第2部 10話 ゲームマスターと神ゲー
コーヒーと羊羹の準備はよろしいでしょうか!?
2021/05/17 改稿
◆バレンタイン・オンライン 王都バレンタイン 城下街路地裏◆
「どこまで行くんですか?」
ヤジマは前を行くタマキに向かって声を投げかける。
「あともう少し――」
タマキは大通りから細い路地に入り、くねくねと入り組んだ路地裏を進んでいった。徐々に薄暗さを増していく中、ヤジマはタマキを見失わないようにその後をついていく。
「ここだよ」
タマキが立ち止まらなければ目に留まることもなかっただろう。窓が一つもない煤けた煉瓦造りの壁。壁の中央には古びた木製の扉が嵌っており、扉の真ん中には唯一中を覗き込めるような小窓がある。中は薄暗いものの、小さく明かりが灯っているのが見える。扉の横には無造作に板が立てかけられており、よくよく目を凝らすと「台所くねくね」と書いてあるのがわかった。
タマキは入りづらい店の佇まいを気にすることもなく、扉を押して入っていく。
「いらっしゃい!」
店主と思われるドワーフがカウンター内から声をかけてくる。店内は狭く、十人掛けのS字のように曲がりくねったカウンターがそのスペースの大半を占めていた。香辛料のような様々な木の実が透明なビンに詰められており、カウンター内の棚を埋め尽くしている。壁際にレトロなランタンがいくつかあるだけで薄暗い。飲食店というよりも魔術具店といった雰囲気だった。装飾品の陰鬱さとは対象的に狭い店内には活気があり、既に五人の客が着座していた。
「まだ空席あるね。席数少ないから空きがあるか心配だったの」
「お、GMさん。同伴なんて珍しいね!」
NPCと思われる店主は、タマキと顔見知りのようだった。他の客もこの店の常連らしく、タマキと軽く挨拶をする。タマキをヘルとヤジマで間に挟むようにして席に腰掛けた。
「ここのクリームチーズ羊羹が絶品なの。是非味わってもらいたくてねえ」
「え、料理が食べられるんですか?」
クリームチーズ羊羹には全く食欲をそそられないものの、VR空間で料理が堪能できることに驚いた。
「当たり前だよお? VRMMOの醍醐味じゃない」
「これもうちの会社のプラットフォームの機能ですか?」
「そうだよお。五感の再現についてはプラットフォームの機能を使ってるだけ」
ニューズ・オンラインでは飲食物を口にすることはできない。飲食物はアイテムとして消費することはできるが、口に物が入らないようにシステム制限が掛かっていた。そのせいか、ゲームで食事を摂るという概念がなかったため衝撃的な事実だった。プラットフォームの機能を使っているだけということは、ニューズ・オンラインでも実現できる可能性があるということだ。獣人アバターの導入に続き、味覚の再現性についても遅れをとっていることが明らかになった。
皆、常連といったアウェー感に苛まれてソワソワしていると、見かねた店主が声を掛けてきた。
「お兄さん見かけない顔だね! GMさんの彼氏?」
冗談のつもりだろうが悪い気はしない。ヤジマは照れながら否定しようとしたところで、ヘルが割って入ってくる。
「こいつのどこが先輩の彼氏に見えるんですか!? 新人研修のシゴキに耐えられず泣き出すやつですよ!?」
「おい! 同じ時同じ場所で吐き気を催してトイレにこもりきりだったのは誰だったか!?」
「はいはい、そこまで。君たちはもう少し仲良くできないのかねえ? ここは私の奢りだから気兼ねなく食べてね」
頼んでもいないのに、店主が小皿とコーヒーをヤジマに差し出す。
「”飲みに行く”ってコーヒーを飲みに来たんですか!?」
「そう。業務時間中だからねえ」
てっきりアルコールを摂取するのかと思いきや、コーヒーであることが判明して拍子抜けした。
しかし、すぐにコーヒーの香ばしい香りがヤジマの鼻孔をくすぐり、その存在をアピールする。小皿には角切りにされた羊羹にクリームチーズが大胆に乗せられていた。上にはハチミツのようなソースがかかっている。店内の雰囲気も相まって、目の前の料理から魔性の魅力を感じ、思わず唾を飲み込む。
ヤジマは恐る恐るフォークを繰り出して羊羹を口に運ぶ。
「お、おいしい……」
羊羹の芳醇な甘みとクリームチーズの酸味が混ざり合い、甘酸っぱく仕上がっている。ソースの華やかな香りが、羊羹という馴染み深い和菓子を高級スイーツというカテゴリにまで昇華している。
「コーヒーも飲んでみて?」
タマキに促されるまま、コーヒーを啜ると羊羹の甘みを苦味で打ち消し、まろやかな後味が口の中に広がった。
「……! この羊羹とコーヒーよく合いますね!」
VRMMOで食事をして、まさか感動するとは思いもよらなかった。現実に全く引けを取らない満足感であった。これが名高いバレンタイン・オンラインの実力かと驚嘆するほどだった。
「でしょう? このお店のメニュー、私がプロデュースしたの」
タマキは無表情ながらも自慢げに胸を張る。
「タマキさんの趣味全開じゃないですか!?」
「仕事が趣味だからねえ。ヘルくんはどう?」
「もちろん、おいしいです!」
ヘルは条件反射のように即答する。
「ではここで質問です。なぜ美味しいと思ったの?」
「え? それは味が良いから……」
ヘルはタマキの唐突な質問に対してシドロモドロになった。
「味が良いと感じるのは“美味しい”の一部。五感の内の一つである味覚が味が良いと感じているだけ。ヘルくんは、見た目が美味しそうで、フォークを突き刺した時の音を聴いて、口に入れたときの香りと舌触り、そして味を感じる。五感で総合的に美味しいと判断したんだよ。もし五感の内一つでも欠けているとしたら、それは不自然に思えて臨場感は失われる。VRMMOが臨場感を失ったら終わりだよ。ヤジマくんがクオリティを上げたいと思ってるグラフィックは、それほど重要なものなんだよ」
ヘルは黙ってフォークで羊羹をつついている。
ヤジマとしては、タマキに全く頭の下がる思いだった。タマキがヤジマたちをここまで連れてきたのは、クリームチーズ羊羹を披露したいわけではなかった。VRMMOにおける五感の重要性を説明し、ヤジマの代わりにヘルを説得するためなのだ。ここまで熱心に協力してくれることは奇跡のように思えた。
少し間を置いたところで、ヘルが重い口を開く。
「確かに先輩の言う通りだと思います。グラフィックのクオリティは、ゲームの人気を左右するほどの重要な要素だと理解しています。でも俺の仕事はニューズ・オンラインのインフラを守ることなんです! もうサービス停止なんて、絶対にさせたくない……!」
「……もしかして、まだ昔のこと引きずってる? もう忘れてもいいころだと思うよお?」
「あの……昔のことってなんですか?」
ヤジマは思わず口を挟んだ。タマキはため息をつく。
「私の口からは何とも――」
タマキがヘルのことをチラッと見る。
「先輩、気を使わなくても大丈夫ですよ。ヤジマ、俺は昔な、バレンタイン・オンラインのサービスを自分のミスで止めてしまったことがあるんだ」
ヘルはコーヒーカップの中で穏やかに揺れる油膜をぼんやりと眺めながら語りだした。
ここまで読了いただきありがとうございました。




