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28話。ある男爵家でのお話②

「お久しぶりですお兄様」


「う、うむ。久しいな」


朗らかな表情で挨拶をするエレンに対し、挨拶を受けたトロスト男爵ことマリウスは、なんとも言い難い表情でその挨拶を受けていた。


久し振りの兄妹の再会なのにマリウスがこのような表情をするのは、この二人の兄妹仲が悪いから。ではない。


むしろ家族仲・兄妹仲が良かったからこそ、己の妻のせいで家計が傾いてしまったこと。

自分は男爵家を継いでおきながら、エレンは王城へ身売りさせてしまったこと。

残されたヘレナにも碌な修業先も見つけてやることもできないということ。


これらのことから、自身の不甲斐なさや妹への後ろめたさが、マリウスの表情を曇らせているのだ。


更に、エレンもヘレナも元凶の一端である自分や母に対して、一切の文句も言わずに我慢してくれていることが、マリウスのやるせなさを加速させている一因でもある。


かと言って彼女らに「俺を責めてもいいのだぞ?」と言ったところで、それで現状が改善されるわけでもない。ならば自分はどの面下げて妹と接すれば良いのか。


このような気持ちを抱きながらマリウスは日々を暮らしていたのだ。そこに身売りしたはずの妹が現れたのだから、どのような表情をして良いか分からず、結果としてなんとも言い難い表情になってしまっていたのだ。


当然、エレンはマリウスのそんな気持ちは十分に理解しているので、その態度に特に何かを言うつもりは無かった。


ヘレナの手前我慢していたが、エレンとて人間である。王城へ上がることになった当時はマリウスや亡き父親に対して恨み言もあったし、元兄嫁を殺したいほど憎んでいた。


しかし今はそのような気持ちは無い。


結果論ではあるが、結果的に王城に召し上げられたことでエレンは神城という主人に出会えたし、その神城のおかげでヘレナやマリウスに明るい未来を提供できるのだ。


故にエレンは、感謝……はしていないが、その恨みを水に流すくらいはしても良いと思っている。


まぁ、もしもヘレナが他の貴族家に修業という名目で身売りさせられていたら、その決定を下したマリウスを殴りつけて「トロスト男爵家に救う価値は無い!」と神城に直訴していたところであったが、それもあくまで可能性の話。


マリウスは、兄として、男爵家の当主としてヘレナを放逐しなかった。それが全てだ。


「本当はお兄様やヘレナと話したいことが沢山あるのですが、先に今の私の主からのご用向きをお伝えさせていただきます」


「主?……い、いや。よろしく頼む」


一瞬「王家に出仕したはずのエレンが『主』と呼ぶ人物とは誰だ?」と思ったマリウスだったが、どう考えてもその相手が自分より上の立場の人間であることは分かるので、まずは彼女の話を聞くことにした。


「それでは。この度私は、我が主である神城準男爵様より『トロスト男爵家のヘレナ嬢を行儀見習いとして受け入れても良い』というお言葉と『トロスト男爵閣下に対して配偶者を紹介したい』というお言葉を賜っております」


「「は?」」


エレンが何を言うか身構えていたマリウスと、エレンに言われてこの場に同席しているヘレナは揃って声を上げた。 


そんな二人の反応に「そうなるわよねぇ」と内心で呟きながら、エレンは追撃を加える。


「また、準男爵様がトロスト男爵閣下にご紹介くださる方は、ローレン軍務大臣閣下の傘下の貴族家の方となります。さらにヘレナ嬢に指導をしてくださる方は、軍務大臣閣下よりご紹介いただく手筈となっておりまして、もしもヘレナ嬢が望むなら私と共に修業を行う形となりますね」


「「……はぁ!?」」


エレンからの提案を脳内で反芻したマリウスとヘレナは、その言葉の意味を理解すると同時に、兄妹揃って驚愕の声を上げたのであった。



~~~



「軍務大臣閣下だと?! エレンっ! それは冗談でも出して良い名ではないぞ!」

「……えっと?」


驚きのあまり声を上げてしまったが、事実我々のような立場の人間が容易に軍務大臣閣下の名を口にするなどあってはならないことだ。


しかし『何かの間違いなら今のうちに訂正するように』言い募った私に対して、妹のエレンはなんのこともないように言葉を紡ぐ。


「無論存じ上げております。このお話は既に軍務大臣閣下からも了承を得ているのですから」


「なん……だと……」


エレンの主人が準男爵であるのは、まぁ良いだろう。その準男爵がヘレナの修業先として名乗りを上げてくれたというのも、素直にありがたい話なので特に言うことは無い。


最大の問題は、私の配偶者についてだ。


確かに妻と離縁しており、子が居ない以上は再婚して子を為す必要があるのは事実だろう。しかし、今の我が家には借金こそ無いものの、男爵家として必要なものも何一つ無いのだ。


さらにヘレナのこともある。


このような状況では到底我が家には嫁を迎える余裕などない。故に母上には悪いとは思っているが再婚については考えないようにしていたのだ。


なのに向こうから紹介してくる? それに軍務大臣閣下が認めているだと? どういうことだ?


「お兄様の気持ちは分かります。今回の件につきましては、全てが私の主となった神城準男爵様が私の事情を慮って軍務大臣閣下に働きかけてくださったのですよ」


「……なるほど」


私が疑問に思っていることに察しが付いているのだろう。エレンは薄く笑いながら、事情を説明してくれた。この様子だと無理やり言わされているような感じではない、な。


それに間違いなく我らにとっては良い話だから、こうして笑みを浮かべるのも分からんではない。


ただ、問題はその神城という準男爵だ。私も王城に居る貴族の全てを知っているわけではないが、そのような者の名は聞いたことがない。


軍務大臣閣下に直接物申すことができるということは、軍務大臣閣下に仕える騎士か? しかしそれだと王家に召し上げられたはずのエレンの主人になるというのが分からん。


しかし、元々エレンが受けたのは家族にも内容を語れない極秘任務だから、それに言及するわけにはいかんよな。


では考えるべきはこの話を受けた場合と断った場合に生じる損得だろう。


私はエレンの事情に関しては一先ず脇に置くことにして、己とトロスト男爵家のために何が最適なのかを考えることにした。


まずこの話に乗れば、ヘレナは修業先を見つけることができるし、私も伴侶を得られる。それもローレン軍務大臣閣下との繋がりがある貴族だ。


この話が本当なら間違いなく我がトロスト男爵家は、王都にいくらでも居る木っ端の法衣貴族から一歩脱却できる……い、いや、そのようなことを考えた結果が以前の失敗ではないか! まずは家の存続が第一! 出世について考えるのは自分の足で立てるようになってからだ!


~~~


両親と元嫁が主な元凶ではあるが、彼女らを掣肘しなかった自分も無罪ではない。ここ最近、どんどん以前の明るさを失っていくヘレナを見て自分の罪を認識していたマリウスは、本当の被害者である妹たちを前にして、出世という危険な思考を振り捨てた。


もしもマリウスがローレンとの縁を持ったことで懲りずに出世を望むような態度を取ったら、ローレンや神城から切り捨てられることが確定していたので、この決断は英断と言えよう。


そんな隠れた英断をしながらも悩むマリウスとは別に、もう一人の当事者であるヘレナはエレンの提案に目を輝かせていた。


「私行くっ!行く行く行く行く、ぜぇーーーったいに行くからねっ!」


侍女としての立場をかなぐり捨てながら、ヘレナは青少年が聞いたら思わず前屈みになりそうな言葉を連呼してエレンに詰め寄る。


マリウスはいきなり自己主張をし出したヘレナに驚きを覚えたが、彼女の事情を考えれば「それも仕方のないことか」と思い、ヘレナの行動を咎めることができなかった。


なにせヘレナにしてみればエレンの提案は、奈落に堕ちるしか無かった自分の前に垂らされた蜘蛛の糸そのもの。(実際は特殊繊維で編みこまれたワイヤーだが)


それを掴まなければ奈落に堕ちるしかないのだから、ヘレナの中では既に『お姉ちゃんの提案を断るなんてとんでもない!』という結論が出ていた。


それに彼女の場合は、マリウスと違って修業先である準男爵のことを知らないことは不安材料にはならない。何故なら元々貴族の子女が修業に出る場合、その先は親や当主が決めるというのが一般的であり、当人が修業先の貴族を選べるというケースはほとんど無いからだ。


それが一般的な常識であるし、準男爵の下で修業する場合はエレンと一緒に修業ができるというではないか。つまり最低でも相手の人間性は保証されているということになる。


さらに指導役が侯爵家の関係者というのも良い。


なにせこの場合、将来どこかで自分の修業先を聞かれた際に『修業先は準男爵家です』と言うだけでなく、それに『指導役はローレン侯爵家から派遣されて来た人でした!』と付け加えることができるからだ。


つまりヘレナにとってエレンの提案は損得勘定をするまでもなく得しかないので「絶対に行く」という結論に至るのは考えるまでも無いことであった。


そしてこのヘレナの反応は、彼女を迎えに来たエレンが望んでいた反応でもある。そのためエレンはヘレナの出仕先を決める決定権を持つマリウスに対して決断を促すことにした。


「ヘレナはこう言ってますが、お兄様はそれでもよろしいですか?」


「……そうだな。修業については文句は無い。むしろ是非頼む(と言うか駄目と言ってもエレンについていきそうだがな)」


エレンに抱き着きながら「わかってるよね?」と睨みを利かせてくるヘレナの態度に苦笑いを堪えながら、マリウスはヘレナの修業を認めた。


「承りました。では正式に神城準男爵家でヘレナをお預かりさせていただきます」


「やったぁ! ありがとう! ありがとうお姉ちゃん!」


無事に蜘蛛の糸を掴み天国への片道切符を手に入れたヘレナは、涙を流してエレンに抱き着き、涙を流しながら謝意を述べれば、エレンはそんな妹をあやしながら、マリウスへ視線を向ける。


「お兄様。見ず知らずのご主人様からの提案を警戒する気持ちも分かります。ですが……」


「あぁ。分かっている」


損得勘定云々ではない。向こうは軍務大臣を動かしてまでこちらに手を差し伸べてくれたのだ。それを断ったなら向こうの顔を潰すだけではなく、軍務大臣からの敵意も買ってしまう。


ただでさえ歯牙にも掛けられていない木っ端貴族が、現役の侯爵家当主であり軍務大臣でもあるローレンから敵意を向けられたなら、その噂だけで家が潰れてしまう。


故に、マリウスにはその提案を断るという選択肢は最初から無かったのだ。


「……申し訳ございません」


全てを察して提案を受け入れる覚悟を決めたマリウスに、エレンはおもむろに頭を下げる。


「何を謝る?」


「お兄様を罠に嵌めたような形になってしまいました」


生真面目なエレンはそこを気に病んでいたのだろう。だがこの謝罪は的外れと言わざるを得ない。


「何を言う。お前たちを苦境に陥れたことに私から謝罪することはあっても、私たちを助けるために動いたお前が謝罪する必要など無い。……済まなかったエレン。そして、ありがとう」


「お兄様……」


実際、エレンを雇い入れてくれたうえに、ヘレナを受け入れてくれるというだけでも自分は救われたのだ。それにこの婚姻についても、侯爵家が自分を罠に嵌める理由は無いし、自分に恩を着せたところで準男爵にも得は無い。


おそらくエレンはその準男爵の女になったのだろう。そして準男爵は自分の女のために動いた。つまり、あくまで自分はエレンのついでに救われたということだ。


一人の男としてそのことを悔しく思う気持ちが無いわけではない。しかし、元々自分たちの失策で妹たちを苦しめていたことを考えれば、文句を言う筋合いはない。せめて兄として『妹を幸せにしてくれ』と願うだけである。


万感の思いを込めて頭を下げるマリウスと、その思いを汲み取って涙ながらに微笑むエレン。そんなエレンに抱き着きながら、自分たちの家族が救われたことに喜びの涙を流すヘレナ。


この日、王都にあるとある男爵家に於いて、それぞれの新たな門出を祝う宴が開かれることとなった。その宴には、かつてエレンが王城へ赴いたときのような悲痛な空気はなく、久方振りに家族全員が笑顔を浮かべることができた宴であったという。



兄と妹の取り込み完了。


元々断るなんて選択肢は無いんですけどね?

戦いは始まる前に終わっているように、交渉もきちんと根回しをした方が勝つのですってお話。


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