26話。侯爵の思惑と決定
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神城とエレンが再度屋敷に備え付けられていた寝具の使い心地を確認した後のこと。
王城に用意されている執務室で作業をしていたラインハルトは、家の者から報告を受け取っていた。
「ほう、それでは神城は侍女の妹を雇いたいと言ってきたのか?」
『はっ。それからご当主様には『まずは年収250万シェンで働いてくれて、二人に指導もできる経験豊富な侍女を紹介してほしい』とのことでした』
「……なるほど。そう来たか」
あの邸宅であれば侍女は一人では足りないし、何よりこの国では男爵は最低2人の使用人を雇う義務がある。ラインハルトとしてはその常識を利用して神城のもとにもう一人自分の息の掛かった女性を手配しようとしていたのだが、見事に先手を取られてしまった形になった。
特にラインハルトが上手いと思ったのは、その人選だ。
元々神城が引き抜いたエレンは王家によって召喚者を歓待するために用意された人員である。それはつまり、身辺調査も抜かりなく行なっているということを意味する。
そして王家によって身辺調査が行われた以上、当然その家族は他者からの影響など受けていないし、後ろに怪しい組織が付いているという可能性は限りなく低い。
さらに神城の立場は機密が絡む案件になるので、侍女であるエレンからその家族に情報が漏れる可能性を考えれば、家族も抱え込んでしまったほうが都合が良いと言われてしまえば、ローレンにも王家にも返す言葉はない。
加えて、あの規模の邸宅であれば侍女は3人いれば十分なので、これ以上女性を送り込む名目がない。しかも向こうからの要望は『教育もできる経験豊富な侍女』である。
この場合、経験豊富が意味するのは高齢ということだし、ここまで言われて下手な人間を送っては侯爵としての沽券にも関わる。
故に、この件では侯爵家として真摯に人選を行う必要があるので、侍女を使った神城に対するハニートラップは不可能となるわけだ。
あとは男性の使用人として執事を付けることになるのだが、こちらについては神城は初めからラインハルトに一任しているので、決してラインハルトを軽んじているわけではない。
神城はただ女関係に楔を打ち込んできただけだ。
ある意味可愛げが無いとも言えるが、神城の立場を考えれば、隙だらけの阿呆よりはこちらのほうが好ましいのも事実であるので、ラインハルトは素直に神城を称賛することにした。
「その件については問題ない。他に何か言っていたか?」
欲しいものがあれば遠慮なく言うように伝えているし、向こうも限度は知っているが必要以上に遠慮するような人間ではないので(変に遠慮をすると関係が悪化することを理解しているとも言う)何かしらの要望が挙げられているだろうと予想したのだが、その予想は当たっていた。
『はっ。神城様からは、まず研究のために薬が一定数欲しいと言われております』
「うむ。薬は望むだけ用意させるように。それで他にも何かあるのか?」
それは予想していた。何せ今の神城には現金の持ち合わせが無いし、商人や薬師にも伝手が無い。故に余程の高級品でない限り、こちらで用意することに異論は無い。
気になるのは向こうの執事が『まず』と言い添えたことだ。つまり神城からの要求は一つではないということになる。
衣食住を手に入れた彼が、自分に何を望むのか? それによって未だに正確に掴み切れていない神城の為人を理解することができると思ったのだ。
しかし神城からの要望はラインハルトの予想したものとはその方向性がまるで違っていた。
『はっ。ご当主様に、侍女の兄である男爵に嫁を紹介してほしいとのことでございました』
「嫁を?……あぁなるほど」
ラインハルトは意表を突かれた驚きを表に出さぬように堪えて、なんとかそう言葉を絞り出しながら、神城からの要望の意図を汲み取る。
まずは妹と同様に情報の漏洩を抑え込む意図があるのだろう。
エレンの実家の事情は王家が既に調査済みの資料を見れば分かるが、彼女の兄は先ごろ先代が死亡したために家と爵位を継いだばかりの22歳の若者だ。
彼は男爵家にしては多額の借金があったようだが、それは元嫁が分際を弁えない夢を抱いた結果によるものだとも理解している。故にこの件で咎められる対象は保証人となっていた先代の男爵であることも理解している。なので、今の当主である青年になんらかの瑕疵があるとは思っていない。
そう。貴族的な価値観から見れば、借金の原因は元嫁ではなくエレンの父である先代の男爵なのだ。
そう考えられる根拠としては、そもそも『旦那を出世させるためにサロンなどに出て上司の奥方に接触する』という元嫁の行動は、何一つ間違っていないことが挙げられる。
それが自己の虚栄心を満たそうとする行為であっても、結果的に旦那が出世するのであれば決して悪い手ではない。それどころか常道とも言える手段だ。
ただ、元嫁自身も20歳未満の少女であり未熟で世間を知らなかったが為に、働きかけるべき相手や、効果的な方法を知らず成果を出せなかっただけの話である。
そう考えれば『分不相応な夢を抱きながら、その夢を叶えるための工作を未熟な少女に放り投げた』先代男爵が一番悪い。という結論に至るのも当然の話だろう。
なにせ本気で彼女を止める気があるのならば、先代が保証人にならなければ良いだけの話だったのだ。いくら子爵家の次女で男爵家の嫡男の嫁であっても、保証人が居なければ商人も金など貸さぬのだから。
ついでに言えば、元嫁のミスはもう一つある。それは彼女が離縁された際、自身を被害者、男爵家を加害者として、一方的に糾弾したことだ。
確かに貴族の価値観として彼女の行なった行為は間違ったことではない。しかし多額の金を使いながらも成果を出せず、男爵家を経済的に傾けたのも事実である。
故にこの場合の正しい態度としては、周囲に対して自身の失敗を反省している様子を見せつつ、離縁されたことを嘆くだけで良かったのだ。
そうすれば彼女は『頑張ったけど結果を出せなかった可哀想な女性』という扱いを受けることができたはずだし、男性からも普通に同情を集めることもできただろう。再婚も不可能ではなかったと思う。
しかし、虚栄心が暴走したのか自らの過ちを認めることができなかったのかは知らないが、彼女は自分の行動を棚に上げて男爵家を糾弾してしまった。
これにより心ある貴族は彼女や彼女の実家の子爵家から距離を取りだしたし、子爵令嬢と親しいものや子爵家の影響力を恐れる下級の貴族たちは男爵家と距離を置くことになった。
なんと言うか、分不相応な夢を見たがゆえに双方不幸になった好例と言えなくもない。
反省点としては、旦那であった嫡男がもっと強く止めれば良いのではないか? という意見もあるかも知れないが、その嫡男とて当時は20歳未満の青年であったことを考えれば、先代と嫁の暴走を止めるのは難しいだろう。
さらに本人も出世を夢見ていただろうから、全くの無責任とも言えない。
結局は、先代と若い嫡男夫妻が分不相応な夢を見て、関係者全員が痛い目に遭った。それだけの話だ。
故に資料を見た侯爵から見たエレンの兄に対する評価は、プラスでもマイナスでもない存在である。そんな相手に嫁を紹介した場合のメリットとデメリットとしては以下が挙げられる。
メリット。
①侍女の家族を全員抱えることで、情報の秘匿ができる。
②神城からの要望を叶えることで、彼に貸しを作ることができる。
③傘下の貴族で嫁ぎ先を探している者に、男爵という相手をあてがうことができる。
デメリット
①元嫁の子爵家と、その関係者との関係が多少悪くなるかもしれない。
と言ったところだろうか。
もし嫁を紹介しなかった場合は上記のメリット・デメリットはすべて消えるが、新たに
①情報の秘匿に穴が空く。
②神城から悪感情を抱かれる。
というデメリットが生じることになる。問題はやはり神城からの悪感情だ。
ラインハルトにとって神城は異国の貴族であり、客人であるが、それ以外にも異世界から召喚された存在であり、常備薬システムという新たな儲け話を提供してくれた存在だ。
他にもどのような腹案があるか分からない以上、彼は最上級の客人として扱う必要がある。
今のラインハルトの心情を言葉に表すなら『奇貨居くべし』という一言に集約されるだろう。ついでに言えば、広大な領土を持ち、自身も軍務大臣を務める侯爵であるローレンからすれば、王都の木っ端子爵から敵意を向けられようと痛くも痒くもない。
……むしろ、彼らが暴走して男爵家に何かをしようとしてきたら、それを叩き潰すことで神城に恩を売れるではないか。
そこまで考えたラインハルトは『その男爵は抱え込んだほうが良い』と判断を下す。
「良かろう。ではその願いも叶えると伝えよ。あぁ、相手の選別は少し時間を貰うとも伝えてくれ」
『はっ』
己が仲介した婚姻を跡を継いだばかりの男爵如きに断らせる気は無いが、下手な相手を送ってしまい神城から恨まれては意味が無いので、しっかりとした人員を選別するつもりであった。
彼が子爵や男爵のいざこざに興味を抱くことは無く、ただ神城へ貸しを作ることだけを考えてこの決定を下すのも当然と言えば当然のことであろう。
――しかし、この決定が元で後にある騒動が発生することになるのだが、神ならぬ身であるラインハルトには現時点でそのことを予想することはできなかった。
前の話の補強ですな。
都市内は電話が有りますから神城君~執事さん。執事さん~侯爵へと普通に通信可能なもよう。
本文でも書きましたが、兄嫁の失敗は賄賂を送る相手の選定のミスと離縁された後の行動であって借金をしたことではありません。
ざまぁを期待していた読者様にはアレかもしれませんが、見方が変われば善悪も正義も変わりますからね。
完全な悪者など、そうそう居ないのですってお話。
え? 事件? それはまだ秘密でごわす。