第六話 ハンナとの出会い
2020.2.25 哲郎の自己紹介する時の姓名の順番がおかしいというご指摘を受け、一部修正しました。
聖職者が例の家に入って行った。哲郎は家の建物を観察した。あばら家ではあるのだが、それなりに丈夫だ――周りの家もあばら家なのでそう見えるのかも知れないが。壁は土壁で漆喰が塗られている。屋根は藁で葺いてあり、ドアは無かった。やがて哲郎を呼ぶ声が中からしたので、哲郎は入口をくぐって家へと入って行った。
家の中は薄暗く、奥に痩せ細った子供が二人と母親らしき人、それに聖職者がいた。部屋は大きく、一部屋のみのようだ。部屋の隅には大きい箱があり、干し草が敷いてあった。中央にはかまどのような火を燃やせる場所があり、鍋が近くに転がっている。そのそばには農具があったが、多くのものが木製だった。
「それでは、この方がその兵士さんなのですね」と母親らしき女性が言った。聖職者ははいと答え、哲郎に「この方がハンナさんです」と紹介した。
「ハンナと言います。この子供二人のうち大きいほうがハンス、小さいほうがボリスです」ハンナは答えた。ハンスは十二歳ほど、ボリスは七歳ほどらしい。
篠崎哲郎と言います、と返答しかかって哲郎はよく考えるとおかしいことに気付いた。ハンナの自己紹介からしても、姓→名の順番では無く名→姓の順番である筈だからである。
「テツロウ・シノザキと申します」哲郎は若干の違和感を覚えたつつも答えた。
「テツロウさんとおっしゃるんですね」と聖職者が言った。「それでは私はこれで」
「はい」
「それから、十分の一税はきちんと納めるのですよ!」
「はい……」ハンナは今度は弱気な声で答えた。聖職者は出ていった。
ハンナはよく見ると哲郎より少し年上だった。二十代半ばといったところであろう。この世界ではまだ年がゆかないうちに結婚させるのか、と哲郎は思いを巡らせた。
ハンナは哲郎に、「農作業はした事はありますか?」と問いかけた。
哲郎ははい、と答えそうになったがすんでの所でその言葉を飲み込んだ。厳密に言えば哲郎は農作業をした事がある。しかしそれはあくまで農作業体験であって本物の農作業では無い。哲郎は「ほとんどした事がありません」と答えた。
ハンナは訝しむように哲郎を見たが、
「それでは、早速麦畑に行きましょう」
こう言って畑に出ていった。哲郎は慌てて立ち上がると彼女の後を追った。
ハンナによるとここではライ麦、大麦、小麦などを育てているそうだ。もっとも、小麦はもっぱら納税用で、農奴の主食はライ麦パンと大麦で作ったオートミールだそうだ。
畑にはかなりの背丈にまで育った麦が並んでいる。「あと1ヶ月もしないうちに収穫です」とハンナは言う。遠くを見てみると何もない畑があるので、
「あそこは休耕地ですか?」と哲郎は訊ねてみた。
「ええ、」とハンナが答える。「1年ごとに休耕地と入れ替えて使っています」
そうすると二圃制という事か、と哲郎は考えた。二圃制とは、畑を二分割し、一年ごとに交互に使うやり方だ。ノーフォーク農法とまでは行かなくてもせめて三圃制くらいは導入したい、と哲郎は考えた。この世界に転移した時からこの世界を哲郎の持っている知識でなんとか出来ないものか、と考えていたのだ。幸い世界史などはよく勉強していたし、工業高校在学なので工業の歴史などに関する事も勉強してきた。所謂現代知識チートとか言う奴だ。しかし、あの神の野郎、本当に本物の「中世ヨーロッパ」に送り込んで来やがった、と哲郎は思った。
「何を考えているのですか? 今は雑草取りをしましょう」とハンナが話しかけてきて、哲郎は一気に現実に引き戻された。そうだ、自分は畑仕事に来たんだ。哲郎はしばらく何も考えずに草をむしっていた。
やがてお昼時になった。哲郎はハンナとともに家へと戻った。