第1部 1話 ゲームマスターと根性論
2021/05/17 改稿
◆縦浜近郊 RXシステムズ本社ビル エレベータホール◆
山田克彦は憂鬱な気分で混雑するエレベータに乗り、階ボタンの前にいた男に15階のボタンを押して欲しいと伝えた。
今日から山田は、VRMMORPG「ニューズ・オンライン」の管理部署である「チーム・ニューズ」へ異動することになっていた。普段ゲームをしない山田としては、VRMMOは未知の領域であった。これまでの部署では一般企業向け製品のプログラム開発を担当しており、プライベートでもゲームを嗜むわけではない。完全にお門違いな異動先にため息の一つや二つ出しても、誰も咎めはしないだろう。
15階に到着し、辺りを見渡してチーム・ニューズのオフィスを探す。すると、長身の男がデパートの紙袋をぶら下げながら目の前を横切った。男と目が合い、お互いが顔見知りであることに気づく。山田は挨拶がてら手を上げた。
「久しぶりだな、成瀬!」
「おお、山田か!」
成瀬は山田の同期で、旧知の仲だった。見た目は真面目そうなインテリ系男子という感じだが、人当たりが良く冗談もうまい。そんな成瀬だが、欠点はとにかくケチであることだった。
「元気にしてたか、ドケチ」
「倹約家と呼んでほしいところだが」
「どうせしょうもないことケチってるんだろ」
「クククク……」
成瀬は得意そうに持っていた紙袋の中を見せびらかす。
「見たまえ。昨夜デパ地下で仕入れておいた俺の昼食を」
袋の中には1500円の値札の上に50%OFFのシールが貼られたステーキ弁当があった。
「皆が昼休みに昼食を求めてさまよう中、俺は一人優雅にステーキ弁当をいただくのだよ。俺のことを倹約家じゃなくて昼休み貴族と呼んでくれてもいいぞ」
「はいはい、貴族様。賞味期限切れてるけどな」
「消費期限じゃないからOK」
「しかも半額じゃ、普通の弁当より高いくらいだから少なくとも倹約してない」
「倹約はいくら安くなったかが重要なのだよ」
お互いの軽口が健在であることを確かめ合ったところで、成瀬は驚きの事実を述べる。
「山田、お前の席、俺の席の前だから案内するよ」
「成瀬の前?」
「俺もチーム・ニューズのメンバーだからな」
「そうなのか!?」
成瀬はエレベータホールからすぐ近くの扉に入り、山田もそれに続いた。
※
チーム・ニューズのオフィスは土色のカーペットに、広葉樹の葉を模した仕事机が並んでいた。机と机の間隔は広く取られ、机の真ん中に仕切りがあり、1台の机につき2人が座れるようになっている。壁にはゲーム販促用のポスターが貼られており、山田が今までいた殺風景なオフィスとは異なり、デザイン性豊かでオシャレな内装だった。
オフィスには既に初老の男が手前側の席に着座しており、山田は緊張気味に男に近づき、挨拶をする。
「今日からお世話になります山田です。よろしくお願いします」
「君が山田くんか。デザインを担当している鎌田です。よろしく」
鎌田の担当がデザインと聞いて驚いた。鎌田はふくよかな体型でスーツを着ており、いかにもサラリーマンという装いだ。身だしなみに気を使っているという風でもなく、ゲームのデザインを担当しているようには全く見えない。顔だけ見れば、無精髭と禿げ上がった頭からドワーフのような職人顔ではある。
鎌田はヒゲを触り、目尻を下げながら申し訳無さそうに続ける。
「チーム・ニューズへようこそ。システム周りのことはあまり力になれないかもしれないけど何でも聞いてね。大変だと思うけどがんばってね」
「ありがとうございます。がんばります」
山田は鎌田が存外に親切そうだったのでホッと一安心する。
「あのー、他のメンバーの方にもご挨拶したいのですが、ご紹介いただけますか?」
「残念ながら今は誰もいないんだよねー。と言っても後二人だけど」
「あと二人?!」
VRMMOの管理ということで、数十名体制と想定していた。初心者である山田を含めて五人で回すことになるのかと考えると頭が痛くなる話だった。
「辻村チーム長は在宅勤務中で、開発担当の長谷部くんは10時くらいにならないと出社してこないんだよね」
異動初日というのに上司は出社してくれないらしい。あまり期待されてないということだろうか。
それに開発担当がいないというのも残念だった。開発者の山田としては、開発担当は同じ穴の貉であり、勝手に親近感を抱いていた。出社が遅いというところにもやっぱりね、と肯定してしまう。開発業務は得てして残業過多になるため、朝早く起きれないのだ。遅めに出社し、遅めに退社するのが開発者のルーティーンと言っても過言ではない。
「とりあえず、辻村さんにコンタクト取って、山田くん来たこと報告しようか」
鎌田は自席のPCを操作して、辻村に取り次いでくれる。
「辻村さん、聞こえますか?」
「……はい、聞こえます」
若い女性の声がスピーカーから聞こえてきた。勝手に男性だと思い込んでいた自分の上司のイメージを無理矢理に修正する。
「山田くん来ましたよ」
「そうですか。山田くん、はじめまして。チーム長の辻村です。今日は面着で会えなくてごめんなさいね」
山田は緊張した上ずった声で身を乗り出しながら答えた。
「はじめまして、山田です。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。早速だけど、今の状況って聞いたかな?」
頭の中に疑問符が浮かんだ。嫌な予感がする。
「まだ何も聞いてないです」
「実は山田くんの前任が急に会社をやめてしまってね〜。前任からの引き継ぎもできないし、ノウハウもないしで困ってるの! だから申し訳ないんだけど、山田くんには十分な教育もできずに業務にあたってもらうことになると思う……」
心臓がドクンと波打ち、嫌な汗がじわっと全身から出るような感覚がした。
「ちょ、ちょっと待ってください。前任者の担当業務ってなんですか?」
「GM、ゲームマスターよ!」
GM、という聞き慣れない言葉が山田の中で反芻される。馴染みのなさが、さらに焦りを促かきたてた。
「ゲームマスターってなんでしょうか? 私は今までプログラムの開発を担当していたので、ゲームについてはよく知らないのですが……」
「うーん、IT用語で言えばシスアドかな?」
シスアド、正式名称システムアドミニストレーターは、システム利用者へのサービス提供を保証するためにシステム管理を行う業務だ。
「シスアドはシスアドでも山田くんは、ニューズ・オンラインの世界を管理するGMね。GMの行動一つでゲームの中の世界が変わっていくんだから、ゲーム内では神にも等しい存在だよ。だからこそ責任は重大なんだけどね」
辻村は現状のチーム・ニューズの体制について説明をした。チームのメンバーは、各々役割が別れており、GMは残念ながら山田だけということだった。
山田 → ゲームマスター(GM)
成瀬 → インフラ
鎌田 → デザイン
長谷部 → 開発
辻村 → 全体まとめ
山田としては異動してきて早々に泣き言を言いたくはない。しかし、できないものははっきりとできないというしかない。
「辻村さん! 私は今まで開発畑だったので、シスアドの知識もないですし、このゲームマスターという肩書は完全に荷が勝ちすぎてます! せめてゲームマスター経験者に助言をいただけるような環境を整えていただけないでしょうか!」
「異動してきて早々に泣き言を言わない! これからの時代、自発的に考えて行動できる能力って求められると思うんだよね。これを機にスキルアップに繋げてよ! わからないことがあったら成瀬くんに聞いて!」
山田が思っていたことを見透かしたように、辻村が山田の出鼻をくじく。要するに根性という単語を出さないだけの根性論であった。
山田は救いを求めるようにして成瀬の方を見る。成瀬はあっち向いてホイのように、山田が見た瞬間に目をそらし、あたかも山田の視線に気付いていないフリをしている。辻村が今までの会話をまとめるようにして山田に宣告する。
「とにかく山田くん、君は今日からニューズ・オンラインのGMだから!」
こうして山田は神にも等しいGMを、思いもよらぬ形で任されることになったのだった。