3話。侯爵家会議①
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「なるほど。勇者を『戦力』ではなく『未熟な子供』と考えれば、その心を折るためにアンデッドを差し向けるのは理に適っているな」
マルレーンからの報告を受けたラインハルトが急ぎ王に上奏を行っていたころ、少し遅れて同様の報告を受けたアンネは、ラインハルトと同じように神城の言葉を否定することはせず、むしろその有効性を認めて唸り声をあげていた。
「あ~。私は魔法系だからそれほど実感はないですけど、確かに『アンデッドは臭いから嫌だ』って話はよく聞きますね」
「私は魔法系ではありませんけど、まだアンデッドとの戦闘は無いです。そんなに臭いんですか?」
「だな。アデリナの知り合いが言うようにアンデッドは臭い。そしてその臭さはそのまま病や毒の危険値にもなるから、それを厭うのは正しい行為だ。そしてルードルフ。貴様は指揮官なのだから、わざわざアンデッドと直接戦闘などする必要はない。まぁ下の者の気持ちが分からん指揮官では困るから、いずれ経験することは必要だろうが……先に言っておこう。連中は臭いだけではなく、汚い。その汚さが臭いを強化していると言っても過言ではないくらい、汚くて臭い」
「「は、はぁ」」
アンデッドに対する姪と甥の言葉に、アンネが実感を交えた様子で答えれば、質問をした二人もしみじみと語られるアンデッドの汚さと臭さを想像し、思わずその表情を歪ませる。
……この台詞は、彼女が幼少期に「アレは汚いし臭いからヤダ。お前が代わりにやれ」と、無理やり某軍務卿にアンデッドとの戦いを経験させたことを知る面々からすればなんとも表情に困る台詞であったが、幸いと言うかなんと言うか、この場にはラインハルトのためにアンネに物申すような勇者は居なかったようだ。
忠実な家臣のおかげでアンネ(ついでにラインハルト)の尊厳が守られたことはさておくとして。
本来であれば、ルードルフやアデリナへの教育は、侯爵家を出たアンネが関与するところではない。むしろしてはいけないし、アンネもわざわざ口を出すつもりはなかった。
だが、それはあくまで平時の話。
今回のアンデッドの跳梁が平時の出来事ではなく、魔王軍の手による作為的なものだということは、軍人ならば知っていて当然のことである。加えて、これが敵の軍事行動だというのなら、軍務大臣であるラインハルトの子であるルードルフやアデリナにとっても無関係の事柄ではない。
そこで今回の騒動が孫の教育に役に立つと考えたフリーデリンデは「多忙なラインハルトに代わって彼らへ教育を施してほしい」と、化粧品の回収のために最近実家に入り浸っている娘に教導を依頼することにした。
前述したように『侯爵家の跡取りの教育は侯爵家で行うべき』と考えていたアンネであったが、教導の依頼をしてきた相手が母親であることや、これからラインハルトが忙しくなるのが事実であること、さらに、最近は散々実家でタダメシや化粧品の提供を受けている手前もあってその依頼を断れず、対外的にはラインハルトからの要請に応える形で、甥と姪に教育を施していた最中であった。
その教育の最中に、今回の神城の考察が齎されたのである。
一人の騎士としても、そして戦術家としても、また戦略家としても優秀なアンネは、話を聞いた時点でその考察の正しさと有用性を認め、策を仕掛けてきた魔王軍の戦略を担当する者と、その狙いを読んだ神城の戦略眼を知り、思わず内心で舌を巻いていた。
「連中が威力偵察と勇者の心を折ることの両立を狙っていたとは盲点だった。もしこれまでもそうだったとすれば、魔王軍は戦略的にも侮れん相手となる、な」
これまでアンネは、魔王軍の最大の脅威を『種族の違いによる個の力の差にある』と考えていた。事実、魔王軍は雑多な種族の混成軍なので、軍としての統率という面ではそれほど脅威ではなかったのだ。
例外的に、アンデッドという単独種族を差し向けて偵察を行なったり、それにより教会や他国との不和を招くという戦略的な手段を用いてくることは広く知られているが、この行動はある意味で『定番の行為』の範疇でしかなかった。
そう。『勇者を召喚したことを公表した国に於いて、魔王軍に所属する魔物の動きが活性化する。その場合偵察に使われる魔物はアンデッドのケースが多い』という認識は、ある意味で各国共通で『魔王軍の行動としては数少ない戦略的な作戦』として認識されていたのだ。
しかし、その『定番』と思われていた行動の中に『勇者の心を折る』という、もう一つの狙いがあったことなど、実際に剣を交えてきたアンネをして完全に予想外であった。
『戦えない勇者はただの子供』
最初から生産職として後方に回されていたのならまだしも、心が折れた者はもう駄目だ。
せっかく大地の力を消費して召喚し、それなりの労力を使って育てたうえに大々的にお披露目までした勇者が、初陣で腐肉に塗れたことが原因で使い物にならなくなるなど、人材の浪費で済む問題ではない。
「そんなことになるくらいなら、最初から勇者を出さずに【聖女】や魔法使いを派遣したほうが良い。うむ、これも理に適っている。と言うか、何故今までこんな簡単なことに気付かなかったのだ」
考えれば考えるほど、神城が挙げた対策が正しいことを認めざるを得ない。
「あの……」
「ん? あぁ、すまんな。……何か質問か?」
魔王軍にしてやられていたことを知って内心で臍を嚙んでいるアンネに対し、彼女から教えを受けていたルードルフが遠慮がちに話しかけると、生徒を放置していたことを思い出したアンネは、二人に向き直り、声を掛けてきたルードルフに謝罪すると共に、彼が何かを聞きたそうな表情をしていることを察してルードルフに先を促す。
「はい。けど質問と言うかなんと言いますか」
「? まぁ言ってみろ」
もしラインハルトが同じ態度を取ったら『さっさと話せ!』と拳が飛ぶが、流石のアンネも甥っ子相手では拳よりも先に言葉が出るらしい。
まぁ、この場に孫と娘の様子を見守る祖母の目や、義姉と子供の様子を見守る義理の妹の存在があるというのも当然無関係ではないが、それはそれ。
厳しくも優しい伯母から先を促されたルードルフは、特に気負うこともなく、言葉を探しながら質問を続ける。
「えっとですね。神城が言うことは私にも理解できるんです」
「……それで?」
ルードルフも、初陣の兵士が心に傷を負って戦えなくなるという話は知っている。そして、召喚された勇者たちが、この世界に召喚されるまでは戦いを知らぬ少年少女であったこともラインハルトから聞かされている。
故に、だ。戦うために長年訓練してきた者でさえ、初陣の後で心が折れることがあるというのなら、これまで戦いとは無縁であった勇者たちの心も折れる可能性が高いというのも当然理解できることだ。
それを理解したうえで、ルードルフは一つ疑問に思ったことがあった。それが気になったために、思考中のアンネに確認を取ることにしたのである。
「そこまでは私にも理解はできるのですが、父上も伯母上も『神城の言葉が正しい』と確信しているように見えます。これは何故でしょう? 現時点では『彼の考えすぎ』という可能性もあるのではないですか?」
ルードルフが思いのたけを伝えれば、隣で聞いていたアデリナもその言葉に便乗して声をあげた。
「あ、確かに。私も『伯母上が認めているからそういうものだ』って考えちゃったけど、元々は兄上が言うように、それって現時点ではあくまで神城の予想に過ぎないんですよね?」
もしもこれが、長年アンネに仕えてきた実績があるマルレーンからの提言であったならば、ルードルフもアデリナも「経験豊富な専門家の言うことだから」という理由で納得しただろう。
しかし、神城はそうではない。彼らが神城と面識がないこともあるが、それ以前の問題として、神城が勇者たちと同郷の存在であるなら、彼もまた、戦を知らない少年少女と同じ。
……父が言うには、神城は他の連中とは違って向こうの世界の貴族らしいが、それでも現在の【薬師】としての活動や実績を見れば『戦う者』ではないというのは明白。
ならば神城の懸念は、どれだけ信憑性があろうとも『経験も実績も無い素人の意見』に過ぎない。加えて、化粧品の実績が軍事の見識に寄与しないのは言うまでもない。
それなのに、実戦経験豊富な伯母が神城の言葉を疑わず、本気で魔王軍に出し抜かれたことを悔しがったり、軍務大臣として責任ある立場である父が神城の懸念を全面的に受け入れて、即座に王に上奏する理由がルードルフには分からなかったのだ。
「……ふむ」
新参の準男爵に対する讒言ではなく、純粋に疑問に思っている雰囲気を隠そうともしないルードルフを見て、アンネは「性根が腐っていないのは結構。だが侯爵家の当主としては腹黒さが足りんな」と、やや厳しめな評価を下しつつ、甥の疑問に答えることにした。
「その疑問は尤もだ。そして疑問に対する答えはいくつかある。しかし、だ。それを話す前にお前たちに言っておくことがある」
「はい! なんでしょうか!」
真剣な表情で言葉を紡ぐアンネの姿を見たルードルフは、思わず姿勢を糺す。
「貴様らが新参の家臣や、会ったこともないラインハルトの客人に対して内心で疑問や不信感を持つのは、ある意味当然のことでもあるから別に構わん。だがな? 相手は家の当主であるラインハルトだけでなく、陛下までもが正式に国家の客人と認めた貴族だということを忘れるな。そんな相手に対してホストの子供である貴様らが不信感を抱いていると思われるのは誰にとってもよろしくない。故に、身内の中では構わんが、絶対にその感情を表に出すなよ」
客人である神城に不快感を与えてはホスト失格。ラインハルトの顔を潰すのは当然のことだし、ローレン侯爵家にホストを任じた王にも無礼を働くことになる。
家族会議でラインハルトに軽い態度を取るのは、家庭内のことだからまだ良い。家族間で仲違いをするよりは慣れたほうが良いのも事実。しかし対外的な話は別である。
これまで確固たる功績を上げ、その実力と実績で周囲から傍若無人な態度を許されているアンネですら、王の客人に無礼を働くことなど許されない。それがなんの実績もないルードルフやアデリナなら猶更である。
薬の催促? あれは顧客からメーカーに対する要望という枠組みだからセーフ。
……多少アンネに甘い判定な気もするが、重要なのは『相手が無礼と思うか否か』なので、現時点で神城が自分の扱いに不満を覚えていないのなら問題はないと言える。
だが、侯爵家の次期当主が新参の寄子に不信感を抱いているのを周囲に知られてしまえばどうなる? 他の寄子が勝手な忖度を行う可能性だって出てくるのではないか?
確かに『時にはその忖度をさせるために敢えて感情を見せる』という技術もあることは確かだ。
しかしながら、今回はそういった忖度を必要とする場合ではない。と言うか、今の神城は『絶対にそれをしてはいけない相手』に分類される存在である。
「わかったな?」
「「はいッ!」」
そういった事情から、アンネは本気でルードルフとアデリナが家臣や友人の前で軽々にそのような態度をとらないように釘を刺す。すると、彼女の本気を感じ取ったルードルフはもとより、ある意味で巻き添えを喰らったアデリナも反論することなく、真剣な表情で返事をすることで了承の旨を示した。
「ならば良い。……言わなくともわかっていると思うが、これは今回だけの話ではないぞ。生涯を通じての命題だ。決して疎かにするなよ」
「「はいッ!」」
人の上に立つ者ほど己の心中を晒す相手を選ばなければならない。これは上位貴族の常識であり、上位貴族である以上絶対に忘れてはならない、彼らなりの処世術でもあった。
マルレーンにとっての主君はアンネなので、彼女が得た情報は当然アンネにも流れます。
今回ラインハルトが先だったのは、その内容の緊急性からですね。
そんなわけで侯爵家の会議。上位貴族には上位貴族の柵があります。
彼らが好き勝手するようになるとそれは亡国の兆し……かもしれませんね。
フリーデリンデはアンネに仕事を与えることで、彼女が実家に入り浸っていることに対する言い訳としております。具体的には「結婚相手と別居してるわけじゃないんだよ!」と言ったところでしょうか。
ナーロッパの貴族には色々あるんですってお話
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