第1部 3話 ゲームマスターと世界の救済
2021/05/17 改稿
◆ニューズ・オンライン ギニーデン ファースト教会◆
視界が開けるとヤジマは教会の前に立っていた。
教会は中央に尖塔がそびえ立つゴシック建築の建物だった。青空を背景に青々とした草原に佇む荘厳な教会の姿が美しい。太陽はギラギラと照りつけているものの、そよ風が適度に流れて心地よかった。
ヤジマは思わず深呼吸してしまった。新鮮な空気が鼻孔をくすぐり、酸素が全身に行き渡る感覚を覚えた。
「素晴らしい」
ヤジマは思わず呟く。VR空間がこんなにも完璧に人間の五感を再現しているとは予想していなかった。こんなことならもっと早くVR空間を体験しておくんだったと悔やみたくなるほどだ。
こんなに素晴らしいVR空間を提供できているのにニューズ・オンラインは何故人気がないんだろうとヤジマに率直な疑問が浮かぶ。興奮しながらヤジマが辺りを見回すと、その疑問はすぐに解消された。
「クオリティのムラが激しい!?」
ヤジマの目の前には幹の太い一本の大木が鎮座していた。しかし、そのビジュアルは外枠しか描かれておらず、葉の生い茂る部分は緑一色、幹の部分は茶一色で塗り潰されていた。
そのクオリティの低さにヤジマは幼い頃にプレーしたTVゲームを思い出した。教会は素晴らしい出来で感動すら覚えるのに、振り返ればこのクオリティの低さではユーザが幻滅するのも目に浮かぶようである。
「ニューズ・オンラインへ、ようこそナ」
若干違和感のある語尾の言葉が背後から聞こえ、ヤジマは振り向く。
「うわあぁぁぁ、なんだこれ!」
ヤジマは思わず尻餅をつき、後ずさった。ヤジマの目線と同じくらいの高さに猫くらいの大きさの「物体」が浮かんでいる。「物体」の頭の部分には猫のような耳があるが、胴体にはしっぽや足はない。腕の代わりに小さな羽があり、パタパタと動いている。見た目は大きなクリオネのようであった。
「なんだこれとは失礼ナ。GMOナ」
「え、GMO?」
「ゲームマスターオフィス、ゲームマスターを支援するAIナ」
すっかりVR空間に気を取られていたが、ヤジマは成瀬の言っていた「強力なアシスタント」の存在を思い出した。
GMOはゲーム内でゲームマスターに近い権限を持っており、ゲームを運用していく上で必要な基本的な作業は全てGMOがこなしてくれている。このため、GMはよほどのことがない限り表に引っ張り出されないということだった。
ヤジマは起き上がり、GMらしく見えるよう冷静を装いながら自己紹介した。
「新しいGMの山田ことヤジマだ。よろしく」
「ヤジマ、よろしくナ」
少し言葉がカジュアルすぎないか?と疑問を呈したかったが、ヤジマは話しを続ける。
「GMOのことはなんて呼べばいいかな?」
「GMOはGMOナ」
「GMOは呼びづらいからなー、じゃあジーモでどう?」
「了解ナ」
お互いの自己紹介が終わったところで、先ほど衝撃を受けたグラフィックのクオリティの低さについて尋ねてみた。
「ジーモ、教会と樹木のグラフィックのクオリティに差があるんだけど、何故か知ってる?」
「作成者が違うナ。教会はカマタ作成の1点物だからクオリティが高いナ。汎用的な背景やアイテムは開発担当が準備してるからクオリティが低いナ」
カマタというのはデザイン担当のあの鎌田だろうと、人の良さそうなドワーフ顔を思い浮かべる。汎用的なものは開発担当がデザインしてるとしたら、このクオリティの低さは納得できる。
「なんか全体の調和が取れてなくて気持ち悪いな……まだクオリティ低いもので統一されている方がマシな気がする……」
ヤジマはため息をつきながら、クオリティのムラについて問題提起することを心に決める。ヤジマは気を取り直し、本来の目的であるGM業務の把握に徹することにした。
「ジーモ、ゲーム内では直近で何か問題が起きてる?」
「警告イベント118941件、エラーイベント4821件、重大イベント3件発生。プレイヤーからの問い合わせ1805件発生ナ」
「じゅ、十何万!? それってまずいんじゃないの!?」
「統計的には毎日これくらいのイベント数をキープしてるナ。警告イベントとエラーイベント、プレイヤーからの問い合わせはGMOで処理できるから問題ないナ。重大イベントはGMOで対処する権限がないからよろしくナ」
ハァーとため息を付き、ヤジマは天を仰いだ。
「重大イベントの内容教えてくれる?」
「重大イベントNo1355421、明日以降のニューズ内の天候が未設定です。天候を設定してください」
「……なんでこれが重大イベントなの? ジーモで設定できないの?」
「知らないナ。昔からそういう設定になっているナ」
昔からそういう設定!前任者が退職しており、過去の経緯をヒアリングすることができないヤジマとしては、対応に困る事案だった。
「ちなみに天候設定しないまま明日を迎えるとどうなるの?」
「ゲーム内のプレイヤーを強制ログアウトして、サービス停止ナ」
「やばいじゃんそれ! GM一日目にしてゲーム存続の危機!?」
これはどうにも仮としてでも設定しておかなければいけないようだ。ヤジマは少し考え込んでからジーモに質問した。
「……ランダムって設定できるの?」
「できるナ」
やはり自身の予測は間違っていない、とヤジマは自画自賛する。システムはランダムという設定ができるのが定番である。天候設定が必須になっていることについては、後で開発担当に抗議しようと心に決める。
「じゃあ、とりあえず明日以降一年分ランダムで設定しておこうか」
「了解ナ」
こうしてヤジマはGM就任一日目にしてニューズ・オンラインを救ったのであった。
※
重大イベント三件への対処が終わったところで、ヤジマはニューズ・オンラインの世界をもう少し経験する必要があると思った。ニューズ・オンラインにログインはしたものの、ゲームのプレイ方法やゲーム内の事情を把握しない限り、何か問題があったときにGMとして采配を振るうのは難しいだろう。
「ジーモ、街に降りてみたいんだけどいいかな?」
「了解ナ」
教会は丘の上に建っており、眼下にはオレンジ色の屋根で彩られた西洋建築の街並みが広がっている。ヤジマは丘を下ろうと歩みを進めるが、思うように速度が出ない。足を前に出せども出せども一向に街並みは近づいてこない。
「ジーモ、速歩きってできないのかな?」
「速歩きというスキルは存在しないナ。それにヤジマの場合、素早さを示すステータス”AGI”が”3”だから、早く歩くことはできないナ」
アバター作成時にステータスを設定したことを思い出す。確かに、全てのステータスを「3」に設定した記憶があった。
「AGIってどうすれば増えるの?」
「プレイヤーのレベルが上がると、ステータスを更新できるナ。レベルを上げるためには、モンスターを討伐する必要があるナ。でもヤジマはGM権限でステータスを更新することもできるナ」
「おおー、よかった。仕事だから時間は有効活用しないとね」
「いくつに設定するナ?」
「とりあえず、全てのステータスをMAXにしてくれる?」
「了解ナ。全てのステータスを”65535”にするナ」
「サンキュー、じゃあ街まで行こうか」
そう言ってヤジマが足を踏み出そうとした瞬間、ヤジマの周りの景色が後方に吹き飛んだ。周囲の景色が無数の線となり、暴風の中で歩いているような猛烈な風の抵抗を体に感じた。次の瞬間、ヤジマの体は白色の石造りの壁に激突した。
ガシャンという工事現場から聞こえてくるようなけたたましい音とともに、ヤジマは地面に転がっていた。痛みはなかったが、何が起こったのかわからず頭が混乱する。
「街についたナ」
ジーモの声がしてヤジマは我に返り、ジーモを問いただす。
「どゆこと!?」
「AGIが高いから早く移動できたナ」
「普通に歩こうとしただけで瞬間移動!? バグじゃない!?」
「知らないナ。開発者に聞いてナ」
開発担当にちゃんとステータスが高い場合のテストをしてるのか問ただそうと心に決める。ジーモと押し問答をしていると、大きな音を聞きつけてなんだなんだと野次馬たちが集まってきた。こんな話を一般プレイヤーに聞かれるのは不味い。ヤジマは衝撃でズレた仮面を被り直す。
「ジーモ、とりあえず全てのステータスを今の半分にして。まずはここから逃げよう」
「了解ナ」
ヤジマはすぐに起き上がり、慎重に一歩を踏み出す。向かいの壁ギリギリまで一瞬で移動した。AGIは半分になったものの、瞬間移動するくらいには高い値らしい。ヤジマは慣れない瞬間移動を繰り返しながら、ギニーデンの街中に繰り出していった。