第二十九話 行商人
哲郎がある朝起きると、騒ぎ声が聞こえた。否、彼は騒ぎ声で目を覚ましたのだ。哲郎が外に出てみると、そこでは村人たちが一人の若い男を囲んでいた。どうやら商人らしい格好だ。哲郎が近くにいた村人に何があったか訊ねたところ、「部外者だ」とのことだった。
この村では部外者はあまり歓迎されていない。この村の存在自体があまり知られて良いものではなかったからだ――というのは、本来なら滅びているはずの村だからである。
ただし、哲郎のような追われた人は別である。犯罪者のうち冤罪を被せられた者は住んでも良い、と言われるが、明確な犯罪者は処刑である。いずれの場合も、元には戻れないからである。
最も危険なのは領主の手下の猟師などである。この場合は最悪、口封じのために殺すこともある――哲郎が以前聞いた話ではそう言う事だった。
そして、行商人は、「最も危険な場合」に当てはまるのである。
哲郎はどうなる事かと、固唾をのんで見ていた。
「お前さん、行商人だろ?」とどこかのおかみさんが訊ねた。
「ええ」と行商人。彼は、おどおどとしていた。
「やい、ここは俺達の自立した村だ」
「はい」
「ここの存在を絶対にバラすなよ」
「分かりました」
といったことを延々としているのである。当然行商人は疲れている訳で、彼はイエスマンと化している。これは良くない、哲郎はそう考え、ロタール村長を呼んだ。
「どうしたんだ、シノザキ君?」
「行商人が来ています」
「……分かった。直ぐに行く」
程なくして、村長が姿を現した。村人達は静まり返った。行商人の男はこちらを見ている。ロタール村長は言った。
「お前が行商人だそうだな」
「……はい」
「この村の存在をばらさないか?」
ロタール村長はそう問い掛け、行商人の目を覗き込んだ。
「ひええ! ば、ばらしません」
「……そうか。元の町に戻る算段はあるのか?」
「……一応、目印は付けてあります」
「なら、こいつは危険だから――」
ロタール村長はそう言いかけた。
その時、哲郎の頭の中にとある事が思い浮かんだ。哲郎は言った。
「もし良ければ、町に案内して頂ければ――」
「何故だ?」とロタール村長が遮った。
「物を売るためです」
「ほう、しかし何のためにかね」
「この村は戦乱で"消滅"した村ですよね?」
「うむ」
「同じような村や町が出てくるかも知れません」
「それを受け入れるというのかね?」
「はい」
「……うむ」
「そのために、今からこの村の生産力を上げるのです。麦だけではなく、色々なものを売買で得て栽培しましょう」
「確かに、な」
ロタール村長は頷いた。
「それから行商人さん」
「は、はい」
「案内の他に、胡椒を幾らか譲って頂けませんか?」
「分かりました」
「もちろん、麦で対価をお支払いします」
「待て、相場は私が決める」とロタール村長が言った。
「では、よろしく頼みます」
哲郎はそう言うと、引っ込んだ。
程なくして、ロタール村長が胡椒の袋を持って来た。哲郎はそれを見て、
「あれ、苗木じゃないんですか?」
と聞いた。村長は、
「苗木はどうしても渡さない、と言われてな」
と答えた。哲郎は言った。
「苗木でないと、育ちませんよ!」
「そうか」
「今すぐ、僕がもらって来ます」
哲郎は行商人の所に行った。彼は哲郎の姿を認めると、
「ああ、命の恩人様!」
と駆け寄って来た。哲郎は、この状況を利用すべきだと考え、
「その、行商人さん」
と言った。
「はい?」
「出来れば、胡椒の苗木を譲って頂けませんか?」
「それはちょっと……」
「お願いです」
哲郎はそう言った。行商人は迷っている様子だったが、
「……分かりました」
と答えた。
「ありがとうございます、行商人さん」
「ええ。……ロレンツォ・ニコロディです。ロレンツォとお呼び下さい」
「分かりました、ロレンツォさん。僕はテツロウ・シノザキと言います」
「ではテツロウさん、これが苗木です」
彼はそう言って哲郎に胡椒の苗木を手渡した。





