第2部 8話 ゲームマスターと助っ人
ちょっとIT的な話をします。
成瀬はニューズ・オンラインのインフラを担当しています。
彼らのことを一般的にはインフラエンジニアと呼んでいます。
インフラは、システムを稼働させる基盤のことであり、構成要素としては、サーバ、ネットワーク、電源などがあります。
インフラ担当はそれら構成要素を扱って業務をするわけですが、その業務範囲は会社によって異なると思います。
・インフラの導入に向けてインフラを設計する方々。
・インフラが問題なく稼働しているか運用・保守する方々。
大きなシステムによっては、構成要素ごとに担当者がいたりします。
成瀬の業務は「インフラが問題なく稼働しているか運用・保守する」に該当します。
近年はクラウド化が進んでインフラエンジニアの出番が少なくなってきた感がありますが、RXシステムズではオンプレミス(インフラが自前)で運用しています。
以上、設定の話でした
2021/06/29 改稿
◆縦浜近郊 RXシステムズ本社ビル カフェテリア・オアシス◆
山田はカフェテリア・オアシスの角っこのカウンターに腰掛け、時計を見上げると既に時刻は17時を過ぎていた。時間は残酷にも止まることなく時を刻み、山田の無力感はとどまることを知らない。
山田はログアウトしてから劇的にニューズ・オンラインを変える方法を模索したものの、良い考えは生まれていなかった。
ゴエモンからも指摘されたが、やはり一番改善したいところはグラフィックであった。グラフィックがオタゴ王宮やロックゴーレムのようにクオリティの高いものになれば、ユーザーの新規参入を促すことができるほどの衝撃となる予感はあった。
しかし、ネックとなるのはやはり、コストである。何かやろうとすれば、必ずと言っていいほどお金がかかってしまう。そのお金を捻出できる余力が今のニューズ・オンラインにはない。
山田は椅子の小さな背もたれに全体重を預けて天井を見上げる。
「GMコール大丈夫だった?」
「ふぁ!?――」
突然視界に環の顔が現れ、驚いて後ろにひっくり返りそうになる。椅子の背もたれを環が押さえたことで難を逃れる。
「す、すいません」
「またここで中途半端な時間に会うなんて奇遇だねえ」
環は右手を頭の上にかざして軽く敬礼する。可愛さしかない。
「ご心配いただいたGMコールは大丈夫でした。ただのパーティーへの勧誘でした……」
「GMにパーティーの勧誘? ニューズ・オンラインのGMは随分とフレンドリーだなあ」
環はケラケラと楽しそうに笑った。可愛さしかない。
「この間は深刻そうな顔してたけど問題は解決できたの?」
「いえ、まだです……。むしろより一層深刻な事態に……」
環に格好悪いところを見せるのは嫌だったが、他に愚痴をこぼす相手もいない。別のチームの環に長く時間を取らせるのも申し訳ないので、このままだとニューズ・オンラインは後二か月でサービス終了がしてしまうこと、ニューズ・オンラインの人気を出したいものの、チーム・ニューズのメンバーの協力が得られないことを手短に告げた。
「デザインのクオリティを上げるためには、インフラの増強が必須なのですが、インフラの担当者の協力が得られないことがネックになってまして……」
「インフラの担当者って成瀬くん?」
環から予想外の返答があり山田は驚く。
「そうです。成瀬をご存じですか?」
「成瀬くんは私の弟子みたいなものだからねえ」
ますます予想外の展開となっていくので山田は驚きを隠せない。
「あいつ、全然席にいなくて本当に仕事をしているのかすら怪しいんですよ! まるでニューズ・オンラインなんてどうなっても構わないといった感じです」
「うーん、そうではないと思うけどなあ」
環は腕を組んで考え込む。
「ちょっと付き合ってくれない?」
環の口から発せられる「付き合ってくれない?」という言葉に色気を感じつつも、主旨を正しく理解して返答する。
「大丈夫ですけど……。どこに行くんですか?」
環は何も言わずに親指を立てて下へと向けた。環と一緒なら地獄に落ちてもいいなと思った。
※
本社ビルの地下3階は人の気配がなく、酷く無機質な印象だった。遠くの方でファンが空気を循環させる音だけが響き渡る。入口のセキュリティは厳重で、回転扉の鉄格子は刑務所のような閉塞感を感じさせる。
入口を抜けると空調の音は次第に大きくなり、一気に室温が下がった。
「山田くん、ここに来るのは初めて?」
環が羽織っている作業着が少し大きく、袖から指先が少し顔を出していて、可愛らしい。
「初めてです。というか地下にこんなところがあったんですね……」
目の前は明かりもなく真っ暗闇であった。ところどごろ光るサーバのLEDが唯一の明かりとなりホタルのように目に映る。奥行きは恐らく50メートルはあるだろう巨大空間にサーバラックが規則正しく並んでいる。
RXシステムズ社の誇るデータセンターであった。RXシステムズ社が提供するサービスは、ほぼ全てこのデータセンターのサーバ上で動作している。もちろん、ニューズ・オンラインも例外ではない。
「耐震強度を高めるためにデータセンターは地下に作ってあるのよ。普段人が常駐するような場所ではないからちょっと暗いけどね」
環は静かに話しながらも、どこか少し得意げだった。
「環さんはよくここに来るんですか?」
「前はインフラ担当やってたからよく来たかな。GMやるようになってからはご無沙汰だけど」
「え!? GM!?」
「あ、言ってなかったよね? 私、バレンタイン・オンラインのGMやってるの」
山田は驚愕した。環がチーム・バレンタインのメンバーであることは知っていたが、まさかあの人気ゲームのGMであるとは考えもしなかった。環の可愛らしい雰囲気から勝手にデザインや、広報であると決めつけていた。こんなにも若くして人気ゲームのGMを務めているとは純粋に驚いた。
山田の興奮が収まる間もなく、環はデータセンターの奥へ進んでいく。すると一点だけ明かりが灯っている区画があった。近づくと、そこには見慣れた人影があった。
「久しぶり、成瀬くん」
「――先輩どうしたんですか!? それに山田も!?」
突然現れた二人の姿に成瀬は困惑の表情を浮べる。作業着姿の成瀬は薄暗く肌寒いサーバラックの前で、作業机にノートPCを開いていた。
「成瀬くんは相変わらずここにいるんだねえ。ね、山田くん? ちゃんと仕事してるでしょう?」
環は山田の方を見て言った。山田は渋々頷く。こんなところにいるのでは見つけようがないというのが、率直な感想だった。
「成瀬、何でこんなところにいるんだ?」
「そりゃあ、サーバたちのお守りをしてるんだよ。こんな弱小ゲームでもリソースは結構食うんだ。この列のラック全部うちのだよ」
成瀬が指差す方向を見ると10台ほどのサーバラックが立ち並んでいる。サーバラックそれぞれに機器が所狭しとラッキングされている。これらの機器が全てニューズ・オンラインに使われていると考えると、衝撃的であった。想像以上に設備の規模が大きく、これだけの設備を維持するのにもかなりのコストを要するだろう。
「インフラ担当はねえ、あまり目立たないけど、サービスの安定稼働を支えるのが役目なの。もしインフラに故障が発生したら最悪サービスが停止してしまう。ニューズ・オンラインが今も問題なく動いているのは成瀬くんのお陰なのよお」
環の言葉に成瀬は得意そうに鼻を鳴らす。確かにこれだけの設備を管理するのは容易でないだろう。だが一つ疑問が残る。
「環さんと成瀬はどういう関係なんですか?」
「いや、山田こそ何故先輩と一緒にいる!?」
環の忠犬のように環の前に立ちはだかり、山田を威嚇する。見かねた環が成瀬を嗜める。
「無闇やたらに噛みつかないの。そんなのだから“ヘルハウンド”なんていうあだ名つけられるんだよお?」
ヘルハウンドはイギリスで伝承されている架空の動物のことであり、地獄の番犬を意味する言葉である。地下でインフラのお守りを生業とする成瀬にはお似合いのあだ名に思えた。
「成瀬くんは昔、チーム・バレンタインでインフラを担当してたんだ。私がGMになったときに成瀬くんにインフラを引き継いだんだよお」
成瀬がバレンタイン・オンラインのインフラ担当――これまた衝撃の事実だった。チーム・バレンタインは社内の精鋭で構成されていると聞く。その一員として成瀬が選ばれたのが事実であれば、成瀬は精鋭に選ばれるほどの技術者ということなる。
「成瀬、お前ってそんな優秀なやつだったのか?」
「脳ある鷹は爪を隠すというだろ……」
「ヘルハウンドだから犬だけどな」
山田と成瀬の軽口に割って入るように、環が早速本題を切り出す。
「成瀬くん、ニューズ・オンラインのインフラって余力はないの? 山田くんがグラフィックの差し替えをしたいらしいんだけど?」
「あーそのことか」と成瀬はため息をつきながら答える。
「カツカツとは言わないですけど、グラフィックを差し替える余裕はないですね。これ以上切り詰めると、グラフィックの処理が追いつかない可能性があります」
山田は成瀬の説明を聞き、カンナバルが言っていたニューズ・オンラインの強みについて思い出す。
――高密度のグラフィックを処理すると通常は物理的な動作が重くなったりしますが、戦闘中に激しい動作を行っても重くなりません。
カンナバルの言ったニューズ・オンラインの強みが何故実現できているのか、成瀬の話を聞いて理解できた気がした。それは、成瀬がインフラのリソースをしっかり管理しているからに他ならない。もし成瀬が仕事を怠り、リソースを無下にしていたら、その強みも立ち消えてしまうということだ。成瀬のインフラ担当としての優秀さを垣間見た気がした。
「例えばグラフィックを差し替えるとしたら、インフラにはどのくらいのリソースが必要なんだ?」
「そうだな……」
成瀬はそう言って歩き始める。
「ここから――ここまで。サーバラック全てが埋まる程度には必要だな」
成瀬はニューズ・オンラインのサーバラックとは反対側のラックを指しながら5台目を過ぎたところで止まった。
「こ、こんなに必要なのか……?」
山田は絶句した。成瀬が指したのは、今ニューズ・オンラインで使用しているリソースの半分程度であった。これだけ大量なリソースが追加で必要になるのであれば、成瀬が費用を気にすることも理解ができる。
「ああ、前にも一度見積もったことがあるから、割と正確だと思う」
山田には成瀬がデザインのクオリティ向上を阻む訳がわかった気がした。成瀬はデザインのクオリティに問題があることは承知しており、改善できるかどうかは検討済みだったのだ。検討した結果、不可能と認識した。だからこそ、山田が相談した時、成瀬はけんもほろろに追い返したのだ。
成瀬の言い分は間違っていない。全て山田の独りよがりだったことに気づいて自分自身にがっかりした。
「環さん、ありがとうございました……。なんとなくデザインのクオリティ向上が難しいことは理解できました……。もう諦めようと思います……」
山田はがっくりと項垂れた。最早、山田に考えつく改善案は残っていなかった。山田の気持ちは諦めの方向に倒れかけている。、環はそんな山田の顔を覗き込み、真正面から睨にらみつける。
「本当に、それでいいの? 諦めるの?」
環の眼力に気圧されて、山田は一瞬たじろいだ。しかし、環の目を真っ直ぐに見据えて押し返した。
「諦めたくはないです! でもリソースの追加なんて実質不可能です! もう思いつく手は他にはありません……」
「山田くん、君はまだ全てやり切っていないよ? 私がバレンタイン・オンラインの担当だからといって、遠慮する必要もない。まず言葉にしないと、思いは伝わらない」
山田には最初、環の発言の意図がわからなかった。しかし、山田の言葉を辛抱強く待つ環を見て、自然と口が動いた。
「環さん、助けてください!」
環は静かに顔を上げてニコッとする。
「うん、いいよ」
山田は「助けてください」と言った後で、今までこの言葉を気づかないうちに避けていたのだと気づいた。
『他人に迷惑はかけられない』
『この人は役割が違うから頼めない』
無意識的に壁を作っていたことに気づく。そして、環はその壁を乗り越えてなぜか助けてくれようとしている。不思議な感覚だった。このとき見せた環の笑顔は一生忘れないだろうと思った。
ここまで読了いただきましてありがとうございました!




