11話。忍び寄る悪意のようななにか
今更ながら繰り返すが、エレンとヘレナの二人は美人姉妹として周囲でもそれなりに有名であった。
落ち着きがあり知的な印象が強いうえにスタイルも良かった姉のエレンは、様々な趣味嗜好の年上の貴族から目を付けられていたし、そんな姉のそばでいつも笑顔を振り撒いていたヘレナは、一部の年下好きの紳士諸兄や同世代の男子から根強い人気を誇っていたのだ。
更に言えば、二人とも男爵家の娘という血統の良さもあり、両親や兄も彼女たちの嫁ぎ先を探すのに苦労をするようなことは無いだろうと思っていたという。
……そんな彼女らの未来に影を差したのが、その両親や兄の欲であったことはいかなる皮肉だったのか。
彼女らの父、つまりは先代の男爵が兄嫁の欲に便乗しようと借金を重ねた結果、トロスト男爵家はその身に合わぬ出費を強いられてしまい、家そのものが崩壊の一歩手前の危険な状況に陥ってしまう。
そのあまりにあんまりな彼らの行いの代償は、分不相応な夢に溺れた彼ら本人たちではなく、ただ普通に生きていれば幸せになれたはずのエレナとヘレンに降りかかることとなる。
一応嫡男であったマリウスが子爵家の次女と離縁したことで、それ以上の支出は抑えることができた。しかし、散財していた張本人と離縁したからといって、それまで男爵家が積み重ねた借金が消えるわけではない。
結局彼らは借金返済のために家財やドレスなどを売り払い、失意のうちに(姉妹からすれば無責任に)死んだ父に代わって男爵家を継いだマリウスが懸命に働いて、なんとか利子を支払うような日々を送っていた。
そんないつまで経っても借金が減らず、このままでは男爵家が潰えてしまう。そうマリウスが怯え、エレンが妹のために己の身を捨てる覚悟を決めようとした時、彼らの下に王城からの使者という一つの契機が訪れる。
その使者は『姉のエレンを王城に出仕させれば、借金はこちらで清算する。ただし彼女は特殊な任務に当たることになるので、当たり前の生活を送ることはできなくなる』と言い、その特殊任務の内容を話さぬままにエレンに王城への出仕をするか否かの選択を迫ってきたのだ。
出仕を求められたエレンは、その特殊任務が『本来なら命令すれば済む話であるのに、わざわざ自分たちに選択肢を与えるような任務であること』を理解したうえで、王城への出仕を決意する。
このエレンの献身のおかげでトロスト男爵家の借金はほぼ無くなり、彼らの生活に多少なりとも余裕ができるようになったのは事実だ。
しかし、男爵家の状況は良くなるどころか、悪化した。いや、経済的には確かに最悪の状態から脱却することはできたのだが、社会的な立場という意味で状況が悪化してしまったのだ。
わかりやすく言えば、貴族社会の中で完全に孤立してしまったのである。
理由としてはいくつかある。まずマリウスと別れた元嫁や、その実家の子爵家が彼らの評判を落としていたこと。さらに己の借金のカタに妹を売り払うような人間が信用されるはずもないというのは、ある意味で当然と言えるだろう。
加えて『エレンを嫁か愛人にしたい』と思ってトロスト男爵家と接触していた貴族たちも、彼女が王家に出仕することになるとわかった時点で、男爵家との関わりを断ってしまった。
そして姉を失って塞ぎこんだヘレナには『落ち目の男爵家と関わってまで欲しい』と思わせるような魅力は無く、彼女を目当てに近寄ってくる貴族もその数を減らしていった。
それでも一応『ヘレナを妻として迎える気はないが、愛人として迎え入れるなら悪くない』と考えた貴族が数人居たし、中には「金を払ってやるからウチに出仕させろ」とあからさまにモノ扱いをする者も居たので、全く付き合いが無くなったわけではない。
しかし、しかし、だ。さすがのマリウスも、いくら自分が貴族社会で孤立していようと、自分たちのせいでなんの罪もない妹達を苦境に追いやっておきながら、妹をそのような連中に売るような真似をしようとは思わなかった。
……とは言っても彼は所詮落ち目の男爵家の当主にすぎず、無礼極まりない申し出をしてくる目上の貴族たちに対して正面から強硬に突っぱねるだけの力は無かったのだが。
故に、その内心はどうあれ、マリウスは外では曖昧な返事をすることで彼らからの提案にお茶を濁すことしかできず、家に帰ってからは常に「どうするべきか」と頭を抱えていたという。
そんなマリウスの現状や懊悩は当然周囲の貴族たちにもわかっていた。
しかし、現状ではどんなに意地を張っても、最終的にマリウスが折れるしかないということもわかっていたので、彼らは焦らずにじわじわとマリウスを追い込み、最終的にマリウスが誰の家にヘレナを出仕させるのか? と、賭けてさえいたという。
そんな父親たちの話を聞いて、心を弾ませたのがエレンやヘレナと同世代の子供たちだ。
世間の常識を理解していた父親たちとは違い、もっと直情的な感情を抱いていた彼らは『自分の家にヘレナが来たらどうしてくれよう』などと考えていたのだ。
そんな彼らの下に驚くべき情報が齎されたのは、エレンとヘレナがトロスト男爵家を後にしてから数時間後のことであった。
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「なん……ですと……?」
赤髪で、ややぽっちゃり体型の少年。シュロート子爵家嫡男ブルーノ・シュロートは、父から齎された報せを聞いて思わず驚愕の思いを口にしてしまう。
「そ、それは本当なのですか?」
本来なら父からの言葉を疑うのは無礼なことであるのだが、それも仕方のないことだろう。
なにせ彼は最初『トロスト男爵家から連絡があった』と聞かされた時点で「トロスト男爵は自分たちにヘレナを売った」と判断したし、さらに考えを飛躍させ「これからどんな風に相手をしてやろうか?」などという思いを抱いていたのだ。
それなのに向こうから来た報せが『ヘレナ・トロストの出仕先が決まったこと』と『今までご心配をお掛けしたことについての詫びと感謝の意を示す』という内容だったというのだから、ブルーノにしてみたら肩透かしどころの話ではない。
一度手に入ったものが零れ落ちた。
そんな思いを抱いたこともあり、色々と納得できない彼は「嘘だといってよ!」と言わんばかりに己の父に確認を取ったのだが、無情にも事実は覆ることなくありのままの現実を突きつけられることになる。
「うむ。先ほどトロスト男爵から正式な連絡が入ったのでな。……いやはやまさか、彼の家に我々以外の伝手があろうとは」
残念ながら賭けは負けだ。しかしこの場合の賭け金はどうなるのだろうな? などと言って苦笑いをする父デニス・シュロート子爵に対して、ブルーノ少年は声を荒らげる。
「い、いったいどこの誰がヘレナを受け入れたというのですか?!」
「ん? あぁ、細かいことはわからんが、なんでも「とある準男爵家」のところだそうだ」
「準男爵家? なぜそのようなところにっ?!」
「知らんよ」
別に男爵家の人間が準男爵家に嫁入りすることは珍しいことではないし、そもそもマリウスにもデニスに対して妹の修行先の情報を告知する義務はないのだ。
ただ、どのような思惑があったとしても年長者から声を掛けてもらっていた以上、最低限のことを伝えるのが礼儀であったからそれを行なっただけに過ぎないのだから、それを理解しているデニスもヘレナの出仕先について深く追及することはしなかった。
さらに言えば、少女趣味ではないデニスにとって重要なのはヘレナという少女の身柄を受け入れることではなく、あくまで『賭けに勝ったか否か』である。
よって賭けに負けたデニスが、より素っ気ない態度になるのも仕方ないと言えよう。
ちなみに、もしも彼女を出仕させることになった家がデニスらと一緒に賭けをしていた家であるならば、その受け入れ先となった家の当主から勝利報告が届く手筈になっていたりするのだが、今現在どこの家からもそれが無いということから、デニスはマリウスが自分たちのコミュニティ以外の人間に妹を託したことを確信していた。
そうなると問題なのは、彼がどこの準男爵に泣きついたのか? という話になる。
自分が子爵で相手が準男爵だからと言って、軽々に文句を言うようなことはできない。何故なら、現時点でその準男爵とやらの後ろ盾が不明だからだ。
これがどこかの子爵の部下とかならばまだ良い。しかし、その準男爵の後ろ盾が侯爵や伯爵といった上級貴族だったりした場合、軽い気持ちでちょっかいを出したと思ったら、いつの間にか自分たちが潰される側に回ってしまうこともある。
相手によっては下手に探っただけで潰される危険性まであるので、現時点でデニスはその準男爵を探したりする気はないし、ましてや「良くも賭けの邪魔をしてくれたな!」などと文句を付ける気もない。
デニスは遊びは遊びと割り切ることができる人間であり、さらに言えば『所詮自分たちは王都に勤める一山いくらの法衣貴族でしかない』ということをしっかりと理解している、ある意味で貴族らしい貴族であった。
だがそう簡単に話を終わらせられないのがブルーノである。
なぜ簡単に済まないのか。それはブルーノをはじめとした子供たちは、自分たちのコミュニティの中でヘレナを受け入れた者が居た場合、みんなで彼女を共有する約束を交わしていたからだ。
もともとヘレナのことを意識していたことや、父親が少女趣味でないこともあって『ヘレナが自分の家に来たら独占的に自分のものにできる!』と踏んでいたし、もしも他の家に行ったとしても、シュロート子爵家は彼らのコミュニティの中でも最上位の爵位を持っている家なので『独占はできなくとも優先的に回してもらうこともできるだろう』と踏んでいた。
このような妄想を膨らませながらブルーノは「まだかまだか」と、トロスト男爵家からの連絡を待っていたというのに、ようやく来た報せが『自分たちとは関係のない家に行くことになった』という報せである。
これでは予定が狂うどころの話ではない。
「よくも僕の邪魔をしてくれたな!」
相手が同じ子爵や、もっと上の爵位の家なら彼も諦めがついたかもしれない。しかし自分の手からヘレナを奪い去ったのは格下の準男爵だというではないか。
「準男爵ごときが、人のモノを横からかっさらうなんて卑怯な真似をしたらどうなるか……思い知らせてやるぞ!」
結局、自分のもの(になる予定のもの)を奪った準男爵に対して並々ならぬ敵意を抱くことになったブルーノは、その邪な感情を膨張させ、自分と同じ気持ちを持つであろう仲間たちに『卑怯な横槍を入れて自分たちからヘレナを奪った準男爵を特定し、痛い目に遭わせてからヘレナを奪い返してやろう!』という呼びかけを行うことになる。
――このブルーノの呼びかけをヘレナが聞いたら「別に私はアンタらのモノじゃないし」と嫌悪感丸出しで答えたであろう。
しかし幸か不幸かこの場にヘレナはおらず、彼らの声が彼女に届くことはない。
また件の準男爵は、久しぶりにヘレナの姉であるエレンと共に自室の寝具の調整をしていたので、尚更彼らの声が届くことはないだろう。
彼らの標的となった準男爵が、ヘレナだけではなくその姉のエレンをも侍らせていることを知ったとき、少年たちが何を感じ、どう動き、その結果どうなるのか。
少なくとも、彼らが標的とした準男爵は、我儘なお子様からの理不尽な言いがかりを甘んじて受け入れるような男ではない。
……神城が行なった『トロスト姉妹の受け入れ』という行為が、今後どのような事態を生み出すのか。それを知る者は未だ居ない。
一言で言えば、片思いの女子が他の男子と付き合ったら『寝取られた!』とか言い出す男子の図。
彼らの狙いを知ったとき、山も谷もない、植物のような平穏な日常を夢見る男、神城はどうするのやらってお話
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