第八話 マキシミリアン
ハンナたちの一家の主、マキシミリアンは、一日の賦役を終えて帰宅していた。この荘園では――どこの荘園でもそうだが――領主の所持する畑で週に三日、賦役労働をしなければならなかった。二年前に父を、一年前に母と義父を亡くした彼の一家は税すらろくに納められない状況で、彼と彼の妻は子供に充分食べさせてやる事がぎりぎりできる程度だった。この日も見張り人が一日じゅう目を光らせ、彼ら農奴は鞭で打たれないよう必死に農作業をしていた――と言っても仕事をする"ふり"だけしている農奴も多かった。彼らがいくら汗水垂らして働いても、収穫したものはすべて領主の口に入る。その間彼らは自分の生活のための農作業が出来ないのである。
マキシミリアンは村の他の農奴たちと一緒に帰路についた。マキシミリアンは畑を耕していたが、他にも薪取りなどをしていた者たちもいた。そのうちの一人が、今は使われていない廃路に新しい足跡を見つけたという。靴を履いていたようだから農奴では無い。最近この荘園の属する教皇国が隣の王国と戦争を始めたらしい、という事を噂で聞いたのでそれかも知れない、などとマキシミリアンは考えながら歩いていた。
マキシミリアンは彼の家に近づくにつれ、だんだん違和感を感じてきた。足跡がいくつか、入口の前にある。中からはいつも聞いている家族の声の他に、聞き慣れない男の声がする。彼は自然と急ぎ足になった。入口から中を見る。中には彼の三人の家族の他に兵士姿の男が一人いた。
哲郎は帰宅した一家の主の姿を認めると立ち上がり、「どうもこんにちは」と挨拶した。ハンナの夫は呆気にとられている。ハンナが彼女の夫に、
「この人は教会から来た兵隊さんなのよ――私たちの手伝いという事で」
と説明した。哲郎も、
「テツロウ シノザキと申します」
と自己紹介する。夫は目をぱちくりさせたが、
「テツロウ君と言うのか、俺はマキシミリアンだ」
と挨拶を返した。
夕食がもう出来上がっているので、それを食べながら話す事にした。マキシミリアンは今日は一日じゅう賦役労働として領主直轄の畑に行っていたらしい。彼はまた、見張り人が厳しすぎるともぼやいていた。フィッシャー家は一昨年、去年と立て続けに三人もの家族――平たく言ってしまえば"労働力"――を亡くし、税も存分に払えない状況だということらしい。
哲郎も自己紹介をした。一部の記憶が飛んでしまっていると言うと訝りながらも理解してくれたようだった。
哲郎は、彼らと会話しながらもこの家族が食い扶持に困っている事を目の当たりにして、いよいよ"現代知識チート"をしなければならない、と思いを巡らせていた。彼らの話によると、もう百年以上もこの情勢――帝国と教皇国との対立――が続いているとのことである。哲郎の世界史の知識からして、あるものを導入しなければならないかも知れない。
しかし、まずは様子を見ることにした。彼らは食事を終え、寝る事にした。
……しかし、哲郎は寝ろと言われても寝られない。彼が今寝ている"ベッド"は木箱に藁を敷きつめ、その上に麻布を被せただけの代物である。日本生まれ日本育ちの彼には到底寝られるはずがない。実際地球での中世ヨーロッパでも貧乏な農家はこのようなベッドで寝ていた、ということは哲郎も知っているのだが、知識と経験は別物である。周りを見ると全員熟睡している。その晩は彼は背中のチクチクとした感覚にほとんど寝付けず過ごした。