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19話。姉より優れた弟は存在しない

文章修正の可能性あり

王城に於いて王国の上層部一同が、魔族とのあれこれについての情報を国家機密とすることを決め、関係者に対して徹底した情報の秘匿を告げた日から数日経ったある日のこと。


「おぉ、久しいなラインハルト!」


数日ぶりに帰宅したラインハルトに対し、当たり前のように侯爵家の邸宅に入り浸っているアンネが何故か上機嫌で挨拶をしてきた。


「……えぇ。お久しぶりです」


実際、今は国内の各地でアンデッドが活性化するという有事であるが故に、軍務卿であるラインハルトも王城に用意されている部屋に滞在しており、こうして邸宅へと帰宅すること自体が数日振りなので、久し振りと言われれば確かに久し振りかもしれない。


ただ、アンネは他家に嫁いだ身なので、数日振りに顔を合わせるのが『久しい』と表現して良いのか? と問われると、ラインハルトとしても返答に困るところである。


しかし、生まれた時から上下関係を刻み込まれているラインハルトは今更そんな疑問を口にするような迂闊な真似はしない。


代わりに口にするのは、アンネが上機嫌である理由についての話題である。


「そう言えば姉上がアモー男爵に鍛錬を施すと耳にしました。ここ数日の成果はどうですか?」


「うむ。多少は鈍っていたが、少しずつ勘を取り戻してきたようだな」


「ほほう」


「一応アレは私の後継者だからな。それがあまりだらしない姿を晒せば、私だけでなく王国の沽券に関わるだろう? ならば私自身がアレを鍛える必要がある。違うか?」


「ごもっともです」


「現状前線は小康状態にあるらしいが、近いうちに勇者たちと共に前線に赴く身だ。ならば王都でぬるま湯に浸かっている暇はない。きっちりと錆を落としておかねばならんだろうさ」


「えぇ。おっしゃる通りですな(うむ。このままアモー男爵を鍛えてくれれば、姉上の機嫌も良いしアモー男爵の強化にも繋がるからな。是非現状を継続してほしいものだ)」


ラインハルトはアンネが上機嫌な理由を『アモー男爵に訓練を施すことで、日頃から溜まっている(かもしれない)ストレスの発散ができているからだ』と考えていた。


確かに、それもアンネが上機嫌である理由の一つであることは間違いはない。


だが実際のところ彼女が上機嫌なのは、己の錆落としができていることで機嫌を良くしているのだ。


……事の発端は数日前にアモー男爵がアンネに挨拶をした後、何故かアンネが「せっかく王都にアヴェがいるのだから、私が鍛えてやろう」と言いだしたことだった。


何がどうなってそうなったのかはラインハルトにも不明であったが、このアンネからの提案は、元々『いざという時はアモー男爵をアンネの代わりに戦わせる』と考えていた王国上層部にとって両手を挙げて歓迎すべき提案であったので、ラインハルトも特に反対することなくアンネの要望を承認していたという経緯がある。


(ま、我々が何もせずとも姉上が上機嫌ならそれでいいさ。……日々姉上からの虐待(訓練)を受けているアモー男爵には悪いと思わんでもないが、そもそも現役を退いた姉上に勝てぬようでは国家の代表など務まらんから、ここは諦めてもらうがな)


王や宰相との会談の後、再度アモー男爵を呼び出してアンネへの口止めを命じた際、彼が妙にそわそわしていたのを見て「コイツ、大丈夫か?」と思ったラインハルトであったが、今となってはあのときのアモー男爵の気持ちも理解できている。


(姉上に秘密を抱えたまま虐待(訓練)を受けるのだからな。さしものアモー男爵とて焦るだろうよ)


思えばあの時、アモー男爵はアンネから『鍛え直してやる』とでも言われていたのだろう。


その虐待(訓練)の中で、もしも隠していた情報がアンネに露見すれば、情報の秘匿を指示したラインハルトや宰相はもちろんのこと、それを承認した国王とてただでは済まない可能性があるうえに、どのような事故が発生するかもわからないのだ。


国家の上層部一同から様々な意味が篭った重圧を浴びせられたアモー男爵が、人並みに狼狽するのも当然のことと言えよう。


実際のところアンネが言う『アモー男爵に対する訓練』とは、アンネの現役復帰に向けた準備運動を交えた訓練であり、先ほどラインハルトから問われた「調子はどうだ?」という問いに対して「多少鈍っている」と答えたのは、アモー男爵のことではなく、アンネ自身のコンディションなのだが、それを知るのは訓練相手に指名されたアモー男爵ただ一人だけである。


そんなすれ違いが発生してたので、ラインハルトは自身から情報規制の命令を受けたアモー男爵が焦っていたのは(いや、もう本人に喋っちまったんだが、この場合はどうなるんだ?)という意味合いの焦りであったということをまだ知らない。


これらのことを、高位貴族の嗜みである優れた観察能力を有するラインハルトが気付かないのは、偏に彼が「姉上がこの情報を知れば必ず乗り込んでくる」と確信していたからである。


彼が知るアンネという女性は『直情にして径行』『猪突にして猛進』『単純にして明快』を体現している存在であった。


特に実弟であるラインハルトに対してなんの遠慮も仮借もしない彼女が『後進のアヴェがラインハルトと結託し、自身を除け者にして魔族と一騎打ちを行う準備をしている』などという情報を掴んでいたならば、今のラインハルトが己の足で立てるような状態であるはずがない。


つまり現在自分が無事であるという事実が、逆説的に現在アンネが魔族関連の情報を得ていないことの証明となっている。ラインハルトはそう確信していた。


だが、現実は非情である。


ラインハルトの思惑とは裏腹に、アンネは既にアモー男爵から魔族関連の情報を得ており、後からラインハルトや宰相、そして話を聞いていたくせに自分に情報を与えなかった近衛騎士の団長に対して、教育的指導を施すことを心に決めている。


そんな彼女が現段階で動きを見せないのは、自身の持つ情報が不足していることを自覚しているからだ。


なにせ彼女が知っているのは『近々魔族との一騎打ちがあるかもしれない』ということと『向こうは自分(アンネ)を指名しているようだが、王国としてはアモー男爵を出す予定だ』ということだけでしかない。


これだけでは『いつ』も『どこで』も『何故』も不明のため、アンネとしても動きようがない。そのため彼女は、少なくとも『この情報がどこから得られた情報なのか?』また『その情報の信憑性はどれほどあるのか?』ということを知るまでは行動に移るつもりはなかった。


そう。普段の行動からラインハルトも誤解しがちなことであるが、将帥としてのアンネ・フォン・ミュゼルシュヴァイクという女性は、鳴かないホトトギスを前にしても、必要があるなら鳴くまで待てるだけの忍耐力を有した人物なのだ。


まぁ鳴くのを確認したら即座に殺すのだが、それはそれ。


重要なのは『アンネには()()動くつもりがない』ということである。


まるで獲物が目の前に来るまでじっと隠れ潜む獰猛な獣のような用心深さを持つアンネ。そんな彼女の演技に騙されているラインハルトは、現時点で彼女に対する情報の秘匿に失敗していることに気付いていない。


それどころか「自分の後継者であるアヴェに訓練を付ける」と言う彼女の言い分を疑うことなく受け入れていた。


「やはり前線に滞在するのと王都に滞在するのとでは、どうしても気構えに差が出る。加えて、鈍った分を取り戻すには休息した時間の倍以上の時間と、それなりの密度を有した鍛錬が必須だ。よって暫くは鍛錬漬けだな」


「なるほど」


一日鍛錬を怠ればそれを取り戻すのに三日掛かるという言葉があるし、常に気を張り詰める必要がある最前線での休息と、後方に位置する王都での休息ではその意味がまるで違うのも事実だろう。


アンネの言葉に頷きながら、ラインハルトは(これでは勇者に鍛錬を付けるどころではないな)と、今後の予定を組み換える必要性を感じていた。


元々王都で待機することで手隙となるアモー男爵に勇者一行を鍛えさせる予定だったが、当の本人がアンネによる虐待(訓練)を受けるとなれば、彼に他人の訓練を見る余裕などなくなるのは、考えなくとも分かることだからだ。


(仕方あるまい。勇者に関してはこれまで通り近衛騎士に担当させるか)


アンネ、アモー男爵、騎士団長は別格としても、近衛騎士とて王国では有数の実力者なのだから、現時点でまだまだ未熟な勇者を鍛えるには不足はないはず。


そう考え、頭の中で色々と計画を練るラインハルトに、アンネは上機嫌のまま声を掛ける。


「しばらく前線にいたアヴェでさえあの体たらくだ。貴様も鍛錬をする必要があるのではないか?」


「……え? 鍛錬ですか? 嫌ですよそんなの」


「ははは。こやつめ」


ガシッ。


考え込んでいるところに予想外の提案を受けたことで、思わず素で返事をしてしまったラインハルト。そんな彼に対し、アンネは笑いながら間合いを詰めて頭部を掴むと、そのまま彼を持ち上げた。


俗に言うアイアンクロー……の変形型である。


自分よりも大きくて重いラインハルトを片手で持ち上げる握力と腕力。そしてその体勢を長時間維持できる技術と足腰とバランス感覚は見事の一言。


さすが王国最強の騎士と言ったところだろうか。


「え? ちょっ! 痛っ!」


「ははは」


「割れる! 割れる! なんかダメな音がしてますってッ!」


「ははは」


「あ、姉上ぇぇぇ?!」


「ははは」


これは弟の分際で姉の提案に逆らったことに対する折檻であると同時に、自分に情報を秘匿していることに対する折檻でもある。


言ってしまえば「今のところはこれくらいで勘弁してやろう」という意思表示でもあるのだが、現時点で情報の秘匿に成功していると考えているラインハルトにはそんなアンネの気持ちは伝わるはずもない。


結局この日、これまで自分が味わってきたどんな攻撃よりも強力なアイアンクローを喰らったラインハルトは、己の執務室で頭を抱えながら、ただただ姉という存在の不条理さを嘆いていたと言う。



麗しき姉弟愛であるってお話。


え? ショウグンクロー? 地獄の超特急? なんのことやら? (ФωФ)?


そろそろ主人公の出番……かも?


―――


悪名は無名に勝る。そういうことなんでしょうかねぇ?


―――



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