異世界交流生活のすすめ
第一話 あやめと楓と夏の終わり
二学期がはじまり、鹿乃子とユーリが編入されて…一年C組の最初の体育授業は、当然水泳だった。
「やー、久しぶりのスク水だぜ」
「そうよね」
スクール水着に着替えた女子生徒(いや、一人そう呼ぶのに問題ある奴はいるが)たちは、プールサイドで準備運動をしていた。
「鹿乃ちゃん、あたしと相棒組も」
「は、はい」
「あやめちゃんは楓と組むからねー」
「そう…ですか」
少し不満げではあったが、鹿乃子はうなずいて由布子の相棒となった。
「おー。カノコ、すげーなその格好」
あやめが鹿乃子のスク水…特にその「胸」のあたりをしげしげと見ると、彼女は真っ赤になってうつむいた。
「あ、あの…あんまり、こっちを見ないでください」
「そうか、カノコさんこんな格好はじめてだよね」
「もう、すっごく恥ずかしいです、ほんとに」
その上プールの反対側からは、男子どもがはやし立てていたりする。
「森宮さん、すげー!」
「ひゅーひゅー!」
男ども(あやめは外見女だが)の視線を浴びて、赤みがかった肌が一層赤くなっていた。
(文化として、水着着るなんて習慣ないよね)
それにしてもすごい「胸」だなあと、楓も鹿乃子と、ついでにあやめに目をやった。
背が高く、胸はないが伸びやかな手足をさらすあやめ。
やや背が低いものの、胸のふくらみが目を引きつける鹿乃子。
(…私はそれに比べると普通だなあ)
胸も普通、背丈も普通。際立った容姿ではない…と、自分でもわかっている。
(まあ、他のことでがんばるしかない、かな)
「よーし、泳ごうぜみんな!」
あやめが音頭を取った。
彼(?)の豊かに波打つ黒髪は、水泳帽の中にぞんざいに突っこまれている。
皮膚は赤銅色に焼け、いかにも健康そうだ。よく見ると、日本人にしては赤みが強い肌色だとわかるだろう。
(でも、天野あやめ…こと、『銀の虹』のサイキの本当の姿は、みんなは知らない…)
と。
「サイキッ!」
そんなプールサイドに、竜巻のように飛びこんできた者がいた。
「勝負だ、サイキッ!今日こそ倒してやるッ!」
革製の上下に身を包んだ男…巫である。
「いつもながら…何て格好してるんだ、お前ッ!」
「うるせー!吠え面かかせてやるっ!」
あやめは激しく怒鳴り返した。クラスメイト相手ならいいが、巫を前にしてスクール水着姿はやはり恥ずかしいらしい。
「まずはこいつと闘ってもらうッ!ドルゴ、行けッ!」
「…恨みはないが、これも故郷に帰るため…」
ぼそぼそと呟きながら、小柄でがっちりした男が進み出た。
「な、何だあいつら!」
さすがにクラスメイトたちが騒ぎ出した。
「うおこの格好で戦闘かよ!やりたくねー!」
思わずぼやくあやめだったが。
「楓!みんなを逃がせ!ここは俺が何とかする!」
「わかった!みんな、おかしな人たちが来たから避難しよう!」
「おかしな人って何だッ!?」
巫の文句が飛んできたが無視して、楓はクラスメイトたちを誘導した。
「あっちは!?」
彼女がプールの反対側に目をやると、野本(男子で唯一事情を知る者)が「わかった」と言うように大きくうなずき、男子たちをせき立てて逃がし自分も走って去った。
「やるしかない…!」
あやめは息を整えつつ眉を寄せる。左肩に、銀色の光で「鷲の紋章」がきらめきながら浮かび上がった。
「よし!いっちょ来ーい!」
彼(?)は水泳帽を脱ぎ捨て、左拳を右手のひらに叩きつけて気合いを入れる。…スクール水着姿なので迫力の欠片もないが、仕方がなかった。
「よし、みんな逃げたわね」
鹿乃子とうなずき合い、楓はこっそりと生徒たちの中から抜け出してプールに戻った。金網越しに覗くと、三者は睨み合っていた。
「ではドルゴ、後は任せたッ!」
そう言うなり巫は身を翻していたが。
「こいつに勝ったら、勝負してやってもいいぞッ…!」
声が遠ざかって行った。
「あいつ、何しに来たんだよー」
「…とにかく勝負してもらおうか、サイキとやら…」
男はぼそぼそ言いつつ進み出た。
「よーし!じゃ俺から行くぜ!」
あやめは一瞬で距離を詰めた。
強烈な膝蹴りを食らわせ、身体が浮いた所に左ストレートを叩きこみ、反動で自分の体勢が崩れたのさえ利用して回し蹴りを決める。
男は何のリアクションもせず、その三連撃を受け止めた。
「倒れた…か?」
しかし―彼は、よろめきながらもその場に立っていた。
「…こたえんな…」
「タフだなあ…じゃあこれならどうだ?」
「…効かぬ…!」
拳を叩きこんでも、いつものようなダメージが入らない。
(でも、全然効いてないって訳じゃない…まるで、ダメージが半分どこかに吸収されてるって感じだ)
「ちくしょー!もう一度!」
あやめの、アスリート系と一目でわかる引き締まった脚が、男の頭に叩きこまれた。
何かが胸元できらりと光り、
「…効かぬなあ…」
どう考えても気絶の一つもしそうなハイキックを食らったのに、男は倒れない。
「…無駄だ。俺の『霊魂』は分割されている…精霊の御加護により、『分ける』ことができるのだ。『分けた』霊魂に危害が加えられない限り、俺は倒れないのだ…」
ドルゴはぼそぼそと言う。
「げー!そんなの反則だよ!そんなんありなのかよ!」
「…我が精霊の御加護をもってはじめてできることだ…」
「ああやって事実を告げることで、サイキの心を折ろうとしているのね」
しかし、実際問題としていくら攻撃しても倒せない敵をどうすればいいのか。
「一体、どこにその『霊魂』の半分があるのか…」
楓は男に目を凝らした。
「あれ?胸に、何かくっついてる…石?いや、卵か…卵!?」
胸につけられたその「卵」が、あやめが殴る度にきらりと光り…その次の瞬間、男が立ち上がるのだ。
はっと気づき、叫んでいた。
「カノコさん、来て!あなたの感知能力で探して欲しいものがあるの!」
十分後。
「ぜー、ぜー、ぜー…しんどー」
「…いい加減あきらめろ…」
二人とも結構くたびれていたりする、そこに。
「あなたの『分けた霊魂』って…これね!」
楓と鹿乃子が戻って来た。―その手に、卵が一つずつ握られている。
「…な…何故、それの在り処がわかった!?」
ドルゴが明らかに動揺した。
「この格好で食堂のおばちゃんたちにかけ合って冷蔵庫見せてもらったり、鶏小屋の中をうろうろしたりして…すっごく恥ずかしかったんだからね!この代償は高くつくわよ…!」
「…返せ!戻せ…!」
「でもこれどうするのかなあ」
とりあえずくい、と握ってみる。
「うおえあ!?頭が、頭が痛い!」
男は途端に頭を抱えて苦しみ出した。
「あ、じゃあわたしも握ってみますね。くい、と」
「あえおああうあっ!」
奇声を上げてのたうち回る男の隣であやめが呆れている。
「じゃ、ぶつけてみようか。こーん、と」
「おぎょわあぐぎゅうびびびび!」
「何だよ、さんざん苦労したのに情けないなー」
「とにかくこれで、無力ねこいつ」
「まあ、捕まえとこうぜ」
「そうね。この二つの卵さえしっかり管理していれば、おとなしくしてるだろうし。とりあえず樹さん呼ぼう」
その間に、どうやらトラブルは去ったらしいと判断したクラスメイトたちが戻って来た。
「何がどうなったの、あやめちゃんに楓ー」
「い、いえ、その」
楓は内心冷や汗をかく思いだったが、クラスメイトたちはけっこう柔軟に状況を受け止めているらしかった。
「あやめちゃんがこいつやっつけたの?すごいじゃない」
「へえ、あやめちゃんって、いざと言う時あんな変な模様が肩に浮かぶんだ。かっこいいー」
「すごいだろー。あれは『鷲の紋章』って言ってな…」
「ちょっとサイキ…じゃなくて、あやめ!」
楓はあわてて彼(?)の腕を引き、耳元に囁く。
「最重要機密っ」
「あ、そうか。…うーくそーもっと喋りたいー」
あやめは不満たらたらだったが、楓の一睨みで黙った。
「楓と鹿乃ちゃんも何かしてたみたいだけど」
「あ、あれはですね」
「答えなくていいから!」
放っておくとザルのように情報だだ洩れである。
「まあ、天野たちには天野たちの事情があるんだよ」
野本がフォローをしてくれた。
その頃、学園のプールが望める山の斜面では。
「くうッ!『霊魂』の在り処をつき止められるとはッ!サイキが疲れ切るのを待って挑戦するつもりだったがッ」
「言い訳にしかきこえない、巫」
そんな会話が、なされていた。
九月も半ばの、祝日を含めての三連休。
その中日、舞鳥市では盛大な夏祭り―正確には夏の終わりを告げる祭りだが―が催されていた。
それを。
「何で寮生は外出禁止なんだよー」
あやめ、楓、鹿乃子、ユーリ…らの面々は、校庭から見下ろしていた。
「野本たち通学生はあそこで楽しんでるのに…ちぇー」
「うーん…確かに私もちょっと残念だけどね」
楓も正直納得できていないのが実情だ。
「悪いとは思うが、上の決定だ、仕方ない」
樹が苦笑した。
「ここから眺めて、少しでも祭り気分を味わってくれ」
「「「はーい」」」
みんなで、祭りが催されているはずの街を眺める。
いつもなら、日が落ちるとかなり早く商店街などの灯りは消えていくのだが(地方都市あるあるであった)、今晩は遅くまで街中が輝いている。ざわめきが伝わって来るようだった。
「九時だ…そろそろ、最後を締めくくる花火が打ち上げられるぞ」
「やった!それならここで楽しめるよ、サイキ」
「へー、そうなんだ。楽しみだなあ」
そんなことを言っているうちにも。
「はら、はじまったぞ」
街中を流れる川の岸辺から、次々と花火が打ち上げられた。
夜空に、巨大な炎の花が咲き誇り…一瞬後に、どんっと身体を震わせる衝撃が来る。
「すげー、腹に響くなこれ」
「ああ、いいですね花火。師匠もこれが得意でした」
ユーリが空を見上げて呟いた。
「炎の魔術を教える余技として、火薬の調合も手がけていたんですよ」
一つ、また一つと花火が上げられ、夜空を色とりどりに染め上げた。
「きれーい…」
見とれる楓の隣に、あやめが立つ。
「俺もやろーっと。見てろよ楓」
彼(?)が左手をかざすと。
その手から銀の光が頭上に放たれ、上空でぱんと弾けた。
「な、きれいだろ?すごいだろ、なっ楓」
「すごいとは思うけど…一色だけで、少しつまんないかな」
「ちぇー」
「…そろそろ終わりかな。これでラストだ」
樹の言葉とともに打ち上げられた花火は、一際大きな花を咲かせて暗い空に消えていった。
「あーあ、終わっちゃったー」
「あんなに壮大じゃないけど、僕たちでも花火しないかい」
樹が花火セットと水入りバケツを持って来た。
「わーい!」
あやめはさっそく袋を開け、あれこれ物色している。
「もう、小学生じゃないんだから」
口ではそう言うものの、楓も結構嬉しかったりする。
「…あ!ライター持って来るの忘れた…」
「必要ありませんよ」
ユーリが軽く手を振ると。
しゅっ。
花火の先に、炎が灯った。
「さっすが『炎の魔術師』だな」
「わあ…」
さっきの打ち上げ花火に比べると、この光はいかにもささやかだったが、充分わくわくした。
「カノコさん、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「うわー、振り回すと火花が尾引いてきれいだなあ」
「こらサイキ!人に向けるんじゃない!」
「大丈夫だって。浴びせたりしないからさー」
そんな言い争いすら、仲間と一緒なら楽しい。
「もう、夏も終わりねえ」
自分とあやめ、樹に今度は鹿乃子とユーリまで加わって。
この生活を楽しんでいる、けれど。
(この仲間たちと、どれだけ長く一緒にいられるんだろう)
夏が終わり、秋、冬…と過ごしていって。
(二年生になって、一年間…三年生になって、次は卒業で)
そう考えていくと、何とも言えない切なさを感じる。
(いつまでも、同じままではいられないんだよね)
それでも、それだからこそ、昨日より今日、今日より明日を良い日にしていきたい。
「できるよ…みんなが、いれば」
「ん?どした楓?」
あやめが、花火を手にしたまま考えこんでいる楓の顔を覗きこんだ。
「ううん、何でもないんだ。ただ、みんながいると楽しいな、って思って」
「そうだよな。楽しいよなー」
うなずき合い、眼下の舞鳥市街を見つめる。
「ラストの線香花火やるぞー」
「あ、行きます!取っといて!」
二人はみんなの所へ走って行った。
柔らかな風が吹き、花火の名残りの煙を散らした。
夏が、終わる。
時は、秋へと移っていく。
第一話END
第二話 あやめと楓の大人って難しい
ある朝、楓が教室に入ると…由布子が目をきらきらさせて他のクラスメイトと話しこんでいた。
「あ、いいところに来たわ楓、あやめちゃん。…ねえ、知ってる?」
「な、何のこと」
こういう目をしている由布子の話を聞くと、大抵ろくなことにならない。…が、楓はつい聞き返してしまった。
「そっか、やっぱり知らないんだ…あのね、海原先生はね、生物の池田先生のことが好きみたいだよ。会うたんびにしどろもどろになってるって、職員室覗いた子からの情報でね」
実に嬉しそうに仕入れた情報を披露する。
「いつ…じゃない、海原先生が!?そんなこと私たちには言ってくれないけど…いやいや」
うっかり親しい仲であると口走ってしまったと気づき、楓は激しく後悔して言い直す。
「…私たち生徒には気づかれたくないのかなあ」
「恥ずかしいんじゃないかって、みんなで話してたんだー」
「生物の、池田先生…って」
一年生の科目にないので、まだ誰も授業を受けていないが。
「あの、小柄な先生だよね」
「そう。池田先生の前だと、海原先生やったら動きがぎくしゃくしてるんだってさ。それは絶対怪しい!」
由布子は目を輝かせて熱弁している。
(…でも、本当だったとしても…海原先生、樹さんがこの学校の教師とつき合うのは難しい、かな)
隠し事が多すぎる。
(ただの英語教師じゃ、ないんだから…ね)
「…だからさ、あたしたちでやっちゃおうよ。『先生たちの恋の応援大作戦』!」
わあっと歓声が上がる。
(ああ、また事態を思いっきりややこしくっ)
「で、でもそれは先生たちが決めることで」
「いいことじゃん、人を好きになるって。いつ…海原先生だって恋していいと思うぜー。応援しようじゃないか、楓」
あやめまでそんなことを言う。
「また無責任な発言して…そんな単純なことじゃないのよ、わかってる?」
かつて辛い結果に終わった「あこがれ」があったせいか、どうも好きの嫌いのという話題には楓は及び腰になってしまう。
「そうかなあ。ごく単純な話だと思うけどー」
あやめはごくごくシンプルに捉えていた。
「難しい理屈なんて要らないじゃん。ただ好きになるだけでさ。事情なんて考えたって、好きでなくなる訳じゃないし」
「そうならないのよ。…特に大人の場合」
「よくわからーん。でも先生たちの気持ち、確かめてみたい気がするぜ」
「…それはそうだけど」
楓も気にならないと言えば嘘になった。
「それとなく話聞いてみようぜ。…楓、うまく聞き出してくれよ」
「あ、それあたしもお願いしたかった」
由布子まで食いついてきた。
「えー!私が!?」
「いーじゃん。こういうの楓の方が得意だろ」
「お願いっ」
丸投げされてしまった。楓は…困惑しながらも、正直好奇心はうずいていた。
「とは言え…どう切り出せばいいの、こんな話題」
困ってしまう。…こっそり職員室の様子をうかがいながら、だが。
そんなことは知る由もない海原樹は、小テストの採点に勤しんでいた。そこに。
「海原先生…ちょっと、よろしいですか?」
背後から声がかかり、彼はびくーんとして振り向いた。
「今度の懇親会、参加してくださいね?これ、パンフレットです。目を通しておいてくださいね」
A4版のチラシを手ににっこり笑うのは。
「あー、あの人が池田先生ね」
小柄な、可愛らしい感じの白衣の女性だった。
「は、はい!わかりました、出ます!いやまず読んでおきます!」
(確かに、いつもの樹さんじゃないなあ)
緊張度が半端ないのだ。年齢の割に落ちついている(二十代の若さで政府の極秘計画の現地主任なのだから当然だが)人なのに、明らかにこの女性の前だとどぎまぎしている。
(本当に、『好き』なのかな。…この人を)
「おい、何やってんだ岡谷」
考えているところを後ろから声を掛けられて、今度は楓が飛び上がった。
「ひゃっ!?…ああ、何だ、野本くんか」
「…そうか、海原先生がなあ」
楓の説明を聞いた野本は、首を捻った。
「そんなもんかな。俺にはよくわからん」
(わかんないか…由布子に思われてるのに、気づいてないもんね野本くん)
まあ、彼だって一時期は(真相を知らずに)あやめに好意を寄せていたりしたのだが(その後、『実は性別男性』と知らされ今は親友)。
(自分の『好き』はわかっても、好かれているのはわかんないのね)
そういうものなのか、と楓は思う(自分が思われているかどうかは考えない)。
(難しいなあ)
自分が「好き」に気づけるのは何時なのだろう。
「…まあ、海原先生が本気で池田先生のことを好きなら、応援したいよな。俺たちと違って『大人』なんだし」
「そうよね。もう、結婚とかも考えられるんだし」
高校生ではまだ「恋愛」がそこまで進む実感がないが、彼らはまた話が違うのだ。
「ね、言った通りでしょ楓」
楓が教室に戻ると、由布子が弾んだ声でそう言って…続いて入って来た野本に気づいて動揺した。
「やっぱそうなんだ。なー、みんなで応援してやろーぜ」
「そ、そうよね。みんなでやっちゃおう」
呑気なあやめの言葉に、あわてて由布子はうなずいた。
「まずは、海原先生がどうしたいのかきっちり聞き出したいわね」
いつもの調子を取り戻して由布子が仕切り出す。
「やっぱり楓とあやめちゃんが適任だわ」
「ええっ!?」
「だって一番仲良いのそっちだし」
確かに。
「池田先生には…二年の先輩たちに頼もっか。澄池先輩とか巻きこめるかな」
「ああ、また由布子の巻きこみ癖がはじまった」
まわりを巻きこめるだけ巻きこんで引っかき回すのが、由布子のいつものやり方だ。
「まあ、いつものことだろ」
「樹さん、聞きたいことがあるんですけど」
結局、その日の夕方研究所への道の途中で聞くことにした。
「何だい?楓くん」
「もしかして、今…気になってる人がいる、とかは?」
「う!」
樹はそう聞かれた途端に赤くなり、しばらくじたばたして(車の運転中に聞くべきでなかった、と楓は反省)やっとこう口にした。
「だって僕は今、生徒のことを第一に考えなければいけない立場で」
「言い訳にも何にもなってませんよ」
そんなことを言っていては教師となった者は定年まで結婚できないことになってしまう。
「じゃあやっぱ、池田先生のこと好きなんだなっ」
「わあ、そうなんですね」
一緒だった鹿乃子も声を上げる。
「…う!い、いや、すごく気になるというか、その、何と言うか」
「中学生の初恋みたいな反応しないでください」
樹はもう二十代後半なのである。
「…正直、正体を明かしてわかってくれるとは思えないんだ」
ややあって、ぼそりと言う。
「樹さん、本当は私立高校の英語教師ではなくて、国家公務員…しかも文科省のキャリアですものね」
それが「異世界との交流計画」の現地主任となり、諸般の都合で一介の教師の「ふり」をしているだけで。
「打ち明けて、受け入れてくれるとは思えないよ」
「そりゃそうですよね」
正体を隠して活動する、というとヒーローみたいでかっこよく思えるが…実際にはとても面倒くさいし疑いの目で見られるものである。
「だましてた、って怒られても仕方ないもんなー」
「…サイキが『男』ってばれたらえらいことになるのと同じよね」
仕方のないことではあるが。
「な、気持ちがあっても言えないだろう?」
「うー…確かに」
あやめが珍しく気弱げな声を発した。
「でもほんと、誰かを好きになるって難しいことなんだね」
大事なことだと思うが、大変そうで足を踏み出せないな、と彼女は思う。
「えー、簡単なことだと思うぜ」
あやめが真剣な口調になった。
「ただ『好き』になるだけだもん」
「それだけじゃ困るのよ。いろいろ事情があるんだから」
楓はつい説教口調になってしまう。
「『好き』になったら、そんなの気にしてられないぜ」
「…実に君たちらしいそれぞれの恋愛観だなあ」
樹が苦笑した。
「とにかく、そういうことだ。教師の同僚以上になる気はない」
「告白とかはしない、ってことですね」
ほっとしたような残念なような。
「ちぇー、みんな楽しみに…じゃない、応援しようとしてたのにー」
「やはり君たちだけのことじゃなかったか。悪いけど、『みんな』にはその気はないと伝えてくれ」
樹は透明な笑みを見せた。
「僕も、君たちぐらいの年のこと、覚えてるよ。何よりも『恋』が大切だった頃のこと」
「勉強ばっかりじゃなかったんですか?」
「そんなことはないさ。恋もしたし、友達と馬鹿なこともした。それなりに、君たちの気持ちはわかるよ」
かつて「その時」を経験した者として。
「わかるけど、僕も彼女ももう『その時』は過ぎているんだ」
「「「はい」」」
納得はしていないが、うなずくしかなかった。
「好きな気持ちは、あるみたいだけど」
翌日の授業前、楓とあやめ、鹿乃子は由布子たちに報告した。
「でも、自分の思いを告げるつもりはないってはっきり言われちゃった」
「えー、そんなこと先生は言ってたの?参ったわね」
由布子はあからさまに不満げな顔をした。
「澄池先輩によると、池田先生はいい反応してくれたってのに」
「そ、そうなんだ」
相手のいる話は厄介であった。
「とにかく、こっそり二人を会わせてみようよ。二人っきりでさ。で、どうなるか様子を」
由布子はまた目をきらきらさせて言う。…「二人きり」のところを覗く気満々であった。
「心苦しいなあ、あんなにはっきり断られたのに」
「でも『好きな気持ちはある』んでしょ?そこを、後押しすればまた」
「うん…そうは言ってたけど」
正体を隠していることは由布子たちはもちろん知らないから、進展させたくて仕方ないのだ。…事情を説明もできないし、止められない。
「うまくセッティングするからさ、協力してよ」
にこにこ笑って難題を押しつけてくる。
「わかった。協力するからもうこれ以上話を引っかき回さないで」
楓はついに折れた。
「うん、わかった」
魅力的だが全く信用のできない笑みで由布子は答える。
「俺も協力するぜ。ほんとに『好き』なのに言わないの、やっぱおかしいと思うし」
あやめもうなずいた。
「そう…ね。伝えるのは大事か、やっぱり」
楓はそれすらできなかった過去を持つ訳だが。
「じゃみんな、作戦第二段階、行くわよ」
実に嬉しそうに、クラスメイトを集めて役割分担をはじめた。こういう時の由布子は本当に手に負えない。
技術室―いつもは授業以外人気のないこの大部屋は、今生徒たちであふれていた。みんな息をひそめて窓から下を見ている。
ここからだと、例の「伝説になれていない木」がよく見えるのだ。
その中に楓にあやめ、由布子たちもいた。
「いよいよね…わくわくするー」
「他人事だと思ってほんとにっ」
「お、来たぞ」
そのみんなが見下ろしている校舎裏に、女性二人が姿を現した。池田先生と、楓たちはよく知らないが二年生の女子だ。
「ここに、珍しい植物が生えてたって本当?」
そう言って生物教師が振り向いた時には、二年女子はさっと姿を消していた。
「え!?どうなってるの…?」
彼女は呆れたように呟くが、誰も…頭上のギャラリーも、応えない。
そこへ。
「確かここだったよな」
壁やら地面やらに目を配りながら、海原樹が反対側から現れた。二人は顔を合わせ…双方ともに激しく動揺する。
「あ…海原先生」
「や、やあ、池田先生…どうしてここに」
めったなことで人が来る所ではないのである。
「私は、ここに珍しい植物が生えているって聞いて」
理科系の教師は、珍しい自然現象の話を聞くとスマホを手に飛んで行くものである。
「僕はチョビの流れ弾…あ、いや、とにかく以前のことで取りこぼしがあるって聞かされまして、生徒たちに」
「そう…ですか」
「どうやら、生徒たちが余計な気の回し方をしたようですね。お節介な子どもたちだ」
「そ、そうですよね。参りましたね」
何とも微妙な沈黙が落ちる。
「そ、それじゃ、用もなさそうですので帰りますね」
「―待ってください、池田先生」
そそくさと立ち去ろうとした池田を、樹が引き止めた。
「「「「おおー…っ」」」」
ギャラリーから声にならない呟きが洩れる。
「生徒たちが何を考えて僕たちをここに来させたのかは、わかりますよね」
「え、ええ。多分」
「でも僕は、今は彼らの望むようにはしません」
「…そうですか。わかりまし…」
「でもそれは、気持ちがないとかでは、ないんです」
「え?」
不思議そうな顔をする彼女に。
「僕は」
彼は続けた。
「今の僕は、貴女にふさわしくないんです。訳は言えませんが、そうなんです」
心苦しそうに、しかしきっぱりと言う。
「ああ、もうっ」
見下ろしながら、由布子は頭をかきむしった。
「面倒くさいわね、大人は」
「そういうものらしいよ」
言ってる楓も知識だけだが。
「好きなら好きって言えばいいのにい」
その間にも、大人二人のやり取りは続いていた。
「『今は』って、そうでなくなることは、あるんですか?」
どこかすがるように池田が尋ねた。
「そうなるといい、と思っています」
もどかしいやり取りだが、大人の二人が相手を思いやればこそだった。
「そうですか」
「だから…今は、このままで」
そう言い置いて、樹は「伝説になれていない木」を離れた。
「…」
一瞬、手を上げかけて…池田はその手を下ろして、逆方向に去って行った。
「「「「ああ…っ」」」」
声にならないため息が上から洩れる。
「何よ、あれだけー?これだから大人ってのは」
「仕方ないわよ、二人が決めたんだし」
口ではそう言いつつも、楓の思いは複雑だった。
(お互い好きな気持ちはあっても、別れるんだ)
高校一年生の身には考えにくいことである。
(いつか、私もそういう判断をするのかな)
辛いだろうが、充分あることだ。
(だけど、私…)
「んー?どした楓」
あやめが彼女の顔を覗きこんでいた。
「すげー考えこんでるなあ。ショックだったか?樹さんの方が振ってたけど」
「ううん、そういうことじゃなくて」
ただ、「別れる決断」というものに気づいただけ。
「俺は、好きならずっと一緒にいたいなあ」
「そうだね。サイキなら、そうだよね」
別れもあり得るけど、その上で「一緒にいること」を選びたいと、素直に感じた。
「永遠って言葉は、重すぎるけど…できるだけ、一緒にね」
第二話END
第三話 ユーリと鹿乃子の知られざる闘い
舞鳥学園の裏山、森の中に小さな空き地がある。
朝陽が差しこむ中で、ユーリは一人立っていた。
落ち葉が一枚、はらはらと舞い落ちる。
彼がそちらに目をやる―と、その葉にぼっと火がついた。
あっという間に燃え上がり、炎を上げて燃え尽きていく。
灰がぱらぱらと落ち、それ以外に何も残らなかった。
「ユーリ先輩?」
落ち葉を踏んで、少女が近づいてきた。
「『精霊の力』の揺らぎが見えると思いましたが…」
「あ、カノコさん」
青年は振り向き、にっこりと笑って言った。
「ここで修業をしているんですよ。『炎の精霊』を使う」
「先輩…いつもここで、練習されているんですか」
「ええ、僕はサイキのような一種の天才と違うんで、しっかり修業して鍛え上げないと実用にはなりません」
今度は掲げた手のひらから炎を放っている。
と、その炎が一本の枝に触れた。煙を放って燃えはじめる。
「た、大変です!山火事になっちゃいますよ!」
鹿乃子は森の住人だったので、その怖さは身にしみていた。
「ああ、心配要りませんよ」
ユーリが炎に向かって軽く手を振る、と。
「え…!?」
炎が渦を巻いて彼の掌に集まって行き、時間を巻き戻すように縮んで消えていった。
「『炎の精霊の力』をきちんと制御すれば、このぐらいはできます。ここで修業する以上、火事を出さないように気をつけているんですよこれでも」
炎使いというのもなかなか大変である。
「ちゃんと練習してるんですね。この間も結界張ったりしていましたし…あれも、練習してたんですか」
「まあ、そんなところです」
また、落ち葉が一枚燃え尽きた。
「すごいじゃないですか。完璧に『精霊の力』を制御しているってことですよ、これ」
「いいえ、まだまだですよ。精神力のタンクが小さいのは変わりませんし」
鹿乃子の心からの褒め言葉も、彼は軽く受け流した。
「サイキみたいに大技が出せる訳でもないんで。小技を鍛え抜かないと役に立ちませんよね、僕は」
穏やかで、控え目な彼が炎使いなのは一見おかしく思えるが、その内に秘めた思いは誰よりも熱い。自分の資質を見極め、その上でできることをしようと闘志を燃やす…その思いがユーリをして「炎の魔術師」となしているのだろう。
「サイキたちには、僕が修業していたのは内緒にしていてくださいね。こんなことをしているのは恥ずかしくて」
「は、はい。でも、別に恥ずかしいことじゃないですよ」
地道に努力を重ねる姿は素晴らしい、と思うのだが。
「でもやっぱり、本当に実力がある訳でもありませんしね。変化球で逃げ回るための努力でしかないんで、恥ずかしいんですよ僕は」
「まあ、こんなところですかね今日のところは。そろそろ朝ご飯の時間ですし」
ユーリが炎を全て消して、汗をぬぐうと…鹿乃子が何か奇妙な表情で考えこんでいる。
「どうかしましたか?」
「いえ…先輩、今『精霊の力』全然使っていませんよね」
「ええ、炎は一切合財消しましたが…それが何か」
「おかしいですねえ…まだ、ごくわずかな『精霊の力』の揺らぎを感じるんです。サイキの気配とも違いますし…これは」
―そう、言いかけた時だった。
突然二人のまわりに、もわもわと揺れる壁のようなものが立ち昇った。あっという間に揺らめく透明な壁に、二人は包まれていたのだ。
「何ですか!?ってこれ…泡?」
視界いっぱいに、ふるふる震える透明な膜が広がる。
「どうなってるんですか、これ!?」
「破れないってことはない、と思いたいですけど」
そう言いつつユーリは膜をぐいと押したり、広げたり、しまいにはつねったりもしたが。
薄い膜はふるふる揺れはするが一切破れようとしなかった。
「…駄目です。サイキにメッセージ、飛ばせません!」
鹿乃子ががっくりとへたりこんだ。
「『精霊の力』が、かなり呼び出しにくくなっていますね」
ユーリが炎を呼び出してはいるが、集中しているのに手の上の炎はじわじわとしか大きくなっていかなかった。
「その炎で破れませんか、ユーリ先輩?」
「やろうとしているんですが…行け!行け!はあ、はあ」
小さいながらも炎の太矢を作り出し、泡の壁にぶつけてみるが…揺れるばかりで穴も開かなかった。
そこへ。
「わははー、破れんだろー」
聞いたことのない声がかかった。
ぽよん、と泡の壁が揺れ…貧相な姿の男が現れた。ご丁寧に自分を泡で包みこんでいる。
「わはは、巫女の力をもってしても感知できなかっただろう、わははー」
身構える二人に、大笑いで応えた。
「これなら、『鷲の戦士』サイキにも気づかれずに捕えることができるなあ」
「「!」」
「わはは、この『泡の結界』は気配を隠すし、『精霊の力』を遮断するのだ。一度囚われてしまうと『美しき泡の精霊』の加護を受けたこのワシが解くまでは出られんぞ、わははー」
「じゃあ、お前の狙いは…巫女であるカノコさんの感知を封じて、先に隔離すること!?」
「真の狙いはサイキなんですね…!」
鹿乃子ですら感知しづらかった気配だ。正直あやめに察せられるとは思えない。
楓の頭脳も今回ばかりは役に立たなそうだッた。
「このままですと、あの二人でもなす術なく」
あやめなら、この結界も力任せに破る可能性もあるが。
「でも、恐らく…すぐに、巫が来るんですよね」
あやめほどの天才ではないものの、巫の実力はユーリもよく知っている。
この泡―結界使いとのコンビは、侮れない。
気配を隠して近づかれ、なす術なく捕まり…巫のストレス溜まりまくりの攻撃をまともに食らうことになる。
…いろんな意味で危険極まりなかった。
「さて、ワシは失礼するとするか」
「サイキたちには手を出させない!待て!」
「わはは、何をほざこうとお前らはもう何もできぬだろうが…まあここで叩き潰してもいいか、わははー」
男は向き直り、身体のまわりにぶわっと無数の泡を現出させた。
「力を削がれたお前たちに、何ができるものか、わははー」
「くっ…!」
結界の強さはよくわかったが、それでどうやって攻撃しようと言うのか。わからなかったが、男は自信たっぷりな様子を崩さなかった。
「それでは、こちらから行かせてもらうぞ、わはー」
彼がばっと手を振ると、何十という泡の粒が放たれた。ふよふよ、と言うにはあまりにも速い動きでこっちに向かって飛んでくる。
「何ですかこれ!?」
「わかりませんが、近づいて欲しくはないですね!」
ユーリは小さいながら炎を放ち、一つ一つ焼き尽くしていく。
「はあ、はあ…呼び出しにくいとしんどいですねえ」
「ユーリ先輩!」
鹿乃子が小さな手で肩に触れると、力が注ぎこまれる。
「こんなことしか、できませんが」
「充分ですっ!」
「わは、余裕ぶっこいてる場合じゃないぞ、わはー」
「負けない…!」
また飛来した泡を、注がれた力を使って撃退した。
しかし取りこぼし、泡の一つが鹿乃子に触れてしまう。
「へ、あ…きゃあああっ!」
小さな泡は瞬時に膨れ上がり、彼女を包みこんだ。
あっという間に巨大な泡が鹿乃子を包んで浮かび上がり、ぽよんぽよんと揺れはじめた。
「だ、出して!出してくださいっ!」
彼女は内側で必死に膜を叩いているのだが、壁はぷわんぷわんと揺れるばかりで破れない。声もこもって、かすかに伝わってくるだけだ。
「カノコさん!」
「おおっと、よそ見している場合かな、『炎の魔術師』!」
泡の第三陣が放たれ…ついに、ユーリに触れて包みこむ。
「しまった!」
「わはは、さらに『精霊の力』が呼び出しにくくなるぞー」
確かに、炎がさらに小さくしか呼び出せなくなっていた。
「まあ、そこでじっとしていろ。サイキとやらを倒せば、巫殿も満足されるだろうからな、わははー」
「く…!そんなことは、させない!」
ぎゅっと拳を握ると…手の上で燃えていた炎が、縮んだ。
「これは!」
ただ小さくなったのではない。より強い輝きを放っていた。
「くうっ…!」
さらに集中し、炎を縮めていく。
「無駄だ!そんな小さな力で、何ができると言うのか、わはー」
「やってみなければ、わかりませんよ!」
炎はぎゅっと縮み、同時に輝きを増した。針の先ほどになって、白熱した光を放つまでになる。
「く…行けっ!」
白熱する炎を放つと、今まで破れなかった泡の結界が触れるやいなやじゅっと音を立てて焼き溶かされた。
ぱちん、と音を立てて泡がはじけ、消失する。
「小さな力でも、集中させれば強くなりますか…!」
「こ、こいつ!」
「さーて、お前の泡はもう効きませんよ、どうします?僕の炎に焼かれたいですか?」
炎を手ににっこり笑うユーリに、男はへたりこんだ。
「じゃ、カノコさんを」
鹿乃子を包みこむ泡に、白熱した炎を触れさせると…!ぱちん、と泡が破れて彼女を解放した。地面に尻餅をつきかけるのをユーリが支える。
「た、助かりました…ありがとうございます」
二人が山を下りて校舎裏に出ると、ちょうどあやめと楓が連れ立って歩いているところに出くわした。
「あ、ユーリ先輩にカノコさん…お二人で」
「どうした?二人とも何か、変だぞ」
「変って言うか…ぐちゃぐちゃよ、服とか。何かあったの?」
「え、ええ、まあ」
「ま、まあ、大丈夫でしたよ」
二人で顔を見合わせてくすっと笑い合う。
「どうしたんだよ、二人とも」
「また、おいおい話しますよ」
「そうそう、そうですよねえ」
二人でまたくすくす笑った。
空は晴れ、秋の、力を失いつつあるがまだ暖かい陽光が降り注いでいた。
第三話END
第四話 楓とカノコと異邦の巫術師
「戈の奴の足取りがつかめたって?」
『ああ。こっそり動いていたのが見つかったらしい』
銀の球体の中に揺らめくスーミーがうなずいた。
「あいつとっ捕まえれば、巫の奴も観念するかなあ」
「このまんまだと切りがないもんね、サイキ」
「スーミーさん、今度連休だから俺も戻って協力するよ」
『そうか。…できれば、カノコに来て欲しいと思っているんだが』
「えー、俺おまけかよー?」
「…確かに、カノコさんの感知が必要かもね」
彼女の気配を感じ取る能力の高さは、今までの経験から良くわかっている。
「…わたしで良ければ、力を尽くしますけど」
鹿乃子もそう言っていた。
そこで。
「はー、結構久しぶりだなあ」
サイキたちは、「彼方の地」に戻って来ていた。
「相変わらず私にとっては別世界だわ、ほんとに」
誰も文句を言わないのをいいことに、楓もついて来ていたりする。
「とにかくスーミーさん、戈をどこで誰が見たか教えてくれ。そこに行って、カノコが感知できるか試してみたいんだ」
「わかった。あちらの巫術師とは知り合いだから、そこまで行ける『門』は造り出せる。行って来い」
再び、漆黒の球体が造り出された。
「門」を潜った先で待っていたのは、スーミーよりさらに老いた巫術師だった。浜辺で、秋を告げる風と波が荒れ狂っている。
「わしゃ『鯱の巫術師』じゃ。だが、戈の奴を見たのはわしではないよ。呼んでおいたから、じき来るじゃろう」
巫術師が示した、浜の向こう側から二人連れの男が歩いて来るのが見えた。
「うわ、こんなとこはじめて…うっ、結構寒い」
「かなり北の方に来たからなあ」
楓の小さな身体には、こたえる秋風だった。思わずぶるっと震える。
そこに。
「これ、何だ…雪…!?」
はらはらと、雪の一片一片としか呼びようもないものが、天から落ちてきた。
奇妙なのは、その「雪片」が、どう見ても普通の白ではなく青銅の輝きを放っていることだった。
雪は集い―そこから、一人の男性が歩み出た。
何やら全身にじゃらじゃらと飾りをぶら下げて、翼を広げた鳥のような格好をした中年の男性だ。左手に巨大なタンバリン状の太鼓を、右手に撥をもっている。
「あれは…『鷲みみずくの巫術師』!」
カノコが息を呑んだ。
「どこかの一族の巫術師なの?」
「いえ、それが…『守護精霊の地』ではない、別の地の巫術師なんですよ。ここからもっと北の方に行くと、西の方角に大きな海峡があって、その向こうには異文化の地があるんです。『凍った土の地』って呼んでますけどね」
「地図で言うと…あのへんかな」
世界地図を思い出して見当をつける。
「結構行き来はあるんですけどね」
「でも雪と氷で大変よね、行き来って」
類推だが、間違ってはいないだろう。
「海峡のあっちとこっちで結婚とかもあるみたいですよ」
「そっかー」
コロンブスがどうとか言われているが、草の根での交流は「果ての地」でも結構あったのかもしれなかった。
「この方は、お師匠さまを訪ねて来られた時に、お会いしたことがあります。『凍った土の地』でも最も力のある巫術師の一人です。まあ同じ『巫術』って言っても、わたしたちのものとはかなり違うんですけどね」
「あの頃はまだ幼かったな、『鹿の巫女』よ」
男は重々しく肯定した。
「で、そのお偉い巫術師さんがここに何の用だよ」
「協力を申し出るので候」
「協力?」
「それがしは、我が故郷で罪を犯し、処罰されるはずのところを逃亡した『白鳥の巫術師』を追って、ここまで来たので候」
古風な手紙の文面のような喋り方をする人物である。
「あやつは、こちらの地の巫術師と密談をしていたらしいので候」
そこに、浜を歩いてやって来た二人連れが、割りこんだ。
「あーっ!おら見ただ、『熊の巫術師』がこいつそっくりの男と話してたのを!」
異邦の巫術師を指差して叫んでいた。
「やっぱりあんたなのかー!」
「違う。その者を追って、海を渡って来たので候」
「確かに、同じ地の巫術師なら、似た格好をしててもおかしくないよね」
「信用できるかよ…カノコ、確かめられないか?」
「いえ、この方ぐらい実力に差がありますと、わたしごときの感知では真偽なんて見抜けません」
サイキの問いかけに、巫女は首を振る。
「信用するしかないと、わたしは思います」
「信じてくれるなら、協力するので候。敵対するのは双方にとって得ではないと思うがな、『鷲の戦士』」
「う…仕方ない。あんたを、信じるよ」
「それは重畳。とにかく、実力ある巫術師が逃亡したので、それがしが赴いた次第にて候」
「そんなの向こうで解決しろよー」
「聞いた話によると、そなたたちは『果ての地』まで赴いた挙句にやっとのことで『蜘蛛の巫術師』を捕えるのに成功したので候」
「うっ…それを言われると反論のしようがない」
事実なので仕方がなかった。
「じゃあ、戈が会ってたのって、その『白鳥の巫術師』なのか?」
「逃亡した同士が話してた、と」
「確かに嫌な感じがするなあ」
何かを企んでいるのかもしれない。
「でも、戈は今どこにいるのかとか、わからんよなー。目撃された場所からは離れているだろうし」
「心配いたすな。我が『青銅の雪片』を降らすことによって、目標の大体の位置はわかるので候」
「でも、どうやってそこまで行くの…ひゃっ!」
「鷲みみずくの巫術師」のまわりを青銅色の雪片が舞い…渦を巻いて一同の周囲を吹きすさぶ。ふわりと身体が浮く感覚があった。
「うわあっ!」
「きゃあー!」
どさり、と落ち…サイキの肩の上の楓にも、何か柔らかいものを踏んだ感覚が伝わって来た。
「くえ!何するんだよお…っ」
「戈!?」
そこに転がっていたのは、戈(楓は初対面だが)と、ぞろりとした服に身を包んだ男性一人。服装から「鷲みみずくの巫術師」と同郷だとは見当がついた。下敷き状態から抜け出し、二人であわてて距離を取る。。
「サ、サイキたち!?何だよいきなり…でもやっぱり、ぼくがわざと姿を見せたら君が来たか。チャンス!『白鳥の巫術師』、こいつを倒してくれ!勝って巫くんにいいとこ見せるんだあ!」
「まるっきり他力本願じゃないかあっ!」
「何とでも言ってねっ」
サイキのつっこみにも戈は動じない。
「まあ、何だっていいさ。そう言うなら闘ってやろうじゃないか、『白鳥の巫術師』さんとやらよ!」
「ちょっと待…!」
「鷲みみずくの巫術師」が止める暇もあればこそ、サイキは「白鳥の巫術師」に肉薄していた。
「『巫術師』を直接ぶん殴ったこと、ねーんだけどな!」
「―そうだろう、な」
にやりと笑った巫術師の手が、サイキに触れる。その双眸がぎらりと光った。
「う…!?」
サイキが声を上げるのと同時に。
「白鳥の巫術師」は、藤色の光の中に消えた。
「「サイキ!」」
楓とカノコが声を上げる、その前で。
背の高い少年の姿が、がっくりと崩れ落ちた。
「サイキ!?サイキ!」
傷でも追わされて意識がないのか、と思って必死に呼びかけるが、彼は目を覚まさない、
「これは…!」
カノコが顔色を変えた。
「どうしたの!?」
「サイキの『魂』が身体から抜け出して…というか、連れ去られています。このままでは、ずっと意識は戻りません!」
「た、魂!?」
いい加減何があっても驚かない気になっていたが、これは驚く。
「そんな…何とかならないの、カノコさん!」
「身体は癒せますが、抜け出してしまった魂を連れ戻すのは、わたしにはまだ」
カノコは真っ青になってそう続けた。
「―二人とも、心配いたすな」
そこに決然とした声がかかった。
「『鷲みみずくの巫術師』さん」
「それがしが、魂の行方を追って連れ戻すので候」
「追って行く…って!?」
「それがしは、自分の意思で魂を抜け出させることができるので候」
「でも、どうやって…!?」
「白鳥の巫術師」は姿を消しているし、そもそも「魂」なんてものをどう取り戻すというのか。不安で仕方がない。
「任せてくれ。彼の魂は必ず取り戻すので候」
巫術師はうなずいたが…彼がはじめたのは、ただその場に座りこんで太鼓を一定のリズムで叩くことだけ。正直ものすごく不安だ。
「楓さん。少し、目をつぶってください」
カノコの左手が、楓を包みこんだ。
「え、え!?これって」
目を閉じた楓の脳裏に、どことも知れぬ風景が広がる。
「通信をする要領で、精神をリンクさせたんです。これで、わたしの『見ている』ものが、楓さんにも見えますよ」
それは、今いる所に夕闇が垂れこめたような「世界」だった。
「え…ええ。ありがと」
「見てください。『鷲みみずくの巫術師』さんの魂が、身体から抜け出していきます」
夕闇めいた光の中で、太鼓をたたき続ける彼の身体から「何か」が抜け出していった。
「ゆ、幽体離脱!?」
そう言うとものすごく胡散臭いが。
「あの方は、『鷲みみずくの精霊』に守られて、身体を抜け出しても魂は自由に飛翔できるんです」
カノコの手が、楓の身体をぎゅっと握った。
「できる限り、追います…あまり得意ではありませんが」
「そ、そう言われるとものすごく怖いんだけど」
こうしている間にも、耳からは太鼓の音が規則正しく聞こえる。「巫術師」は太鼓を叩き続けているのだ。
しかし、同じ姿をした「何か」が、身体から抜け出して立っているのが「第二の視界」からはわかる。
「それがしを護り助けたもう『鷲みみずくの精霊』よ」
彼がそう唱えると、はるか彼方から青銅色の巨大な鷲みみずくが飛んで来た。羽音もなく近づき、彼の前にふわり、と降り立つ。
「―行くぞ」
「巫術師」は、その背に乗った。精霊は翼を広げ、夕闇の中を舞い上がる。
「身体に精霊を降ろすのではなく、自分の魂を精霊の助力を借りて飛ばして、迷った魂を連れ戻すことで治療するんです」
「カノコさんたちとは逆なのね、ある意味」
「普通、身体を離れてしまうと魂は無力です。でも、加護を受けた『凍った土の地の巫術師』は違うんです。…見てください、『白鳥の巫術師』が、精霊に乗っているのが見えてきました」
鷲みみずくが飛ぶ前方に、藤色の鳥が羽ばたいているのが次第に見えて来ていた。
「あの向こうに見えているのは、何?」
巨鳥たちが飛んで行くその先に、ぼんやりと見えるものは。
「あれは、『世界樹』だそうです」
ほのかに光る、巨大な柱とも樹木ともつかない天地を貫くもの。
「『凍った土の地』では、天と地が何層にも重なっているって言われているらしいです。その何層もの天地を貫いて、つないでいるのがあの『世界樹』だと。…あそこに到達すれば昇り降りができるそうで…つまり、サイキがその沢山の天地のどこかに迷いこんだら」
「帰ってこれなくなるってこと!?」
「魂を捕えているはずの『白鳥の巫術師』が到達したら、恐らく」
サイキの魂は、とんでもない所に放り込まれるかもしれないということだ。
「何とかしないと…でも、ここは信じて任せるしかないのか」
「あ、やっと追いついたみたいです」
その通り、白鳥に鷲みみずくはついに追いついていた。白鳥はしぶしぶといった感じで向きを変えて正対する。
「あれが、サイキの魂です」
「白鳥の巫術師」の手に、銀の輝きを放つ「何か」が掴まれているのが見えた。
「守護精霊の加護があるにしても、あれだけ眩く輝けるのはさすがですが」
カノコの声音には、苦渋の色があった。
「それでも、今のサイキは無力です」
「取り戻さないといけない訳ね…でも、どうやって」
「この状況で巫術師同士で闘って、魂を取り戻さない限りどうしようもないんです」
「『鷲みみずくの巫術師』さんに、任せるしかないってことね」
「…見えますが、何もできることがありません」
カノコも辛そうだ。
「そんなこと言わないで、カノコさん。何かできることが」
楓は考え、ごにょごにょと囁いた。
「もちろん、必要なければそれに越したことはないけど、でも」
「できるかどうかも、わかりませんしね」
二羽の輝く巨鳥―と、その背の人型二人は向かい合い、激しくぶつかり合った。夕闇の中で光と光が目まぐるしく交錯する。
「お願い、サイキの魂を取り戻して…!」
少女二人は遠くから、はらはらして見守るしかなかった。
と…鷲みみずくの翼が、大きく切り裂かれた。よろめき、落ちて行きそうになる。
「カノコさん!今!」
「はい!」
明るい茶の光が、まっすぐに鷲みみずくのもとへ伸びた。
「『癒しの力』、届け…!」
切り裂かれた翼が、光を受けて再生した…らしい。とにかく鷲みみずくは体勢を立て直し、白鳥に再び飛びかかった。激しく突きかかり、ついに輝く身体を引き裂く。
藤色の光を撒き散らして、白鳥と人影は消えた。
「大丈夫なのかな」
「『精霊の力』は打ち砕かれましたが、身体に怪我はないはずですよ。命に別条はありません」
「そう。良かった、それは」
「鷲みみずくの巫術師」が、サイキの魂を回収してこちらに戻って来るのが「第二の視界」には見える。
「これで大丈夫です。じゃ、戻りますね…目をゆっくり開いてください」
楓が言われるままに目を開けると、「巫術師」が倒れ伏すサイキに近づいて手を触れているところだった。
「う、うーん…何だ!?何で俺ここで寝てるんだ?」
むくりと起き上がり、サイキは訳がわからないという声を上げた。
「「サイキーっ!」」
そこへ、楓とカノコが飛びついた。
「良かった…心配したんですよおっ」
「もう!心配させて!何やってるのよあなたは!」
二者それぞれの言葉で気持ちをぶつけている。
「何だかよくわからんけど、とりあえず俺は何ともないぜ。心配すんな」
「あの巫術師さんにお礼言いなさいよ?助けてくれたんだから」
「あ、ああ、そうなんだ…よくわかんないけど助かったよ、ありがとう」
「大したことはしていないので候。こちらで取り逃がしてしまったことの責任を取っただけで候」
どこか照れくさげに答える。
「あーあ…戈の奴、どっかに行っちまったか。あいつを捕まえるのが目的だったのに、空振りかー」
「向こうは向こうでサイキを無力化したかったみたいで…痛み分けかな」
双方ともに実りがなかった訳である。
「まー、あいつそうそう捕まりそうにないしな。帰ろっか、二人とも。学校だってあるんだし戻らんとなー」
「そうだね。帰ろう、いろいろやることだってあるし」
ここは、サイキたちにとっては故郷だが…今彼らがいるべき場所は、ここではないのだろう。
「腹も減ったしな。何か食べて帰ろうぜ」
「それがしは、『白鳥の巫術師』を捜しに行くので候。相当消耗しているはずなので、じきに捕まえられると思うので候」
「そうか、それはあんたに任せるよ。連れて帰れるといいな」
もう、日が暮れかかっている。先程見た夕闇に似た景色に、なりつつあった。
「本当にありがとうございます、『鷲みみずくの巫術師』さん。助かりました」
カノコが深々と頭を下げた。
「いや、そなたの助けがなければ返り討ちにされていたかもしれぬ…礼を言うぞ、『鹿の巫女』カノコよ。成長したな」
「…いえ、そんな」
照れたように笑って、少女はまた一礼した。
第四話END
第五話 あやめと楓の危険なアルバイト
舞光祭が終わり、舞鳥学園では生徒たちがゆっくりと通常の気分に戻りつつあった。
もちろん、「彼方の地」での大立ち回りがあったあやめたちもだ。
「うー、今月やり繰りがきついかも…うーん」
寮の自室で家計簿(?)を睨みつつ、楓がうめく。
「舞光祭でけっこう使っちゃったもんね」
仕送り、バイト代(あやめの世話役としてのである)と各支出とを見比べ…彼女は頭を抱えて机に突っ伏した。
「そんなに悩むなよー、楓」
二段ベッドの下から、あやめが吞気に声をかけてきた。
「悩んだって出ないもんは出ないだろ」
「あなたみたいにどんぶり勘定で済ませたくないのよ!ちゃんと予算立てて使っていきたいんだからぁ!」
そんな会話があった晩の、次の日。
授業を終えてさて図書館に行こうか、それともあやめの女子バスケ同好会に付き合おうかなどと楓が考えていた時だった。
「か~え~で~ちゃあ~ん」
「わあっ!」
いきなり背後から抱きつかれ、楓は縮み上がった。
「由布子?ちょっと何よ、いきなり」
「い~いアルバイトの話が、あるんだけどな~」
「ちょっとやめてよ!うちの学園バイト禁止でしょう!」
教室でする話ではない。
「もちろん内緒よ、絶対内緒にしとくから、ねっ」
(この子は、もう)
どこからバイト話などを聞きつけるのだろうか。
しかし、正直…心は動いていた。
「一週間だけのバイトの口があるのよ。二時間、必ず来られる人がいいって言われてて。これがけっこう実入りのいいバイトなのよ~」
「そんなにいいバイトなら自分でやりなさいよっ」
「あたしは駄目なんだ。生徒会の方で忙しくって…だから一人で行ってきて、ねっ」
「そ、そうなの」
この熱心な勧誘ぶりから見るに、「必ず誰か行かせるから」と安請け合いしてしまったぽい。
「まあ、いいけど。今月やりくりがきつくて」
「え、何だ何だ?俺も楓と一緒にバイトする、つき合うよー」
あやめが首を突っこんできた。
「バスケの練習があるじゃないの」
「いーじゃん。一週間ぐらい休んだって怒られないよ。俺毎日がんばってるもーん」
「もちろん人数は多いに越したことないけどさ、楓」
「じゃ、決まりだな。俺も稼ぐぞー」
という訳で。
私服に着替えた二人は、学園をこっそり抜け出した。
通学生の中に混じって街に向かう。
寮生が放課後外出するのは珍しくないので、とがめられることはなかった。
ただし。
「いろんな意味で、樹さんには相談できないわね」
すでにあやめの世話役というアルバイトをさせてもらっている点からも、現在バイト禁止の舞鳥学園で彼が教師をしているという点からも、話はできない。
「まあ、大丈夫だと思うけどね。一週間だけなんだし…うう、どこかなこの店って」
由布子が教えてくれたバイト先の店を探してうろうろする。
「あ、ここじゃないか?」
あやめが指さしたのは、薄暗い小路の片隅にある小さな店だった。…正直、高校生が近づきたいと思う場所ではなさそうだ。
由布子は一体、何を考えてこのバイトを紹介したのか。
「そもそも、あの子が来てないのがおかしいのよね」
「どーすんだ。やめるか?」
「うーん…でもここまで来たんだし、入って決めるわ」
まずは詳しい話を聞いてから、どうするか決めようと思った。
―それが大きな間違いだったのを、二人はのちに思い知ることになるのだが、この時点ではわかりようがなかった。
「こんにちはー」
店のドアを開けて、恐る恐る入っていくと。
(あ、何だ。中は普通だ)
外は場末の雰囲気だが、屋内は明るいレストランといった感じだった。小柄な男性がカウンターの後ろから来た笑いかけている。
「バイトの学生さんかい?よく来てくれたね」
「は、はい」
「短期のアルバイトだが、まあがんばってくれ。人数がそろわんで困っていたんだ」
あまりに嬉しそうなので、断りの言葉が挟めなかった。
半ば強引に連れていかれたのは、いくつもの皿の山が積まれた厨房だった。その前では、男子―多分高校生―たちが忙しく動き回っている。知らない顔ばかりなので、おそらく他校、舞鳥県立高校や工業高校の生徒なのだろう。
「お、舞学の子か?」
「ラッキー!」
「さっそくだが手伝ってくれ。けっこう大変なんだ」
リーダー格らしい少年が皿洗いの手を止めずに言ってきた。
「バイトって…皿洗いかよ!もっとかっこいいことするのかと思ってたのにー」
「バイトにかっこいいも何もないでしょうが。うう、この状況見ちゃうと断りづらいな。やります!」
「おお、そうしてもらえると助かる!」
「やったあ!そっちの山、片づけてくれ。頼む!」
という訳で、バイト一日目がはじまった。
「由布子の言ってた『おいしいバイト』って、これだったの?」
皿の山に立ち向かいつつ、楓は呟いた。
「何だよー、もっと派手なやつだと思ってたぜ」
「派手なバイトって何よ…でも、これであの時給って、おかしくない?正直単純作業で誰にでもできることなのに」
「充分見合った大変さだと思うけどー。楓、しゃべってる暇あったら皿洗おうぜ」
「おーい!拭き終わった皿配膳セクションに持って行けー!」
そんな目の回るような騒ぎの末、バイト一日目は終わった。
次の日、また皿の山と格闘していると。
「いや、君たちよく働くね」
昨日の男性(ここの店長らしい)が声をかけてきた。
「いえ、ただ目の前にあるものを一生懸命片づけているだけです」
何が言いたいのかわからず、楓はやや緊張して答えた。
「いやー、いいね…そこを見込んで、今から違う仕事を頼みたいんだ。バイト代は上乗せするよ」
「もう皿洗い、しなくていいのか?」
「あの、時間…とかはどうなるんですか?帰りが遅くなるとかは」
「いや、上がりは昨日と一緒。心配ないよ」
「そう…ですか」
「なー、やろうぜ楓、ほかの仕事。俺今朝皿に埋もれる夢見たよ」
「相当追い詰められてるわね…いいですよ。やります、私たちでよければ」
正直楓自身もしんどい。
「じゃ、こっちに来てくれ」
店長がそう言って部屋を出ていくと。
「あー、またあのおっさんの引き抜きが来たなあ」
男子たちが囁き合っている。
「何なのそれ」
「女の子がここで働いてると、声かけて引き抜いていくんだ、あの店長」
「おかげってずーっと女っ気なしでさ」
「で、相当おいしい仕事らしくて、行った子たちここに帰ってこないんだ」
「そうなの」
―考えてみれば、ここでおかしいと思うべきだったのだ。
しかし。
「君たち?」
「は、はい!行きます」
声をかけられ、「バイト代もらうんだし」と、つい言うことを聞いてしまった。
連れていかれたのは、更衣室だった。
「これに着替えてくれ」
「これに…ですか」
彼が出て行くと、二人は「その」服を前に固まった。
「これ、着るのかよー」
「そうみたいね」
あやめはあからさまに嫌な顔をし、楓も少々引き気味だ。
「これ着るんじゃ、ちょっと嫌よねえ」
明らかに「胸」を強調したデザインのエプロンドレスで、平均的体形の楓もだが、諸般の都合により「ない」胸のあやめにはきつい。
「うー、カノコ連れて来た方が正解だったかもしれんなー」
しかし、今ここにいない人間のことを思ってもどうにもならない。
「まあ、着てみようよ」
二人でそのエプロンドレスを身に着け、別室の鏡の前に立ってみた。
「やっぱり、ないものはないわね」
「俺がこんなの着るなんて…うー」
そこへ店長がいきなり入ってきた。
「いいねいいね、君たちみたいなのを求めてたんだ」
「は、はあ」
「でも、明らかに似合ってないと思うんですけど」
「いやいや、そのミスマッチ感がいいんだよ」
(と、特殊な趣味の人…?)
怖い想像になってしまうが。
「まあ働いてくれ。みんな待ってるんだ」
強引に押し切られてしまった。
案内されたのは、レストランになっているセクションのさらに奥、隠れるように設置されている宴会場といった感じのホールだった。
「ここで注文取って、運んでくれ」
テーブルに思い思いについているのは、けっこう年配の男性ばかりだった。
「お酒も出てるのね、まだ夕方なのに」
もうかなり出来上がってる人もいる。
「よー、のっぽの姉ちゃんワインくれや」
「お、おう…じゃなくて、はい」
「そっちのショートの姉ちゃんおつまみー」
酔った人々がこちらに気づき、次々と注文してきた。
「は、はい!」
(そうか、レストランで使うより皿の量が明らかに多いとは思ってたけど、ここか)
納得しつつ駆けずり回る。
「日本酒が足らんぞ、持ってこーい」
「はーい…でもこんな夕方にいいんですか?」
「いいじゃないか、大人は毎日たいへんなんだからさ…なっ?」
いきなり、楓のお尻にひょいと手が伸びた。
「きゃあっ!何するんですか!」
思わず引っぱたきそうになるが、客だということをかろうじて思い出し、何とかこらえた。
(こんなのセクハラだよ、店長に抗議しないとっ)
とは考えたが。
「ぎゃーっ!何すんだ、こいつ!」
違うテーブルで、すごい音がした。
…こらえきれなかったらしい。
「ちょっとサイキ!バイト中よ、わかってる?」
「だって胸触ってきて!我慢できるかよ、あんなの!」
「けっこう特殊な趣味…じゃなくて!ちょっとこっちに来て」
楓はあやめを奥に引っ張っていった。
「お金もらうのよ?店長に文句言うのは大賛成だけど、お客さんに当たっちゃ駄目っ」
鋭く囁きかけた、その時。
「ちょっと、あの二人…!?」
戸惑いながら入ってきた二人連れに…見覚えは、あった。
「野本の親父と…澄池理事長じゃねえか!」
「やばい!見つかったら学校にばれちゃう!」
二人でわっと隠れる。
「ふう…あれ、この部屋何だろ」
入ったことのない小部屋に入ってしまっていた。
事務室らしく、机があってその上でパソコンが起ち上がっており、その前には。
「スマホ?」
どうやら、スマホのデータをパソコンに入れる前に何かあって人が出て行ったらしい。相当急いでいたらしく、両方のロックも解除されっぱなしだった。
「何を入れようとしてたんだろ」
「なーなー見てみようぜー」
「こら、他人のもの勝手に見ちゃ駄目でしょ」
と言いつつも、楓もけっこう興味がある。
「よーし、見てみよーっと。何かなあ」
「あ!ちょっと、やめなさい!」
止めようとはした。したがつい一瞬その手が遅れ、あやめがスマホをいじりだすのを止められなかった。
「でー!」
「何これ!?」
次々と切り替わる画面に表示されていたのは。
「げげーっ!俺が胸つかまれてる写真!?こっちじゃ楓がお尻触られてるし!?」
「このブログにアップして、公開しようとしてる…って、こと?」
「今じゃ全世界にばらまけるんだっけ、こっちの世界じゃ」
「って言うか、『この写真をばらまくぞ』って脅すためかも。この写真が流出したら、写ってる人は相当困るよね。舞鳥市って、こういう娯楽施設がとにかく少ないから…うわさが流れておじさんたちがこっそり来てるのかも」
「野本さんや理事長は、どういう所から知らずに来たっぽいな」
客の年齢層にも納得がいく。羽目を外したくもあり、同時に名誉を傷つけられるのを一番嫌がる世代だ。
「とにかく、このデータは全消去しないと」
脅しの材料になるのもごめんだし、こっちだってこんな写真が流出したら困る。
「あと、このブログも壊しちゃえ」
一日目のバイト代は貰っているのに恩を仇で返すようだが、これは仕方ないと考えることにした。
「何だこのブログ…影協会?だっさい名前だなー」
「データ消して、さよならすればもう私たちに文句言ってはこないと思うけど」
脅迫しようもないし、お互いさまだ。
「何か卑怯くさいな。正々堂々闘って決着つけられないもんかなあ」
「戦闘一つで片が付くことじゃないもの。『彼方の地』がらみのことじゃないんだからね。こっちの世界じゃこんなものよ」
そう話しながらデータを消していく…と。
「こら!ここで何してる!」
「やばっ!」
びくっとする楓より早く、あやめが動いた。
振り向きざまに左腕を大きく振り抜き、銀の光条を何本も放つ。
あっという間に店長は両手足の服を壁に縫い留められ、動くに動けなくなってしまった。
「今のうちに逃げろー!」
二人は我先に逃げ出し(データもブログも全消去済み)、大慌てで着替えて飛び出した。
「あんなことしちゃって、怪しまれるよね」
普通高校生は光を手から放てない。
「大丈夫だって。俺が離れれば羽根手裏剣は消えちまうし。こっちじゃ、証拠が残ってなきゃどうしようもないんだろ?」
「まあ、そうね」
壁と服に空いた穴を見ながら首をかしげている店長を想像し、楓は思わずくすりと笑ってしまった。
「あーあ、あれだけがんばって残ったのは一日分のバイト代だけか」
「大した額にならなかったわね」
家計の足しになる額ではなかった。
「ケーキでも買って、ぱーっと使っちまわねーか?」
「また使うことばっか考えてー」
とはいえ、確かに中途半端な収入である。
「使っちゃうか。樹さんには内緒よ、わかってる?」
「うん、わかってる。自慢なんかしないから大丈夫だって」
十一月半ば、暗くなってきつつあるこの時間は風も冷たかったが…そんな会話をしつつ街を歩く二人の心は、ちょっぴり暖かかった。
第五話END
第六話 サイキと楓と封じられた宝
「早く行こうぜ!」
十一月の半ばごろ。
サイキ、カノコ(今は本体に戻っている)、ついでに楓といった面々は、たまには里帰りでもしようかと「門」を潜って「彼方の地」に行くところだった。週末を利用して二泊し、月曜日の授業に間に合うように帰ってくる予定だ。
「やー、久しぶりだなほんとに」
「ただ、由布子さんがやたらこの『お泊まり』について聞いてこられて」
「あ、そうか…変だと思うよね」
寮生が週末に三人して外泊というのも、確かに妙な話である。
「ま、うまくごまかしといてくれよ。とにかく行こうぜ、楓!」
「う、うん」
『では、はじめるぞ』
スーミーの声とともに、銀の球体が膨れ上がって漆黒の巨大な球体…「門」になった。
「じゃ、潜るぜ楓」
「わかった」
サイキに抱えられ、「門」に入ろうとした―その時。
『いかん!『門』がずれる!』
スーミーの悲鳴とともに、ぐらりと空間が揺らいだ。
「うわああっ!」
「きゃあーっ!」
支えるものは何もなく…二人は暗黒の空間を、どこまでも落ちていった。
―はじめに感じたのは、むっと来るような暑さだった。
「何、ここ、暑い…っ」
楓が重い瞼を、ようやく開けてみると。
「え…?」
五十代ぐらいの小柄な女性(『彼方人』としての話だが)が、こちらをのぞき込んでいた。
「へ、え!?私、どうして…!」
そこで、一気に記憶がよみがえってきた。
「そうだ!スーミーさんの悲鳴が聞こえて、それで」
「う、動いてるぞ!」
まわりで大騒ぎがはじまった。
「へ!?」
「生きてる…?」
「人形だと思ったら!?」
さっきの女性以外にもまわりに人が大勢いて、楓を見て…動いてしゃべっているのを見て…びっくり仰天していたのだ。楓も驚いたが、人々の方が驚いている。
その服装は、明らかに「守護精霊の地」のものとは違う。ここは来たこともない土地だ、と直感した。
「何だあ?飯か?」
楓の隣で、やっぱり気絶して寝かされていたサイキがむっくりと起き上がった。
「腹減ったー。なんか食わせてくれよー」
「吞気すぎ!」
「だって楓…おわっ!?ここどこだ?お前らは?」
「「「こっちが聞きたいねそういうことは!」」」
まわりの人々から総つっこみが入った。
「はー。他の地域の方なんだあね」
お茶なんぞを出してくれながら、小柄な女性は呟いた。
「村の上で銀の光が閃いて、あんたたちが落っこちてきた時にはびっくりしたけんど…まあ、ほかの地域から人が来るのはそんなに珍しい話でもないわねえ。来方はびっくりもんだけんど」
「ここは、何て呼ばれている地域なんですか?」
お茶が出てくる、ということは…と考えつつ楓は質問した。
「ここは、『仮面の精霊の地』と呼ばれてるねえ」
女性がうなずいた。
「その中の『河のほとりの村』でね、ここは。あたしはその村長のサリさね」
「『仮面の精霊の地』…ですか」
楓が今までに会ったことのある「彼方人」の中に、その名を口にした人はいなかった。
「俺たち、『守護精霊の地』に行こうとしてたんだけど」
「そういう土地の名前は聞いたことないわねえ。交流があるのは、『三相の大精霊の地』や『陰と陽の精霊の地』とかが多いねえ」
「あ、『三相の大精霊の地』の近くなんですか」
あらためて人々の顔を見ると…みんな肌が浅黒く、やや彫りの深い顔立ちだ。
(東南アジアとか、そのあたりかも)
大きすぎる器でお茶を飲みつつ、楓はそう考えた。
サリさんにもてなしてもらっている隣で、何人かの男女がとにかく物珍し気にこっちを見ていた。
その中でも、サリの服にしがみつくようにしてこっちを見ている女の子が目についた。十二歳ぐらいで、大きな目でじーっと楓を見つめていて、すごく気になる。
(そりゃ、珍しいよ…ね、やっぱり)
今までは「守護精霊の地」にしか行けてなかった訳で、そこの人々は「果て人」の存在を知っている。こういう目で見られるのははじめてに近かった。
「皆さん、食事の支度ができました。こっちの部屋にどうぞ」
「お、ごはんごは~ん」
サイキがぱっと立ち上がって隣の部屋に向かった。
「楓さん、とか言われましたねえ」
サリさんがこそっと話しかけてきた。
「あんたがたが落っこちてきた時、あのサイキさんが、あんたを守って衝撃を全部自分で受け止めていたんだあね」
「え?」
「大事にされとるんだねえ」
「そ、そうです…か」
かーっと頬が熱くなる。
「幸せさね、本当に」
「いえ、そういう訳ではっ!」
わたわたしつつサリに連れられて隣の部屋へ向かう…と。何か、急にあたりが騒がしくなった。
「…またあいつらかね」
サリの顔が曇った。
「おーい、異国の者が現れたとは本当か?」
そう言いながらどやどやと入ってきたのは。
(あれ、ここの人たちと違う)
数人の男たちだった。いずれも背が高く、色白でバタ臭い顔立ちの…西欧系と一目でわかる人々だ。金髪の者もいる。
「ユーリ先輩みたいな人たちだー」
サイキが西洋人を見て思い出すのは、当然ユーリのことである。
「何だ、『西の島国』の人間じゃないな」
サイキを見て、いきなりそう言い放った。
「『四大精霊の地』出身じゃなさそうだなあ」
「じゃあ、関係ないか。何だ、手間かけさせやがって…帰るぞ」
言いたいことだけ言って、そのままどやどやと出て行ってしまった。どうやら楓の存在は目に入らなかったらしい。
「何、あの傍若無人な人たち」
「ユーリ先輩とは大違いだなあ」
控えめで温和な先輩とは全然違っていた。
「あたしらも困ってるんだあね」
サリがため息をついた。
「少し前から、ああいった奴らがこの地に来てねえ。今まで見たこともない人たちだけんど…『風の精霊』の力を借りてはるばる海を渡って来たとかで。『地水火風の精霊の力を貸す』とか言って国長に取り入って…気に入られたのをいいことにやりたい放題でねえ」
「…それって!」
歴史好きの感覚から、閃くものがあった。
「この地を侵略して、植民地にしようとしてるんじゃ!?」
思わず、聞いていた。
「ここって、争いごととか、もめごとがあったりしますか?勢力争いとか、そういうのが」
「は?まあ、あるけどねえ」
「…あの人たちが来てから、あっちこっちで変なことになってるんだよっ」
サリにくっついていた女の子が、いきなり口をはさんできた。
「喜んでるの国長だけでさ」
「これサナ、大人の話に口出ししちゃいかん」
「母さんだってそう思ってるじゃない」
サナと呼ばれた女の子はひるまない。
「…詳しい話、聞かせてもらってもいいですか」
お節介かもしれないとは思ったが、楓は聞かずにはいられなかった。
「ここの地には」
ぽつりぽつりと、サリは話し出した。やはり不安を感じていたらしい。
「いくつかの国があって…と言うても村の集まりみたいなもんだけどね、そういうちっちゃな国同士で対立したり連合組んだりでやってきたんだが。その中でも今、『さまよいの河』をはさんで『河の東国』と『河の西国』がもめててねえ。その決着を明日の『仮面の競争』で決めようって話になってるのさ。なのに、あの異国人たちが地水火風の精霊の力で競争に勝たせるとか言って、東と西の国長にそれぞれ取り入ってるんだあね」
「両方に…ですか」
「向こうも、いくつかの国があってそれぞれ来ているらしくてねえ」
「あー、なるほど」
よくある話である。
「もしかして、協力する代わりに土地を分けてくれとか、うちとだけ取引しろとか言ってませんか」
「ああ、そんな話が出てるって聞いたねえ」
「やっぱり…受け入れていけば、えらいことになりそうだわ、これ」
「そんなに深刻なことなんかね」
「気がついたら支配されてました、ってことになりかねないんですよ」
大好きな戦国・幕末ものの歴史小説などを思い出して、楓は熱弁せずにいられなかった。
「そうか…あいつらの下につくようになるんか。それは嫌だなあ」
「止めた方がいいかと」
「その話、夕方の会合でしてくれんか」
「もちろん!」
しかしまだ昼間なので、村を見せてくれることになった。母子に連れられて今までいた集会所を出る。
「うわあ、ひっろい河」
楓は声を上げた。目の前に、ゆるやかに流れる大河が横たわっている。楓のサイズの問題もあるのだが、それを抜きにしても途轍もなく広い河だ。多分、日本列島にはありえない幅の…はるか向こうに対岸の村がかすんで見えた。
「これが『さまよいの河』さね。男の子がさまよった跡が河になったって伝説があってねえ」
「でも上流から来た人が教えてくれた伝説だと、女の子が旅した跡だって」
「伝説ってそんなものかも」
「あそこに、島が見えるでしょ」
サナが少し上流の小島を示した。
「あそこに、つけた人に預言の力を与える『仮面』が安置されてるんだ。明日それを奪い合う『仮面の競争』をやるんだよ。『仮面』をつけた人は、一年間この地の『預言者』になるんだ」
「『仮面』をつけることで精霊のお心に近づき、その詞を預かり伝える者になれるんだわ」
(息苦しくてトランス状態になるだけじゃ)
そうも思うが、信仰している人の前では言えない。
「ここの土地って、何か貴重な特産品とかはあるんですか?遠くから求めに来るような」
「果ての地」の歴史では胡椒などを求めて来たのだが、こちらではどうなのか。
「それが…米と魚ぐらいしか取れんのだわ。目の色変えて欲しがるものってなくてねえ。何ではるばる来たんだか」
「何か探していませんでしたか」
「うーん…特には」
「でも、学者さんのこと、あの人たちすっごくしつこく聞いて回ってたよね」
サナが口をはさんだ。
「学者さん?」
「うん。前に、ここに住んでてあたしたちに学問を教えてくれたりしてた人。やっぱり『四大精霊の地』から来たって言ってたよ」
黒髪に灰色の目で、と教えてくれる。
「何でも、古代文字について研究してるんだって言ってたわいね」
「その学者さんが、一度だけ『ここにはとんでもない宝物がある』ってあたしたちに言ったことあるんだ」
「とんでもない…宝物?」
「でも、おかしいんだよ。『じゃあ大金持ちになれるね』って言ったら、『そうしてはいけない宝なんだ』って言ってた」
「…?」
ますます訳がわからない。
「何か、手掛かりがあるかも…後でその人の住まい連れて行ってもらえませんか」
「こっちからお願いしたいことだあよ、それは」
「このままじゃ大変なことになりますよ!」
村の集会所で、楓は必死に今の状況の危険性を訴えていた。
「しかし、俺たちにはそんな、遠くから来た奴らのことを心配するより、目の前の奴らが憎いんだ」
「だからって、他のところから来た奴らの話にほいほい乗ってそいつらを引き入れることないだろー」
「『果ての地』で、植民地になっちゃった国って、そういう例が多いんですよ」
「そうは言っても、向こうには父の仇もいるしな」
そうそう仲良くはなれないと言い張る。
「そんな!仇がいるからって争って、また誰かの仇が生まれて…いつまで経っても終わらないじゃないですか」
「小さい嬢ちゃんよ…もう、止めようがないんだ」
「そうだ!武器や魔術師を貸してくれるって言うなら、土地ぐらいくれてやっても」
「だからそれ、侵略の常套手段ですって」
「向こうにも手を貸す奴がいるんだろー」
「望むところだ!一泡吹かせてやる!」
「そうだ!そうだ!」
気勢を上げる村人たちは、そのままどっと出て行ってしまった。
「盛り上がってんなー」
「サクラの一人も混じってそうね…でも、止めないと」
「わかってるけどさ、具体的にどーすんだよ楓」
「わかれば苦労しないわよ。こう、説得できる決定的な何かがあれば」
「…『預言者』が、精霊の詞として事実を伝えれば、みんな聞いてくれると思うけんどね」
サリが呟いた。
「じゃあ、この村の誰か…サリさんとかがその『預言者』になってくれれば」
みんな話を聞いてくれる、と期待する楓の言葉にサリ親子は顔を見合わせてため息をついた。
「それなんだけどなあ、あたしは十年前に『預言者』やっちまってんだわ。一度その任につくと十二年は再びやれないってことになってるもんでね、あたしは無理だ」
「駄目ですか…うーん」
確かに、同じ人があまり繰り返すのも問題があるのはわかるので。
「一年間やるんじゃ、サイキにやらせるわけにもいかないし。私はたぶんサイズ的に無理よね」
ここの人になってもらうのが一番なのに、と二人が困惑した、時。
「あたしが、やるよ」
思いがけないところから声が上がった。
「サナちゃん!?」
「あたしが『預言者』に、なる。そうすればここの人が解決したことになるし」
「そんなこと、子どもに頼めねーよ」
「子どもじゃない!もう十二なんだよっ」
いや充分子どもだが、サイキと楓も十五、六だ。
「でも、サナちゃんを危険な目にあわせるわけには」
「大丈夫だよ。精霊さまが守ってくれるもん」
「だけど!」
「あたしと『仮面の精霊』さまを、信じて」
決意は、固そうだった。
「仕方ない、か」
「でも、どうしてそんなにがんばるの」
「それは…ちょっと、こっちに来て」
サリにちょっと視線をやり…サナは、サイキと楓を村はずれに引っ張っていった。
「ここに、あたしのお姉ちゃんがいるんだ」
「小さな家を前に、言う。
「会ってほしいんだ」
「会えばいいの?」
「会って、話を聞いてくれれば」
「でも、どうしてこんな村はずれに」
この子の姉ならサリさんの娘だ。同じ家にいるのが普通だろう。
「それはその…い、いいから入って」
強引に引っ張りこまれた先で、二人を待っていたのは。
「あ…けっこ、可愛いな」
「こら」
サイキの言葉通り、ぱっちりした瞳のかわいらしい娘さんだった。十七歳ぐらいか。
「サユと言います」
しばらくサナと二人で囁きかわしていたが、少女ははっきりした声でこちらに名乗った。
「お願いします。対岸の国との争いを止めるのに、力を貸してください」
「どうしても止めたいんですね」
「はい。理由は…その…」
サユはそこまで言うと、急にもじもじしはじめた。
「だから…ですね。あたしは」
「「…?」」
「サユ姉ちゃんはね、対岸の国の男の人と恋に落ちちゃったんだ。それで争いを止めてほしいんだよ」
姉に代わってサナがあっさり言った。
「あ、そうなんですか!」
「あ、あの…実は。あーもうサナ!あたしがちゃんと言うって言ったのに!」
「だって姉ちゃん、全然言わないんだもん。あたしが言うしかないじゃん」
「そんなこと言ったってー!」
サユは真っ赤になってあたふたしている。
「サナ、わかってやれよ。本気で人を好きになれば、誰でもそうなるんだって」
サイキが訳知り顔で口をはさんだ。
「え?サイキ兄ちゃん、好きな人いるの?」
サナが目を輝かせて食いついてきた。
「い、いや、それはだな」
サイキは視線を一瞬こっちにやったが、すぐ逸らしてあたふたした。
「もう、話がずれまくりよ。とにかくサユさん、あなたは好きな人のために争いを止めたいんですね」
「はい。前に、森の中で虎に襲われた時に、彼に助けてもらいまして」
「怪我しちゃったその人を、姉ちゃんが手当てして」
「で、お互いに思い合うようになったと」
「…はい、そういうことです」
少女はぽっと頬を染めた。
「そのことが母さんにばれたら、えーと…勘当?ってのになって、姉ちゃん家に入れなくなっちゃったんだよ」
サリ自身の考えはともかく、村長として揉めている国の者と付き合っているのはまずいということだ。
「こりゃ、解決せんといかんな、楓よう」
「サイキ、ノリノリねえ」
「だあって!助けてあげたいじゃんか、楓!」
「…でも、サユさん自身が『預言者』になってもいいんじゃないの?」
「それはその…そうなると、その一年間精進潔斎が必要で…その」
「あー…確かに、彼氏持ちにそれは酷だな」
またサイキの目がこっちを向き、すぐあさっての方向に向いたが、気にしないことにして楓は考えこんだ。
「やっぱり、サナちゃんに頼むしかないのか…大変だとは思うけど」
日が落ちる寸前に、村の反対側に案内された。
「ここが学者さんの家だあよ」
サリ村長は、サユと会っていたことは気に食わないようだったがそのことは触れないようにしていた。「さすらいの河」に浮かんだ水上住宅に連れて行ってくれた。
浮きの上に、植物を編んだもので造られた小さな家が建っている。
「あたしらにはわからんことでも、古代文字について詳しい人ならわかるかもしれん。調べてくれるかね」
「でも『四大精霊の地』の奴ら、調べて回ったんだろ」
「ああ、必死に家探ししてたけんど、結局見つからずに帰ったみたいだね」
「でも、その人たちは古代文字に詳しくなかったから」
「そいつらにわからなくても、楓ならわかるかもしれないってことだ」
「言っとくけど、そんなに詳しくないのよ私」
「先生は、『できれば、読み解ける者が悪人でなければいいのだが』って言ってた」
サナが口真似をしてみせた。
「いいじゃん、合ってるぜ楓」
「うう」
悪人ではない、とは思うが。
「とにかく調べてつかあさい」
質素な部屋の中に案内された。
草で編まれた壁から、傾いた陽の光がちらちらと差し込んでいる。
かつては机も、椅子もあったらしいが。
「ひど…っ」
全ての家具が引き倒されたり壊されたりしていた。
「資料がないかと探して、こんなにぐちゃぐちゃにしたらしいんだわ」
倒れた椅子。
かつては本が詰まっていたらしい、空っぽの棚。
足元には踏みにじられた紙束が散らばっている。
「手がかりなんて、なさそうだけど」
と言いつつも、楓は部屋を見回した。
(落ち着け、落ち着け)
あわててもどうにもならん、と自分に言い聞かせた。
「どっかに隠し本棚とかあったりしてー」
サイキはひっくり返った棚をまたひっくり返している。
「ドラマみたく、床下に隠し部屋があるとか」
「あ、やめてけれ、そこは」
床を力任せにめくる。
「あ」
そこには暗い水面が広がっているだけだった。
「だからここ、水の上なんだってサイキ」
「そうだった!隠し部屋はなし、と」
「手がかりなし、か」
楓はがっかりした…と。
ちかり。
「うっ!」
編まれた壁の隙間から漏れた陽光が、目をまともに射た。
「まぶしっ…あれ?」
楓は、気づいた。
壁の網目から差し込む光が、床に複雑な文様を描いているのに。
『古代の兵器』
そう、読めた。
「サイキ!床の物、全部片づけて平らにして!」
そう、叫んでいた。
「学者さんが突き止めていたのは、古代の技術によって造り出されたアイテム…それも、兵器のありかです」
楓は頼んで、このあたりの地図を持ってきてもらった。広げて、一点を示す。
「どんな兵器かは行ってみないとわからないけど…場所は、ここです」
「ここは!」
サリが息をのんだ。
「『仮面』が奉納されている島さね!」
「そこに、古代の兵器も」
「行ってみるかね。『仮面』を守って警備されているから、夜闇に紛れるしかないね」
夜もかなり更けたころ、小舟に乗り込んで一行は小島に向かった。
「見回りがあるはずだから、気をつけんと」
島の北側の端には石造りの建物が建ち、若者たちが見張りに立っている。
「でも、学者さんが書き残していたのはそっちじゃないんだ」
楓が示したのは、島の南側。そこには、悲しいほど小さな祠が一つ建っていた。
「石碑があるはずなんだ。古代文字が書いてある」
「あ、これじゃねーの?楓、読んでくれよ」
「松明の揺らめく光を頼りに、楓は碑文に目を走らせていく。
「…おい、どうした楓」
サイキが驚くほど、炎に照らされた楓の顔は、青ざめていった。
「-見て」
楓が手を伸ばして碑文の一字に触れると、石碑とその台座がほの青い光を放って透けた。地面の下にさらに強い光を放つ「何か」が、揺らめきながら見えてくる。
「あれは何だ?箱か?」
「棺、ね。碑文によると」
確かに、「彼方人」がすっぽり入る大きさの箱型の物体が見えていた。
「これに、『加護を受けた者』を入れて、生け贄に捧げるの」
「生け贄って…物騒な台詞だな、おい」
「それでも、そうとしか表現できないのよ」
さらに青くなって楓は続ける。
「精霊の力を引き出せる者を起点にして、力を暴走させるシステムよ、これ」
「ひどいな、それ!?」
「入ってしまえば死ぬしかない…恨みや悲しみで暴走させて、制御できない力が爆発。場合によっては、地域そのものを破壊できる…と、あるわ」
「果ての地」で言えば核爆弾並み、と言えようか。
「これは…危険すぎるもんだな、楓よう」
「平和に暮らしたいなら必要ないわね。特に『四大精霊の地』の国には絶対渡せない」
「ユーリ先輩の話だと、俺のとこと違って精霊を呼べる人がたくさんいるらしいからな。騙されて棺に入れられてどかどか爆発されたら、えらいことになるぞ」
そこに。
「おい、何だあの光は!?」
北側から騒ぎが聞こえてきた。
「やばい!もう用事ないな、逃げるぞみんな!」
全員大あわてで小舟に乗り込む。その間に、石碑の光はすうっと消えて行った。
「私たち、帰れるのかな」
二人きりになって、楓はぽつんと弱音を吐いた。
「帰れるさ、大丈夫。心配したってしょうがないよ」
サイキはあくまで吞気に構えている。
「スーミーさんたちが必死で捜していてくれるよ。何とかなるって」
「私だってそう思いたいわよ」
しかし不安から目をそらせない。
「私が不安担当なのはいつものことだけどね」
「それより何か、ものすっごく眠いよ俺。何でだろ」
「時差のせいよ。『果ての地』で夕方だったのに、気絶から覚めたらこっちではお昼頃で、それからこっちの夜まで起きてて。眠くもなるわ」
「そっかー。早く寝よっと」
「うん」
もう一度、南国の見覚えのない夜空を見上げて楓は答えた。
「うー、まだ寝足りないー」
次の日、一同は早めに起きて動き出した。
まだ、「仮面の競争」にはだいぶ間があるが、それでも。
「じゃあ行くぞ、楓。悪いとは思うが、頼む」
「もう、あなたが台詞覚えないからだからね」
文句を言いつつ、サイキに抱えられて楓は動き出した。
しばらく時間が経ち、いよいよ「仮面の競争」がはじまろうとしていた。
小島をはさんだ両岸にそれぞれ屈強な若者たちを乗せた船が用意され、その後ろには武装した集団と国長らしい者たちがいる。
「うわー見ろよ楓…はいないんだったな。見ろよ、サナ」
サイキ、サリ、サナの三人は村の小高い丘に立っていた。ここなら状況がよく見える。
「あそこ、象だ。乗ってる豪華な服の奴が国長か…その後ろにローブ姿がいる。あれが、『四大精霊の地』から来た魔術師だな」
「あそこも見て。てっぺんに『仮面』がくくりつけられてる」
サナが小島を指さした。高い杭の上に木の仮面が掲げられている。
「あれを、奪い合うんだよ」
息詰まる緊張が、一帯を包んだ。
そこに、喨喨と法螺貝の音が響き渡った。
それを合図に、若者たちが一斉に舟を漕ぎ出し、小島へと一直線に進んでいく。
双方一糸乱れぬ櫂の出し入れで、優劣つけがたいが。
「サイキ兄ちゃん、あの船の動き…両方とも変だよ」
サナがサイキの服の裾をきゅっと握って言う。
「わかるか。西の船は、水の精霊が船を押してる」
「東の船は、風が背中を押してるよ」
「―サイキさん」
「わかってる。じゃ、行ってくるぜ」
背に銀の翼を生やし、サイキは小島に向かって飛び立った。
その間にも、緩やかな流れを切り裂いて船は進み、ほぼ同時に両船は岸に着いた。若者たちが我先にと上陸して駆け出し、杭に取りついた。しかし、杭には油か何かが塗られているらしくなかなか登れない。
「行け!登れ!今年こそ我らから『預言者』を出すぞ!」
「負けるな!ああ、ずり落ちるな愚か者!」
象の背で国長たちがわめき合う後ろで、「四大精霊の地」の者たちがにやりと笑った。
「これで、この国が勝てばこのあたりを調べつくせる!古代の兵器を手にできるぞ!」
「そうなったら覇権は我らのものだ!」
しかし、それを聞いている者はいなかった。
ついに一人の若者が油を削り落として登っていき、「仮面」に手をかけようとする。
と、ごうっと風が吹いてその男を落とした。
「東の国」の軍の後ろでローブ姿が杖をかざしている。
落ちたものを踏み台にして、また別の男が「仮面」に手を伸ばすが、河から跳ね上がった波が彼を捕らえて吹き飛ばした。
「どっちも露骨に妨害してるもんさね」
しかし、若者たちは落とされても吹き飛ばされても、めげずに杭を登り続けた。
そこへ、サイキがしだいに近づいていく。
大河の水面すれすれを、翼をなるべくすぼめて飛んでいた。
背から銀翼が噴き出し、後ろにたなびいている。ジェット噴射で飛んでいるような格好だ。そこまでいくなら翼にしなくてもとは思うが、本人のイメージが反映されるので仕方ない。前髪に風が当たってはためいていた。
幸い、両軍の人々は杭に夢中で気づいていない。
「…もう少し!」
ついに一人が掲げられた「仮面」に手をかけ、もう一人とつかみ合いになった。その隙にさらにもう一人がさっと手を伸ばし、「仮面」をつかんで高々と掲げる。
「やった!国長、すぐにお届けします!」
そこに、
「あ、ほい、っと」
飛んできたサイキがあっさり引ったくった。「仮面」をつかんだまま、翼で体を包みこむ。
「我に加護を―以下略!」
光がぱっと広がり、巨大な鷲の姿をとった。その足には「仮面」がしっかりとつかまれ、見せつけられている。
「こ、こいつ!返せ!」
風がぶち当たり、水が絡みついても大鷲はひるまない。
「それは我々のものだ!」
「何を言う、俺たちこそそれを持つにふさわしい!」
「そんなこと言ってないで状況見ろよ、今の状況!」
舞い上がりながら銀の大鷲ーサイキが吼えた。木立ちが高く茂っている岸まで飛び、梢の少し上でホバリングしながら大音声を発する。
「お前ら!落ちついて、まわりを見ろ!『四大精霊の地』の国々の争いに巻きこまれてるんだぞ!」
「何の話だ…?」
「後ろを見て…じゃない、見ろ!『手を貸す』とかきれいごと言って、争いを煽られてるのがわかんねーのか?このまま焚きつけられるだけ焚きつけられて、血で血を洗う争いはじめるのか?そんなの、よその国の奴らの思う壺じゃない…か!」
ざわざわと。
この地の人々も、囁き交わしはじめた…が。
「そんなことはどうでもいい!『仮面』をよこせ!」
痺れを切らせた国長たちがわめきだした。
「やっぱり俺の言葉じゃ駄目か…じゃあ仕方ないな!」
言うなり、大鷲は「仮面」をつかんだまま身をひるがえし、ゆうゆうと下流に向かって飛びはじめた。
「ま、待て!皆の者、追うぞ!」
「河の東国」の国長がわめいた。
「どうします?」
「河の西国」の国長に部下が問いかけた。
「ええい!我らも追うぞ!」
象やら人やらの部隊が、下流へと動き出した。
その行軍のスピードはそう速いものではなかったが、大鷲はついて来いと言わんばかりにゆっくりと飛び続けた。
「ここは…『ほとりの村』ではないか」
両軍が困惑する、その目前で。
「サナ!受け取れ、ほら!」
サイキは、「仮面」をぽーんと放った。
「こ、こら!それは儂のだ!」
国長やら象やら兵士やらがあわてて手(鼻も)を伸ばすが、届かず。
見事な回転をかけて(このモードではないがバスケ同好会やってる)放たれた「仮面」は、サナの手にしっかりと収まった。
「この『仮面』は、あたしたちの誇りだよ!」
一声叫び、サナは「仮面」を―顔につけた。
その瞬間ー
強大な”力”が「仮面」から発し、大気が揺らいだ。
「「「おおっ!」」」
まるで、陽炎が立つかのように。
少女のまわりで、巨大な”力”がたぎり立っていた。
「サナ!」
大鷲が心配そうにその頭上を飛びめぐる。
「『仮面の精霊』さまが、受け入れた…?」
「あんな子どもを!?」
「しかし、お心に沿わなければ『仮面』は外れるはず…!」
動揺が確実に広がりつつあった。
『我が預言を知らせる!聞くがよい!』
いんいんと―サナの声とは全く違う、低く轟くような声音が場に響き渡った。
『この地は、侵略の危機にさらされている!』
「…そんな!」
「い、いや、『仮面の精霊』さまの告げ知らせることは未だかつて間違ったことはない!」
「お告げとなれば信じるしか…!」
ざわざわと人々が騒ぎ出した。
”力”をまとい、わずかに浮き上がりながらサナは―「仮面」は語り続ける。
『後ろを見よ、双方ともに!手助けを申し出た彼らの力は本当にお前たちの敵に向けられているのか?助力者を装って侵入した者が、害意を持っていないと誰が言える?』
先程までサイキの言葉に野次を飛ばしていた人々が、静まり返る。
「本当…なのか、おい」
仮面が告げ知らせる詞に両軍の国長や兵士たちははっと振り向き、「四大精霊の地」の魔術師たちとまともに顔を突き合わせた。
「う…」
疑惑のまなざしに対して思わず絶句してしまったことが、何よりの雄弁な答えだった。
「つまり、侵略の考えは、あったと…?」
「いや、それは…それはその…っ」
「そそそ、そんなこと考えても…!」
「どもってる時点で全肯定じゃないかあっ!」
あちらこちらで揉め出した。
もちろん、「四大精霊の力」を使いこなす魔術師たちは強い。あわてて炎を放ったり風を起こしたりして応戦している…が、人々の勢いは止まらなかった。
何より、人数の差が圧倒的だった。この地の人々に、魔術師たちもなすすべなく追い回されていた。
「大勢は、決したな」
もはや、サイキに注意を払っている者は誰もいない。
「もう大丈夫だな」
彼は「憑依」を解き、翼だけを出して引き返していった。
先ほどの木立ちまで戻り、てっぺんに降り立つ。
「楓、大丈夫かー?」
「大丈夫だけど…怖いー!」
梢あたりの枝に腰を掛けて。
楓は、幹に必死でしがみついていた。
一応幹に縄で腰を縛りつけてあるが、楓の感覚からするとタワーのてっぺんにいるようなものである。さすがに怖かった。
「台詞を教えてくれるのはいいけど、女言葉になるなよなー」
「そんなこと気にしてる余裕ない!早く降ろして~」
そう。さっきのサイキの言葉は、楓の口上を大声で繰り返していたのである。
「あなたが台詞覚えないからー!」
「だってあんなの一回でなんて覚えられるわけないだろー」
「だからって私をこんなところに…いいから早く降ろして!」
「やるって言ったの楓なのに…よーし、降りるぞー」
腰の縄を解き、銀の翼を羽ばたかせて。
サイキは楓を抱きしめ、村へと戻っていった。
「『仮面の精霊』さまは、『ほとりの村』のサナを『預言者』と認めた!」
その知らせが、次々に広がっていく。
「これより一年、サナを『預言者』とし、その詞を聞く!」
サイキと楓が村に戻ると、両軍も解散して騒ぎも収まったところだった。
「大丈夫か、サナ」
『これで危機はひとまず去った。もう良かろう…今は』
サナが顔に手をやり、仮面を外す。
「あ…」
その小さな身体が、くらりと揺れた。あわててサリが駆け寄り、支える。
「だ、大丈夫!?」
「平気…ちょっと疲れただけ」
いつもの声に戻って、母親に支えられたままサナは気丈に微笑む。
「これから一年、娘が大変なことになるけんど…母親として、精一杯支えていきたいと思ってねえ」
「心配ないですよ。強い子です」
二人で力づけた。
「封じられた宝は、あたしたちで守るよ」
「争いを求める人には、絶対渡さんけんね」
母子はにっこり笑った。
その時だった。
サイキの言葉前に、きらりと銀の雫が光ったのは。
「あ!」
危うく光が消えかかる…のをサイキがキャッチ、掌に包む。
『サイキ!それに楓さん、聞こえるか!』
聞き覚えのある声が、確保した銀の球体から聞こえた。
「「スーミーさん!」」
『おお、やっと届いたか…大変じゃったぞ今回は」
安堵の気配が伝わってきた。
『どこに飛ばされたのかと必死で探していたが、やっと見つけた。これで引き戻せる』
「これで、帰れるのね」
「あ、サナ。ちょっと手を出して」
「え!?う、うん」
少女が差し出した手に、サイキは銀の球体をそっと握らせた。
「よーし、これでリンクできた…楓、これで俺たちが帰ってもここと連絡できるし、スーミーさんが力を貸してくれたら来られる」
「ほんと!?じゃあ、また会いに来られるんだ!」
『そうとも。だが、今は帰ってこい』
銀の球体が膨れ上がっていく。
「じゃ、サナ。また、会おうな」
「またね、サナちゃん!」
「うん!お姉ちゃんたちも元気でね!」
漆黒となった球体に、取りこまれた。
強烈な引き戻す力を感じー
「またね!ほんとに、またねー!」
サナの声が遠くに聞こえたのを最後に、闇に包まれた。
長いのか短いのかよくわからない時が過ぎー
ぱっと目の前が明るくなった。
「うわっ!」
「きゃあっ!」
見覚えのある、草原に出たのだ。
「ああ良かった!戻ってきてくれた…!」
カノコが抱きつかんばかりの勢いで喜び、涙ぐんだ。
「本当に大変じゃったぞ」
「俺たちだって大変だったよ。なー楓」
「そうよね、大変だったよね」
二人で顔を見合わせてくすっと笑う。
「え、何があったんですか?教えてくださいよう」
カノコがぷっとふくれた。
「まあ、ゆっくり話すよ」
「どうせ私がほとんどの説明すると思うけどね」
「まあそうなると思うけど…って言わせるなよ俺にー!」
「だって本当にじゃないの」
また、二人で笑いあった。
第六話END
第七話 巫とチョビとより悪い人
「どうしてこのわたくしが、こんな作業をせねばなりませんの?」
エリーの不満の声が響いた。
ここは「蒼の組織」のアジト、場所は舞鳥市のどこか。
「仕方ないだろッ。人手が足りないんだからッ」
「蒼の組織」に所属する「戦士」たちがみんなあやめに負けて捕まったり裏切ったりして去っていき、それにつれて構成員も櫛の歯が欠けるように姿を消していた。
「それにしたって、わたくしのような身分の者がすることではございませんわ」
巫にチョビ、エリーまで駆り出されて、立ち並ぶ「本体」の眠るカプセルを世話しなければならないという事態なのだった。
「大体、ここのカプセルの中の方々はわたくしと貴方以外はみんな負けて捕まっているんじゃありませんか。裏切った者までおりますし…世話しなくてもよろしいんじゃないんですの?」
「しかし、放っておいたらみんな死んじまうぞッ」
確かに負けたり裏切ったりはしたが、死なせるほどのことではないと巫は感じざるを得ない。
「一応悪の組織なんですから、放っておいてもいい気がしますが。甘いですわね…まあ、わたくしも捕らえられた時はありましたし、人のことは言えないのですが」
「巫、やさしい。チョビの子どものおとうさんー」
「だから何かあったような言い方をするなッ!何もしていないのに誤解されてしまうではないかッ!」
「一体どなたに誤解されたくないって言うんですの?」
「それはその、あの…サイキだ、あいつだッ」
そう口にはするものの。
…前より、彼(?)のことが気にならなくなってきたような。
「チョビはただ、巫の子どもが産みたいだけなのに…」
「だから引っついてくるなッ!」
そう口では言いつつ…前ほど嫌ではなくなってきたような、何と言うか。
「首領!首領!大変です!」
もはや数少なくなった中の一人である部下が、駆けこんできた。電話&ネット番をさせていた者だ。
「何だ、どうしたッ」
絡みついてくるチョビを条件反射的に引きはがしつつ、精一杯の威厳を保っているつもりで巫は返答する。…全くうまく行っていないがそれは仕方がない。
「『影協会』からの会見要請です。舞鳥市に進出したいので、一度挨拶をしたいと」
「何だ、それッ」
「ここが『黒の組織』だった時期に、提携していた組織です」
「かっこ悪い組織名だなッ」
他人のことをまるっきり言えない気がするが。
「何でも会長の名前が『影山』というそうで…とにかく『黒の首領』さまは技術の面でそこに協力を仰いでいたんですよ。チョビさんやポチさんの『開発』もそこの技術で行われたそうで」
「そうなのかッ。確かに『首領』の専門ではないな、そっちはッ」
「黒の首領」は二人の人間が融合した存在だったが…一人は巫術師で、もう一人は歴史学者であった。
「チョビ、生まれた時のことは知っているのかッ?」
「なーんにも覚えてないよー」
まあ仕方がない。
「で、どうされますか」
「うーん…話だけはしようッ。そう伝えてくれ」
向こうが会見場所に指定したのは、舞鳥市郊外の小さな事務所だった。どうやら進出時の支部にすべく用意された建物らしく、一階は倉庫になっている。
チョビとエリーを連れてそこに着いた巫を迎えたのは、中肉中背のこれといった特徴のない男性だった。どこにでもいるサラリーマンといった風情の中年男だ。
「よくおいでに…こちらにどうぞ」
にこにこ笑っているように見えるが…その目は、三人を値踏みしていた。
(俺たちを、商品としてしか見ていない目だな、あれはッ)
どれだけ「使える」か。
それにしか興味を持てない男の目だ。
応接室らしい、結構豪華な部屋に通された。
(何だッ、金には困っていなさそうだなッ)
金と人手に困っている巫としては、かなりうらやましい。
「―単刀直入に言います。私どもと、より緊密に連携をしませんか」
まず、そう切り出された。
「で、協力してこの街…舞鳥市を裏から支配したいんですよ」
「支配だとッ!?」
「あなた方の戦闘能力と、私どもの技術と財力を合わせるのです。悪い話ではないと思いますがねえ?」
男はねっとりとした口調で続ける。…言外に「やり繰りに苦労しているんでしょう?」の意味を匂わせていた。
「本気で協力すれば、この街ぐらい思いのままにできると思いますよ」
「この、街をッ」
「そうですよ。そうすれば、あなた方が敵対している者たちも、簡単に倒せるんじゃないですかねえ?」
独特の、絡みつくような喋り方で誘ってくる。
(これは…ッ)
一見うまい話に思えるが。
(俺たちが『買われる』ということになるなッ)
財力に劣る「蒼の組織」が金で言うことを聞かされるのだ。
「…断る、と言ったら?」
「その場合は」
男の目が、巫の隣の少女に向いた。
「チョビさんは、元々私どもが開発した素材ですよ?手を切るというなら、こちらに戻してもらうことになりますが」
「やだ!チョビは巫といつもいっしょだよっ」
状況がよくはわかっていないようだが、それでも自分と巫を引き離す話になっていることには気づいて、チョビは必死に叫んだ。
「しかしですねチョビさん、あなたは本来我々の」
「―もういい」
「は!?」
その声がどこから発せられたのか、一同は一瞬わからなかった。
「もう、話は終わりだッ」
「巫!?」
巫だった。彼が目をぎらつかせながら立ち上がり、無意識なのだろうが左腕でぐいとチョビを引き寄せて吼える。
「チョビは、渡さん!この街も、お前らには支配させん!出ていけッ!」
「協力は断る、と?」
「そうだッ!」
「じゃあ仕方ないな。力ずくで従わせるしか…!」
ねっとりした口調はどこへやら、高圧的に男は吼え、いきなり身を翻した。部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。
巫が後を追うと、男は一階の倉庫に駆けこんでいた。
彼と後二人が飛びこむと、低い駆動音を立てて何かが動き出したところだった。三メートルはあろうかという、巨大な人型のシルエットが浮かび上がる。
「これは…こっちの世界でいう『パワードスーツ』って奴かッ」
かつての配下のポチも、使っていた気がするが…「二足歩行する箱」だったあれに比べると、こちらは随分と洗練されたデザインだ。
なめらかな金属製のボディ。鋼鉄の巨大な手足は、無骨だが凄まじいパワーを秘めていた。
「はは、こいつには勝てまい!」
胸部から座席が突き出していて、男がそこで高笑いしている。
「殺さぬぐらいにいたぶってやる…ぞ!」
鋼鉄の右腕が振り下ろされた、が。
「な、何だこいつ…!」
巫は、その一撃を受け止めていた。
蒼い気流が渦を巻いて巫の身体にまといつき、巨腕の一撃をぎりぎりの所で止めている。
さらに左腕がなだれ落ちてくるのを、蒼い気流をまとった両腕ががっきと受け止めた。
そのまま、双方退かずにぎりぎりと押し合う。
「こ、こいつ…何者だ…?」
「ただの『精霊の加護を受けた者』だッ!」
蒼い渦が勢いを増し、次第に鋼鉄の腕を押し戻していった。
しばらくせめぎ合っていたが。
「だああ…ッ!」
力を込めて押したところに、蹴りを入れて。
ついに、パワードスーツを壁近くまで吹っ飛ばした。派手に転がる。
そのぐらいでは壊れないが、完全に転んでしまってなかなか起き上がれない。じたばたしているところに、巫が追いすがってぶっ壊しにかかった。
「えいくそッ、こいつッ…ううッ、サイキをこんな風にぶっ飛ばせたらどんなにいいかッ」
ライバルと目する者に対して晴らせない悔しさを、ぶつけているらしかった。
とうとう、ボディがへしゃげた。
制御回路が覗き、激しくショートする。
「う、うわああっ!」
座席で震えていた男が転げ出て、這いずるように逃げ出した。
「追うか?巫」
「いや、いい。もう何もできないだろうからなッ」
「な、何故だ!」
逃げながら、男がわめいた。
「それだけの力がありながら、何故有効に使わない!」
そう、一般人相手に使っていれば、とんでもないことになるのに。
「俺はッ!サイキを倒すことにしかッ!興味はないッ!他のことに使うなど考えたこともないなッ!」
「馬鹿だあっ!馬鹿だ馬鹿だ馬鹿だ…」
絶叫にエコーがかかって遠ざかっていった。
「ふんッ!一片の迷い、なしッ!」
鼻息荒く見栄を切る。
…そう、この超絶パワーを彼は、ライバルを倒すことのためにしか使おうとしない。で、そのライバルは…未だに彼に負けたことがない。
この状況が続く限り、舞鳥市の平和は保たれるのであった。
「勝利、ですわね」
女性二人に向き直る巫に、エリーの声がかかった。
「おおー、巫、かっこいいぞーほんとに久しぶりに」
チョビの拍手も、心の底から喜べないのが悲しい巫であった。
「まるで正義の味方みたいなことをしたものですわね、巫」
「そ、そんなんじゃない…ただ気に入らん奴をぶっ飛ばしただけだッ」
「『悪い人』が『より悪い人』を倒したようなものですわね」
「せーぎのみかたー」
何はともあれ…舞鳥市の平和は、今日も保たれたのであった。
第七話END




