋”や”コンロ”などの料理スキルを発動するために必要な道具である。万が一シベリアを作る材料があったとしても、調理アイテムがなければシベリアを作ることはできない。
落ち込むタマキを見て、ノワードは闘技場の下を指差す。
「あるじゃないか、何もかも。――シーツーには」
その言葉にタマキは驚いて目を見開く。ノワードは後ろを振り返り、緋龍の翼のメンバーに向かって叫んだ。
「シーツーからシベリアの材料をかき集めてきてくれ。なるべく多く、至急!」
「「はいっ!」」
「シベリアのレシピは俺が習得している。調理アイテムはここに準備するから、俺とタマキGMで手分けして作ろう。シベリアを配布できるかどうかは羊羹とカステラの在庫がシーツーにどれだけあるかにかかってくるな……」
シベリアは羊羹とカステラがあれば、すぐに出来上がる。しかし、それらがない場合は、羊羹とカステラをその材料から作らなければならないのだ。材料から作ればそれだけシベリアが出来上がるのにも時間がかかってしまう。
だが、そんなことよりも驚いたのは、こんな運営側の不備に対して、通常であれば非難する側のはずのプレイヤーから助け舟を出されたことだ。まさに、青天の霹靂とはこのことである。緋龍の翼が運営側に協力したところで、いいことは何一つとしてないはずだ。それにもかかわらず、ノワードは協力することを申し出たのである。何か裏があるのではと疑わずにはいられなかった。
「ノワードさんは、何故ここまで協力してくれるのですか?」
タマキはノワードに恐る恐る尋ねた。
「言っただろう。生産系スキルのバグを直してもらわないと困るんだ。そのためには、このイベントを成功させる必要があるんだろう? それに……シベリアはうまかった。そのお礼をさせてくれ」
「お礼――ですか……」
ノワードの意表をつくような言葉にタマキは目を見開いた。ノワードは味覚機能へ強い思い入れがあるようだった。ノワードがここまで味覚機能に入れ込む理由はなんなのだろうか。
しかし、理由が何であろうと、シベリアを美味しいと言ってくれたノワードの言葉は本心のように思えた。ノワードの心の底から発せられたその言葉は、ノワードを信用に足る人物だと判断するには十分だった。タマキは意を決してノワードに言い放った。
「ノワードさんの助力、お言葉に甘えてありがたく頂戴しますっ!」
ノワードの仏頂面が少し緩み、ほんの少し口角が上がったように見えた。タマキは表情を引き締め直し、観客席へと向き直る。
「失礼しました! これから緋龍の翼と私がシベリア作りを実演します! 出来立てをお配りしますので、希望する方は闘技場までご足労ください! 観客席の運営ブースでも、シベリアの配布を開始します!」
タマキがそう声高らかに宣言すると、闘技場からは歓喜の声が上がった。
※
ノワードはニューズ・オンライン、そしてタマキに心の底から感謝していた。シベリアを食べる機会を与えてくれた。これはノワードにとって何物にも代えがたい体験であった。
ノワードは現実では酷いアレルギー持ちだった。小麦がダメ。乳製品がダメ。卵もダメ。学校では給食が食べられないので、独り弁当を持参して他の生徒とは異なる食事をした。外食もほぼできなかった。通学路の途中にあるレストランのショーウインドウ。そこに並ぶ鮮やかな料理の模型は、残酷なほどに美味しそうに見えた。
人生で一度だけアイスクリームを食べたことがある。ノワードは食べてはいけないことを認識していたが、少しくらいなら大丈夫だろうと思った。親には無断で学校の帰りにコンビニでバニラ味のカップアイスを買い、こっそりと食べた。
アイスをスプーンで少量掬って口に入れると、舌の上ですぐに消えてなくなる。口の中に広がる甘味と牛乳のコク。バニラの甘い香り。胸が幸福感で満たされる感覚。こんなにも美味しいものが現実に存在するのかという衝撃を受けた。
しかし、その代償は大きかった。アイスを全て平らげた後、家への向かう途中で胃に不快感が生じ、それはすぐに吐き気へと変わる。道端で突然嘔吐し、近くの電柱に掴まった。意識が朦朧とし、そのままその場に崩れ落ちた。
次の瞬間、目の前に見えたのは病院の白い天井。両親の心配そうな顔がノワードを覗き込む。そして、無事であることがわかると、両親は泣いてノワードの体に縋った。
両親を悲しませないためにも、金輪際アレルギー食材を口にするのはやめよう。この時ノワードはそう誓ったのだった。
しかし、その後ノワードは何とも言えない虚無感に襲われた。平らげたはずのアイスは既に胃の中から取り除かれて存在しない。あの味が忘れられなかった。もっといろんなものを食べてみたかった。だが現実ではこれ以上食べることはできない。そんなノワードの前に現れたのが、他に類を見ない自由度の高さで料理ができるニューズ・オンラインだった。
ノワードは味覚機能が実装されることを夢見てフードハンターになった。どんな味がするのか妄想を膨らませながらレシピを収集する日々。このまま味覚機能が実装されないのでは――という一抹の不安を感じながらも、これまでフードハンターの活動を続けてきた。
そして今日という日に、ノワードはシベリアを食すことができた。香ばしく焼けた小麦の味。卵のコク。脳天を突き抜けるほどの甘さ。まさに天にも昇る気分とはこのことである。
現実では食べられないものを食べてみたい――そんな夢が叶った瞬間だった。そして、これがノワードにとってゲームを続けてきた理由でもあった。
ノワードの夢を叶えてくれたタマキには何物にも代えがたい大きな恩を感じた。そして今目の前でその恩人が困り果てている。手助けしないわけにはいかなかった。
――何としてでも時間内にシベリアを作って見せ、タマキGMの窮地を救って見せる。
ノワードはそう意気込んだのだった。
ここまで読了いただき、ありがとうございました!




